Girl in Utero

柏原カンジ

Girl in Utero

 退廃的ってなんだよ。都会的ってなんだよ。耽美ってなんだよ。私はそういったものがだいっ嫌いで仕方がない。そういうにひたって、そういうのを崇拝しているやつらを見ると吐き気がしてならない。私が住んでる田舎の街にも、一定数そういうやつはいる。むしろ絶妙に田舎だからそういうシティチックなものに憧れちゃうのかもしれないな。大都市からは離れているけれど、今はインターネットが当たり前で、都会に行けなくても、簡単に都会の、流行りのカルチャーなんかは摂取できちゃうわけだ。だから、どこにも行けないくせに、都会人ぶりたがるやつもいる。

 私は一応進学校にいて、そこには東京とか大阪とか、そんな都会に上京するのを夢見て勉強を頑張ってるやつもいる。確かに勉強はいいことだとは思う。でもそれって何も夢とかもってなくて、何も頑張ることがないから、勉強をするんじゃないのか。夢をもって、何かやりたいことがあるやつは勉強なんて第一優先でしないだろ。それは極端か。勉強するのが好きでやってるやつもいるだろう。でもそれは少数派なんじゃないか?ちっちゃな頃から「勉強しろ」って言われるわけで、それが大体の親や先生の常套句なわけで、そうやって勉強することが大事なことだって、刷り込まれてるから、勉強するようになっているだけじゃないのか?それにもちろん、ただ都会に行きたいってだけで勉強頑張ってるのも、夢を追いかけているといえるかもしれないし、私はそいつらを否定しない。ただそういう人間が、風潮が、嫌いなだけ。

 そりゃ、こんなしけた街出ていきたいもんな。私にも少なからずそういう思いはある。でも私は案外この街が好きだし、多分ここから離れたら寂しくなる、恋しくなりそうなのも予想できる。ただ、私が嫌いなのは、退廃的なだけのカルチャーや、着飾ってばかりの流行りものと、それで悦に浸ってるやつらだけだ。

 だから言いたいんだ。訴えたいんだ。叫びたいんだ。

 「もっと衝動的に生きていけよ!!!」ってさ。


 私がギターを初めて手にしたのは、13歳の誕生日だった。どうしてもギターをやりたいと言った私に、父親がおさがりのアコースティックギターをくれたのだった。

 「俺はもうギターやるか分からないし、当分弾いてないし、お前が使ってくれた方がコイツも喜ぶだろうから」

 そう言って父がプレゼントしてくれたのはMartinのD-18というモデルのギターだった。後から知ったが、ソイツは私の敬愛するアーティストが使っていたモデルで、調べると何十万とすることが分かって驚いた。

 それから、最初は基本的なコードや弾き方などを父親に教えてもらって、あとは自分で好きなバンドの曲を弾き語りして練習した。

 めったにものをねだらなかった私が、頭を下げて父親に、ギターが欲しいと言ったのにはきっかけがあった。それは私がこんな性格と思想になったきっかけでもある。

 私が中学校にあがるころ、それがいいタイミングだ、となって家族で家の大掃除をすることになった。私の家はマンションだったが、三人家族ということもあったし、部屋もそれぞれ一人ずつあって、物置部屋や、和室の空間なんかもあった。そして一番手がかかったのが物置部屋だった。収集家でもあった父のコレクションで足の踏み場もなかった。でもその時には、父の収集癖も治っていて、いらないものだらけだった。その父のコレクションだらけの物置部屋を掃除していると、やたらCDやレコードが多かった。中学にあがる前の春休みということもあって、暇を持て余してた私は、何気なくCDをいくつか適当に取って、父に「これもらってもいい?」と聞いた。父は喜んだ顔で、「お!気になったか!聴いてみな」と言った。

 そして片付けもひと段落して、部屋に戻って休んでいたとき、物置部屋から一緒に持ってきたCDプレイヤーと、父親がそれ聴くなら、と言って私にくれたヘッドフォンで、もらったCDを聴こうとした。苦手なものは先から食べるタイプだったので、NIRVANA?というバンドの『In Utero』という人体模型に天使の羽が生えたような、いかにも気色悪そうなアルバムから聴いてみることにした。

 一曲目、「Serve the Servants」という曲、その時、それを聴いた瞬間、私の心が撃ち抜かれた。

 すごく汚いギターの音だった。地響きのようなベースだった。殴りつけるかのようなドラムだった。けだるげながら、訴えかけるかのようなボーカルだった。すごくシンプルなのに、わけが分からなかった。それが、初めて私が、“ロック”を体験した瞬間だった。

 それから二曲目、「Scentless Apprentice」を聴くと、もう後には戻れず、そして三曲目の「Heart-Shaped Box」、この曲だった。私にとてつもない衝撃を与えたのは。

