第16話 魔術師として

 ズシン、という重量感のある足音が響く。

 地響きと共にトンネルの奥から現れたそれは、ゴブリンの優に数倍の体積を誇る、やはり緑色の皮膚をした肥満体の巨人であった。

 革製の腰蓑を下半身に身に着け、丸太のように巨大な棍棒を握りしめている。太い首元には悪趣味な髑髏の首飾りをかけていた。

 醜悪極まるその怪物は、切臣たちの姿を認めるなり、ニタニタとした下卑た笑みを浮かべた。


「おーおーひでえ有り様だなあ。そこの変な銃持ってるチビがやってくれやがったのかよ? ちっとばかし魔力も感じるし、魔術師かお前ら。まだガキの分際で、いっちょまえに悪い魔族をやっつけに来ましたってか」


 今まで見てきた他の魔族とは異なり、極めて流暢に言葉を話す巨人の異様さに、切臣は戸惑いを隠せなかった。

 隣にいる蓮華に、小声で尋ねる。


「何なんだあれ。あいつもゴブリンなのか?」


「ううん、違う。あいつはトロールだよ。見た目の割に知能が高くて、下位種のゴブリンたちを纏め上げることが多い中級魔族。なんでこんなところに……」


 答える蓮華の声は僅かに震えていた。

 その様子に気を良くしたのか、トロールはますます嗜虐的な笑みを深くして、


「俺らは魔界のはみ出しモンでなあ。向こうより人界こっちのが居心地良さそうなんで、最近移り住んできたんだよ。結果としちゃ大正解だったぜ? 何しろ、こんな絶好の餌場を見つけられたんだからな」


「餌場、だと?」


「おうよ」


 頷きながら、トロールは自身の首飾りを指で玩ぶ。を。


「都合四匹、しかもそのうちの一匹は若いメスでよお。そりゃもう絶品だった。足の先っぽの方から少しずつ齧ってやると、良い声で鳴きやがるんだこれが」


「なっ……!?」


 楽しそうに告げるトロールとは裏腹に、切臣は頭をハンマーで殴られたようなショックを受けた。


 行方不明者たちの行き先。

 トロールの首飾りの正体と、今の発言の意味。

 つまり、この化け物は……


「テメェ……まさか、人を喰ったのか!?」


「あん? 何当たり前のことを訊いてんだガキ。お前ら人間なんざ俺らの玩具で食いもんなんだから喰うに決まってんだろうが」


 切臣の言葉を、トロールは嘲るように肯定する。


「喰われながらでもまだ諦めきれなかったみてえでな。『ゆうくん助けて』って、つがいのオスに必死に助けを求めてやがった。そのオスも俺の子分共に喰われてバラバラにされてたってのに、頭悪いよなあ? その後に追加で来たオス二匹もまた笑えたぜ。魔力も籠ってねえ豆鉄砲で抵抗してきたんだもんよ。ま、そいつらは生意気だったんで即殺して喰ってやったがね」


「この野郎……!」


 あまりにも悪辣な物言いに、切臣が憤りを隠せない様子で歯噛みする。

 しかし張本人たるトロールはどこ吹く風だ。


「そんで、次はお前らだ。最初に喰ったメスよりも更に新鮮なガキが三匹。しかも全員魔術師で、そのうち二匹はメスと来てやがる。笑いが止まんねえなあオイ! まさか続け様にこんなご馳走にありつけるなんてよお! ━━だが」


