第3話 優羽さんの家

 お店からサクサク歩いて約10分。

 優羽さんは2階建ての1軒家の前で立ち止まっていた。


「ナオ君は、家が新しくなってからは来たことないよね?」


「うん。建物に見覚えが無いから変な感じ」


「ふふふ、中もかなり綺麗になってるから驚くかもね」


 そう言いながら玄関の鍵を開けた優羽さんに続いて、家の中に入る。


 玄関の時点で確かに記憶とは違った。

 以前の玄関はもう少し狭かった気がする。

 それに線香の匂いも感じない。

 子どもの頃は嗅いだ瞬間思わず顔をしかめたものだが、無いなら無いで少し寂しい。


 優羽さんと一緒に廊下を進む。

 綺麗なフローリングで、以前と違い上を通るだけでギシギシ軋んだりはしない。


 昔の記憶が蘇るたびに思いのほか彼女の家に入り浸っていたことに気付かされる。


 リビングに到着した。

 入って右手側にキッチンと6人掛けのダイニングテーブル。

 左手側には大きなテレビと高そうなソファ。

 大きな家具がいくつも配置されていたが、それでも広々として見えた。


「ふふっ」


 優羽さんは、リビングの入口で立ち止まった俺の横を、軽く笑いながらすり抜けていく。

 そしてソファの前で立ち止まると、長い黒髪をなびかせてこちらを振り向いた。


「ようこそ! 今日からここがナオ君の家だよ!」


 優羽さんが浮かべた魅力的な笑顔に内心動揺しつつ。


「春休みの間だけですが、お世話になります」


 訂正を交えて、挨拶をした。


 ◇◇◇◇◇


「入学試験のときにこっちに来てたのなら、連絡してくれれば良かったのに。会いたかったよ」


「合格できなかったら、なんか恥ずかしいなって思って。それに試験に集中したかったから」


「確かに連絡が来たら、私も集中できなかったかもね。なら仕方ないかあ」


 ダイニングテーブルで、優羽さんが淹れてくれたコーヒーを飲む。

 香りの良さは分かるが味の良さはよく分からない。


「ナオ君、砂糖とミルクは入れなくて平気?」


 目の前に座った優羽さんがスティックシュガーを手に言ってきた。

 コーヒーを飲んで変な顔をしたことに気付かれてしまったようだ。

 ユキさんの娘なだけあって、よく他人を見ている。


「……んー、この一杯はブラックで飲もうかな。せっかく優羽さんが淹れてくれたんだし」


「ふふっ、そっか。別に私のことは気にせず、好きに飲んでいいんだよ」


 本音はブラックを飲めた方が格好いいと思っただけなのだが、優羽さんは嬉しそうな顔をしている。


 その表情がユキさんによく似ていてなんだか照れくさく、思わず目を逸らした……のだが下側に逸らしたのは失敗だった。

 視線の先には優羽さんの豊かな胸。

 慌ててさらに視線を下げ手元のコーヒーを眺める。


 動揺を隠すため、ゆっくりとコーヒーに口を付けながら思う。

 優羽さんの服は少し過激ではないだろうか。

 肌の露出が少ないので本人は気にならないかもしれないが、胸の強調が凄いのでつい目がいってしまう。


 しかも優羽さんはテーブルの上に胸を乗せていた。

 こちらを動揺させるためだろうか。

 いやまあ、それが被害妄想なのは分かっている。


 ワルミちゃんなら俺をからかうためにそういうことをするかもしれない。

 照れ屋なのに変なところが大胆なのだ。

 ただ生真面目な優羽さんはそういうタイプではない。

 だからこれは単なるクセというか、重いから乗せてしまうとかそういうことなのだろう。


 しかしこの光景を眼福などという言葉で済ませることはできない。

 2人きりでのこの状況は俺にはちょっと刺激が強すぎる。

 なにより相手が優羽さんなのが問題だ。

 優羽さんにときめくのはワルミちゃんに対する裏切りのように思えた。


「ところで、ナオ君のご両親はいつこっちに引越してくるの?」


「ああ、えっと入学式の前には来るって言ってた」


 優羽さんが話題を変えてくれたので、少しホッとする。


「またお隣さんだねえ」


 ほのぼのと微笑む彼女に微笑み返す。


 もともと俺はこの家の隣に住んでいて、優羽さん達とも小学校に入る頃からの付き合いになる。


 ただ中学校に入学する直前、父親の仕事の関係で東海地方に引越すことになってしまい、学生生活も向こうで送った。

 あれから3年。

 父親の仕事の目途もついたようで、再び生まれ故郷に戻って来たわけだ。


 ……ただこちらに戻る上でいくつか問題があった。

 俺たちの家は数年放置していたせいでリフォームが必要になっていたのだ。


 優羽さんたちも家の様子は見てくれていたらしいがこればかりは仕方がないだろう。

 リフォームは本来、春休みに入る前には完了予定だったが、資材の調達が遅れたそうで春休みが終わる直前まで長引くらしい。


 俺としては工事が完了してからこちらに来ればいいと思っていたのだが、俺の父親が「もう話は決まった」と春休みのあいだ優羽さんの家で暮らすように指示してきたのだ。

 まあ、久々の故郷だし環境に慣れておけということなのだろうが……。

 少しは俺の意見も聞いて欲しかったとは正直思う。


「中学時代まるまる会ってないから3年ぶりの再会ってことになるのかな?」


「そうだね、それくらいだと思う」


 もともと高校生になる頃には戻ってこられるというのも事前に知ってはいたのだが、仕事の都合もあるのだろうし期待はしていなかった。


 だからこそ、本当に故郷に戻れると知ったときは心底嬉しかったものだ。


 もちろん向こうでの中学校生活も楽しいものではあった。

 一番不安だった友達も、ちゃんと作ることができた。


 それでもこちらは生まれ故郷。

 思い出が沢山あって、子どもの頃からの友達もいて、そして何よりも……。

 ワルミちゃんがいる……!


