9.何なの、この恥ずかしいの

(友達っていう、引紐リード……)

 差し出された白い掌を見て。じりじりと焼き焦がすように見据える赤い瞳を見て。圧力を放つ豪奢な金の巻き髪を見て。

 エウルはまさに、真織の語ったその話を思い出していた。

 今のクラスになった時に、マリィは右隣で、パティは前の席で。それだけの理由で声をかけて「友達」になった。左隣と後ろは男子で声をかけづらかったけれど。

 受け容れてくれたからと、何も考えずにその引紐リードを繋げて、仲良くなったのだと思い込んでいた。マリィは魔導書の解釈に行き詰った時に面倒を見てくれて嬉しかったし、パティは魔導書に関しては天才肌で参考にならなかったけれどノリが軽くて、二人とも話をしていて楽しかった。

 エウルはそのお返しがしたくて、二人の為に頑張ったつもりだった。けれど失敗も多くて、自己嫌悪して、自信を失って、委縮して。いつの間にか友達として対等な関係ではなくなっていた気がする。

引紐リードを強く引かれるって、こういう事……?)

『強く引かれても、動じない』

 不意に、真織の語った、アイラの教えが脳裏を過った。それが、エウルの次の言葉を、決定した。

「……これは、私のお誕生日プレゼントだから駄目だよ、マリィちゃん。同じのが欲しいなら、お母さんに頼んでみる、から」

「それでなくては意味がありませんの。エウルさんはわたくしが何者か、お忘れ? パティさんならご存じでしょう?」

「マリマリ……いやさ、豪商ゴールド家ご令嬢、マリィ・ゴールドさんっスね」

「そう、ただ品物が欲しいならエウルさんの手を煩わせる必要もないのですわ」

 マリィの左手が、黄色い魔導書に伸びる。魔法を使う気だと、すぐに分かった。

「あなたが大事にしているでなければ、友情の証にはならないでしょう?」

『それでも強く引かれたら、切ってしまっても構わない』

 マリィの言葉と、真織の言葉が、重なって聞こえた。エウルの強い叫びは、《どちらに対してのものだったろうか》。

「駄目っ!!」

 刹那、マリィが静かに放った「地揺らし」の魔法。エウルの足元がぐらつき、バランスを崩す。鞄を強く抱きしめ、一歩退き踏み止まろうとするが、その反動で鞄から跳ね上がったお守りハピラビを、走りこんできたパティが奪おうとする。

「もらっ……たぁりゃ……?」

 その手元が狂った。悪ノリして身体強化を発動していたのも良くなかった。

 引っかかった指先が、それを鞄に留めていた細い鎖を引きちぎり、小さなウサギは宙に舞った。


 エウルにはもはや他の何も見えなくなっていた。それを失った鞄をその場に投げ捨て、二人に背を向け、それが飛んで行った先へ滑り込んだ。

 手を伸ばし、それを何とか掴みとり、そのまま体ごと落ちていく。


 ――川の中へ、吸い込まれるように。


「エウルさん!?」

「エウルっち!?」

 ざばっと水の跳ねた音に、マリィとパティは同時に叫び、思わず川に駆け寄る。川の流れは速く、既に眼鏡の少女は結構な距離を流されていた。

「パティさん、いくらなんでも、これはやりすぎですわ!」

「いや手が滑って……って、マリマリに言われたくねえっス!」

 言い合いながら、己の箒を取り出そうと荷物の元へ駆け寄る二人の間を、何かの影が一陣の強風かぜを伴い、吹き抜けていった。



「黒木さん、操作、代わって!」

「ちょ、ちょっと待って、氷川さん……!」

 激流の上すれすれを、練習用の箒は猛スピードで疾駆する。

 真織とアイラは箒一本しかなかったため、練習と操作補助も兼ねて河原に向かって二人乗りしていたところ、何やら様子のおかしいエウル達三人の姿が見えた。

 そこに箒を向けた矢先、エウルが川に飛び込んだのが見えたので、慌てて加速したのだ。

 二人とも鞄を肩にかけたままで、バランスが悪い。とはいえ、それには大事な魔導書も入っているため、川の上で投げ捨てるわけにもいかなかった。

 そもそも二人乗り用ではないので基本乗りにくいし、まして真織は初心者だ。この状況では確かに、アイラに任せた方が安定しそうだ。

「こうして、と……氷川さん、お願い!」

「ええ、任せなさい!」

 黒木真織は箒の先端を抱えるようにして、アイラの視界の邪魔にならないよう身を伏せ、顔だけ見えているエウルの方に手を伸ばす。アイラは周囲の神秘マナを収束して箒に送り込み、その速度を器用に調節していた。

