最終話

 きぃー……ごとん、ごとん。プシュー。

 オアシス内の小さな駅についた列車が停まる。ジークが指差し確認している間に、イアンは運転席から体を乗り出し振り返ると、同じように身を乗り出していたレベッカと目が合った。お互いに手を挙げて安全を確認してからホームに降りる。

「明朝には出発いたします、お泊りは列車でお願いいたします」

 外側からつけられた錠を外し、客車の扉を開け、レベッカは流暢に笑顔を添え、イアンはたどたどしく繰り返しながら、一時下車する乗客を見送っていく。数はそれほど多くはないが、貨物運搬がこの機関車のメインなので問題はない。

 丸三日間列車の中に閉じ込められていたからか、外の空気を吸った乗客の顔は一様に晴れやかだ。

 全員を見送ったあと、羽を伸ばす乗務員がわらわらと出てきた。客室乗務員であるレベッカとロウは色々と片づけがあるらしくすぐに戻っていく。料理長のカルミネは、食材調達のためか乗客と同じ道を通って、町へ出かけるらしかった。他の機関士や機関助士たちは、カルミネと同じく町に繰り出していく。機関士のジークと貨物運搬責任者であるヴィクトルは、駅員と何やら小難しい顔で言葉を交わしていた。

 乗務員は基本、列車走行中が勤務、停車中が休暇である。

 イアンも、ホームに降りた。

 オアシスとはいえ、砂漠のど真ん中なので空気は乾いている。過ごしやすい気温で、吹く風に時々砂が混じっていることを除けば快適だ。ホームは客車のある前方三両分しかなく、少し高台に作られているからか周辺が一望できる。

 奥には太陽の光に照らされた砂漠が、手前には緑の生い茂るオアシスが広がっていた。目を凝らすと、オアシスの中で生活している人々の影が見えてくる。柿色の服に鮮やかなターバン。女性は、レベッカが教えてくれたサリーを身に纏っている。

「『ノートル』……」

 イアンは、殺した人間が言っていた『家族の名前』をつぶやいてみた。ポケットの中からペンダントを取り出し、中を開ける。笑顔のまぶしい三人が、変わりなく映っていた。

 探すか。

「……よし」

「あの……」

「はぃ!?」

 覚悟を決めて、探すならやはり市場に行くのが手っ取り早いか、なんて思った矢先に話しかけられたので、声が裏返る。

 赤いサリーを着た女性がいた。やや黒い肌に凛々しい眉、首元にさげているのは金をあしらったネックレス……いや、イアンが持っているものと同じロケットペンダントだった。その少し後ろに同じ色のサリーを着て杖を持っている老婆も見える。女性の親類だろうか。しわだらけの顔だが鋭い眼光は、見る物全てを貫通しそうだ。