 そこで言葉を区切ると、トロールはギラギラとした視線を切臣から横に滑らせる。その視線の先にいたのは、


「俺の可愛い子分共を殺ってくれたお前は許さねえぜチビ! お前は粗挽きハンバーグの刑だ!」


 言い切ると同時に、トロールはその膨れ上がった身体からは想像もつかないほどの速度で、うづきに向かって一息で距離を詰めた。

 踏み込まれた地面に皹が入る。

 振りかぶられた棍棒が蛍光灯に照らされて、壁に不気味な影を作った。


「死ねやオラァッ!!」


 咆哮。

 うづき目掛けて唸りを上げ、大木の如きそれを振り下ろす。


「……ッ!」


 うづきが迎撃体勢に入る。だが一手遅い。

 このままでは間違いなく、この怪物の言う通り原型を留めぬ肉塊と成り果ててしまうだろう。しかし、


「危ねえ!」


 間一髪のところで、間に割り込む者がいた。

 切臣が咄嗟にうづきの身体を押して、その場から退かせたのだ。

 それによって辛くも迫り来る棍棒の範囲から逃れるうづき。されど代わりに、その場には切臣が取り残されてしまう。


 直後に。

 耳を劈く轟音と、巻き上げられる砂塵がトンネル内を満たした。


「切臣!」


「山猿……!?」


 蓮華とうづきが、棍棒の下敷きにされたであろう切臣に呼び掛ける。

 果たしてどうなっているのか、その姿は煙に巻かれて視認できない。返事とばかりに、トロールの耳障りな哄笑が聞こえてきた。


「ハッ、メスを庇ってくたばるなんざ馬鹿なガキだぜ。どうせどっちが早いか遅いかの違いでしかねえってのに……」


 と、そこで。トロールの言葉がピタリと止まった。

 余裕綽々の笑みは消え失せ、次第にその表情は困惑の色が強くなっていく。

 煙が晴れる。そこに広がる光景を見て、蓮華たちは息を呑んだ。




「おいチビウサギ、言っとくけどこれ貸しイチだからな。今度何か奢れよコラ」




 人間など文字通り虫けらのように叩き潰すだろう、トロールが操る極大の棍棒。

 それを、いつの間にやら刀を引き抜いていた魔剣士が、その刀身でしっかりと受け止めていた。


 両腕におぞましいほど筋肉を隆起させ、傍目からも限界まで力と体重を込めていることが分かるトロールに対して、切臣は小揺るぎもせずに拮抗している。何という怪力。

 その事実を目の当たりにして、緑色の巨人は信じられないという表情で、黒い軍服の少年に向かって叫んだ。


「お前……お前一体何をしやがった! 魔術師とはいえたかが人間のガキが、俺の一撃を受け止められるわけがねえ! なのにこりゃどういうことだ!?」


「悪いけど俺はもう人間じゃねえよ。どっちかと言えばお前らの同族なかまだ」


「何ふざけたこと言ってやがる! お前みてえな魔族がいるはずねえだろうが!」


「そう思うんなら勝手にしろ。俺に取っちゃクソどうでもいい話だ。……てか、まさかこれで全力か? 見た目の割に力ねえんだな」


「ああっ!?」


 挑発めいた切臣の言葉に激昂するトロール。

 鍔迫り合っていた棍棒を刀から離して距離を取ると、もう一度構え直す。

 沸々とした憤怒の感情が、その醜悪な顔にありありと浮かび上がっていた。


「まぐれで防いだくれえで調子に乗るんじゃねえぞクソガキが! ならこいつを受けてみやがれ!」


 言って、トロールは今度は棍棒をめちゃくちゃに振り回しながら切臣へと猛突を仕掛けた。

 一見すると自棄を起こして暴れているだけのように見えるが、圧倒的な質量を伴うそれはまさしく暴風雨の如く、トンネルの床や壁、天井を風圧で削りながら少年をズタズタに挽き潰さんと襲いかかる。