 最初は静かに、でもどこかいびつで、そしてサビに入ると、ボーカルががなり声で叫ぶのだ。

 なんて曲だ、なんなんだこの感情は、と思った。でもそれがロックンロールを喰らうということなんだろう。

 それ以来私はNIRVANAの、カート・コバーンの、そしてロックの虜になってしまった。

 『In Utero』を聴いたあと、父にもっとNIRVANAを聴きたいというと、物置部屋から探して『Nevermind』と、『Bleach』、黒いジャケットのベストアルバムと、ライブアルバム『Live at Reading』を私にくれた。

 それからはひたすらにNIRVANAを聴いていたし、その時も今もカート・コバーンの虜になっていたが、もっとロックというやつを聴いてみたいという欲求も出てきた。当時からインターネットの繋いであるパソコンを使ってもよかったし、インターネットで調べる癖もついていたので、色んなバンドを調べては、なけなしのお小遣いで中古CDを買っては聴いた。どれもNIRVANAほどの衝撃は感じなかったが、好きになったバンドもたくさんあった。そんな私の音楽趣味は、聴いてるだけでは治まらず、自分でも演奏したい、やってみたいという欲求にもシフトしていった。それで、父に頭を下げてギターをプレゼントしてもらったのだった。

 中学は、部活に入らなくてはならなかったが、軽音楽部がなく、とりあえず吹奏楽部に入ったが、吹奏楽には興味が持てなかったし、何より自分の好きな音楽にひたっていたかったから、すぐに幽霊部員となった。私は流行りには疎かったし、何より人付き合いが苦手だったので、ただひたすら放課後と休日を音楽に捧げる生活だった。せっかくの青春時代を、という人もいるだろうが、私は私の生きたいように生きる、それが信念だったし、それは何より私の好きなロックミュージシャンから感じたことでもあった。

 しかし、高校に入ったら何か変わるんじゃないかという淡い期待のようなものもあった。そして高校では軽音楽部に入ってバンドをやりたいと思った。14歳のクリスマスプレゼントにはストラトキャスターという種類のエレキギターを買ってもらって、自宅で弾いていたが、やはり物足りない。ベースとドラムともう一人ギターもいて、そんなバンド形式で、馬鹿みたいにでかい音を出して、音を合わせて演奏したいという思いが強くなった。

 だから、軽音楽部のある高校に入りたかったが、こんな田舎街だと、まず軽音楽部がある高校は少ない。そして、音楽趣味に没頭してた私を母親は怪訝な表情で見ることが多かったし、それを払しょくさせるためにも、軽音楽部がある進学校を志望した。そりゃ、勉強は嫌いだったけど、やるしかないと思い、猛勉強のすえ、なんとかその志望校に合格できた。

 しかし、問題はそこからだった。軽音の新歓ライブをみても、演奏されるのは流行りの日本の曲ばかり。私は90年代やゼロ年代のバンドが邦楽でも洋楽でも好きで、いわゆる時代遅れだったのだ。けれど、どうしても軽音楽部に入りたかった私は、入部届を出して入部した。

 そして新入部員の自己紹介の時、周りの同期は好きなアーティストに最近の流行りをもってくる中で、私は正直に、「NIRVANAやSyrup16g、THEE MICHELL GUN ELEPHANTとかが好きです」と言ってしまった。そしたら周りの同期も先輩も「はぁ?」みたいな顔をして変な空気になってしまった。いや、一応ボーカロイドとかも聴くし、そっちを言った方が良かったか、と思ったが時すでに遅しだった。でも幸いなことにバンド決めのとき、どうやらギターが足りてないらしく、「うちらのバンド入ってギター弾いてよ!中学の時からやってるんだよね?」と誘ってもらえて、何とかバンドを組むことには成功した。

 それでもやっぱり最初の顔見せライブでやる曲は私の知らない曲だった。一応ちゃんと練習して、しっかり弾いたけど、やっぱりなんか気持ちよくない。いや、誘ってもらってるんだから文句は言えないし、人と合わせるのも自分の課題だと思ってたから、それなりにはコミュニケーションもとったけど。でも他のメンバーは初心者なわけで、音を合わせても、私のこの違和感は拭えなかった。そして一番ダメだったのは、MCをそれぞれメンバーが言うことになって、私に振られたときだった。調子に乗ってしまったのもあり、わだかまりを抱えてたのもあり、「みんなNIRVANAを聴いてください。NIRVANA聴いてない人とは仲良くできません」なんて口走ってしまったのだ。案の定それが原因で、私は誘ってもらったバンドから抜け、軽音楽部も半ば、幽霊部員になってしまったのだった。


