20.喰うか、喰われるか

 魔法船マナシップテューポーン号は、グラキエース家所有の中型魔法船である。

 アイラ・グラキエースが調べたところ羊角族シープホーンの島は王国の属島とされている。大きさはグラキエース島の三分の一程であまり開発されておらず、発着港は島の裏ではなく表にある。

 その規模は大きくなく、大型の魔法船は着陸できないため、通常であれば大型の定期便で近隣の島まで行って、そこから小型もしくは中型船に乗り換える必要がある。

 それも面倒なので、自由の利くテューポーン号で直接向かう事にした訳である。

 もともと貨物仕様なので格納庫は広く、一般的な魔装グリモローブなら二体は入るその空間に、一体の白い魔装パラダインが運び込まれていた。

「なんで?」

「子供だけでそんな遠出させられないって母様が言い出して、ボアさんとガイトさんがついてくることになったのよ」

「ついでに、チャームちゃんに関する捜査と私の訓練も兼ねるって」

「ツンドラさん、いろいろ乗っかってくるなぁ……」

 ちょっと窮屈な感じはするが、とはいえ、このにグラキエース家のバックアップが必要だったのは間違いないので、真織達は文句を言える立場にはない。

「でも、パラダインは一機なんだ」

「この規模の船なら護衛としてはディモスだけでも十分なんだけど、グラキエースの白槍隊ホワイトランサーズが護衛につくのに、格好がつかないってだけよ。あと、ボアさんは骨休めがメインみたい。」

「じゃ、これはレオンさんのなんだ」

「ああ、これはガイト・レオンがメイン魔法使いメイガスを務めるパラダイン44号機だな」

 突如、低い位置から女性らしき声が聞こえたので、一瞬エウルかと思うも明らかに口調が違う。

 その声の主はいつの間にか真織達三人の背後に立っていて、紺の制帽と制服を身に着けていた。

 薄紫の髪の毛がくるくると巻いたり跳ねたりしながら足元まで届いているが、その足元までの距離は、三人の学園生の中でも背の低いエウル・セプテムの背丈の、その腰ほどまでしかない。

 そして左右に長く飛び出した尖った耳は、彼女が種族として真織達と異なる事を示していた。子供のようにも見えるが、見た目通りの歳ではなさそうだ。

「アイラお嬢様、此方がご学友か?」

「ええ船長。黒木真織と、エウル・セプテムよ」

 アイラが船長と呼んだその人物は、真織達の方に向くと、一礼する。

「テューポーン号の船長、オウラン・メダンだ。オウラン船長と呼ぶがいい。見ての通りの雲小人クラウド・ノームだが、よろしく頼む」

「あ、はい。黒木真織です……雲小人クラウドノーム?」

「我らは雲塊マナクラウドの中で、魔法船マナシップを生活領域に選んだ種族なのだよ、物質世界人マテリアン魔法船マナシップ自体も我らの発明らしいぞ? 詳しくは知らんが」

「な、なるほど」

「幼い頃から仕込まれるから、雲小人クラウドノームの操船技術の高さは有名ですよね! あ、エウル・セプテムです!」

 王国内においては、運輸等を業務とする、いくつかの企業体としてコミュニティを形成している種族だという事で、その説明を三人から真織が受け終わったころで、パラダインの搬入終了が知らされる。

「それでは、テューポーン号、出航といこうではないか!」



 自分の荷物を自分に割り当てられた船室に運び込み、そして椅子に掛けて一息。

 黒木真織はあわや瞼を閉じかけたが、しかしふと思い立ち、荷物を開けてごそごそとそれを捜す。

 借りてきたパラダインの魔装の魔導書グリモアと、写本下書き用のノート、それに、筆記用具一式。

『早速それですか、マオ』

「うん、どうせ到着までは船長任せだし。時間あるときに少しでも読んでおきたくて」

 イヴが現れ声をかけると、真織はその魔導書グリモアの表紙をあらためながら、それに応じる。

「……製品本なんだね、これ」

『パラダインは量産機ですからね。ディモスのような特殊機スペシャルの物は、専門の写本師が手書きしていますが』

「なるほど」

 イヴの解説に納得しながら、真織の手はページをめくる。

 暫く沈黙の中にページをめくる音が繰り返されるが、それが百を数えたかどうかという時に、真織は唐突に口を開く。

「ねえイヴ。これこの前作ったインクで」

『いけません』

「……未だ何も言ってないよ」

『風の魔導書グリモアのように、変換効率や出力を上げてみたいのでしょう? ダメです』

「理由は?」

魔導書グリモアの出力やらを考えなしに上げても、機体設計がそれに見合わなければ、まともに動くものではないのです。過去には、素人が弄って機体強度が足りず、空中分解した例もあるのだとか』

