白の境に舞う金烏。

七海けい

白の境に舞う金烏。


 町の謝肉祭で、それとなく良い雰囲気にもっていき、酒場のホールで乾坤一擲けんこんいってきのプロポーズをする。その場の浮かれた空気も助けて、彼女は首を縦に振る……。

 そんな浅はかな皮算用は、彼に、何の実りももたらさなかった。

 そもそも彼女は、祭りに来なかったのだ。


「すっぽかされた。……のか?」

 彼は、人が集まる酒場の周りと、彼女との待ち合わせ場所──町外れの水車小屋の間を、行ったり来たりしていた。腹の虫もそろそろ限界だが、乱痴気騒ぎを楽しめる気分でもなく、林檎1個で空腹を誤魔化す。

 行き違いか。身体を壊したのか。それとも、あるいは。


「……」

 確かめに行きたいところだが、彼に手立てはなかった。

 彼は、彼女の家を知らなかったのだ。


 彼女はいつも、町を囲む、崩れかかった城壁の外側からやってきた。

 濡れたように輝く金色の髪。遠くまで響く玉のような声。人よりも記憶力が良く、一回通っただけの道も、すれ違っただけの人の顔も、町の子供たちが歌うデタラメな童歌の歌詞も、全て覚えてしまう才媛だった。

 その昔、酒場の亭主が、彼女を余興の歌い手ミンストレルに誘ったことがある。

 彼女は、自分は喘息ぜんそく持ちだからと言って、これを断った。


 普段彼女が身に付けている腕輪バングル首飾りカルカネットは、富を誇示するための道具ではなく、彼女の全財産だった。町に来るなり、彼女はそれを質に入れ、金を借り、それでまた場所や素材を借りて、籠編みや簡単な鍛冶屋を営む。余剰の稼ぎができれば、質屋に納めて装具を取り戻し、町の市場で買い物を済ませたら、壁の外へと去って行く。


 美しく人当たりの良い彼女に惹かれたのか。それとも、どこか掴み所のない彼女の生き方に憧れたのか。

 2年前に出会って以来。彼は、彼女が町に来る度に、彼女と約束を取り付けては、近くの森や川辺に行って、たわいもない話をするのが楽しみになっていた。


 彼の両親は息子のラブロマンスに反対だった。父親は職人組合ツンフト親方マイスターで、司祭の覚えめでたい大口の寄進者でもあったが、跡取り息子が日曜日の礼拝ミサをすっぽかして余所者の小娘に会いに行ったとなれば、激怒するのは当然だった。


 既に工房を退き、日頃は孫に甘々な祖父でさえ、青年の恋路に難色を示した。

『その娘の名は、なんと言うんだい?』

『アポロニア。……でも、友達もほとんど同じ名前だから、人から呼ばれてもあまりピンとこないらしい』

『「太陽神の使いヘリアデス白の郷アルビアに集う金烏の民コルボルム」。……悪いことは言わない。深追いは、よした方が良い』


「……深追い。か」

 かれこれ、酒場と水車小屋を3回も往復した青年は、ガリガリになった林檎の芯を野良犬の前に放ると、この日4度目の水車小屋を拝みに行った。

 年に一度の鬱憤晴らしに精を出す酔っぱらいたちの声はもちろん、大皿に積まれた果物や七面鳥の匂いも、弾奏器リュート牧羊笛パンパイプの音色も、青年の心を慰めはしない。どうせ長居するなら、誰も来ないところの方が良かったのだ。


「……?」

 水車小屋の前に、人影を見つけた。

 しかし、その佇まいは年頃の女性のものではなかった。

「──金色の太陽に身を焦すにえは、あなた様ですかな?」

 艶のある黒色──濡れ羽色のフード付きマントを纏った初老の男が、問うてきた。

 男はポプラの木の杖を携え、首や腕には宝飾品を巻き付けている。一目で、彼女の同族だと分かった。


にえ、と言うのは?」

「アポロニアたちは、アルビア白の郷つどいてにえを待つ。この町から、東に7里。北に7里離れた湖で、あなた方をお待ちしております」

 初老の男は頭を垂れて、青年の前から忽然と姿を消した。

 後には、黒いカラスの羽が一片、舞っているだけだった。




***




 険しい山と深い森に囲まれた隔絶の地に、白の郷アルビアはあった。

 地名の由来はその気候にあるらしい。事実、短い夏を除くほとんどの間、この地は純白の深雪に閉ざされる。


 ──その山々は、巨人たちの骨と肉。

 ──その木々は、神様たちの剣と刃。

 ──その湧水は、妖精たちの血と涙。

 ──その氷雪は、人間たちの儚き命。


 白の郷アルビアを題に取った詩歌はいくつもあるが、どれも物騒で、どこか物寂しい。


「ここか。……」

 彼は、岩肌が剥き出しの峻厳な高台から白の郷アルビアを一望した。


 鮮血のように赤く染め上がった木々を映し出す湖のほとりに、金色のカラスが参集していた。それらに「群れ」と呼べるほどの統率はなく、それぞれがめいめい勝手に羽繕はづくろいをし、鳴き、行水をしている。