 そしてその夕方、自分の言動を後悔したり、軽音部にせっかく入れたのにというもやもやをかかえたりしながら、帰ってる途中、気分転換に、いつも弦やギターの備品を買っている楽器店に立ち寄った。そうして、いつも仲良くしてくれる店主に相談すると、

 「そういや、ちょうどいいな。うち、楽器屋だけど二階はスタジオ、三階はライブハウスじゃん?でさ今三階でライブやってるのよ。気分転換に観ていかない?チケット代タダにしておくからさ。いい気分転換になると思うよ。ライブ観たことないっしょ?」

 そう言うのでお言葉に甘えて観に行くことした。

 会場に入ると、なんだか不思議な感じがした。程よく効いた空調に、輝かしいミラーボールと照明、そして馬鹿でかいスピーカーが左右に鎮座している。初めてのライブ会場だった。お客も広さも、映像でしか見たことのないステージと比べると、ちっぽけだけど、それでも私が立っていたのは、紛れもないライブハウスだった。それがとても新鮮で、私をワクワクさせてくれた。

 そんなライブハウスのステージ上には一人で、アコースティックギター片手に座っている20代くらいの男がいた。弾き語りのライブと言ったら、まず私はNIRVANAのMTV Unpluggedを想起させるし、その時のカートと比べて、彼は全然存在感はなかったけれど、やはりお客とは違う雰囲気を感じさせた。ちゃんとアーティストの空気を身にまとい、目つきは優しさもありつつ鋭かった。

 そして彼は「まずはカバーからですが、始めます」と言いコードを鳴らした。

 それは私の知っている曲だった。フジファブリックの「若者のすべて」だった。

もう今は六月で夏はこれから始まるというのに、この人は夏の終わりの曲を歌っているのだ。それはもう本当に可笑しくて、だけどカバーなのに、なぜか妙に説得力があった。志村正彦とは似ても似つかない、どこか男らしさのある歌声で、惹きつけられるものがあった。

 歌い終わると次からはオリジナルの曲を披露していった。どれも私の琴線に触れた。

 一連の曲を歌い終わると彼はMCをする。

 「なんだか、夏が始まるようですね。夏、好きじゃありません。苦手です。暑いと嫌になりますよ。俺は冬が一番好きです。理由は分かんないけど、なんか好きなんです。この街は雪が降るじゃないですか。田舎街に降る雪ってなんだかエモくないですか。まあ雪かきとかは怠いですけど。なぜか雪の降るこの街の冬は僕を前向きにさせてくれるんですよ。普通前向きな気持ちにさせるのって夏なのに。凍てつく空気を吸って吐くと、白く曇るじゃないですか。そうやって呼吸を冬の屋外で繰り返していると、俺頑張んなきゃなって、わけわかんないですけど、背中を押してくれるんです。きっとそういう時期が皆さんあると思います。頑張んなきゃなって思ったら、全力で頑張ればいいんです。そしてそういう時期じゃなくても、いずれ自分が好きな時期が、自部を好きだと思える日がくることを期待して、生きていくの、辛いかもだけど、苦しいかもだけど、明日を見据えて生きていきましょう。最後そんな曲です」

 そして彼は思いっきり、すげえ楽しそうな顔してギターをかき鳴らす。そして吐き出すように、叫ぶように歌う。何言ってるのかうまく聞き取れなかったけれど、サビの歌詞だけは私をぶっ刺した。

 「退廃的なんてくそったれ。衝動的に生きてくれ。この歌は君にだけ刺さればいい。明日を見てくれればそれでいい。きっと悪くないはずさ、きっとうまくいくからさ」

 まるで私のために歌ってくれるように感じた。30分前に初めて出会った人なのに、絶妙に変な感じのする人なのに、私のさっきまで抱えてたもやもやを振り払ってくれた。私に希望を見せてくれた。カート・コバーンよりずっと身近なのに、その人は一瞬で、最後の一曲で、私の憧れになった。

 そのあとも何人か演奏を見たけど、彼を超えるものも、琴線に触れることもなかった。

 そしてライブが終わって、その人に思い切って話しかけてみることにした。

 「すごくよかったです。うまく言語化できないけど、特に最後の曲私に刺さりました。ここにくるまで悩んでたんですけど、それが吹っ切れて、なんか希望が湧いてきました!」

 「そりゃうれしいな。君にだけ刺さればいいって歌ったけど、本当に刺さってくれるとは作者冥利に尽きるよ。君その制服ってことは、あの学校の生徒?」

 「そうです。私ギターやってて、軽音楽部に所属してるんですけど、周りとそりが合わなくて、それで悩んでいたんです」

 「俺も似たようなもんだなあ。そり合わないこと多いし、音楽の趣味合う人も少ないし。普段どんなの聴くのさ」

 そう聞かれたので、好きなバンドを羅列していったが、どうやらテンションが上がってたこともあって、早口で自分語りしてしまった。

 「はは、俺と趣味似てんじゃん!オルタナティブロックが好きなんだね。ましてやその年で一回りも二回りも昔のバンドとなると、そりゃ周りと合わないわな。でもさ、いつか趣味も性格も合うやつがでてくるよ、きっと。だからさ今やりたいことを全力でやりなよ。まだ若いんだし、っておれもまだ28だけど」

