第33話

8-6


「設計図はこんなもんだな」

ヴァルトルーデは製図を引いた。

手慣れたもので、ものの数分で作っている。

「あとは建設だ」

「アルスターの鍛冶屋と大工に頼んであるよ」

「うん、助かる」

ブリジットとヴァルトルーデはうなずきあった。


建設が開始され、ドックが作られてゆく。

完成を確認してから、ヴァルトルーデはエリン船に乗ってフロストランドへ帰って行った。

金属船がエリンに導入されてから数年。

鉄道が走り、修理ドックが出来上がり、また続けて燃料製造設備を作るくらいにまでなった。

金は掛かるが、将来を見据えた投資だ。

後で必ず帰ってくる。

そう信じているからこそ、頑張れるのだ。



秋が来ると深刻な事態になった。

春小麦が驚異的な不作だったのである。


「……小麦が不作だ」

「長雨による気温の低下が原因だな」

「あと日照時間の不足な」

ダブリンとダーヒーが話している。

楽しそうなのが何とも言えない。

「不謹慎だな、おまえら」

ブリジットは不機嫌な顔をしている。

なに気に小麦製品が好きなようだった。

「クソー、小麦が高騰して食べれなくなるじゃねーか」

ブリジットがテーブルをガンガン叩いた。

暴れん坊である。

「じゃあ、オーツ麦を食べればいいじゃない!」

ダブリンが言った。

「オーツ麦は苦手なんだよぉっ」

ブリジットが喚き散らす。

「オーツ麦も不作だよ、バカぢゃないの?」

コルムがジト目で言った。

「クッソー」

「言葉が汚いですね」

「そんなことより、燃料製造設備の話を…」

ダーヒーが建設的意見を言った。

「そうだな」

「あ、諦めた」

「ジタバタしてもしかたねーじゃん」

ブリジットはフンと鼻を鳴らす。

「今さっきジタバタしてた人のセリフじゃないよな」

ダブリンがつぶやく。

「何か言ったか?」

拳銃を握りながら、ブリジット。

「いえ、なーんにも…」

ダブリンはそっぽを向いた。

「皆さん、漫才はそこまでにして、本題にはいりましょう」

マルティナが突っ込んだ。

「いや、漫才じゃないし…」

「普通の会話ですよ…」

ブリジットとダブリンは小声で言った。

「いよいよ、燃料製造設備の建設に取りかかる訳ですが…」

マルティナは慣れたもので、さっさと本題を話し出す。


大体のところは決まっているので、細かな部分を話して終了になった。



ダーヒーは自室の鉢植えを見た。

あちらの世界からもらってきたジャガイモを植えていた。

既に順調に種芋を増やしていて、畑にも植えている。

ダーヒーはエリン東部の出身で、その多くは農地を耕すことで成り立っている。

名士の家柄とはいえ、畑仕事をする機会は多く、作物の知識は結構あった。

後は収穫待ちである。

「船団長には隠れてやってしまったけど、こんな事態のためだ」

ダーヒーはつぶやいた。


ジャガイモは実際、ヨーロッパの食糧事情を変えた。

プロイセンの食糧事情改革、アイルランドの食糧危機などなど、枚挙に暇がない。

ジャガイモは、トウモロコシなどとともに世の食糧事情を救ってきたと言ってよい。

小麦が不作である今こそ、ジャガイモが威力を発揮する。


「船団長、ちょっとお話が…」

ダーヒーはブリジットを訪ねた。

「ん、なんだ?」

ブリジットは、いつもの麻袋をバックドロップする運動をしていた。

「はい、小麦のことで」

「そっか、じゃあ部屋に行こう」

「はい」


場所を変えて、話をする。

「…なんだと!?」

ブリジットは驚いていた。

「船団長には隠してましたが、実はジャガイモをもらってきてました」

「……はあ、仕方ないな」

ブリジットは言った。

「持ってきてしまったものをとやかく言っても始まらないしな」

「というか、こんな事態のために芋を増やしてきました」

ダーヒーは説明を続ける。

「小麦が不作で食糧が不足する時を見越して、ね」

「ふん、先見の明ってヤツか」

ブリジットは鼻を鳴らす。

褒めているつもりらしかった。

「1つの種芋を植えて収穫して10倍、

 また植えて収穫して100倍、

 また収穫して1000倍っていう風に増やしてきました。

 農民には高く買い取ることを約束して植えてもらってます」

「エリン全体に行き渡る量なのか?」

