第4話 竜の姫




 魔力は魔法を使う代価である。故に魔力の質を高めることで必要魔力量は軽減される。また、上級魔法クラスになると普通の魔力が代価にならない。


 そのため、魔力技術の一つ、昇華というものがある。


 昇華は領域を空気中の魔素に溶けあわせる感覚の逆バージョンのようなものだ。体内に保有する魔力を収縮し解放するを繰り返すことで、魔力の濃度しつを上げることができる。


 その昇華を用いて、バルドルは自分が持ち得る魔法の中で最強のものを発動した。


「《神話生物魔法再現リプロダクション毒竜ヒュドラ》!」


 手を向けた前方に、不吉な紫紺の魔法陣が展開された。


 観客席の誰かが言った。


「デケェ……」


 魔法陣の大きさは事象の強さに比例する。バルドルが発動した魔法は上級魔法クラスの規模を誇っていた。


 その魔法陣から魔法の毒液で形作られた竜の頭が伸びた。数はなんと三。竜を模した雄々しくも恐怖を感じずにはいられない首が三つも現界した。


 神話に語られる、解毒の手段がない時代に、人類を滅ぼしかけた最凶の毒竜の再現体だ。


「行け」


 その毒竜をエルトリーアに向かわせる。


 この決闘を見ている者はバルドルが勝利しエルトリーアが敗北したと確信した。


 他ならないバルドル自身も勝負が決まったと明るい顔をする。


 ――その時、エルトリーアの足元に巨大な真紅の魔法陣が出現した。


 毒竜の顎門あぎとが開き正面左右の三方向から襲いかかった。


 それを阻むように、爆発したような勢いと共に炎が吹き上がり天に登った。


 炎の結界がエルトリーアへ向かう毒竜の攻撃から身を守った。


「嘘だろ……!?」


 あまりに異常な状況に目を疑う。


 魔法規模は上級クラスだが、炎は炎だ。劇毒の毒竜ヒュドラは炎を鎮火し水を侵食し風の中を突き進み、光と闇を喰らう上級魔法の中でもトップの威力を誇る。


 防げるはずがないのだ。


 その答えは親切にもエルトリーアからもたらされる。


「知らないなら教えてあげるわ。我が国ナイトアハト王国の初代国王、クロスベルト=ナイトアハトは『夜の時代』を終わらせるために、八つの最強種と契約を結んだわ。その契約はまだ生きている。王族の子には八つの最強種のいずれかの力を振るうことができるわ。そして、私の契約相手は竜。無敵の肉体と意志一つで魔法を使える最強生物。その王たる竜王ドラゲキン。私の特異体質は竜の力をこの身に降ろす〈竜の巫女〉――故にこれはその儀式魔法。神聖なる空間は不浄を拒むのよ」


 エルトリーアは負けないという誓いを込めて、自分の特異体質を明かした。


「覚悟しなさい。これほどの大技を私に使わせたもの。アンタも死力を尽くしなさい」


 そして、炎に焼かれ侵食の毒液を蒸発させ、体から痺れが抜けたエルトリーアは黄金の竜鱗を握り締め、儀式の炎によって見えないように秘匿魔法シークレットを発動させた。


「――第一段階・限定発動! 《竜化ドラゴン・フォース》!!」


 世界が彼女の再誕を祝福するように、魔素がエルトリーアに集束する。


 本来、人が扱うことのできないと言われている魔素が黄金の色に染まり、流れていく。


 その全てを受け入れたエルトリーアは一見すると何も変化がなかった。


 しかし、魔法発動の終了と同時に炎の結界が消失し、エルトリーアを見た者は一様に格が違うと本能で理解した。


 人が敵う相手ではない、と。


 エルトリーアが変化した部分は、その身を竜の王に近づけたことによる全能力の上昇と触媒なしの無詠唱可能、そして爪だけ竜の物になっていた。


 生命力漲る肉体は存在感が大きく感じられ、エルトリーアの周辺空気が歪んでるかのように見える。


「――我が前に偽物の竜を出すなんて、なんて馬鹿な子なのかしら?」


 一人称が「私」から「我」に変わっていた。また少し纏う空気が変化していた。


 依然として毒竜ヒュドラは現界したままだ。様子見の意味も込めて、突撃させる。


「温いわ」


 視認不可の速度で腕を振り上げた。


 瞬間――三首みつくびに五つの切り傷が発生した。


「え?」


 現実の理解を拒む彼の頭上を爪の形をした魔力の斬撃がとてつもない速さで通り抜けていく。その余波で髪がはためき、背後の魔力障壁に衝突し轟音を響かせ僅かに刳り霧散する。