 「やりたいことかあ。今まではバンドやりたくて、でかい音でギターかき鳴らしたくて、それしか考えてなかったけど、今日のライブ観て、弾き語りで活動してみようかと思います」

 「いいじゃん、いいじゃん。俺、相沢っていうんだけど、君名前は?」

 「蒼井幸です」と答える。

 「へえ、いい名前だね。ところでさ、ライブやってみたいと思うなら、来月俺の企画のライブがあるんだけど出てみない?無理にとは言わないけど、みんな弾き語りだし、音楽の趣味合うやつ多いと思うよ」

 最初は今日初めて生ライブ観たのに、急に来月ライブ出るなんて大丈夫だろうか、とも思ったが、善は急げだし、やりたいこと衝動的にやっていいって、さっき気づかされたわけで。そしてその場で、「出ます、出させてください」と言った。

 「本当はチケットノルマあるところだけど、高校生だし、初ライブだし、そこは無しでいいよ。とりあえずやりたいこと、好きなようにやってみな。ちなみに持ち時間は一人30分ね」

 「ありがとうございます!頑張ります!今日はありがとうございました!」と返して、私は自宅に帰った。

 ライブに出るとは言ったものの、何の曲をやるか迷う。30分ってことはMC考えても、5曲くらいだよな。カバーはやるとして、オリジナル曲をやるかどうか。正直相沢さんの曲を聴いたとき、自分もこんな曲を作って演奏してみたい!と思ってしまったが、いかんせん、オリジナル曲なんて作ったためしがない。とりあえず考えても今日は答えがでないので、やりたいカバー曲の候補だけメモ帳に、箇条書きで記録して、この日は就寝した。

 

 翌朝、学校へ行き、教室に入ると、あるグループが私を嫌な目つきで見てきた。そのグループには、軽音楽部で組んだバンドのボーカルの女の子がいて、おそらく昨日のことを周りの友達に言ったのが理由だろう。

 私はなるべく気にしないようにして、席に着き、朝のホームルームまで時間があったので、読みかけの小説を読み始めた。しかし数ページ読んだところで、やはりあのグループの会話が気になり、不謹慎ではあるが聞き耳をたてた。するとやはり私のことをコソコソと話していた。

 「蒼井さん、なんか変だし、流行りに興味ないし、好きなアーティストも自己紹介の時聞いたけど、全然知らないバンドばっかだったの。なんか古臭いし、今時ロックンロールがどうとか言ってそうじゃない?正直ダサいよ」

 「確かに。なんか自分孤高ですっていうか、なんかそういう雰囲気も気に入らないよね」

 「やっぱり今はさシティポップっていうの?なんかそういうおしゃれなほうがいいよ。蒼井さん、そういうの嫌いそう」

 確かにそうだ。私はロックンロールが最高だと思ってるし、それこそ音楽も他の趣味も、気取った、おしゃれで着飾ったものが好きになれないタチだった。多分私が好きなものを、彼女たちは、いやほとんどの若者が興味なくて、ダサいと思っていて、逆に私が好きじゃない、流行りのおしゃれで着飾ったものを、彼女らは好むのだろう。でも人には人の好きなものがあって、それが個性じゃないのか?それをダサいとか侮辱するのは腹が立つ。生きたいように生きればいいだろ。それが人生だろ。私はそれを昨日相沢さんに教えてもらったから、腹が立つけど、落ち込むとかはない。むしろ反抗心が湧き出てくる。そして彼女たちは話を続ける。

 「そういや前勧めた映画見た?」とボーカルの子の友人Aがボーカルの子に言う。私はクラスメイトに興味を持てなかったから六月になっても名前を、うまく思い出せない。

 「見た見た~!超エモかったんですけど!渋谷の人混みの中でキスするシーンとか特に。そのあと別れちゃうのも切なくて、マジ心に響いたわ~!マジあれがエモいってやつなんだろうね!」

