第一章 魔剣士になっちゃった少年

第1話 黒野切臣

 夕闇が迫る繁華街。

 表通りには学校帰りの中高生や、仕事を終えて飲み屋を探すサラリーマン、子供を連れて買い物をしている主婦など、大勢の人が行き交っている。


 どんな町にでも転がっているような、至ってありふれた日常風景。

 だがその一角において、そんな平凡な日常から少しだけ外れた、物騒な光景が広がっていた。


「だから、行きませんってば! 放してください!」


「いいじゃんちょっとくらい。せっかくこうやって出会えたんだし、一緒に遊ぼうよ。ね?」


「俺らこう見えてめっちゃ紳士だから。帰りもちゃんと家まで送ってってあげるからさ」


「髪キレイだねー。ハーフ?」


 中学生くらいの女の子が、不良風の男たちに集団で取り囲まれていた。

 

 赤い組紐をリボンみたいにして結んだ、淡いプラチナブロンドのポニーテールと、ぱっちりとしたエメラルドグリーンの瞳が特徴的な、まだ幼さの残る愛らしい容姿をした美少女だ。

 清楚にして可憐。均整の取れた抜群のスタイルも相俟って、まさしく西洋のお姫様を思わせる風貌の彼女はしかし、今はその美貌に憤怒の相を滲ませながら男たちを睨みつけている。


 巻き添えになることを恐れているのだろう、近くを通り過ぎる人たちは完全に無視を決め込んでいた。


「ほら、行こ行こ」


 やがて男たちのうちの一人が、少女の手を乱暴に掴んで連れていこうとする。

 少女は尚も必死に抵抗するも、男の腕力を相手に未成年の女子が太刀打ちできるはずもなく、ぐいぐいと引っ張られていく。


「この、いい加減に……!」


 それに対して、少女が苛立ち混じりの声を漏らしたその時。




「おい、何してんだお前ら」




 唐突にそんな声が響き渡る。

 一同が振り返ると、そこには少女と同じ学校の制服を着込み、ビニール傘を担いだ少年が立っていた。


 細身ながらも鍛えられた筋肉質な身体付き、仄かに赤みがかった髪の毛、強い意志を感じさせる鋭い目付き。

 さながら若武者のような凛々しく端正な顔立ちの少年は、少女を連れていこうとしていた男たちを睨み付けている。どうやら男たちの暴挙を止めるつもりらしい。


「あぁ? んだテメェ」


 途端、男たちもまた敵意を剥き出しにして、少女に対するものとはまるで別のドスを効かせた声で言った。

 これほどまでに強面の集団に凄まれては、それだけで萎縮してしまいそうなものだが、少年は一歩も退こうとしない。それどころかますます語気を強めて続ける。


「女一人を相手に大勢で寄ってたかって、男として恥ずかしくねえのかよ情けねえ。そんなくだらねえことやってる暇と体力あんなら、部活でもやって有意義な時間の使い方したらどうだ」


