【百合】この『愛』の証明の仕方

将平(或いは、夢羽)

この『愛』の証明の仕方


 幸せってなんだろうか、と時々思う。



「ん…? 茉弥、起きてたの?」

「なっちゃん。おはよ」


 ダブルベッドの上。

 私のすぐ隣で、なっちゃんはうっすらと目を開けた。それから私達の距離をもっと詰めて、ぎゅうっと私を抱き寄せる。

 ダブルベッド買った意味なかったじゃん。ーーー毎晩、そう言って笑い合う。私達はいつもぎゅうぎゅうに引っ付いて寝るので、シングルベッドで十分だった。

 名残惜しさに私もぎゅうっとなっちゃんを抱き締め返してから、可愛い花柄の布団カバーに包まれた羽毛布団を捲り、ベッドから降りる。

 遮光カーテンを引くと、もうすっかり朝日が昇っていた。


「んぁ、眩しい~。死んじゃうぅ~」

「吸血鬼かーい」

「んふふ、せいかーい!」


 振り返ると、楽しそうに笑うなっちゃんの顔が朝日に照らされてきらきらと光っていた。勿論、それは比喩だけど。


(…………好きだなぁ………)


 目を細目ながら、思う。

 幸せって、きっと、こういうことだ。


「なっちゃん、朝御飯は何食べたい?」


 今日も始まる。

 私達の、幸せな日常。









 結局、朝食はトーストで済ませたが、昼食と晩御飯に使う食材を買いに出掛けることにした。

 スーパーは主婦ばかりで大混雑していた。レジ打ちのおばちゃんに、もうすぐタイムセールが始まるわよ、と声をかけられたが、構わずに会計を済ませてスーパーを後にした。

 魚やお肉を買ったので、氷を入れているとは言え急いで帰らなければならないところを、帰路途中でパン屋さんに寄った。

 グレーをベースにした外観のシックさからはおおよそ此処がパン屋だなんて一見さんには想像もつかないだろうと思われる。

 そんな、決して広くはない店内で、こじゃれたパン達が並ぶ。


「うあー! 可愛いっ! これ、新作ですか?」


 なっちゃんはキューブ型のオレンジ色のパンを指差して、ニコニコと店主に話し掛けた。テンションが高く、目がキラキラと輝いている。……なっちゃんはパンに目が無い。


「よく気付いてくれたねー! そう、今日から御披露目だよー! 良かったら食べてみてね!」


 整った顔立ちのまだ若い店主がウインクする。スラリと高身長で、随分と男前な女性だ。なっちゃんは相変わらずキラキラと目を光らせながら、「買っちゃいます!」と大きく頷いた。

 ズキン、と胸が痛んだ。

 なっちゃんと出会ってから、私はある病に侵されている。それは、きっとこの先も留まることを知らないーーーー…。




******



 

 なっちゃん。

 私が呼ぶと、なっちゃんは「なあに、茉弥?」と首を傾げた。そこに、被さるようにして唇を重ねた。


「んふふ、どうしたの?」

「………なっちゃん。しよ」

「ん。いーよ」


 承諾を得るなり、なっちゃんをふかふかなベッドの上へと押し倒す。ベッドは私達を優しく包み込み、更にそこで行われる背徳的な行為について見て見ぬふりをしてくれる。

 優しい世界。

 なっちゃんと。なっちゃんとの暮らしと、ベッドの上での世界。ーーーなんて、私に優しい世界なのだろうかと思う。

『男』がこの世から消えてから、私の心は少しだけ静かになった。

 貴女が、永遠に手に入ったような気がしたのだ。ーーーでも。


「んっ、まやっ……」


 唇だけでは飽き足らず。舌を重ねて、しっかりと絡めて味わって。同時進行でなっちゃんの柔らかいところや敏感なところを沢山刺激してあげれば、なっちゃんはすっかり蕩けてしまう。

 真っ赤になって。涙目になって。それで、物欲しそうに私をその瞳に映すなっちゃん。可愛い。大好き。

 私は優しい愛撫を止めて、貪るようにその唇に喰らい付き、身体を求めるままにーー又は、求められるままに搔き乱した。


「ま、やっ、あっ、」


 必死に私の名前を呼ぶなっちゃん。可愛い。乱れていくなっちゃん。可愛い。好き。大好き。

 私の事だけ考えて。その脳みその中を、私で一杯にして。私以外の事は何も考えないで。


(………ああ、どうして……)


 こんなに幸せな時間に、あの男前なパン屋の店主が浮かんだ。

 大好きなパンを目の前に、なっちゃんは目を輝かせていた。それだけだ。解ってる。


(…………でも。パン屋のあの人が、なっちゃんを好きにならない保証は?)