「どうしたどうしたぁ! 手も足も出ねえか!」


 自身が繰り出す攻撃の破壊力に酔いしれ、トロールは下品に唾を飛ばす。

 だが、その棍棒が魔剣士を捉えることはなかった。


のろいんだよ」


 トロールの突撃が眼前に迫った刹那、切臣は薪ざっぽうでも割るみたいに、無造作に刀を振るった。二度。

 放たれた二筋の黒い光条は蛇のようにトロールの両腕に巻きついて、握り込んだ棍棒諸共に宙を舞わせてみせた。


「………………………………は?」


 あるはずのものが突如として消失し、間抜けた声を出すトロール。斬り飛ばされた両腕の断面を、ただただ呆然と見つめる。


 ゴトリと、自身の肉体の一部だったものが地面に落ちる音が聴こえた。

 視線を上に向ける。入れ替わるように上空に跳んだ闇色の影が、燃える怒りを湛えた双眸でこちらを見下ろしていた。


 何が起こったのか。

 それをトロールが正確に理解したのと、眼前に赤黒い刃が踊りかかったのは、ほぼ同時のことであった。


「何なんだ、お前は……」


 一閃、斬。


 冷たく鋭い刃音が静かに鳴って、トロールの巨体が袈裟斬りに両断された。

 血飛沫を吹き上げて崩れ落ちるそれの真横に、魔剣士は外套マントを翻して着地する。


 恐らく今のすれ違い様に奪い取っていたのだろう。

 その腕にはトロールの首飾りがしっかりと抱かれていた。醜い怪物たちの餌食になった、憐れな人々の亡骸が。


「今度はテメェが虫にでも喰われてろ」


 吐き捨てるように言って、首飾りを大事に抱えつつ、片手で器用に刀を鞘に納める切臣だった。




 その一部始終を、蓮華とうづきは目を見開いて眺めていた。


「切臣……凄い……」


「…………」


 蓮華が感嘆の声を発しているのに対して、うづきは黙ったまま。

 そうやってぼんやりと佇む二人に、切臣はゆっくりと近づいて話しかける。


「よう。怪我はねえか、蓮華」


「う、うん。大丈夫だよ。私結局何もしてないし」


「そっか。そんなら良かった」


 それから、切臣は黙りを決め込むうづきの方へ目を向けると、にやーっとした意地の悪い笑顔を浮かべた。


「さーて、チビウサギちゃーん? 俺様に何か言わなきゃいけねえことがあるんじゃないかにゃーん? ほらほらー、恥ずかしがらずに言ってみたまえよー。ん? んー?」


 途轍もなく鬱陶しい口調で、鬼の首を取ったが如く囃し立てる切臣。

 その謎のテンションに隣の蓮華も若干引いていた。

 それに対してうづきは、されどいつもの鉄面皮を崩そうともせずに応じる。


「別にあの程度の攻撃など、貴方の助けがなくとも難なく躱せました。改めて申し上げることなど何もありません」


「うーわ、マジで可愛くねえなお前」


「……と、本来ならばそう言いたいところではありますが」


 しかし、そこで切臣はうづきの瞳が、ほんの僅かにだが揺らいでいることに気がついた。

 ばつが悪そうに伏し目がちになりながら、


「正直に言うと、先ほどは完全に油断しておりました。貴方の助けがなければ、私は今頃殺されていたかも知れません。少なくとも無傷では済まなかったでしょう」


 そう言って、うづきは切臣に向かって深々と頭を下げた。


「助けて頂いて、ありがとうございました。重ねて、これまでの非礼もお詫び致します。申し訳ありません」


 はっきりと謝罪の言葉を口にするうづき。予想外に素直で急激な態度の変化に、切臣はもちろん蓮華も目を丸くしていた。

 そんな二人にうづきはか細い声で、ポツリポツリと自身の胸の裡を語り始める。


「認めます。貴方の言う通り、私は貴方に対して嫉妬心に近い感情を抱いておりました。今までお嬢様のすぐ傍でお仕えするのは、私だけの特権でしたから。なのに、ただでさえお嬢様と仲の良い貴方が魔術師見習いとなってしまえば、私の場所を奪われてしまうかも知れない。そう、思ってしまったのです」


「うづき……」


「ですが思い返してみれば、今までの私はお嬢様の従者として、あまりにも礼を欠いた言動を繰り返しておりました。お嬢様、本当に申し訳ありませんでした」


 蓮華に対しても、うづきはしおらしく謝罪をする。

 切臣はそんなうづきの様子を見て、ガリガリと頭を掻きながらため息を吐いた。


「もういいから頭上げてくれ。もう十分、お前の気持ちは分かったから」


 切臣が言うと、うづきはそろそろと顔を上げる。

 彼女の目をまっすぐに見据えて、少年は言葉を続けた。


「あのな。言っとくけど俺、お前に言われたことなんてあんま気にしてねえぞ。確かに言い方は悪いけど結構耳が痛い話もあったしな。まあ、山猿呼びはちょっとどうかと思うけど」