「そこまではムリですが、供給地域を限定して小麦の不足分を補うだけなら」

「しかし、こちらの世界の者はジャガイモなんて食べたことがないだろ」

「そうでしょうね。でも、窮したら話は違ってきます」

ダーヒーは言った。

「それに、農家には試食してもらっています。反応はまあまあですね」

「お、やるなぁ」

「ジャガイモは慣れれば旨いですからね」

「ふーん、これは切り札になるかもな」

ブリジットはニヤリと笑った。



スティーブンはテーブルの上に拳銃を置いた。

横流し品である。

「拳銃というのはかなり小さいな」

ライアンはもの珍しげに見ている。

マスケットしか知らない彼らにとっては、このサイズは驚きなのだった。

「これは一発装填式だそうです」

スティーブンは説明する。

「フロストランドには6連発式の拳銃も存在するとか」

「ふーん、構造が分らないから想像すらできんが、6発も撃てるのは強みだな」

ライアンは腕組みしている。

「ですが、6連発式の現物は入手できませんでした」

スティーブンは言って、うなだれた。

「まあいい、とにかく拳銃を鉄砲鍛冶に見せて作らせよう」

「はい」


一発装填式拳銃の複製品はすぐにできあがった。

フリントロック式マスケットと同じ機構なので、前方から弾込めする。

銃口を下向きにできないのは同じだ。

前方弾込め式のマスケット全般に共通するのは、構えたまま弾込めができないことである。


後込め式の銃は構えたまま弾込めができる。

そして、それは伏せ撃ちが可能になるということだ。


ライアンたちは想像することすらできなかったが、6連発式拳銃はシリンダーの形状のせいで前方弾込め式になるので、構えたまま弾込めするのは至難の業だ。


「マスケットが小さくなっただけだな」

ライアンは拳銃の実物を見ながら言った。

「6連発銃の方はどうだ?」

「まだ入手できてません」

ベンが頭を振った。

「聞くところによると、パーカッションロック式マスケットと同じ仕組みだそうです」

スティーブンが言った。

「パーカッションロック式は、フロストランドやメルクでは既に正式装備だとか」

「最新式だな、あれは高いのだ」

ライアンは腕組みをしている。

「メルクは元々、一都市だけの防衛しかしないからな。正式装備にしても費用はたかが知れている」

「対する我らは防衛する領土が広すぎる」

ベンが比較的冷静に分析している。

「費用がバカにならん。

 それにフロストランドとの関係はよくないからな。購入は難しい」

ライアンがうなずいた。


先のメルク戦でも、ウィルヘルムはパーカッションロック式の登場で躓いている。

パーカッション、信管を作るには雷汞が不可欠だ。

目下、雷汞はフロストランドにしか作れない。

ウィルヘルムがどんなに金を注ぎ込んでも、雷汞を作ることが出来ない。


「我らは、新しい技術をいち早く取り入れる事ができない」

ライアンはポツリと言った。

「取り残される可能性がありますね」

スティーブンが言った。

直接的に質問しているのだった。

「それでも、一度選んでしまったからには続けなければならない」

ライアンはため息混じりに答える。

「分っていても変えられない事はあるんだ」

「そういうものです」

ベンはうなずいている。

「……」

スティーブンは黙っている。



小麦の不作は小麦粉の高騰を招いた。

相場が例年の10倍ちかくまで高くなった。

小麦粉の数量が限られているため、金を出しても入手できないということが発生した。

小麦販売業者はボロ儲けである。


この不作は、エリンだけでなく、ウィルヘルム、プロトガリア全域において共通のものだった。

帝国などの地域から輸入することは可能だが、輸送費がかかるため最終的な価格はそれほど変わらない。

向こうの商人も足元を見てきて、価格をつり上げてきている。


ウィルヘルムは帝国とのパイプを通じて小麦を買いあさった。

強引に買い集めたため、他の地域の分はほとんど残らなかった。


「……小麦粉が手に入らない」

リアムは青ざめている。

「どうしましょう?」

ブレナンが聞いた。

「うーん」

しかし何もアイディアがない。

「そういえば、東部で何か植えていると聞きましたな」

ギャラガーが何やら思い出した。

「なんて作物だったか…」

