カナン

弓チョコ

カナン

 よく晴れた日。

 今日の訓練は、校舎裏にある切り立った崖を登ること。何度も繰り返した訓練だが、毎回本気で登る。


「ぐっ!」


 毎日何人も登っているから、手や足で崖は削られ、毎回違うルートを探す必要がある。少年は最後の最後で、足を踏み外してしまった。


「よっと」

「!」


 その瞬間。崖の上から腕が伸びてきて、彼を支えた。そのまま引き上げられ、腕の主と抱き合う。


「はは。危なかったな。シュウゴ」

「…………ああ。悪い。ティユ」


 ティユは皆のリーダーだった。大柄で力強く、訓練はいつも一番。大人達からも期待されている。皆の憧れだった。


「今日はここまで! 明日に備えて休め! 解散!」


 教官が笛を吹いて、訓練の終わりを告げた。






△△△






 人類未踏の地。

 今や深海から宇宙まで手を伸ばしている人類が、それでもまだ、足を踏み入れていない土地がある。

 人工衛星では磁場の影響か確認ができず。ヘリや船では気象の激しさにより近付けず。

 電波や赤外線も通らず。

 そこを知りたいなら、自らの足で向かうしかない、場所がある。


 外界から隔絶された最後の秘境。

 見果てぬ地。


 名前は無い。誰も行ったことが無いからだ。


 国は、その地の調査隊を募った。世界各国から候補者を選び、鍛える。それがこの訓練校である。


 開校から10年余り。見果てぬ地へ向かった者は100人以上になるが、帰ってきた者はひとりとして居ない。

 そこから何かを掴んで戻って来なければ、探索の意味が無い。

 何があるのか? 確かめねばならない。


 人の力で。






△△△






「明日は実習か。見果てぬ地の、入口。ちょっと行って戻ってくるだけだろ? なんで奥まで行かないかね」


 学生寮の、ティユの部屋にて。数人の上級生が集まっている。勿論シュウゴもそのひとりだ。


「そりゃ、慣れるためだろ。あそこは毒が充満してる。急に行くと奥地まで行けずに死ぬんだぜ」

「まじかよ。ガスマスクは?」

「ねえよ。ていうかあっても無意味なんだ。そもそも動物を寄せ付けない天然の立入禁止区域だからな」

「え。俺等明日死ぬのか?」

「バカ。死なねえ距離で身体を慣らすんだよ。つっても濃霧に包まれた道なき道には変わりない。そこまで行くのにも、充分な経験と備えが必要なんだ。俺達は3年間みっちり訓練して、ようやく『挑戦権を得られるかも?』って所まで来たんだ」