 遥か遠くの稜線は、既に白く塗り潰されている。短い夏に続く、束の間の秋。長い冬を前にして、白の郷アルビアは「行事」の季節を迎えている。


「──もしかして、君も恋人を探しに来たのかい?」

 同年代くらいの男の声に、彼は振り向いた。

「……あなたは?」

「愛しのアポロニア嬢に求婚を申し込むために」

 金色の羽根が付いた帽子のツバを、クイっと指で持ち上げた青年は、竪琴リラを小脇に抱えていた。どうやら、彼は吟遊詩人の類いであるらしい。


「これはこれは、お揃いのようで」

 見計らったように、あのポプラの杖を携えた黒ずくめの老人が現れた。

「ようこそ白の郷アルビアへ。それでは、早速儀式を始めると致しましょう。こちらです」

 老人の背中に連れ立って、青年2人は高台を降りていった。金色の烏が戯れる湖のほとりに来たところで、老人は足を止めた。


 湖畔には、青年たちの同じ目的なのか、人間の姿が幾らか見えた。老人もいれば、女性や少年もいた。


「あなた方の尋ね人は、元の姿に戻り、この湖畔のどこかで羽を休めております」

 老人は、杖を少しだけかざして見せた。すると、たちまち2、3羽の金烏が飛んできて、そのうちの1羽が吟遊詩人の肩に舞い降りた。

「これまでにあなた方が育んできた思いの丈を以て、この中から、意中の烏を見つけ出すこと。これが、あなた方に課せられた試練となります」

「なるほどねぇ」

 吟遊詩人は、肩に留まった金烏のくちばしを指で撫でた。

「見事真実の愛を示すことに成功したにえは、その金烏によって遥か向こうにそびえる山にまで誘われ、そこでつがいとして真冬の時を共にし、やがては春を迎えることになります。ですが……」

 老人は、一呼吸挟んだ。

「もし、異なる金烏の翼を借りてしまった場合、そのにえが山に辿り着くことはなく、途中の森にて振り落とされ、熊か狼の餌食となります」

「要するに、この金烏たちの中から、僕の愛する小鳥ちゃんを見つけ出すことができれば、全てハッピーエンドというわけだね」

 吟遊詩人はそう言うと、湖に向かって歩き出した。

「作用にございます。なお、刻限は日が暮れるまで。これを過ぎた場合、あなた方は白の郷アルビアにまつわる全ての記憶を失い、故郷に返されます。それでは皆様、よき春を」

 吟遊詩人は去り、老人も消え、彼だけが残された。

「……参ったな」

 彼は、とりあえず湖を一周することにした。


 途中、金烏が何羽か、彼の周りを飛び回る。

しかし、近寄ってきたカラスが彼女であるとは限らない。

 妙に色っぽく鳴くカラス。せわしなく跳ね回るカラス。

 謝肉祭の件もある。再会に際していきなり色仕掛けをはたらいてくるほど、彼女は開けっぴろげな性格をしていない。

「この手合いの子たちは、たぶん違うだろうな……」

 彼は、湖の向こう側──小高い丘や岩場の方も見渡してみた。

 そもそも、人間を寄せ付けないようなところにいるカラスたちは、試練とは関係のない野次馬たちなのだろうか。

 彼は、試しに彼女の名前を呼んでみることにした。

「アポロニア!」

 彼が声を張った途端、周りにいる金烏の半分近くが振り向いたり、動きを止めたりした。そして、一斉に翼を広げ、水しぶきや羽を散らしながら飛んでくる。

「うわっ!」

 彼は、予想以上の反応に腰を抜かした。

 彼女たちの名前のほとんどが「アポロニア」である以上、名前自体は何の識別にもならないことくらい、彼も分かっていた。そうではなくて、彼の声に、彼女が反応を示してくれたら、と彼は思ったのだ。

 しかし、ことはそう簡単にはいかなかった。

 群がる金烏につつかれながら、彼は這々ほうほうていで湖畔から離脱する。


 彼が息を整えていると、上空から、情けない悲鳴のようなものが聞こえてきた。


「──いや! 違うんだ! 君の瞳が余りにも綺麗だったから、ね!?」

「うるさい! バカ! 死ね死ね死ね!」

「ふふふ。わたしの妹を泣かせた罪は重ですよ~?」


 さっきまで余裕綽々だった吟遊詩人が、ダダをこねる子供のように、秋空を漂っていた。吟遊詩人の背中からは金色の翼が片側だけ生えており、その右腕は、これまた片翼の金髪女性に抱きかかえられている。