「ふーん、それは小麦の代わりになるのか?」

リアムは渋い顔をしている。

「オーツ麦を食べれば良いだろ」

「オーツ麦も不作です」

「なんだと?」

リアムは驚いている。

「おお、そうそう、ジャガイモとか言ったな」

ギャラガーがポンと手を打った。

「芋かい」

リアムはちょっとバカにしたような表情になった。

「芋だからといって、バカにはできませんよ」

ブレナンが、何やらピシッと眼鏡を直すかのような雰囲気で、言った。

「山岳地など小麦が育ちにくい土地では、芋が多く食べられていますし」

「それに、この先ずっと芋を…という訳ではなくて、小麦が不作の間だけでいいんですよ」

ギャラガーが言った。

「ふーん、短期間だけ、ということか」

リアムはまだ難しい顔。



「なんだかんだ言って、皆、ジャガイモを食べるようになってきたな」

ブリジットは、テーブルに並んだジャガイモ料理を眺めている。

「お嬢とオレは慣れてますからね」

ダブリンがジャガイモのフライをつまむ。

「お嬢って言うな。色々な料理を作って広めれば、もっとジャガイモが広まるだろ」

「そっすね」

ダブリンは麦茶をすする。

「またあっちに行ったらジャガイモ料理を教えてもらおう」

「あ、ちゃんと覚えてたんスね」

「最近、行ってねーけど、そろそろだろ」

ブリジットはあっけらかんとしている。

「まあ、そっスね」

ダブリンは立ち上がって、

「こんな風にドア開けたら…」

「ほむほむ」

ブリジットはジャガイモのフライを頬張りながら、ダブリンの後ろについてゆく。


次の瞬間、

ダブリンとブリジットは、見慣れた居間にいた。



『あ、久しぶり』

藍子が居間に入ってきて、言った。

『ちょっとは驚けよ』

『もう慣れたし』

ブリジットが言うと、藍子はさらっと答えた。

『ダブリンさん、こんちは』

『こんにちは』

『パピルス・マピルスの録画たまってるよ』

『お、ありがとうございます』

『あれから超展開なんだ』

『へー、楽しみッス』

藍子とダブリンは勝手に盛り上がっている。

『藍子、今回はジャガイモ料理を教えてもらおうと思ってね』

『え、あー、栽培、上手くいったんだ』

『お前だろ、ダーヒーにジャガイモ渡したの…』

ブリジットはジト目で藍子を見ている。

『へっへー』

藍子は悪びれもしない。

『ま、ジャガイモが役に立ったからいいけどさ』

『だろ、だろ?』

藍子はテンションが高い。

『テンション高いな』

『久しぶりにあんたらが来たからね』

『あーねー』

ダブリンが適当にうなずく。


『ジャガイモは煮ても焼いても炒めても蒸かしても良いんだ』

藍子は、台所で色々なジャガイモ料理を作って見せた。

『へー、なんでもいけんだな』

ブリジットは感心している。

『お嬢、これならバリエーション豊富ですね』

ダブリンは嬉しそうである。

なに気にジャガイモが好きなようだった。

『お嬢って言うな。どう料理しても旨いって食材も珍しいな』

『だからこれだけ普及してんだよね』

藍子は作った料理をつまみ食いしている。

今日のご飯は、おかずほぼジャガイモだった。

『ただいま』

黄太郎が台所に顔を出した。

『おかえり、お爺ちゃん』

『おかえり、ジジイ』

『チャッス、お邪魔してます』

『なんだ、お前ら来とったんかいな』

黄太郎はさして嬉しくもなさそうである。

だが、心の中では嬉しいのだった。


『そうか、ジャガイモは順調に育っとるか』

黄太郎はジャガイモを食べながら言った。

『うん、ダーヒーが農業には明るくてね。上手く育てて栽培地を拡大してる』

ブリジットはジャガイモを頬張りながら答える。

『エリン中に行き渡るくらいには収穫できてるよ』

『ジャガイモは実際にアイルランド食糧事情を救っとるからの』

黄太郎は解説に夢中になっている。

『でもジャガイモ飢饉ってのが起こってるじゃない』

藍子が横から口を挟んで、話の腰を折る。

『ジャガイモ飢饉か…』

黄太郎の表情が曇る。

『うわ、いきなり不吉な感じするなぁ』

ブリジットは嫌そうな顔をした。

『アイルランドの最下層の小麦を買えないくらい貧しい民衆は、食糧の大部分をジャガイモに頼っとったんじゃが、1845年~1850年頃にジャガイモが凶作に見舞われて飢饉が発生した。