 何が「超エモい」だ。私は映画は見ないわけではないけど、洋画がほとんどで、音楽と同じように、ちょっと昔のSFとかアクションもので、ましてや恋愛映画なんて滅多に見ない。だから間違いなく、彼女らの話題にあがってる映画も見たことがない。きっと流行りの俳優を起用した、流行りの映画なんだろう。見てないくせにあーだこーだ言うのは無粋なのだろうけど、あっちが私をダサいと言うのなら、私からしたらそっちのほうは浅いなって思ってしまう。

 「退廃的?っていうの?そういうのマジエモいわ~」

 だから何がエモいだよ。しかも退廃的って。私に言わせてみせれば、衝動的の方が断然エモい。確かにカート・コバーンやNIRVANAは退廃的な面も強いのかもしれない。でもそれ以上に衝動的なんだよ。ロックンロールで最高なんだよ。多分あいつらは、私が初めてNIRVANAを、『In Utero』を聴いた時の衝撃を分かんねえんだろうな。それに昨日の相沢さんの衝撃もある。彼女の話を聞いてると、どうしても昨日の相沢さんの最後の曲の歌詞が、脳内でリフレインされる。

 「退廃的なんてくそったれ。衝動的に生きてくれ。この歌は君にだけ刺さればいい。明日を見てくれればそれでいい。きっと悪くないはずさ、きっとうまくいくからさ」

 もうくよくよしてた昨日の夕方の私はいない。私にはカートがついてるし、相沢さんのこの言葉もある。そう自分がやりたいことを好きなようにやればいいんだ。遠い憧れも、身近な憧れもある。私はそれに向かって突き進めばいいだけなのだ。

 帰ってギターをかき鳴らそう。歌を歌おう。練習しよう。まずは来月のライブっていう目の前の目標に向かって、やることをやるだけだ。


 それからというもの、学校では適当に、怒られない程度にやり過ごして、帰ってから弾き語りの練習をする毎日だった。帰れば大好きな音楽を聴けて、大好きなギターを弾ける、それだけが生きがいで楽しみだった。最初は歌に自信がなかったが、弾き語りを練習するにつれて、歌うことも好きになっていた。オリジナル曲は作ってないし、やるかどうかまだ迷っていたけれど、カバーする曲は4曲決まった。

 一曲目はフジファブリックの「陽炎」、二曲目はNIRVANAの「About A Girl」、三曲目はthe pillowsの「ストレンジカメレオン」、四曲目はTHEE MICHELLE GUN ELEPHANTの「世界の終わり」、これで決まって、この4曲はひたすら練習した。

 そして、七月に入り、ライブ二週間前になったとき、ふと駅前で路上ライブでもしてみようかと思った。演奏する予定の4曲はもちろん、他にも弾ける曲のレパートリーも増えてきたし、何より人前で演奏することに慣れてみようと思った。駅前とはいえ、田舎街なのでそこまで人が多いわけでもないだろうし、聴いてくれる人もいるか怪しい。だけどやってみようと思ったなら、すぐやるべきだ。そんなわけで学校から家に真っ先に帰って、ギターを手にして駅前に向かう。駅前に着いた時には18時になっていたが、日が長くなってまだ陽が落ちる寸前だった。ちょうどいい、帰宅する人が寄ってきてくれるかもしれない。

 そんなわけで、私はギターを肩から下げ準備をして、緊張をほぐすために深呼吸を何回か繰り返す。そしてまずはワンコードを鳴らす。緊張はまだ取れない。けれどやると決めたからにはやるのだ。そしてまずは「陽炎」から。立て続けにライブでやる予定の曲を演奏する。演奏をしてくにつれて、緊張もほぐれていった。そうして、とりあえず4曲終わってみると、数人の大人たちが、見てくれていた。何だか嬉しかった。

 「ありがとうございます」と言って、のどを潤すために、水を飲むと、観客のうちの一人が話しかけてきた。

 「いやあ、懐かしい曲ばっかでいいなあ。君高校生でしょ。若い子がthe pillowsとか弾き語ってると、なんか嬉しくなるよ。もっと歌ってくれよ。いい演奏だ」

 初めてだった、演奏を褒められるの。それ以前に観て聴いてくれていることが何より嬉しかった。

 すると目の前に見覚えのある人を見つけた。相沢さんだ。私が手を振るとこっちに来て話しかけてくれた。

 「お、路上ライブやってんのか。ライブ前の練習?」

 「そうです。ライブでやる予定の曲をやってたとこです」

 「そうかそうか。なら聴けなかったのは良かったな。本番で聴きたいからさ。まだ続けるんでしょ?ライブでやる曲以外も聴かせてくれよ」

 そういってくれたので私はレパートリーの全てを、あいまあいま観客同士とのおしゃべりタイムを挟みつつ、演奏した。「これで終わりです」と言って路上ライブを終わらせた。そのあとも残った人と音楽トークをした。どうやら観てくれた人のほとんどは、20代30代のバンド好きで私と音楽の趣味が合って話が進んだ。音楽は聴くだけ、演奏するだけが楽しいんじゃないんだと思った。こうやって音楽の話をすることもすごく楽しいことで、きっと大事なことなんだと感じた。人付き合いが苦手な私でも、相手は大人でも、コミュニケーションを楽しめるんだと実感すると、なんだか心が温かくなった気がした。そして、最後まで残ってくれた人はみんな「ライブ観に行くから、もっといい演奏を聴かせてくれよ!」と言って帰っていった。