「よし! じゃあそろそろナオ君の部屋に案内するね」


 俺がコーヒーを飲み終えたのに気付いたのだろう、優羽さんが立ち上がった。

 彼女の案内で2階に上がる。


 「階段を上がってすぐのここが私の部屋で、その隣がナオ君の部屋だよ。もともとはお父さんの部屋なんだけど、一階に寝室があって基本そっちにいるから空けてもらったんだ」


 2階には4部屋あるようだ。

 階段を上がってすぐが優羽さんの部屋。

 その左側に二部屋続き、一番奥の部屋の向かいにも一部屋。


 廊下の突き当りにも扉があるが、上部に磨りガラスの小窓が付いているところをみると、おそらく部屋ではなくトイレだろう。


 優羽さんは自分の部屋を通過して、俺が寝泊りする部屋の前で立ち止まった。 


「どうぞー」


 ドアを開けてくれた優羽さんに軽く頭を下げ、部屋の中へ。


 まず目に入ったのは、布団。

 広々としたフローリングの部屋の中央に白い布団が敷いてある。


 そこから視線を上げ、正面の壁を見て思わずギョッとした。


 ――水着を着て笑顔を浮かべた少年。

 そのポスターが貼られている。


 ……いや少年っていうか……。

 これ、俺が子どもの頃の写真じゃない……?

 結構大きいポスターだけど、わざわざ写真を拡大したの……?


 マジマジとポスターを眺めていると、目の端になにかが映っていることに気付く。

 その「なにか」は左右の壁に貼ってあるようで、異常な存在感を放っていた。

 正体を確認するためイヤな予感を抑えながら、ゆっくりとその場で回転する。


 東西南北にある全ての壁から、沢山の俺の視線を感じた。

 何十枚、いや何百枚も俺の写真が貼ってある……。

 全部俺が1人で写っている写真だ……。

 正直なんか……怖い……!


「す、素敵な部屋だね……」


 動揺して思ってもいないことを言ってしまった。


「ごめんね。びっくりしたよね?」


 優羽さんは妙に落ち着いている。

 俺の反応も予想できていたのかもしれない。


「お父さんの荷物を運び出したらかなり殺風景な部屋になっちゃって。飾りつけをしてみたんだけど……」


 そう言って優羽さんは部屋中を見回し、最後に天井を見上げた。

 俺もつられて見る。

 なんとなく予想していたが……。

 天井にも俺の写真が貼ってあった……。


「なんかさ……」


 天井の俺の写真と見つめあっていると、優羽さんが声を掛けてきた。

 彼女は笑顔でこちらを見ている。


「この部屋、ナオ君のストーカーが住んでそう」


「うん……そんな感じだね……」


 とりあえず同意はしたが、この地獄のストーカー部屋を作ったのは優羽さんなのでは……?


「あっ、そうだ!」


 そんなことを思っていると、優羽さんが手をパンッと打ち鳴らしながら明るい声を上げていた。


「ナオ君、この部屋に居づらいよね? 私の部屋に遊びに来なよ。というか春休みのあいだ、ずっと私の部屋にいたらいいよ。夜もさ、このお布団を持ってきて私の部屋で眠ったらいいんだよ。子どもの頃もお泊りとかよくしてたし、なんの問題もないよねっ? ねっ?」


「ん、んー……」 


 ……そのお誘いは魅力的ではあった。

 とはいえ俺も高校生になるのだ。

 子どもの頃お泊りをしていたからといって、成長した今ではさすがにダメだろう。


「……うん、ありがとう。でもまあ別にいいかな。普段はリビングに居させてもらうつもりだし、夜は目を閉じてるから俺の写真が見つめてきても気にならないと思うし……」


「そう? まあ、それならそれでいいけど……。ただ気が変わったらいつでも遊びに来てね。夜遅い時間でもノックしてくれればいつでも部屋に入れてあげるから。遠慮はいらないよ」


「うん、そのときはお願いします」


 さすがに夜中に行くことは無いだろうが、この部屋にメンタルをやられたら彼女の部屋に逃げ込むことはあるかもしれない。


「そういえば荷物の整理をするんだったね。私の部屋に置いてあるから取りに行こっか」


「なんで優羽さんの部屋? この部屋に置いてくれて良かったのに」


 彼女は肩をすくめている。


「この部屋だとお父さんの荷物と混ざって紛らわしいかなって。今朝まで整理してたから、こっちに持ってくるのを忘れてたよ」


「そうなんだ。なんというかお手数をおかけしました」


「あははっ、別にいいよ」


 笑顔で手を振りながら部屋の外に出る優羽さん。

 俺も彼女に続いて廊下に向かう。


 廊下に顔を出したところで、優羽さんの部屋と逆側の部屋が気になった。

 普通に考えれば、きっとこちらが――。


 ワルミちゃんの部屋なのだろう。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る