 男の居なくなった世界。それは当然、恋愛や性の対象は同性に移行するだろう。………なっちゃんが、そうだったように。


(…………なっちゃんが、あの人を好きにならない……保証は?)


 ざわざわと心が乱れていく。黒い感情が心を支配する。焦る。

 私の手の中でこんなに乱れているなっちゃんを、誰か別のヒトが目にする可能性が怖い。

 なっちゃんのトクベツが、私ではなくなってしまう可能性が0じゃないことが、こんなにも不安で仕方ない。


「…………茉弥?」


 考え込んでしまった私を、なっちゃんが疑問を浮かべて覗き込む。


「なっちゃん、私の事、好き?」

「え? 何を突然、当然の事を?」


 なっちゃんから唇を重ねてきた。

 幸せ。

 じゃあきっと、良いよね。

 なっちゃんも、私が居れば、それで良いよね?

 世界に、私となっちゃん以外、誰も要らないよね?






 次の朝。

 目を覚ました世界では、相変わらず一番になっちゃんの寝顔が映った。


(………ああ、幸せ)


 幸せどころではない。これから先の未来、ずっとなっちゃんしかこの視界には映らないのだ。

 なっちゃんと私だけの世界になった今、とてつもない安心感が、私の心をとんでもない程に満たした。

“なっちゃんと私だけの世界”。

 そうか、これが『幸せ』だったのか。


「ん…? 茉弥、起きてたの?」

「なっちゃん。おはよ」


 繰り返す日々。幸せな日々。色褪せることなんて無い。

 その確信に、私はにっこりと微笑んだ。

 さらり、となっちゃんの髪を撫でると気持ち良さそうになっちゃんの頭がすり寄ってきた。

 幸せな日々。

 そう、確信していた。………………のに。





 世界に、私と二人きりになったと知ったなっちゃんは、激しく動揺した。


「どうしてっ、誰も居ないのっ……!?」


 必死に走り回り、店と言う店の中を覗いて回るなっちゃんを、少し離れた場所から見ていた。

 心が少し、モヤモヤとし始めたのはそれからだった。

 なんでなっちゃんは、そんなに焦っているのだろうかと思った。だってここは、歓喜する場面なのでは?