 この飢饉で5年間で人口の20%~25%が死亡し、10%~20%の人口が国外流出したと言われとる』

黄太郎はスラスラと説明した。

『最初は不作じゃったが、これを飢饉にまでしたのはアイルランド貴族や地主じゃ。

 アイルランドは1801年よりグレートブリテン及びアイルランド連合王国の一部となっとったが、アイルランド貴族や地主はほとんどがブリテン島に住むイングランド人やスコットランド人でな、自らの地代収入を心配するあまりアイルランドへの食糧輸出に反対した。

 餓死者を出しとるにも関わらず、アイルランドから食糧が輸出されたんじゃ。

 連合王国政府は予算の関係から救済を渋り、配給でなく土地を持たん者にだけ安値で売るという措置を取った。

 そのせいで小作農が救済措置を受けるためにわずかな農地を二束三文で売ったので、食糧生産基盤に決定的な打撃となり、飢饉を長引かせることとなった』

『うへえ、最低だなブリテンとアイルランド貴族&地主』

ブリジットは露骨に顔をしかめた。

『何をするにも金がかかるということじゃ』

『ふん、民を守れない為政者に価値はないッ』

ブリジットはダンと机を叩いた。

『それは十分に金を持っとるから言えることじゃな』

『……』

黄太郎が言うと、ブリジットは無言になる。

『まあ、為政者が民を救う気がない場合は悲惨じゃがのう』

『アタシはそうはなりたくない』

ブリジットはポツリと言った。

『お前さんは良い為政者じゃな』

黄太郎は、フフと笑った。

『ふん、褒めても何も出ないぞ』

ブリジットは少し照れたようだった。


(ウィルヘルムは確実に民を救済しないだろう)

(エリンはどうか…)

(父上は、エリンの民を救うだろうか?)

ブリジットは自答せずにはいられない。

『なに考えてるのさ』

藍子が声を掛けてきた。

夜になり、藍子の部屋で布団に入っている。

『うん? まあ、昼間のことだな』

ブリジットは言った。

『真面目だなあ』

『ふん、ほっといてくれ』

『ひねくれてるなぁ』

藍子は口をすぼめている。

『もう寝る』

『三言しかいわないオヤジかよ』

『……なんだよ、それ?』

『メシ、風呂、寝る』

『仕事で疲れた旦那じゃんか』

『わはは』

などと言っている内に寝てしまった。


朝になり、

『ふわぁー』

ブリジットはアクビをしながら起き上がる。

『おはよー』

藍子は朝から元気だ。

『今日は、静と待ち合わせだから。あ、嫉妬すんじゃないぞ?』

『するかよ、ボケ』

ブリジットは歯磨きをしつつ、額に怒りマークを浮かべている。

藍子は騒々しくしゃべくりながら、出かけてしまった。

黄太郎とダブリンは居間でテレビを見ている。

「パピルス・マピルスかよ」

ブリジットはしかめ面である。

魔法少女というジャンルはよく分らないのだった。

「お嬢には分らないんですか、この面白さが!?」

「分かんね、つかお嬢じゃねーっつの」

「さっさと朝ご飯食べてしまえ、片付かんじゃないか」

黄太郎が急かす。

3人ともゲール語でしゃべっている。

藍子がいないので、英語にする必要がないのだった。

「わーったよ」

ブリジットは座って、朝ご飯を食べ始める。

昨日作りすぎたジャガイモ料理が残っていて、朝食もそれで占められている。

「うん、うめえ」

ブリジットもジャガイモが好きなようだ。

「よし、そこだ! 頑張れ、モリコ!」

ダブリンはアニメに夢中になっている。

モリコは主人公の名前だ。

ブリジットは横から見ていたので、覚えてしまった。

「ふん、アホか」

「まあ、たまにはアニメも面白いのう」

黄太郎も画面に釘付けになっている。

結構好きなのだろう。

「そろそろ、帰る頃合いだぞ」

「え、まだ見終わってないのに!」

「また来た時に見りゃいいだろ」

ブリジットはダブリンの首根っこをひっつかんで引っ張ってゆく。

「わーん」

「じゃあな、ジジイ」

「また来いよ」

背後で、黄太郎の声がした。


ブリジットは居間の敷居をまたいだ。

見慣れた世界へ戻るのだった。

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