「……兄を、探しているのですが」

 まだ少女のようだ。言葉はたどたどしく、声は幼い。身長はイアンとほとんど変わらないのだが。

 なんだかちょっとだけ、傷つく。

「兄?」

「はい。この列車で、帰ってくるはずなのです」

「ええと、名前は」

「兄は、ヴィーダラ・シャー・ジャージン・ラーラーと申します。私は妹のヒーダラ・シャー・ジャージン・ラーラーです」

 やたら長い名前に眉を顰めると、敏感に感じ取ったらしい少女はびくんと肩を震わせる。

「……ええと」

 乗客ならば、ロウかレベッカに尋ねるべきだろう。少々お待ちください、と口が動く寸前。

「あんたは……」

 何か引っかかって、手にしていたペンダントを見る。

 間違いなかった。

 目線をペンダントの中で笑っている女性と目の前にいる少女を往復させる。なるほど、目の前の少女は、確かに容姿だけ見れば大人びて見えた。

「何かご存じなのですか!?」

「…これって……あんた?」

 少々、少女の迫力に気圧されながらペンダントを見せる。

 少女は震える手でそれを受け取って、こくん、と頷いた。

「ヴィーダラ兄さん……」

「真ん中にいるのが」

「そうです、私です……こっちは二番目の兄、ソーダラ兄さん」

 少女が説明してくれる。イアンは大きく息を吐き出した。

 よかった、見つけた。

「でも、どうしてあなたがこれを……?」

「これだけでも、届けたかったんだ」

「へ……?」

 これまで一言も話さなかった老婆が歩み寄り、少女の手に収まったペンダントを凝視する。そうして、首紐の部分をひったくった。

「……」

 鷲のように鋭い眼光が、首紐に送られて、

「お前……」

イアンに注がれる。

「……嘘だと言え」

 何がとは、わかる。

「本当だよ」

「……」

 ひび割れた唇を強く噛みしめ、老婆は杖を振り上げた。

「お前が、お前が、お前かぁぁああっ!」

 からんと虚しく地面に落ちたペンダントを見て気づいたのか、少女も大きく目を見開いた。

「お前が、お前が! お前が、ヴィーダラをッ!」

 振り下ろされる杖。イアンは軽く見切り、わずかに首を傾けて避ける。それでも老婆は叫び、涙を流して杖を振り回す。少女は、絶叫して崩れ落ちた。

「うわぁぁぁああっ! ヴィーダラ、ヴィーダラ兄さん!」

 イアンはそれを、ただ冷ややかな目で見下ろしている。

「何故……」

 我に返ったらしい少女が、イアンを見上げて尋ねる。

「侵入者だったから」

「だから、だから」

「だから殺した」

 それ以上でも、それ以下でもない。ただそれだけ。

「嘘、でしょう……」

 老婆が再び杖を振り下ろす。イアンはそれを右手でつかみ、くるりとまわして老婆を地面に伏せさせる。関節をキメて、馬乗りになった。

 あまりの早業と容赦のないその動きに、少女は動きを止める。

「……」

 ペンダントを胸に抱いて、ゆっくり、首を振る。

「あなたは……」

 目から流れる大粒の涙を拭いもせずに、少女は唇を震わせる。

「あなたは、おかしい……」

 ヴィーダラ兄さん、ともう一度つぶやく。

 老婆は、自分の下で気を失っていた。

 と、そこで、ようやく駅員がこちらに走ってくる。ジークとヴィクトルは、遠く離れたところから静かに一部始終を見守っていたようだ。列車の窓のむこうに、レベッカとロウの姿も見える。

 イアンは立ち上がる。

 横たわったままの老婆と、うずくまり涙を流す少女と。

 いつもと特に何も変わらない自分。

「……」

「大丈夫ですか!?」

 駅員に介抱されて、二人はホームから去っていった。

 少女は一度こちらを振り返り、一筋の涙を流した。きゅ、唇を結んで、自分の姿を目に焼き付けているようにも見える。駅員に背負われた老婆は、力の入っていない細い腕を、だらんと垂らしている。

 その姿が再び、昔の記憶とつながる。




『イアン、お前なら、生きていける……』

『俺は先に逝くけど、お前なら……』

『生きろ。生きて、生き抜いて……その先に』




 人はみな、死んでいく。

 自分が憎んだ相手でも、大切な人でも、誰でも、みんな。

 イアンは、自分の両手を見た。

 老婆の杖をつかんだ手。考えるよりも体が動いた。

 何のため? 自分が、自分だけでも、生き残るため。




『生きてさえいれば、何とかなる』




 本当なのかよ。

 死者に尋ねても答えが返ってくることなんてない。なのに、何度も何度も、尋ねてしまう。声をかけてしまう。考えてしまう。

 何にも、ならないのに。

 ジークとヴィクトルが並んで歩いてくる。少し早いが、晩御飯を食べに行かないか、ということだった。うなずいて、一度着替えるために列車に戻る。

 自室で一人になって、ふう、と息をついた。

 机の上に置いてあるナイフが目に留まる。

「……」

 手に取ってみても、軽く構えてみても、何も思わなかった。

『あなたは、おかしい』

 あの少女は、そう言った。

 ああ、おかしいよ。俺はおかしい。

 俺は、おかしい。

 ナイフの柄を額に当てる。


 俺は、暴力これしか知らない。

 だから、これから学べばいい。

 暴力以外のことを。

 生きることを。

 命のことを。


 イアンはナイフを机の上に置いた。

 時間はたっぷりある。だって俺は、生きているんだから。

 きっと、あの人ならそう言うはず。

 少し開けていた窓から風が吹いてくる。また砂漠の砂嵐か、と目をつぶったが、そうではないようだった。少し湿った、植物のにおいがする。

 オアシスの風だった。

 イアンは、ラフなジーンズとシャツに着替えて、外に出た。

 赤く染まり始めた青空は、高く広く。




『それでいい』




 誰かの声が、聞こえた気がした。






Fin

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星のカケラ列車 雪待びいどろ @orangemarble

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