「あー。俺先輩から聞いたぜ。濃霧の毒に耐性が無かった奴は強制退学だって」

「まじかよ……。そんなもん入学試験の時にやれよ」

「死ぬんだよ。一般人は殆ど」

「…………」


 危険。

 かつ、無意味。人類は既にこの星の大地を支配している。文明は進み、科学は進み。今や電子機器が意思を持ち始めている時代。何も、無闇に危険を冒す必要は無いのだ。


 だが。


「良いねえ。楽しみだ。絶対に、俺が。惑星最後の謎を解き明かしてやる」

「ティユ」


 彼らは駆られたのだ。その探求に。

 冒険に。






△△△






 翌日。


「よし! 毒の計器は持ったな!? 計りが10を超えるまでに戻って来い! これより先は見果てぬ地! 死んでも死体は回収してやれないからな!」


 最後の訓練。これをまずクリアして、毒の耐性を得る。それからだ。見果てぬ地に、挑むのは。


「行くぞシュウゴ。できるだけ毒を吸って、とっとと終わらせよう」

「ああ」


 4人ひと組の小隊で、濃霧の海へと突っ込んだ。他にも大勢の訓練生が一斉に挑む。

 大陸を端から蝕む、謎の世界へ。






△△△






「うっ」

「ルーイ! どうした」


 しばらく進み。四方八方全て濃霧。前後左右も分からなくなる。数歩先を行く仲間も見えない。信じられるのは磁石と、毒を計測する機械のみ。


「頭が……割れるように痛い」


 小隊メンバーのひとり、ルーイが膝を突いた。うずくまり、吐いてしまった。


「……毒か」

「うっ。おえっ」

「バン。ルーイを送ってやってくれ。お前も無理するな。フラついていたぞ」

「…………おう。いやちょっと待て。隊に異常があったら全員で戻るんだろ」

「………………俺は行けるところまで行くつもりだ」

「おい何を言ってる。ティユ」


 ルーイの背中をさすってやるバン。彼らはリタイアだ。毒にやられてしまえば、見果てぬ地に挑む資格が無いということ。


「行くぞシュウゴ」

「…………ああ」

「おい…………」


 バンももう、これ以上は進めない。戻るだけなら、計器を見ながらできるだろう。この奥はさらに毒霧が濃くなる。

 ティユとシュウゴは、ふたりを置いて先へ行ってしまった。






△△△






「……ここは森か? 見果てぬ地にも木は生えるのか」

「俺達の向かう先は、この濃霧のさらに向こうだろ。きっと、この霧も終わる。視界が開けた時。ようやく見果てぬ地に辿り着くんだ」


 計器を頼りに進む。時折、巨大な木にでくわす。慎重に進んでいく。


「あっ」

「?」


 足を、踏み外してしまった。ティユだ。先行していた為、最も危険な位置だった。

 崖の上だったのだ。濃霧が全てを隠していた。


「ティユ!」

「…………ぐっ!」


 間に合わない。シュウゴが伸ばした手は、届かなかった。






▲▲▲






 ふたりは同じ故郷で育った。いつもティユが、シュウゴの面倒を見ていた。兄弟のように育ったのだ。


「早く来いよ! シュウゴ!」

「ちょっと待ってくれよティユ」


 いつもの場所、という遊び場があった。小高い丘だ。何も言わずとも、ここに集合するのが習慣だった。


「シュウゴ。俺は見果てぬ地に挑みたい。先に訓練校へ行ってるぞ。早く来いよ」

「分かったよ。待っててくれ。ティユ」

「約束だぞ」


 シュウゴがティユを、いつも追い掛けていた。






▲▲▲






「ん……」

「起きたか! ティユ! どうだ!? 痛い所はあるか!?」


 ティユが次に目覚めたのは、街の病院だった。包帯に巻かれ、ギプスに覆われ。身体が動かなかった。


「…………助かったのか」

「ルーイとバンが見付けてくれたんだ。お前は運が良い」

「教官」


 上半身だけ起き上がる。病室には教官と、ルーイと、バンが居た。


「シュウゴは?」

「…………見付かってない。お前がここに運び込まれて、目覚めるまで。2日経っている」

「そんな……」


 あの後、起きたことをルーイ達が報告してから。数人の教官達による捜索が行われたが、シュウゴは見付からなかった。彼の所持品などもだ。

 彼は完全に、濃霧に消えた。


「……くそっ」

「ティユ。残念だが、明日にはシュウゴの死亡届を出さなければならない」

「いや、違う」

「なに?」


 この時、いつも先頭を行っていたティユが。

 悔しさを言葉にした。


「あいつは先に行ったんだ。俺より先に……。くそっ。置いていかれた。待ってろシュウゴ。こんな怪我早く治して。すぐに追い付いてやる」

「ティユ……」






△△△






「ん?」


 それから。

 すぐのことなのか、何年も後のことなのか。磁石や計器はもう頼りにならない。どこかの場所にて。


「……不意に、感じた。ティユだ。……そうか。生きてたんだな。良かった」


 霧は無かった。見晴らしは良い。だが、周囲360度、森や街は見当たらない。衛星写真や電波を阻む異常気象は、中からは何故か確認できない。

 空は黒い。なのに、地平線まで見渡せる。星の光が雪のように落ちてきて、粒となって風に吹かれている。

 巨大な島や岩石は宙空に漂っており、魚の形をした光る鳥が自由に飛んでいる。時折、人工物にしか見えない、古そうな壁や柱の破片が、視界を掠めていく。

 足元には、踏むと光を発する草が生えており、夜中でも問題なく歩を進められる。


 幻想的な世界で。

 たったひとり、少年が居た。


「何となく、分かる。ここへ来て、俺の感覚が研ぎ澄まされている気がするんだよな。あの最初の毒霧のせいかもしれない。……分かるぞ、ティユ。君はまた、挑戦する」


 髪は伸び、服はボロボロになっていた。だがその表情は、色褪せることなく。


「早く来いよ。霧なんて、最初の最初、序盤も序盤でしかなかった。あれからどれだけ、訳分からん未知の世界を冒険したか。けどまだまだ、先は長そうだ」


 よく晴れた、満天の夜に笑って。


「約束だ。この見果てぬ地で、君を待つ」

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