3.これ、動かせるかな

 その空間は、大人が一人立って腕を振り回せる程度の大きさで、球に近い形状をしていた。

 その球の底面に固定された、装飾のない無機質な座席には、赤い式典服のようなものを纏った一人の青年が座っている。筋肉質な褐色の体躯に逆立った明るい茶髪が飾られ、太い眉と鋭い眼光も相まって剛毅な印象が強い。

 褐色肌の青年が、座席の背もたれから伸びたアームに接続された操作板タブレットに指先を触れさせると、その空間と外を隔てている球状の殻の一部、青年から見て正面側に、外の映像が映し出される。

 そこが表示板モニターになっているのだ。

「さて、ようやく暴れられるってわけだ」

『そうみたいだね。でもボイル……白槍隊ホワイトランサーズの主力は出払っているとはいえ、僕たちだけで大丈夫かな……?』

 一言で粗野な性格が伺える、獰猛さを含んだ青年の呟きに答えたのは、繊細さと神経質と気弱さが入り混じった少年の声だ。

 モニターの片隅に、その少年の映像が映っている。水色の髪の毛で、座席の青年とは対象的に、肌が白い。そして、喋らなければ美少女と言っても通用する程度に顔立ちが良かった。

「どうだろうなぁ……それなりの戦力は残してんだろうし」

『シックもボイルも、なーに二人して弱気になってんのよ』

 少年の映像の隣に表示されたのは、色が濃い目の肌と、短いツインテールに結わえたピンク色の髪が特徴的な少女の映像。

 彼女が、負けん気の強さを主張するような声で男二人の会話に割り込んだ。

『仮にあたしらがここで終わるとしても、その前に沢山いい話じゃないのよ』

『それは、そうだけどさ、ルイズ……』

「そうだなぁ、特にシックは踏ん張るところだよな」

『そんな、ボイルまで……』

 悲鳴のような少年の声に、少女の声が怒鳴りつける。

『あぁもう、ウジウジしない! あたしらはその為にこの船に乗ってきたんでしょ! んでしょ!』

『……ごめん、そうだったね』

 シックと呼ばれた少年の声は、ようやく落ち着いたようだった。諦めたのか、腹を括ったのか、それはどちらとも取れる静かな声だった。

「そんじゃまぁ纏まったとこで、出撃すっか。……俺から出るぞ」

『うん、了解』

『こっちも、了解よ』

 その空間に振動が走ると、暗い紅色の爪先が表示板モニターの下方に見切れた。それがこの巨体と装甲をもった人型魔法機械が動き始めた瞬間であり、およそ球形の空間はその機械の操縦席であったのだ。

「ボイル・ブラッド、魔装グリモローブルブルム、出撃する!」

 操縦席に座する青年――ボイルが声を張り上げると、続く言葉にシックとルイズも唱和する。

『『「!!」』』



 アイラ・グラキエースと黒木真織が見上げる先、黒い魔法船マナシップの一部が開き、赤、紫、青の三体の金属質の巨人が降下する。

 その三体は背にある翼のようなマントのような装置を広げると、街に向かって加速した。

魔装グリモローブが三機……こんなときに……!」

 アイラの焦った態度から、あまり襲撃を受けたくないタイミングだというのは見て取れた。

(まあ、「こんなとき」だから来たんだろうけど)

 対照的に、真織はぼんやりそんな事を考えている。

 驚きや恐怖や焦りを感じていないわけではない。けれどそれに飲まれては、判断材料を見失い兼ねない。だから先ずじたばたせずに、状況把握を試みた。

「街を守る兵隊さんとか、居るんでしょ?」

「確かに居るけど、主力が出張中で手薄なのよ。……黒木さんごめんなさい、私は街の方見てくるから、ちょっと森の方に隠れててくれる?」

「そうだね、分かった」

 頷いた真織にポップコーンのカップを押し付けると、アイラは道なりに駆け出していく。魔法使いらしく箒で飛んだりしないのかな、と一瞬真織は思ったが、そういえば肝心の箒が無いのかとひとり納得して、その背中を見送った。

 現状の真織には対処できないの事態であるし、この世界にあまり干渉するのも良くない気がした。ならば精々己の身を守るというのが出来ることであろう。

 戻って石の扉を開けば恐らく元の世界に戻れるのだが、しかし眼の前の光景を見ぬふりというのも気が引けて、真織は中途半端にその場に留まり、成り行きを見守る事となった。

 青い機体の構えた長杖スタッフから、青白い光条が幾本か伸び、しかしそれらは全て街の上空で何か見えない屋根に当たったように弾けて掻き消える。

 そのうちに、白い甲冑の巨人が二機ほど街の方から飛び上がったのが見えた。

 先行していた赤い機体と紫の機体に、その白い機体は揃いの長槍を構えて衝突チャージを仕掛ける。赤い機体は長大な大剣で、紫の機体は両腕に備えられた鉤爪を交差させてそれを防ごうとするが、直撃は避けたものの勢いに負けたようで、紫の機体は地面に叩き落とされてしまう。