「それは……確かにダメだね」

『はい。先ずは専門知識を確り身に着けるか、専門家にきちんと相談するかは必要かと』

「そうだね。アドバイスありがと」

 魔装グリモローブの専門家と聞いて、真織の頭に真っ先に浮かぶのはシーゲルだったが、彼はあくまで機体整備の専門家だ。機体設計や魔導書グリモアの写本に関しては、相談できるか分からない。

 しかし、彼の伝手を辿ればそうした専門家は居るのかもしれないので、グラキエース島に戻ったらちょっと聞いてみよう、と決める。

 さあ、魔導書グリモアの読み解き再開、と視線をページに戻したところで船室の扉がノックされた。

『どうぞ』

 真織が顔を上げる前に、イヴが代わって返事をしてしまうと、アイラとエウルが雪崩れ込むように入ってきた。

「おっ邪魔しまーす! マオちゃん、お菓子持ってきたよ!」

「お茶も淹れてきたわよ。 イヴも、久しぶりね」

『お久しぶりです……あなた方は、毎回こんなのですね』

 言われて以前ディモスの操縦席に転がり込んだことを思い出し、二人は吹き出した。



 神秘の雲塊マナクラウド

 この魔法世界マナリアの大部分を占める領域。この世界に生きる者に魔法という大いなる力を与えると同時に、島と島の間を隔て、人の世の流通と発展を阻む一つの壁でもある。

 そこには常に風が吹き荒れ、島に生まれた生き物であれば、投げ出されただけで生死をその風に任せるしかないが、しかしそんな領域にも、生命は存在していた。

 例えば雲の嵐の狭間を悠然と泳ぐように飛翔する雲鮫クラウドシャーク。鼻先や背部が甲羅に覆われている以外は、殆ど鮫にしか見えない生物だ。

 その凶悪な見た目から、「とある寂れた島に現れ人を次々と食い殺す」といった映画が王国内で上映され、以降そうしたジャンルに人気が出たりもしたが、現実の生態としては島に上がってしまったら泳ぐ事ができず雲塊に帰ることもできず、放置すれば死んでしまうため、島が近づいてくる気配を感じれば即座に逃げてしまう。

 他の小型の雲棲生物を捕食して生息していて、旧来からの人との関りとしては、甲羅や骨は武具の素材として、それ以外の皮膚は服飾の素材として需要がある。黒木真織が先日購入した革の着衣も、主たる素材はこの雲鮫クラウドシャークだ。また、肉も引き締まっていて食用に向いているし、臓器は薬品や魔導書用インクに使われたりもする。