 そして私と相沢さんだけが二人、残った。もう20時を過ぎていた。

 「頑張ってるんだな。演奏悪くなかった」

 「相沢さんとあの時偶然出会ってなかったら、私はずっと内気で流されて過ごす羽目になってたかもしれません」

 「そんな大げさな。てか若いんだし、出会って一か月も経ってないのに、そんな変われるもんかねえ。それに俺はなんもしてないよ。もし自分が変わったと思ったのなら、それは幸ちゃん、君自身の成果だ」

 「そうだったとしても、相沢さんの演奏と曲がきっかけだったのは間違いないです。今までカート・コバーンがヒーローでしたけど、相沢さんも私のヒーローです。憧れになってしまったんです」

 私が思い切ってそういうと、相沢さんは「そっか」と前置きをしてこう言った。

 「実はさ、俺今月の企画ライブで、音楽引退するつもりなんだ」

 その言葉に私は開いた口がふさがらなかった。

 「俺実は先月結婚して籍入れてさ、その彼女っていうか嫁さん、めちゃくちゃ愛してるんだよね。だからここでけじめをつけて、彼女に捧げようと、大切にしようと思ってるんだ。もちろん音楽はやりたい、けどここいらが潮時かなって。俺プロ目指してたんだけど、それもうまくいかず、その中で彼女にたくさん迷惑をかけた。だからけじめ。多分このままインディーズで活動するのも手ではある、だって音楽超好きだし。でもこのままだらだらと続けていっても、沼にはまりそうで、また彼女に迷惑をかけちまうかもしれない。今まで迷惑かけた分、音楽に捧げた情熱の分、彼女を本気で愛して、大切にしたいんだ」

 私は「そうなんですね、相沢さんならきっと良い旦那さんになれますよ!」と空元気で答えるしかなかった。そして数十秒の沈黙の後、いてもいられず、「遅くなると親が心配するので帰りますね!聴いてくれてありがとうございました!ライブ頑張ります!」と威勢だけで伝えて、その場を後にした。帰ってからも夕飯は冷めていて、さっきの相沢さんの引退宣言のことが心をかき乱していて、食欲は出なかったけど、母親に悪いと思って、無理やり胃の中に入れた。そのあとお風呂に入ってる時も、相沢さんのことが引っかかってたし、寝る前もずっと考えてしまって全然眠れなかった。


 翌朝学校にはなんとか行った。行かないと親が心配するだろうし、何かしてないときがおかしくなりそうだからだ。

 教室では相変わらず、流行りの話やテストの話ばかりだった。正直周りのやつらには前からうんざりしていた。苦手だった。没個性で流されて、何かに縋ってないと生きていけないそんなやつらだと、俯瞰してた節があった。けれど私も大して変わりないのだ。むしろ周りよりもずっと弱い人間だったのだ。流行りで着飾ってるか、ロックンロールを気取ってるかの違いでしかないのだ。私はカート・コバーンに、相沢さんに依存していたのだ。「In Utero」とはよく言ったものだ。私は今もずっとロックミュージックという子宮の中で閉じこもってる。そんな弱くて醜い人間。そして流されるように授業を受けて、休み時間も外を見つめるか、読み進められない小説のワンページをずっと眺めているだけ。そして放課後を迎える。そうやって流されていた方が随分楽な生き方なのだど気づいた。

 けれど、どうしてもやりきれなくて、放課後、夕暮れ、帰り道の途中、昨日路上ライブをした駅前に立ち寄った。するとそこには相沢さんがいて、路上ライブをしていた。正直今は相沢さんのことで悩んでるけど、やっぱり相沢さんの音楽が好きだから、立ち寄ってしまった。

 やっぱりどれも良い曲だった。なんでプロになれないんだろうとも思ったが、それは相沢さんはきっと万人に向けてじゃなく、私みたいな人間に刺さる曲ばかり作って、歌うからだろうと思う。そうしてるうちにすぐ時間は経っていった。そして最後の曲はやっぱり、あの曲だった。