「あ……っ」

 落下する先を見て、真織は思わず声を上げた。

 紫の巨体が落下したのは、道を駆けていたところで危険を察して飛び退いたアイラの、その眼前だったのだ。

 知り合ったばかりの同級生が押し潰されずに済んで胸を撫で下ろす真織だったが、しかし。

 身を起こす紫の機体のその双眸が、少女の姿を捉えた。そのように見えたのだ。


「いったぁー……! これじゃ、街に近づけやしない!」

 ルイズ・ココが操縦席でピンクの髪を振り乱しながら、背中から地面に激突した魔装グリモローブプルプラの機体を起こそうと操作する。

『ルイズ! 大丈夫!?』

「ぁーダイジョブダイジョブ。シックは本当、心配性なんだから」

 通信機にぼやきながら地に機体の掌をつかせ、上体を起こしたところで、表示板の片隅に、紺の服に身を包んだ銀髪の少女アイラ・グラキエースの姿が見えた。

「……? 人?」

『どうした、ルイズ! 早く戻ってこい!』

 赤い機体ルブルム青い機体カエルラを護るように立ち回っているが、接近戦であるため二対一という状況となって防戦一方。遠距離型のカエルラは長杖スタッフによる攻撃魔法の照準を定めかねていて、主に槍の攻撃を集中して受け止めているルブルムの乗り手ボイルは、苛立った声で呼びかけた。

 が、ルイズは嬉しそうに手を叩くと、通信機に返答にもなっていない応答をする。

「ねえ、人だ、人がいる! 街の外、のこのこ出歩いちゃってるよ!」

『えぇ、本当?』

「制服みたいなの着てさぁ、もしかしてここの魔法学園の生徒かな?」

『ぁー、って事は、だ』

 ボイルは二本の白い槍を捌きながらも、そして少し考えて、後背のカエルラに指示を送った。

『……よし、シック! お前がそいつを!』

『でもそれじゃボイルが……』

「そっちはあたしが加勢する! あんたは早く降りてこい!」

 翔び上がるプルプラと入れ替わるように、いくつか青白い光弾が落ちてくる。それらはアイラの行く手を阻むように、或いは退路を断つように着弾し、アイラは衝撃や爆風に煽られながら、どうにか器用に躱して、毒づいた。

「ちょっと、私、標的ターゲットにされてる……!? 勘弁してよ!」


 経過を眺めていた真織はといえば、手近な木陰に身を潜め、ポップコーンのカップを傍らに置き、そして自分の鞄の中から、いつもそこに入れている分厚い書物を取り出した。

 黒い表紙をひと撫でして、しばし目を瞑る。

「……これは、何ていうか。しょうがないよね」

 溜息を吐くと薄目を開けて、躊躇いがちに書物の表紙をめくる。

 その中身は日本語どころか地球上に存在するどの言語でもないのに、何故かその内容が真織には理解できた。この世界にいる間は、そういう事ができるのだ。

 真織が十分に解釈できている部分はまだ決して多くない。しかし、理解している事がいくつかあった。

 この書物は「魔導書グリモア」。

 混沌カオスより零れた神秘マナに己の意志で形を与え、秩序コスモスたる事物を発現させる為の古の書物。真織が望むのはその力の一端。

「この本、使わせてもらうね、デイヴォ」


 思い描くのは扉。――


 眼前に現れた扉に手を触れ、潜り抜けると、真織は球形の空間に入り込んでいた。

 中央に玉座のように据えられた座席のひじ掛けには操縦桿、座席正面には操作盤も兼ねた台座が置かれている。つまり先ほど空中で攻防を繰り広げていた巨人達と同じ魔装ものの操縦席ということだ。

 真織はそれを識っている。台座に魔導書を置き、そして操縦席に深く腰を下ろす。

魔導書グリモア確認。魔導書管理端末、起動します。――誰ですか、あなたは』

 あまりやる気を感じられない平坦な読み上げの後、正面の壁面からすり抜けるように少女が現れた。

 その黒い髪は首元までのナチュラルボブ。前髪は目の上で切り揃えられている。クラシカルなメイド服のような物を纏っているが、ただし、その身長は真織の前腕部ほどで、背中からはクロアゲハを想起させるはねが広がる。

 そのの少女が、眠たそうな半眼で、真織を見下ろした。

「久しぶり、アーちゃん」

『その呼び名を許可した覚えはありませんが。マオですか』

 その妖精は表情を一切崩さないが、不愉快そうな言葉とのギャップが面白いのか、真織は少し微笑んで頷く。

「うん、デイヴォじゃなくて、ごめんね」

『私はこの機体の書庫アーカイヴ管理妖精。誰であろうと魔導書グリモアにより認定された魔法使いメイガスであれば問題ありません』

 そう言って、妖精は書物の表紙に降り立ち、目を瞑る。真織は彼女の言葉に何か思い出したようで、ぽん、と手を打った。

「そっか、結局書庫アーカイヴのイヴちゃん、てなったんだっけ」

『ちゃん付けは不要とも言いました。ともかく、この魔導書グリモアは正式にあなたへの譲渡が行われていますね』

「ならよかった。デイヴォってあれで、律儀なとこあるよね」

『……マオの語彙力の飛躍的上昇を確認。あれからどれ程経ちましたか』

「えーと、私の世界で多分、八年くらい?」

『なるほど、私との身長差が随分開いてしまったのも頷けます。ずっと眠っていたので実感はありませんが……』

「じゃなくって、イヴ」

 うっかり花を咲かせそうになった昔話のつぼみを慌てて握りつぶすように、真織は妖精イヴの言葉を遮る。

機体これ、動かせるかな。ちょっと緊急なんだ」

『勿論です。そういう事態も予期していたからこそ、デイヴォは魔導書グリモアを譲渡したのでしょう。――機体起動処理セットアップ完了』

 イヴが静かに目を開くと、魔導書の文字、操作盤、座席正面の表示板モニターと、次々に光が宿っていく。

 その巨体の脈動のような震えが、座席越しに真織に伝わる。


魔装グリモローブディモスは今より、あなたの魔導書グリモア、そして法衣ローブとなります』

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