 そして、その甲羅には光学迷彩の魔法回路が備えられている。人からの需要が高いながらも今日まで雲の中を生き延びている理由の一つだ。

 その雲鮫クラウドシャークは、今日も食べ物を捜して雲間を泳いでいた。

 その雲鮫クラウドシャークに、何かが這い寄るように迫っているが、雲鮫クラウドシャークがそれに気がついたのは、ぬめぬめとしたが、その大きな体に吸い付いてからだった。

 大きな吸盤が並んだその触手は、その巨大さとは裏腹に、全く雲鮫クラウドシャークに気配を感じさせずに絡みついたのである。

 雲の向こうに、黄色く光る目が二つ。

 この目は、光を見ていない。ただ生き物の熱と音をとらえる知覚器官。雲鮫クラウドシャークの光学迷彩も、その目を誤魔化すことはできなかった。

 触手が締め付けると甲羅にひびが入り、雲鮫クラウドシャークは命を落とす。

 そしてその雲鮫クラウドシャークの死骸は、円環状に牙の生え揃った口に運ばれ、噛み砕かれる。

 嚙み砕いた糧を咀嚼するその間にも黄色い目は獲物を捜す。

 そして見つけた。あまり大きくはないが、いくつかの糧を積んだ、魔法船マナシップの音を。



 テューポーン号の航行は順調のように見えた。

 とはいえ、島間移動は何日分も時間がかかるのが基本である。その上、一日の基準となる島がそこに存在しない為、王国基準時間の時計が各部屋に置かれている。

 旅としては退屈で、窓の外を見ても昼も夜も存在しない。そんな世界で、決められた時間に料理会をするのが、真織達の楽しみの一つとなっていた。

「今日は何にしよう」

「プイはどうかな?」

「プイ?」

魔法世界マナリアの麺料理よ。マオに分かりやすく言うなら、パスタが一番近いかしらね」

 その説明を聞きながら食材を物色していた真織は、「あ、これか」と袋に入った乾麺を見つけ出す。

「……とすると……要るのはアカガラシと……オイルは何が良いかな……」

「え、茹でてミートソースかけるだけじゃないの?」

「私は、何となく解ったけど。それならイスタオイルでいいんじゃない?」

 アカガラシは物質世界マテリアの唐辛子と酷似している辛みの強い食材で、イスタオイルは魔法世界マテリアでは一般的な植物油だ。

 物質世界マテリアに行ったことのあるアイラにはすぐピンときた。真織はプイをペペロンチーノ風に仕上げるつもりなのであると。

 そうしてイスタオイルの瓶を見つけ、抱えて食糧庫を出ようとした真織だったが。


 ゴォ……ン!


 突如襲った横殴りの衝撃に、慌てて壁に方で寄りかかって身を支える。

「な、なに?」

「ご無事ですか、お嬢様!」

 すぐに駆けつけてきたのは、ボア・ソルダート。彼は速足で近づいてくると、真織の横で尻餅をついているエウルに手を差し伸べ、引き起こす。

 アイラはと言えば、とっさに真織の背にしがみついたようで、怪我やどこかを打ったという事も無いようだった。

「私は大丈夫……何があったの?」

 真織から手を放し、アイラはボアに状況の説明を要求する。

「巨大雲棲生物のようです。船長によれば、この雲域の主ではないかと」

 ボアのその返答を聞いて、アイラは表情を曇らせた。巨大雲棲生物は、個体によっては小規模な島に匹敵するサイズであり、数も少なく滅多に遭遇する物では無い筈だった。

「対応はできているの?」

「ガイトがパラダインで、絡みついた触手の引き剝がしにかかっております。それにオウラン船長が、銀星隊シルバーコメッツに救助要請を」

「そう。それじゃ任せるしか……って、マオ、何をしているの!」

 アイラが悲鳴に近い声を上げる。真織の方を向き直ると、真織は食材袋をエウルに預け、黒い扉を出現させていたのだ。

「雲棲生物、見ておきたくって」

「ちょっと、待ちなさい、マオ!」

 呼び止めるアイラの声は聞こえなかった事にして、黒い扉に入り込み、操縦席に座る。

 手早く操作盤を動かし、黒い穴はテューポーン号の甲板に沿って出現させる。

 そこからせりあがってくる、その威容は、魔導書にして法衣。

 腕組みをして仁王立ちをする、黒い悪魔のような魔装グリモローブディモスの姿が、そこに顕現した。ところどころ装甲が継ぎ当てられているが、其れが却って歴戦の凄みを醸し出している。もっとも、それを成したのは今の乗り手真織では無いのだが。

 正面の表示板に外の光景が映し出されると、そこには何本もの吸盤付きの触手と、それを生やした巨大な頭のようなものが見える。

 船の側面から船底を回って甲板にまで、その触手の先は絡みついていて、ガイトのパラダインは船の側面の触手に、幾度も槍杖ランサーロッドで斬撃を加えているようだ。

 雲の向こうの頭のような影は、真織の目には蛸のようにも烏賊のようにも見え、彼女は思わず呟く。

「……おいしそう」

『信じられない感想です、マオ』

「日本生まれなんだからしょうがない」

 そんな話をしながらテューポーン号の甲板に着地したディモスは、両手を雲域の主に向ける。

「それじゃ、勝負してみよう。喰うか、喰われるか!」

『だからその、喰わないで下さい』

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