 エウル・セプテムは目を瞑っていた。流れが強くて、開けていられなかった。

 しかし、大事なものをその手の中に取り戻した実感があって、安堵した。

 次に、うまく呼吸ができなくて、恐怖した。その激しい水音の間に、声が聞こえた。

「セプテムさん、手を伸ばして!」

 聞こえてきた声の方向に、握りしめた物を掲げるように、腕を伸ばす。

 水面から出された腕を目がけた真織の手は、一度は空を掴み、二度目は波を掴むことになったが、三度目の正直。大切なものを握ったままのその腕を、確りと掴み上げた。

「掴んだ!」

「よし、高度を上げて一気に、ってぇええええええ!?」

 アイラは箒の操作をする際に、川面に対する高度とエウルとの位置関係を注視していた。つまり、前方の把握が不十分だった。

 気づいたとき、目と鼻の先には落下防止の魔法の網ネットがあった。しかしこの網、人体や大きなゴミが河口から放出されるのを防ぐだけの背の低い物であるから、エウルを川面から引き抜き高度を上げれば、何の妨げにもならない。

 加えて、新たに一人分の重量が加わったことにより、箒は限界を迎え制御を失いつつあった。

 かくして三人は、哀れ空中分解する箒と共に、神秘マナの嵐が吹き荒れる、島の重力圏より外へ投げ出されたかに見えた。


「……しょうがないな……ディモスー」

 真織が鞄を抱えてやる気なさげに呼びかけると、空中に黒い扉が開かれる。その中に、三人の少女が箒の残骸と共に転がり込んだ。

魔導書グリモア確認。魔導書管理端末、起動します。――何ですか、騒がしい』

「いたたたた……ごめんね、イヴ。緊急で」

 飛び込んだ勢いで座席の背もたれに顔面を打ち付けた真織は鼻を抑えながら、現れた書庫の妖精の言葉に答える。

魔導書グリモアの所持者はあなたです。ディモスを使うのは自由ですが』

「っ……けほ、けほ……! っふぇ? 何だろ、ここ?」

「……ディモスの中、ってこと……?」

 エウルはずぶ濡れで咳き込みながら、アイラは呆けた顔で、それぞれ周囲を見渡している。その二人を見て、イヴは尋ねた。

『この、マオと同じ服を着た小娘達は、一体誰ですか』

「「…………?」」

 同じところに反応した二人に気づかず、真織はイヴに二人を紹介する。

「アイラ・グラキエースさんと、エウル・セプテムさん。私の同級生だよ」

『そうですか。私はイヴ。魔装グリモローブディモスの書庫管理妖精です。マオがお世話になっております』

「「いえいえ、こちらこそ」」

「イヴ、お母さんじゃないんだから。二人も何、それ」

 挨拶を交わす三人にツッコミを入れる真織に対し、口を尖らせて言葉を発したのは、アイラだった。

「それより、? どうしてこの妖精さんに対しては、名前を呼び捨てにしているのかしら?」

「ちょ、待って、今そっち、っていうか、マオって」

「確か私には、馴れ馴れしい感じがするー、とか言ってたかしら?」

『単純に、私とマオは付き合いが古いからかと』

「そ、そうそう、何せ小さい頃からだし……氷川さん?」

 真織に詰め寄るアイラに、イヴが入れたフォローは全くフォローになっていないようだった。

「……ア・イ・ラ」

 静かに笑顔を向けて、一音ずつ。発する圧は、言い直せ、と言わんばかり。

「あ……」


「あい、ら」

 と、つっかえながら、目を逸しながら、そう呼んでみる。


「……はい、大変よろしい♪」

 と満足げににこにことしたアイラに、ぐったりと脱力する真織。

「わあ、アイラちゃんとマオちゃん、仲良しでいいなぁ!」

 とエウルははしゃぐ。

 エウル・セプテムは生命の危機を脱したからか、おかしなテンションになっていた。未だずぶ濡れだというのに、それを気にした様子もなく、アイラの方に向き直って真剣な顔つきで礼を述べた。