 「退廃的なんてくそったれ。衝動的に生きてくれ。この歌は君にだけ刺さればいい。明日を見てくれればそれでいい。きっと悪くないはずさ、きっとうまくいくからさ」

 曲が終わると、相沢さんが曲名を告げる。そういや曲名この前は言ってなかったな。どうやらその曲のタイトルは「For Nerds」というらしい。

 その時気づいた。私はずっと子宮にこもってインプットばかりして、それで満足して、悦に浸って、ロックンロールを気取っていたのだ。そんなのロックンローラーじゃない。私は決めた。最後の五曲目はオリジナル曲にしようと。本番まであと二週間もないけど。


 それからはひたすらに本やインターネットで曲の作り方を調べた。自分が好きなバンドを何回も聴いて、オマージュでもいいから、今自分ができる限りの曲を作ろうと、試行錯誤を繰り返した。そしてメロディとコード進行が決まって曲の大方ができたのは、本番の二日前だった。そしてその翌日、丸一日使って歌詞とタイトルを考えた。そして完成した。拙いけれど、自分ができる限りのことを、やりたいことを、好きなことを、そして幸せへ向かう相沢さんへの思いを詰め込んだ、私の初めてのオリジナル曲。これで少しは憧れに近づいただろうか、という達成感と、本番上手くいくかという不安感が、混ざり合いながら私は早めに眠りについた。


 ライブ会場に入ると、まだ開演前なのに多くの人が集まっていた。みんな相沢さんの最後のライブをどんな気持ちで観ようとしているのだろうかと、疑問がわいてきたが、そんなことよりも私は、私の今できる限りをぶちまけよう、そういう強い意志が私を突き動かしていた。

 楽屋に入ると、相沢さんと私のほかに、三人いた。知らない人で最初は人見知りが発動しそうになったけれど、相沢さんが、フランクに私を紹介してくれた。すると「若いのにすげえじゃん!初ライブなんだって?俺らも盛り上げてサポートするからさ、幸ちゃんも頑張ってくれよ!」と明るく励ましてくれた。やっぱり音楽を通じて、こうして人の温かさを実感するのもとても幸せなことだったし、私は人見知りを治していかないとな、人ともっと関わっていかないとなと思った。

 私は四番手で、トリの相沢さんの前だった。そんな大役、初ライブで任されていいのかと重圧がのしかかってきた。そんな時相沢さんが来て、こう言った。

 「幸ちゃんを俺の前にしたのは、理由があるんだ。俺はこれで音楽をやめる、でも若い世代に何か残したかったし、これから音楽を幸ちゃんは続けていくだろうから、その始まりを少しでも彩ってやりたかったからなんだ。それに、トリ前の方が観客の入りはピークになる。もし幸ちゃんが俺と同じロックンロール精神を、オルタナティブロックの魂を持ってるなら、それを全力でぶちまけてこい!これでも幸ちゃんのことセンスあるなって、買ってんだぜ?期待してるかんな!」

 その言葉だけで十分だった。私はロックンローラーに、オルタナティブロックミュージシャンになるんだ!そして、最高のロックを会場に響かせて、相沢さんを見送るんだ!

他の三人の演者もすごく上手くて演奏を聴くたびに、私のモチベーションも高まっていった。

そして、とうとう私の出番が回ってくる。心臓の鼓動は早くなる。いい、いいぞ。私は私のロックをぶちまけるだけ。ステージに立つと会場は満員で、観客席から見るのとは何もかもが違った。すげえ。そう単純に感じた。ここで思いっきりギターかき鳴らして、思いっきり歌をうたったら、最高に気持ちがいいんだろうなと思う。緊張してる。脚が手が、震えている。だからまずはEmのコードを鳴らす。そして始める。

 一曲目、「About A Girl」、私の敬愛するカート・コバーンの曲。

 二曲目、「陽炎」、志村正彦が残した田舎街の夏にぴったりの曲。

 三曲目、「ストレンジカメレオン」、まるで私みたいなthe pillowsの曲。

 四曲目、「世界の終わり」、ミッシェルの最高にかっこいいロックナンバー。

 そして五曲目、私が初めて作った、拙いけど、やりたいことを詰め込んだ曲、幸せへ向かう相沢さんへ送る曲。その前に、水を飲み、一呼吸を置き、MCをする。その時気づいたが、思っていた以上に、会場は盛り上がってた。

 「相沢さんと出会ったのは一か月前でした。悩みを抱えていた私が、気分転換に何気なく観に行ったライブで演奏してるのを観て、そこで心を撃ち抜かれました。『For Nerds』を聴いた時の衝撃は、多分これからも忘れません。本当は相沢さんには、音楽を続けてもらって、私の目の前を駆けていって、私はそれを追いかけていけたらいいのにと、今でも思うところがあります。でも相沢さんが歌ったように、明日を見なくちゃいけないんだと、確信してます。だから、これから、幸せへ向かう相沢さんと、私の演奏を観てくれてる皆さんに捧げます」