「由香里さんっ! 由香里さんっ!」


 件の、パン屋に飛び入るなりよく知らない名前を叫んだ。なっちゃんの声が別のヒトの名前を呼ぶのは不愉快でーーーモヤモヤがイライラに変わる。


「ねぇ。だから、誰も居ないから」

「なんでっ!」

「なんでって……。良いじゃん。別に。私はなっちゃんさえ居てくれれば良いし。なっちゃんだってそうでしょ?ーーーーーえ、」


 なっちゃんは、何も言わなかった。

 でも、表情が全てを語っていた。

 なっちゃんは、幸せそうな顔で笑って「そうだね」と言ってくれると思っていた。違った。

 彼女は、………………




******



 あの日から、毎晩……なんて言わない。朝だろうと昼だろうと関係無しに、身体を重ねた。


「……んんっ、」


 なっちゃんは相変わらず可愛い。甘ったるい声で鳴く。溢れる吐息も色気を増す。少しだけ歳を重ねて、あどけなさが減る代わりに艶が増したように思う。

 私達は変わらない。

 変わらず世界に二人だけ。常に身体を重ねていた。ーーーけれどそれはもう、愛を確かめ合う行為では無くなってしまった。

 どんなに唇を重ねても。舌を絡めても。体温を共有し、乱れ合っても。そこに、満たされる何かは無くなっていた。

 私は、空っぽな何かを埋めたくて。見たくない現実を見たくなくて。必死に、その行為を必要とした。

 なっちゃんはきっと、ーーー私の事を恐れていた。

 あの時のなっちゃんの表情ーーーーその顔は、恐怖に凍り付いていた。理解できないものを見ている顔だった。酷く、絶望した時にする顔だ。

 私と世界でたった二人だけになったなっちゃんは、その現実に……絶望したのだ。


「なっちゃん、私の事、好き?」


 キスの息継ぎの合間に訊いた。

「え、」となっちゃんの目が一瞬泳いだ。「なにを、当然の事を……」ーーーーーああ。




 幸せって、なんだろうか。




 どうやったらなれるのだろうか。

 私は何を、間違えたのだろうか……。


「……………もう、いいよ」


 ぷつり、と、頼り無かった細い糸が……遂に切れた音がした。

 私が大好きななっちゃんが、私の事を好きじゃない。ーーーーそんな世界、耐えられるはずがない。








 次の朝。

 目を覚ました世界では、もう、誰も居なかった。


「神様」


 不意に、声がした。気配は二つ。


「どうして、人間を皆、眠らせてしまったのですか」

「…………捨てた名前で、私を呼ばないで…」


 私はもう、その力を捨てるつもりだ。

 人間を皆、眠らせたのもこの力。それでも衣食住に困らなかったのも、この力があった為だ。

 しかしこの『神の力』でも、変えられないものがある。『人間の心』と、『寿命』だ。

 だから私は、眠らせることしか出来なかった。


「私は『茉弥』だよ。……最後の、人間だ」


 もうそこには誰も居ない。

 ベッドから身を起こしても足を床に下ろす気にはなれなくて、シーツを搔き抱いた。

 まるでそこに微かに残る、彼女の温もりに縋るように。ーーーなんてもう、そんなものは残っていない。私しか居ない。


「…………どうして、私は……幸せになれなかったのッ…!」


 目から染み出た水分がシーツを濡らして温かくした。こんなのは、虚しい。私の体温しかない世界。

 

 一目惚れだった。

 なっちゃん。

 空から見付けて、好きになってしまった。

 人間の姿で地上に降りて、友人になって。友人じゃ足りなくなって。次第に異性が脅威に思えて、先に永遠に眠らせた。そうしてやっと得た幸せも、やっぱり他人が脅威に思えて同性まで眠らせた。それでも不安は無くならなくて、私はーーー……。


「…………貴女は人間世界に於いて赤子だったんです。生まれ落ちたばかりだったのに、神の力があったのがいけなかった。悲劇を生んでしまったのは、貴女のせいではない。神の力と、無知のせいです」


 優しい天使が言った。


「そんなわけない。解っているでしょう? 神様。貴女は初めから愛なんて解っていなかった。貴女が愛していたのは貴女自身に他ならない。だから、あの人間の気持ちを最後まで信じられなかったんだ。その上また、自分が幸せになれなかったことを嘆いているなんて。神も堕ちたものですね。ーーーああ、茉弥でしたか。自己愛が凄くて、主観的で、排他的でーーー貴女がなりたいと望んだ『人間』臭くて、僕はとても良いと思いますけどね?」


 悪魔が嗤いながら、言った。


「………私は、どうしたら……」

「そんなの、答えは一つですよ」

「ダメです、神様っ! 天に戻って、全てを元に戻して下さいっ!」


 悪魔がにやにやと嗤うのを、天使が青ざめて止めようとした。けれど、先程の悪魔の言葉によって後悔と自責の念に苛まれ始めた私の耳には、天使の言葉なんて響かない。ーーー天使は、私の過ちを“私のせいではない”と言ったから。

 悪魔の指摘の通り、そんなのは、嘘だ。

 優しい嘘で、誰も救えない。

 私は、ーーーー赦されたかったのだ。


「彼女への愛が本当だったのなら、貴女も最後までヒトとしてーーー全てがそうなったように、貴女も永久に眠りにつくべきだ。茉弥として」


 悪魔の言葉は、間違いを知ったわたしには甘美なものに聞こえた。贖罪のチャンスを与えてくれた。

 天使が居るならば、悪魔も必要だ。

 世の中は、そうして成り立っている。

 その時々で、必要なものは変わっていく。縋るものは変わっていく。……成程、なっちゃんの次は悪魔の言葉に縋る。私は本当にとてつもなく、人間らしくなった。

 縋りたいものに、縋る。

 正しいとか正しくないとかはもう、関係がないのだ。

 天使。悪魔。なんて判断もそう言えば主観的なのかもしれない。

 羽根が白いからってなぜ天使だと思う?

 羽根が黒いからってなぜ悪魔だと思う?

 本当は反対かもしれない。

 先入観が邪魔をしているだけ。

 信じたい言葉をくれた方が、『善』なのだ。


「…………そうね」


 黒い羽根の天使に教えて貰ったのは、最期に出来る、私の贖罪。愛の証明の仕方。

 此処で皆を眠りから起こしてしまえばーーーー無かったことにしてしまう。

 あの日々を。

 私の愛を。

 貴女がくれていた、『本当』を。


「私の愛を証明しなくては…」

「神様っ!」


 白い羽根の悪魔が諌めるように叫んだ。嘆いたのかもしれない。

 ごめんね、とほんの少しだけ思った。

 ヒトも。天使も。悪魔も。かつて、私には隔てなく等しく、大切な存在だった。ーーーそうそれは、私が“恋の病”にかかってしまうーーーだいぶ昔の話だ。

 私を愛してくれている羽根を持つ二つの存在に、優しくキスをした。


「ありがとう。後の事は、あなた達に任せるね」






 そうして人類は永遠の眠りについた。


 






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