17.希望を捨てるのはまだ早いよ

 真織たちが学生寮に戻った頃には、天陽はすっかり島の裏側に在った。早速寮母さんに一声かけてから、調理場に向かう。

「そういえば、チャームちゃん、カレー好きなんだねぇ」

「うん! むかぁしね、村のみんなで作ったことがあってぇ」

「皆でわいわい作るのにいいよね、カレーって」

「え、マオってそういうの参加したことあるの?」

「……家族でとか、学校行事とかはあるってば、流石に」

 嫌味でもなんでもなく素で疑問を投げかけたアイラの様子に、少しだけ心が痛んだ真織が説明すると、アイラはどうにか納得したようだった。

 がやがやと調理場に入り、学生鞄は片隅にまとめて置いて、それぞれ要していたエプロンと三角巾を着用する。

「それじゃ、チャームもエプロン取ってくるー!」

「あ、別にチャームさんは食べるだけでも」

 アイラがそう呼び止めた時には、チャームは既に調理場から出て行ってしまっていたので、そのまま調理を進める事にする。

 手始めに玉葱を切り始めたエウルだったが、細く刻む前に大きく切り分けた段階で顔がぐしゃぐしゃになってしまった。

「ぅぅ、玉葱って、やっぱり染みるねぇ……」

「あ、代わろうかエウル。ちょっと思いついた」

 真織はそういって自分の鞄から風の魔導書を取り出すと、まな板の周囲に風の障壁エアシールドを低出力で発生させた。

「ようするに玉葱を切った時に出る物質をどうにかすれば良いわけだから、こうやって飛ばないようにしちゃえば」

 と真織は、障壁の中に手を突っ込んで、包丁でトントンと玉葱を刻み始める。真織の想定通り、目や鼻に染みることも無く、すんなりと処理できたので、一先ずそれはボウルに移してラップを被せて置いておく。

「……魔法をそんな使い方する人、初めて見たわよ」

「調理場に魔導書グリモア持ち込む人居ないだろうしね。でも巻物スクロール使った調理用魔道具って結構あるし……風の障壁エアシールド巻物スクロールを仕込んだまな板……特許とか取れないかな」

「兄様に聞いとくわ」

 思いつきから真剣に商品化を考えはじめる真織と、呆れたものか感心したものか、といった様子のアイラ。

その一方で、エウルは四人の学生鞄の置いてある片隅に、鼻をすすりながら治癒の魔導書を取りに行く。鼻をかんで顔を洗っても、玉葱の影響がしばらく残るので、解毒魔法が応用できるのではと考えたのだ。

 滲む視界で手近な鞄を手繰り寄せ、その蓋を上げると治癒の魔導書のがぼんやりと目に入ったので、手にとって魔法を発動する。

 目と鼻がさっぱりしたところで気づいたのは、今開けたのとは違う鞄にお守りハピラビがついていた事と、今使った魔導書がだった事。

「……ぁ! これチャームちゃんのかば……ん……」

 先日魔導書を交換した事を思い出して、製品本を鞄に戻そうとして、もう一冊、インナーバッグからはみ出した、病葉の如き赤褐色の魔導書の背表紙それを見つけた。見つけてしまった。

 その瞬間、エウルは衝撃を受けた。浮かんでは消える感情や疑問が渦巻きぶつかり合い、しかしその波は、エウルの思考を押し流していく。


 これがあれば。

 でも、これは恐ろしいもの。

 これをどうしてチャームちゃんが?