 そして、魔法維持が不可能な状態になり、毒の竜は地面に落とされ、毒液が広がり毒煙が立ち上る。


 その上を、自分にはもう通じないと誇示するように、エルトリーアが歩いて行く。


「さっき言った通り、死力を尽くしなさい、無礼者。さもなければ、貴方は我に手も足も出せずに敗北するわ」


 一人称は変わっているが、エルトリーアは完全に自分を制御していた。


 ナイトアハト王家に伝わる秘匿魔法シークレット竜化ドラゴン・フォース》は、その身を竜王に近づける。精神も竜に近づきその分の自制心が要求される魔法だ。故に、エルトリーアは竜化に段階を付け、自分がコントロールできる第一段階までの竜化を使用したのだ。


 一方、バルドルはいきなり窮地に立たされた状況に呆然と焦りを抱いたが、すぐに甘く見ていたのは自分の方だと歯を食いしばる。


 同時に同年代の人が自分に本気を出したことを嬉しく思った。


 物語で憧れたシチュエーションに似ていたからだ。


 同い年の相手に自分の全てを出し尽くす決闘に。だから……


「僕も本気でやろう。魔眼は使えないけどその代わりに、面白いものを見せてあげるよ」


 命を削る魔法を使うことに決めた。


「《身体強化フィジカル・ブースト》」


 まずは普通の身体強化魔法を施す。この魔法は前衛が使うことを想定した魔法のため、長年引きこもっていたバルドルが使うと使用後に全身筋肉痛になるので、最終決戦クライマックスの今になって使用した。


 エルトリーアはバルドルの発言と使った魔法がイメージと異なるため怪訝な表情になる。


 そんなエルトリーアに爽やかな笑みを向け、バルドルは使


「――《劇毒強化ドーピング》」


 全身が沸騰したような熱を持つ。


 ドクドク……ドクンッ!?


