3章:くだけて物を  思ふころかな

「月読。お前、ここにいたのか」

 一人日影で佇んでいた月読に、天照が駆け寄ってきた。

「霧夜が探していたぜ。なんか、渡したい物があるとか」

 請求書だろ、それ。

 無駄な足掻きだが、彼には会わずに去ろう、と月読は心に決めた。

「全く、何でわなみばかり」

「何だ? 悩み事か? 俺でよければ聞くぜ」

「いや、いい……余計にこじれそうだから」

 と、月読は身を乗り出した彼を手で制する。

「にしても、お前は本当に嘘つきだな」

「何だ、藪から棒に」

「だってよう、気持ちの上書きなんて……」

 彼が何を指しているのか分かり、月読は「あぁ、それか」と答えた。

「感傷なんて一過性のもんだ。その時は深く傷ついても、それが一生続くわけじゃねえ。傷は癒える事はなくても……人は、その傷を抱えながらも生きられる。そんなに、人は弱くねえからな」

 月読はふと空を見上げる。

 夕闇迫る空は、昼の気配が僅かに残るがそれを夜の気配が呑みこもうとしているように思えた。

「だが、その僅かな傷につけこむのが『百鬼絵巻』だ。それに、さっきの子は共感は強かったが、恋とは言い切れなかったしな……まあ、わなみにも親愛と恋慕の境界線なんざ分からねえが」

「俺は、お前が言っている事の方が分からないぞ」

 天照が眉を下げて言った後、思い出したように声を上げた。

「あ、そういえば、さっきの子達! 大丈夫だったのか?」

「ああ、それなら、さっき、救護班と一緒にうちに帰ったよ」

 『怨魔えんま』化した場合、記憶がある時とない場合、或いは自分自身で夢だと思い込んで忘れてしまう場合がある。

 大体が後者だが、中にはあの少女のように全て覚えている場合もある。

 覚えているという事は、一生その想いを背負わなければいけないという事でもあり、こちらの方が悲劇だと月読は思っていた。

「なあ、天」

「ん?」

「お前は、わなみのためにどこまで出来る?」

「え? どこまでって……」

「いや、さっきの食われそうになっていた子が言っていたんだ。友達なら、殺されるのは勘弁だけど、別にいいって……どういう心情なのか、ちと気になってな」

「そんなの、俺に分かるわけないだろ」

「ははっ、そうだな」

 軽く笑い、月読はその話題を終わらせようとするが、

「だって、お前に分からねえもんを俺が分かるわけねえだろ。お前が解いて、俺が戦う……それが俺達なんだから」

「!」

 当たり前のように言う天照に、月読は言葉を失った。

 天照の目はいつもと同じ曇り一つなく、疑いはない。

 ――当たり前か。こいつは、人を疑う事を知らねえ。

「本当に、お前の相方は骨が折れるな」

「何だ? また俺の悪口か?」

「いや……ただ……」

 そこで月読は空を見上げる。

 夕空と夜空が交じり合った、桃色と紺色がぶつかり合ったような淡い色。

 相反する色同士も混ざりあう事で、一つの色になろうとしているように思えた。

「めぐり逢ひて 見しやそれとも わかぬまに 雲隠れにし 夜半の月かな――」

「うん?」

「いや、特に意味はねえよ」

 月読はフッと笑み、扇子の先端を天照の肩に乗せる。

「ちと早いが、飲みいかねえか?」

「お! お前から誘うなんて珍しいな」

 月読が歩き出し、天照がそれに続く形で歩き出した。

 地面に映えた二人分の影には距離があり、重なる事はない。しかし――

「このくらいが、ちょうどいいんだよ」

 僅かな間のある影を見つめて、月読は呟いた。

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