「…………」


「だからお前も気にすんな。今までのことは全部水に流して、チャラってことにしようぜ」


「……ありがとう、ございます」


 うづきは今一度頭を垂れる。

 やけに生真面目なその様子に苦笑を漏らしつつ、切臣は再び口を開いた。


「それに、お前にいつまでもそういう態度取られてたら気持ち悪いしなあ。ぶっちゃけむず痒くて今もサブイボ立ちそうだし」


 その言葉を聞いた途端、うづきの肩がピクリと揺れた。


「気持ち悪い、ですか。私の謝罪が?」


「いや、だってそうだろ。いつもやたらふてぶてしくて趣味は他人にマウント取ることですみたいな面した奴が、いきなり神妙な顔して謝り倒してきたら何か企んでんじゃねえのって不安になってくるじゃん? まあお前の場合ちょっと違うけど、言いたいことは大体そんな感じ」


 本人は軽口のつもりなのだろう、まさに立て板に水の如くペラペラと余計なことを喋る切臣。

 うづきの額に青筋が浮かび始めていることにまるで気づいていない。これでは愚鈍と言われてしまうのもやむなしである。

 うづきのただでさえ無表情な顔が、いよいよ能面のようになっていく。


「なるほど、なるほど。よく理解致しました」


「ん? 理解って、何をだ?」


「やはり貴方など山猿と同等、いえそれ以下の扱いで十分だという事実をですよ。このデリカシー皆無の蛆虫野郎」


「え、いや、何でまた急に怒ってんの?」


「切臣……さすがに今のはあんたが悪いと思うよ……」


「蓮華まで!?」


 やいやいと騒ぎながら、トンネルの更に奥を目指す三人。

 しかし、結局その後は魔族と遭遇することはなく、トンネル内の魔族は全て討伐したことが明らかになったのだった。




***




「素晴らしい」


 その様子を、竜宮寺厳志郎は予め切臣たちに付けておいた超小型の監視用ゴーレムを通して、満足げに眺めていた。

 漆黒のサングラスの向こうにのさばる双眸が、弓なりに細められる。


「ゴブリンはともかく、トロールにはもう少し手こずるかと思っていたが、まさかああも一方的に屠ってしまうとはな。正直期待以上だよ。人間と同じように口を利く生き物を、簡単に殺してみせたところも含めてね」


 誰に言うでもなく一人ごちる厳志郎。

 改めて、先ほど見た切臣の戦闘の一部始終を脳裏に蘇らせる。


 力に秀でた種であるトロールをまるで寄せ付けない怪力と、鮮やかに冴え渡る剣の技量。何より、醜悪な外道とはいえ一つの命を難なく奪い取った手並みの周到さ。

 魔剣士という種族由来のものも幾分か含まれているとはいえ、あの剣技と殺意は紛れもなく本人の資質によるものだろう。


 厳志郎は確信する。

 間違いない。黒野切臣は天性の剣士だ。暴力的なまでの剣の才能の持ち主である。

 生まれる時代があと数百年早ければ、間違いなく歴史に名を残していただろうほどの逸材。


「これは、思った以上の拾い物かもしれないな。将来が楽しみだ」


 そうして厳志郎がゴーレムから投射される映像に視線を戻すと、切臣たち三人が言い合いをしているのが映し出されていた。

 正確には切臣とうづきが互いに対して文句を飛ばし、蓮華がそれを仲裁している有り様である。


 その様子を見て、厳志郎はにわかに口角を吊り上げた。


「それにあの三人、なかなか良いトリオになりそうだしな」


 ロマンスグレーの独り言は、誰に拾われることなく夜の山へと消えていった。






************************


続きは明日の20時頃に投稿します。


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