「あっ、すみません、お嬢様。助けて頂いて、それにマオちゃんとの件でも、ありがとうございました!」

 ずびっと鼻水を啜りながらなので、どうにも締まらないが。

「ふふ、いいのよ。私はマオの手助けしただけだし」

「つきましては、私も、アイラちゃんって呼んで、良いでしょうか?」

「前から皆にそう言ってるわよ? 敬語もいらないわ、エウル」

 アイラがそう片目を瞑って見せると、エウルは諸手を上げて喜んで、その勢いをそのままに、真織の方に向かう。

「やったー! そしたら、マオちゃん、私も私も♪」

「もう……えーうーるー! 何なの、この恥ずかしいの! ちょ、ずぶ濡れで引っつくな!」

 やけくそになって、叫ぶ真織に、アイラとエウルが笑う。


『あの……皆さん、仲が良いのは結構ですが。私を無視しないで頂けますか』

 一方、操縦席の片隅では、妖精が拗ね始めたのだった。



 マリィとパティは自分の箒を持って河川上を追いかけてきていたが、魔法の網ネットの手前で踏み止まっていた。 

「……お嬢様もエウルっちも、みんな落ちちゃったっスよ……」

 二人の顔面は蒼白になっていた。学園の生徒が島の外に投げ出されたとなれば大問題だ。原因が追究されれば、彼女らは確実に何らかの処分の対象となるだろうが、そんな事よりも。

「……白槍隊ホワイトランサーズに救助をお願いしましょう。わたくし達が学園を去ることになっても、エウルさんの命だけは」

 二人はそう頷きあって、街に急ごうとしたその刹那。

 落下する川の流れの先から、黒いものがごう、と浮上した。

「何事、ですの!? 魔装グリモローブ!?」

「あ、あれ、じゃないっスか!? 先週、送り手をやっつけたっていう!」

 見上げた先には、捻じれた二本角と翼を持った、悪魔のような魔装グリモローブが浮上していた。その双眸がマリィたちを見下ろすと、声が響いた。

『……来てたんだ。エウルは、無事だよ』

「この声、転校生が乗ってるっスか……?」

『丁度いいや。……謝る気があるなら、向こう戻ろっか』

「ええ……ええ、勿論ですわ」

 真織の声に、二人は大きく「了解」のジェスチャーを送ると、黒い魔装ディモスは川を遡り、茶会の準備をしていた広い河原に降着した。


 ディモスの背中の装甲が跳ね上がって、その下の鉄扉が内側から解放されると、最初にアイラが軽やかにそこから降り立ち、次にずぶ濡れのエウルが、アイラの手を借りて降りてくる。最後に真織が顔だけ出したところで、マリィとパティが追いついて、箒から降りるなりエウルに対して深く頭を下げるのだった。

「「ごめんなさい!」っス!」

「え? え?」

 謝罪があっても形式的なものではないか、と思っていたエウルは、目を丸くした。二人の目には、涙すら見える。先の辛辣な態度はどこへ行ったのか。

「……エウルっち、最近何か、空回りして小さくなってる感じがしてたっス。あんまり笑わなくなった気がしてたっス」

わたくし達の友人として堂々としていて欲しいのに、と、苛ついてしまって」

「それでその、嫌な当たり方してたっス。それじゃ余計小さくなっちゃうっスよね……」

「特に今日のは、謝って許されることではありません。許してくれなくても、嫌われても、学園の処分があっても……それを受け入れますわ」

「……そうね、私とエウルで報告を上げれば、何かの処分にはなるだろうけど」

 頭を下げたまま言葉を吐き出す二人に、アイラはそう告げてから、「どうする?」と、エウルに目配せをする。

「そっか……私、二人に追いつきたくって、二人の言う通り、空回りしてたんだよね、きっと」

「エウルさん……」

「エウルっちぃ……」

「でもさ、意地悪されたのは悲しかったし、簡単には許せないよ」

「「はい……」」

 眼鏡の奥の厳しい目で、自分に向けられた二人の頭頂部を睨む。――時折鼻水をすすりながら。

 しかし、やがてひとつ頷いて。

「うん……アイラちゃん。報告は無しで」

「? どういうこと?」

「だって私の知ってる二人だったら、どういうふうにするか、何かわかっちゃったもん」

 エウル以外は頭に疑問符を浮かべるが、エウルはにんまりと笑うばかりだった。



 エウルは、自分の手の中にあるものを確かめた。小さなウサギに抱えられた、緑の石が光る。

(……お母さん。このお守り、早速効果あったかも)

 自分の手で守った、真織とアイラが居たから守れたそれを、大事に、握りしめた。

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