 どうしよう。どうすれば。

 でも。


 これがあれば。

 これさえあれば。


「あれ、エウルー?」

「部屋に、忘れ物かしら?」

 エウルは気がつけば、チャームの鞄を抱えて寮の外に飛び出していた。


 真織とアイラが、エウルがチャームの鞄を持ち去ったらしい事を泣きそうな顔のチャームから告げられたのは、その数分の後の事だった。


「アイラ、箒貸して」

 黒木真織はそう言って、学生寮玄関付近のロッカーに仕舞ってあった空飛ぶ箒フライングブルームを取り出し、外に出る。

「どうするつもりなの、マオ?」

「行き先には……心当たりがある。私の雑な推理が、当たってればだけど」

「……雑なの?」

 真織はアイラの後ろで思い詰めた顔をしているチャームにちらりと視線を向けてから、苦笑した。

「雑だよ。でも、アイラの直感的にはどう? 私の推理、当たってると思う?」

 アイラは一瞬目を丸くしてから、此方も苦笑する。

「多分、当たってるんじゃないかしら?」

「それなら安心……でも無いんだけど。私の考えてること、笑い事じゃないから。……チャットで纏めて送るね」

「私も行かなくて大丈夫?」

「どっちかって言うと、かな」

「分かったわ。気をつけて」

「うん。アイラも」

 真織はそう言ってひらりと箒に跨ると、夜闇の中に彩りの雲が煌めく空へと、舞い上がっていった。



 先刻、チャーム・ティアドロップが向かっていたのは恐らく歓楽街。

 注意喚起のあった殺人事件が起きているのも歓楽街。

 事件は、ロサノアールの二人が来てから起きている。

 事件には魔法が使われたと言うが、どんな魔法かは伏せられている。

 

 エウル・セプテムは、ある病気の患者を救いたがっていた。

 そして禁書を使った治療法が使えるかもしれないと言っていた。


 其々の事柄は点でしか無い。しかし、エウル・セプテムの、あまりにも突飛な行動が、黒木真織の中でそれらを結びつけていた。

 彼女らしいかと言えばそう言える。お守りハピラビの時もそうだった。彼女は、大事に思う何かの為に、自身も含めたその他の事が見えなくなる所がある。

 それ故に、その行動は素直シンプルなものとなる。


「……居た」


 真織が上空から、その道筋を視線で辿ると、学生寮からそこへ至る路地を、エウル・セプテムは走っていた。



 エウル・セプテムはチャームの学生鞄を胸に抱えて、夜道を走っていた。

 行き先は商店街でも歓楽街でもない。通り抜けるのは閑静な住宅街。人の通りはさほど多くない。

 何故、箒を持ってこなかったのだろうか。

 それを手にした瞬間、衝動的に行き先が決まり、そして行き先が決まったときに選んだのは、いつもの歩き慣れた道だった。

 歩き慣れているその筈だったが、夜の道はガラリと印象が変わる。神秘マナの雲が放つ微弱な光で道の形は判るが、何者かが潜んでいそうな夜闇と、自身の行動に対する恐れが、エウルの精神を削り取っていく。

 その矢先。道の先に、白い人影を見つけた。

 凛とした白い軍服に、風にたなびく紫金の髪が美しいその女傑は、背に槍杖ランサースタッフを背負い、腕を組み、仁王立ちでエウルの行く手を阻むように立っていた。

「女子学生が夜道の一人歩きとは、感心できないな、エウル・セプテム」

「ぁ……ツンドラ、隊長……」

 ツンドラに呼び止められては、エウルも走る速度を緩め、立ち止まるしか無かった。見据えるツンドラが見据えると、エウルの視線が泳ぐ。

「えと、どうして、こちらに……?」

「白槍隊本部はこの近くだからな。巡回パトロールがてら、風に当たっていた」

 大人ツンドラは息をするように嘘を吐く。魔法通信端末マナフォンを使い、アイラ経由で、真織からの話は全て伝えられていた。それ故、エウルが通るであろう道で待ち構えていたのだ。