 「「Impulse Song!」」


 答えなんて見つからない 

 戸惑いだらけの生活で

 私たちは何かに縋りつきたくもなる

 別れなんて望んでない 

 なのに突然やってくる運命

 逃れようもないのそんなの分かってる

 

 形のないものを作るのは

 才能が必要で

 そんなの持ってない私は

 衝動でなんとかするさ


 I Love Youなんてありふれた言葉も

 意味を持たすのは自分自身で

 退廃的な流行なんかは

 ぶちのめしてやるよ

 I Miss Youなんてつまんない言葉は

 言いたくないよ性に合わないね

 ハイファイみたいな人生望むなら

 やりたいことに素直にならなくちゃ


 幸せなんて知らなかった

 子宮にこもった生活で

 私はずっとぐるぐるさまよっていたんだ

 心臓の鼓動高まった あの日の夜から

 私は何か変われた気がするよ

 

 ありがとうを言うには

 勇気が必要で

 そんなの持っていない私は

 衝動で歌うよ


 You Change Me あなたの歌の衝撃が

 私を揺らして撃ち抜いたから

 そうなりたいと思ってしまった

 思ってしまった

 You Will Move 幸せをつかみ取るのは

 明日をみているやつらだけ

 あなたがそうなれたなら

 私にだってできるはずさ


 I Love You なんてありふれた言葉は

 意外と悪くない響きで

 都会のネオンなんかより

 ずっときれいだろう

 I Miss You なんてつまんない言葉は

 死んでも吐きたくないから

 衝動だけで伝えるよ

 この歌でありがとうを



 歌い切った。私の全力をぶつけた。初めてのライブだけど、私のできる限りをぶちまけることができた、伝えられたはずだ。後悔はない。そして、「ありがとうございました!」と言って礼をする。頭を上げると観客と、他の演者さんと、相沢さんが大きな拍手をしてくれた。成功だった。いや、成功とか失敗とかじゃない、このライブで思いっきり私をぶつけられたことに、意味があるのだ。

 そのあと最後、相沢さんがステージ上にあがると、観客から大きな歓声が聴こえてきた。そうして相沢さんが演奏を始めると、空気が変わった。これで最後なんだ。出会って一か月だけしか経ってないけど、一瞬で私を撃ち抜いた、私のロックンロールヒーロー。そうして演奏を聴いてるうちに涙が出てきてしまった。あれ、おかしいな。笑顔で見送ろうって決めたのに、泣き止め私。そうして泣きながら演奏を聴いてるうちに、最後の曲が終わってしまった。相沢さんも舞台袖に戻ってしまった。楽しい時間はすぐ、過ぎていってしまうというのは、どうやら本当らしい。

 しかし、そんな私と裏腹に観客たちは叫ぶ。「アンコール!アンコール!」と。私もアンコールと叫ぶ。そうしているうちに、相沢さんが舞台袖から再びステージに上がってきた。「わかった、わかったから」と言い、こう続ける。

 「アンコールありがとう。本当に今日来てくれたお客さんたち、そして演者のみんな、ありがとう!特に幸ちゃん!最後の曲ありがとう!俺はどうやら一人の女の子を変えちまったみたいです。でもな、幸ちゃん、人生はこれから続いていく。若いならなおさらだ。音楽、俺の代わりに続けてくれ。きっとそしたら幸ちゃんもきっと幸せな明日をつかみ取れるからさ。じゃあ、そんな女の子を変えちまった曲をやります。」


「「For Nerds!!!」」


 そしてやっぱり前半はよく聞き取れない歌で、でもサビのフレーズだけは聞き取れて、やはり私を撃ち抜くのだった。

「退廃的なんてくそったれ。衝動的に生きてくれ。この歌は君にだけ刺さればいい。明日を見てくれればそれでいい。きっと悪くないはずさ、きっとうまくいくからさ」



 

 相変わらず私の周りは流行に敏感で、退廃的なものをエモだと言い張って、何かに縋って流されるように生きている。私も似たようなもんなのかもしれない。でも退廃的なものをエモだなんてふざけんな。退廃的よりも衝動的なものをエモだと言いたいね、私は。これから何が起こるか分からない、まだ若いから。でも私にはロックンロールが、オルタナティブロックがある。ギターをかき鳴らして言いたいことを訴えるように歌える。そしてさよならを教えて、なんかよりもさ、またいつかどこかでって伝えたい。だからさ、私、衝動的に生きるよ。そしたら明日はきっとうまくいくだろうからさ。

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Girl in Utero 柏原カンジ @kashiwabara_nerd

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