 2人の後ろには、吟遊詩人に罵詈雑言を浴びせる有翼の少女がいた。

「おろしてっ! おろしてっ! おろしてくれぇえええ──────────ッ!」

「はいは~い。森に着いたら落としますからね~」

「あ~もう最悪! 一度でもコイツに心を許したのが間違いだったわ!」


 どうやら、吟遊詩人は試練に失敗したようだ。辺りからは、ゲラゲラ、カーカーと金烏たちの笑い渦が巻き起こる。


「……」

 彼は、手の平や背中ににじむ冷や汗を感じながら、視線を下ろした。

 すると、湖に足を浸した金烏と目が合った。


 ──命が惜しければ、

 ──口をつぐんで、

 ──目を閉じて、

 ──求めることをやめ、

 ──探すことを諦めて、

 ──全てを忘れ、

 ──日常に帰れ。

 ──さもなくば、

 ──土に還ることになる。


 試練に破れた吟遊詩人を嘲る金烏たちの大合唱に紛れて、そんな忠言めいた言葉が聞こえてくる。


 辺りを見渡せば、既に試練を諦めたのか、雑魚寝をしている人間もいた。

 その目は、遠い記憶の彼方を見ているように穏やかだった。このまま日没を迎え、思い出に抱かれながら忘れたい……。そんな願望が、あちこちに横たわっていた。


「……」

 愛する誰かより、愛する誰かとの思い出の方が大切で、美しい。

 なるほど。一理あるな。と、彼は心の中で呟いた。


「……。アポロニア」

 彼は片膝をつき、その辺の金烏に手を伸ばした。

「──カッ!」

「痛たっ!!」

 その手の甲に、1羽の金烏がくちばしを突き立てた。

 鋭い一撃に、彼は堪らず手を引っ込めた。

 そして、微笑した。

「……僕が空や遠くばかりを見ているから、隠れるなら案外近いところにいるんじゃないかと思っていたけど、ずっと後ろにいたなんてね」

 彼は、手の甲の傷を唇に当てた。

「──そういうの、本当に良くないから」

 彼女の姿は、金烏から人間に変わっていた。その丸い瞳は怒りの涙をたたえ、その金色の翼は、柳のようにしおれていた。

「なら、僕がヤケを起こす前に、誘ってくれないと」

「誘っても、意味ないんだよ」

 彼女は、自分の胸の辺りを手で押さえた。

「……わたしは喘息持ちだから、長く飛ぶ体力がないの。体力がないから飛ぶ練習も足りてない。そのことは、郷の人なら、誰でも知ってること」

 彼女は、自分の顔を覆い隠すように翼を広げた。


 辺りは、すっかり西日の色に染まっていた。


「飛べないのに、つがいを作ってもしょうがない。見つけてもらえたところで、にえの森を2人で越えることはできない。……だから」

 彼らを見つめる金烏の群れは、砂金に紛れた琥珀のように、郷の景色に溶け込んでいた。風の音とカラスの鳴き声が、水面の輝きとカラスの目が、彼と彼女を包み込むように、あるいは押し潰すかのように、夕暮れの湖畔を彷徨さまよっていた。

「……その翼は、周りの目を遮るためにあるのか?」

 うつむく彼女の翼に、彼は指を通した。

「降りる場所はどこでも良い。君が羽を伸ばせるところなら、にえの森でも、どこでも良い」

 彼は、彼女の羽根を手で梳いた。さらさらとした掴み所のない羽根は、今にも彼の指をすり抜けて、どこかに飛び去ってしまいそうだった。

 だからこそ、彼は強く願った。

「翼を、広げて欲しい」

 倒れ込むように頭を垂れる彼の背中に、彼女は手を回した。

「……どうなっても、知らないからね」

 彼女は、自分の翼から引き抜いた1枚の羽根を、彼の背中に突き立てた。


「ありがとう」


 彼も彼女も、それが自分の口から出た言葉だったのか、それとも、愛する人からの言葉だったのか。分からなかった。


 翼を動かすには、互いの肺と心臓に大きな負荷をかけなければならない。

 ドクドクと震える鼓動を胸に、二人の足は大地を離れた。




###




 後日。

 人里に、白の郷アルビアから生還したという吟遊詩人が現れた。


 彼は運悪くにえの森に墜落し、三日三晩、食うや食わずの生活を送った末、あやうく狼の餌になりかけたが、そこで親切な人間と金烏の夫婦に助けられ、無事、森を出ることに成功したのだとか。


 にえの森に住む熊や狼が、どうしてその夫婦を襲わないのか。

 詩人は、たいそう不思議がっていたという。




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