「君こそ、どうしてこんな所を出歩いている」

「えと、病院に忘れ物を、してしまっていて……」

 対して嘘を上手く吐き通せないエウルは、震える声で、そう答えた。


 エウルの背後で、風が吹いた。

 振り向くと箒に乗った黒木真織が降り立つところだった。

 足が地面につくと、箒は左の腕に抱えて、エウルの方に早足で歩きながら、真織は口を開いた。


「御協力、ありがとうございます、ツンドラさん」

「おお、待っていたぞ黒木真織。本当なのか、彼女が――『死滅の魔導書グリモア』を持っているというのは」


 その言葉がツンドラから出た瞬間、エウルの肩がビクリと跳ねる。

「多分、ですけど。エウルがこんなに必死になる理由、今だとそうじゃないかって」

 動きを止めるエウルを後目に、真織とツンドラは淡々と話を進める。

「マオちゃん……どう、して……」

 エウルの目に涙が滲む。シックを救いたいその気持ちを、真織は知っていてくれていると、そう思っていた。それなのに、どうしてこのような事をするのか。

「エウル……」

 真織は困ったように眉を下げた。彼女を止めなければいけないが、何から伝えて良いものか、言葉がつかえた。

 少し迷い、目をそらして指で前髪を弄ってから、手をエウルに向けて伸ばす。

 鞄を取られると思ったエウルは、守るように抱えた鞄を強く身体に寄せるが、次の瞬間。

 むにり、とエウルの頬が真織の指に摘まれて、引っ張られていた。


「!? はにふうお、まおひゃん!?」

「いや、エウルのほっぺた柔らかそうだし、一回やってみたくて」

 そうしれっと口にしてから、手を離し、頬を膨らすエウルの眼鏡の奥を、穏やかに見つめる。

「……エウルだから、かな」

「え……」

 目を丸くするエウルの前に、真織は指を一本立てて見せる。

「先ず、その鞄に例の魔導書が入ってるんじゃないかって思った。その『どうして』は、持って行ったのがエウルだったから。エウルはただの意地悪や悪戯でそんな事しないでしょ」

「でも、だったら」

「何でエウルを邪魔するのか、っていう『どうして』も」

 真織はエウルの目前で立てる指を一本増やす。

「エウルだからだよ。知らない人なら使って捕まって罰を受けても、自業自得としか思わないし」

「で……でも、これがあればシックくんが助けられるんだよ! 『送り手』だって、辞めてくれるかもしれない!」

「それでエウルは、白槍隊ホワイトランサーズに入る夢が叶えられなくなる。他の将来だって、沢山の選択肢をなくしちゃう事になる。禁書の使用は、それくらいの重い罪だって聞いた」

「そんなの、人の生命いのちに比べたら……!」

「比べられる物じゃないよ。それに、それでその人を助けてさ、その人はエウルの背負った罪に、何も気にせず生きていける薄情者なのかな。エウルの話の印象だと、違うように思うけど」

「それは……」

「その上で、私もアイラも多分後悔するよ。止められなかった、って。ツンドラさんだって、エウルに期待してて……そういうのを自分だけじゃなく誰かに背負わせて」

 真織は手を引っ込め、緩く笑って自身の頬を掻く。


「エウルが平気な顔してられると、思えないんだよね」


 その笑顔に、エウルを支配していた焦燥感が溶けていくような気がした。

「……かなわないなぁ、マオちゃんには」

「それはお互い様だよ」

 エウルは脱力して肩を落とし、真織は苦笑いで肩をすくめる。

 黙って見守っていたツンドラはエウルに歩み寄り、ぽん、と低い位置にある頭に掌を乗せた。

「落ち着いたか。……私としても、未来ある白槍隊員候補に、そういう形でリタイアされるのは避けたい。君が『死滅の魔導書グリモア』を持っているなら、渡して欲しい」

「……はい、すみませんでした……」

 エウルが申し訳無さそうに鞄をツンドラに差し出すと、ツンドラはそこから魔導書を取り出した。

 その表紙を見て何か気づいたようで、真織はツンドラにこんな提案をする。

「あの、ツンドラさん。封印処理した後で良いんですけど、魔導書グリモア、後で学園長さんに分析お願いしてもらっても良いでしょうか」

「それは構わないが……どういう目的だ?」

「今はまだ、私の勘でしかないんですけど、もしかすると」

 ちらりと、エウルを見ると、緑髪の少女は不思議そうな視線を眼鏡の奥から投げ返してくる。

 真織はそれに対して、にやと笑って言った。


希望のぞみを捨てるのはまだ早いよ、ってね」

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