 心臓が流れる血に異常を感じ取り、鼓動がかつてないスピードで加速する。


 体が拒絶反応を起こすように痙攣する。が、ある程度耐性があるため拒絶反応はすぐ収まり、彼の感じる感覚は別物になっていた。


 身体能力上昇、五感向上、感覚の鋭敏化、魔力質の昇華。


 それに伴い、物の動きがゆっくりに感じられる。


 これは様々な能力を引き上げる毒性を持った液体を体内に生成する魔法だ。初めて使用した時は1秒で死にかけ、徐々に服毒し耐性をつけることで、今では3分も耐えれる。


 正真正銘、今が全力を振り絞ったバルドル=アイゼンである。


 その結果はすぐに目に見えることになる。


「へぇ?」


 興味津々といった顔で地面を蹴り接近し、その勢いを乗せた純粋な右ストレートを繰り出す。


 行動を全て領域で視る相手にフェイントは一切通じないからだ。


 人族の限界を超えた攻撃にバルドルは反応して見せた。


 右一歩飛ぶことで回避し、すぐさま地を蹴り掌底を打った。


 予想外の行動に不意をつかれるが、エルトリーアの方が身体能力は高く腕を掴んだ。


 瞬間、詠唱。


「《毒香インセンス・ポイズン》」


 鼻先で吹き荒れる毒の香り。


「っ!?」


 反射的に投げ飛ばしながらバックステップを踏んだ。


 嗅覚が鋭いだけに思いっきり匂いを嗅いでしまった。不思議と甘く気分が高揚するような気がした。誤差の範囲だ。


 バルドルは地面に着地すると、毒竜を生み出し向かわせる。


 それをエルトリーアに処理させながら前進。三つの首を別方向から襲わせることで魔法を使わせ、贅沢に囮に使うことで間合いは近距離戦へ移行した。


「――無駄ね」


 バルドルの猛攻を全ていなしていく。途中途中に発動する魔法も気をつけてさえいれば楽々回避できる。


「速度は満点をくれてやるわ。けどね、圧倒的に力と技術が足りないわ!」


 バルドルの拳を受け止め、もう片方の腕を引き絞り突きを放つ。


 その瞬間、銃声と共に弾丸がエルトリーアのこめかみに直撃した。


 それはバルドルが勝つために思いついた作戦だった。無理やり近距離戦を挑み、これまで使うことのなかった銃の存在を忘れさせ、更にはドーピングで粉砕骨折した右腕を動かせることを隠していた。


 エルトリーアはその予想外の一手に頭が跳ね上げられた。


「《毒香インセンス・ポイズン》」


 そして様々な効能を持つ毒の香りを嗅がせることで効果を蓄積させる。また、読み通りエルトリーアは体内に吸い込んだ状態異常には無敵ではない。


 毒竜の残骸を歩き(その際に靴と靴下が溶けたのは想定外で顔には出していないが焦っていたはずだ)、無傷だった。


 だが、匂いに敏感ということはあるだろうが、《毒香インセンス・ポイズン》を吸い込んだ後、僅かに動きに鈍りがあったのをバルドルは領域で正確に把握していた。


 その時に効くと確信したのだ。


 竜退治の物語において、体内に入り倒すのは割と常識ポピュラーだからだ。


 手に入る力が緩み、拳が解放され、逆に手首を捕まえ返す。


 エルトリーアを突き放すように押しながら、ポケットから生活魔法カードを取り出す。手品に使われるソレに魔力を流しながらエルトリーアの足元に投げる。


 エルトリーアは顔を前に向けながら魔法を行使しようとして――下から風が吹き上がりスカートが捲くれ頬を赤らめた。


「ふぇ!?」


 バルドルは目が見えないのでそんな意図はなかった。


(あ、ミスった……けど、何でか動かないしチャンスだ!)


 本当は水撒きをする予定だったが、同じ形のため送風の魔法陣機関マギア・エンジンが仕込まれたカードを投擲してしまったようだ。


 エルトリーアはスカートを抑え顔を俯むかせ、プルプルと肩を震わせている。


 観客席の男は掌を返しバルドルに声援を送り始め、逆に女子からはバルドルに比較的好意的な二名も含め冷たい視線を送っていた。


「《毒香インセンス・ポイズン》」


 毒の香りは着実に蓄積していく。


 だが、顔を上げたエルトリーアの目がヤバくなっていた。


 まさに竜の逆鱗に触れたような激高状態マジギレだった。


「殺すわ!」


「なんで?」


 何も見ていないバルドルは理解できなくて聞き返した。


 その姿を挑発と受け取ったエルトリーアは、地面を陥没させる勢いで蹴り、竜爪を斜めに振り下ろした。


 本能が警鐘を鳴らし咄嗟にサイドステップを踏む。


 直後、竜爪が描いた軌道の延長線上を竜の爪の形をした魔力の斬撃が飛翔する。


 特殊魔法に当たる竜装魔法《竜の爪撃ドラゴンクロー》だ。


 それはコロシアムの壁に当たり、1メートルにも渡る深さの切り傷を作った。


 当たったらひとたまりもない攻撃だった。


 本当に殺す気だった。


「? ?? ……は?」


 領域で思わず二度確認し、人体だと容易く切断される威力に呆けた声を漏らす。


 追撃の両爪斬撃ダブルクローが繰り出されたが、初期動作(爪を立てるような動き)を視た時に先んじて回避に移っていたので、斬撃というか爪撃そうげきの下を掻い潜ることができた。


「グルルルるるるるる……」


 エルトリーアは野生化したように唸り声を上げ、ハッと気付きはしたないと頬を染めセルフコントロールに務める。


 毒の香りが体を蝕み、そのせいもあり竜化が制御できなくなりそうになった。冷静になると、毒の影響が至る所に出始めている。


 体の動きは鈍化し、思考力が鈍り、酩酊感のような気持ち良さというか不思議な高揚感を覚えていた。


 明らかにパフォーマンスが落ちている。


 率直に言えば、不味い。


 時間が経てば毒は巡り、不利になる。


 竜の体は抗体ができやすいので、もしかしたら毒の耐性がつくのが先かもしれないが、危険は冒せないと思考を巡らせる。


 身体能力は依然エルトリーアが上だ。だが捉えられない理由は領域にある。初期動作、場合によっては腕や足に力を入れた瞬間から、次の動作を予測されている。


 現実理解にフィードバックを挟んでいるとはいえ、感覚が強化されたからか、魔力を昇華したからか、その一瞬は無に等しくなっている。


 魔法を使っても毒竜ヒュドラを出されたらお互いに対消滅する。近距離戦は仕掛けたら何されるか分からない怖さがあった。だが、バルドルの魔法はドーピングと詠唱していた。タイムリミットがあるはずだ。それまで凌げば……。


 そこまで考えた所で、エルトリーアは大きなため息をついた。


 ――私は何のために戦っているの?


 兄に追いつくためであり、バルドルに勝つためであり、自分が首席に相応しいと知らしめるためだ。


「我は王、竜の王なり! どんな小細工を弄しようとも、千に及ぶ策があろうとも! その尽くをこの身この爪で打ち砕こう!」


 自らに活を入れ魔法を発動する。


 ――《炎身・竜爪ファイア・クロー》。


 竜爪に炎を纏うことで、領域を制限する。


 領域は魔力に触れた物を視る。炎を纏うことで、竜爪ではなく炎しか視ることができなくなる。他の部位に纏うことも考えたが、魔法の密度が薄いと、領域に突破透かされる可能性がある。


 だから、エルトリーアは自分をも焼き尽くすほどに圧縮された獄炎を唯一耐性の強い竜爪にのみ纏ったのだ。


「行くわよ!」


 竜爪のみ振るうことで風圧を発生させる。視ることができなかった風圧にバルドルは囚われ踏ん張ることで耐える。


 そこへエルトリーアが一息に駆け、バルドルは体の力を抜くことで風圧に逆らうことを止め距離を取りつつ魔法を使う。


 その魔法をエルトリーアは魔法で迎え撃ち対消滅させた。竜爪が閃く。更に発生した風に流されるバルドルは壁際に追い込まれていることに気づき、即座に方向展開し壁に向けて走る。


「っ!? やられた!」


 壁に追い詰めるつもりだったのに、バルドルはそれを利用し一足先に壁に向かい、壁の側面を走ることで脱出した。


(危なかった。予想通り、壁に近づくほど風が弱くなっていたから助かった)


 一応、魔力障壁を張ることも考えたが、魔法を防御に回したら、それを撃ち破る攻撃魔法を叩き込まれそうだからやめたのだ。


 そんなバルドルをエルトリーアは咄嗟に追随する。着地することを許してしまうが、距離を縮め逃げ道をなくす当初の目的は達成した。


「どちらにせよ、追い詰めたわよ!」


 エルトリーアは勝負を決めるべく、不敵に微笑み両腕を振る。クロスの形に炎の爪撃が走り、しばらくの間燃え続ける壁となる。


「どうかな? 君は初めから僕の策に嵌っていたんだけどね」


「どういうことかしら?」


 諦めの色にならないバルドルの表情を目にすると、警戒するように目を細め尋ねる。


「ずっと考えてたんだ。全力を出す君に報いる方法を――だから、僕は全力を出すことにした。簡単なことだよ。〈魅了の魔眼〉を持っていた災厄の魔女の最も得意と言われている魔法属性とは?」


「……! でも、ソレはそんなに簡単に!」


。そして告げよう。? 行くよ」


 彼には使うことが躊躇われる禁忌に近い魔法があった。その魔法はバルドル=アイゼンの魔法適性の中で一番相性の良い魔法である。


 それ故に使うまで相当の悩みがあった。


 でも、その過去悩みには向き合わなければいけない時は来る。


 そのため、決意の意味も込めてバルドルは特殊魔法の一つを解禁する。


「――《魅了チャーム》」

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