 すると男たちの間に、嘲るような笑いが起こった。


「ウッザ、いきなり何なのこいつ。ヒーロー気取り?」


「中坊のガキがいっちょまえに説教かよ。女の前だからってイキッてんじゃねえぞコラ。おい、こいつ袋にすんぞ」


 リーダー格の言葉が合図となり、今度は少年の周りを囲み始める男たち。

 メリケンサックやナイフを持ち出す彼らと同じくして、少年も手にしたビニール傘を正眼に構えた。


 まさに一触即発。

 次の瞬間、男たちは一斉に少年へと襲いかかった。対する少年は悠然と傘を構えたまま。

 そうしてメリケンサックを嵌めた拳による一撃が、彼の顔面に叩き込まれたかに見えたと同時、少年の姿が忽然と消える。

 殺到する男たちの間を縫うようにして切り抜け、瞬きのうちに包囲から脱していた。

 遅れて、男たちは糸が切れた人形みたいにその場に倒れ伏す。


 それを見ていた周囲からどよめきの声が上がった。

 何が起きたのかすら分からない一瞬の早業。

 迅雷の如き剣の振りや流れるような足捌き、同時に迫る男たちの動きを完璧に捉えていた眼力に至るまで、全てが常軌を逸している。


 果たしてどれほどの技量うでの持ち主なのか。複数の男をビニール傘で、それも一撃で打ち据え昏倒させるなど、とても中学生にできる芸当ではない。

 だが少年は実に平然とした様子で、軽く傘で地面を叩いた。


 と、そこで、


「切臣」


 ポツンと取り残された風な少女が少年に声をかけた。先ほどまでとは打って変わって、華やぐような可愛らしい笑顔を浮かべながら。

 一方、少年の方は少女に対して、少し呆れがちな目を向けていた。


「……蓮華。お前なあ、この辺はガラの悪い奴も多いから通る時は気を付けろって、いつも言ってんだろうが。これでナンパされるの何回目だよ」


「えへへ。ごめんごめん、ちょっと油断しちゃった」


 少年は軽くため息を吐く。

 されど言葉とは裏腹に、安心したように僅かに頬を緩ませている。


「まあでも、一応無事で良かったよ。早く帰ろうぜ」


 少年は言いながら踵を返す。

 少女もまた少年の言葉に、うん、と頷いて後に追随した。




 少年の名は黒野切臣くろのきりおみ。少女の名は竜宮寺蓮華りゅうぐうじれんげ

 二人とも同じ中学に通う、幼稚園の頃からの幼なじみ同士である。




***




 遠くでカラスが鳴いている。

 まだ夏の気配が色濃く残る住宅街を、切臣と蓮華は並んで歩く。夕陽を背にした二人の影法師が遠くまで伸びていた。


「そういえばさ、今日はいつもより早いけど剣道部どうしたの?」


「あれ、言ってなかったか? 三年は今日で部活引退なんだよ。だから今日は引退式だけやって終わり」


「え!? 何それ聞いてないんだけど!!?」


「……すまん、言うの忘れてたかも」


「もう、言ってくれたら終わるまで待ってたのに!」


「だから悪かったって」


 ひたすら平謝りする切臣。

 蓮華は尚も何か言いたげにしていたが、それ以上追及することはなかった。


「……まあ、別にいいけどさ。でもそれじゃあ下級生の子たち、きっと今頃凄く不安がってるね。最強無敵の頼れる先輩がいなくなっちゃうなんて」


「どうだろうなあ。スパートかけてめちゃくちゃしごいてやったから、むしろ清々してんじゃねえか。……てか最強無敵って何だよ小学生か」


「だって切臣、全国大会で個人戦優勝したじゃん。もうチャンピオンだよチャンピオン。ラストサムライ!」


「その呼び方恥ずいからマジでやめてくんない?」


 くすくすと笑いながら言う蓮華に、切臣はばつが悪そうに顔をしかめた。


 ラストサムライというのは、剣道の全国大会で個人戦優勝という快挙を果たした切臣に対して、誰かが冗談半分で付けた渾名だ。

 中学から剣道を始めたにも拘わらず、これほどまでに目覚ましい成績を収めている彼は、校内ではなかなかの有名人である。


 だが当の切臣はと言えば、そこまで大々的に持て囃されることに気恥ずかしさを覚えているようであり、そこを蓮華に突かれて度々弄られているのであった。


「ごめんごめん。でもいいじゃん、お陰で高校にはスポーツ推薦で行けそうなんでしょ?」


「ああ、まあな」


 まだ少し歯切れ悪く応じる切臣。

 既にいくつかの高校から、スポーツ推薦のスカウトを頂いている。

 まだ明確な進路は決めていないが、恐らくはそのうちのどこかに進学するだろうと彼は考えていた。


「確かに受験勉強のこと考えなくていいのは楽でいいな。お陰で、他の奴らが勉強してる間でも余裕こいて遊べるし」


「ええー、ずっこー」


「ずっこくねえよ実力だ実力。それを言えばお前の方が大概だろうが。そもそも


「うっ……」


 切臣からの指摘を受けてたじろぐ蓮華。

 続けて、ゴニョゴニョと口の中で呟き始める。


「だ、だってしょうがないじゃん。……うちの家系のこと、切臣だって知ってるでしょ?」


「あー……そうだな」


 切臣はやや神妙な表情を作った。

 ついつい軽口で言ってしまったが、配慮に欠けていたかと内心で反省する。

 彼女がこのことについてあまり触れられたがらないのは、よく知っているはずだったのに。


「悪い、無神経だった」


 切臣は率直に謝罪をする。

 しかし蓮華は首をふるふると振って、


「ううん、いいの。いつまでも気にしてても仕方ないし」


 穏やかな笑みを浮かべて告げる。

 そう言ってくれることについ安堵を感じてしまい、切臣はますます自己嫌悪してしまう。


 そんな彼の内心を知ってか知らずか、蓮華は切臣へと目を向けた。


「もう覚悟は決めてるもん。私は絶対に、一人前の魔術師になるんだって。五年前にお母さんが死んで、竜宮寺の屋敷に引き取られた時からね。そのために魔術学校にも行くんだから」


 まっすぐに切臣を見つめるエメラルドグリーンの瞳は、どこまでも清らかに済み渡っていた。

 切臣はそんな風に笑う彼女を、どこか眩しそうに見つめ返す。




 元々、蓮華は切臣と同じ一般家庭の出身だった。

 母ひとり子ひとりの母子家庭で、切臣の家の隣に母親と一緒に住んでいた。

 その縁があって昔からいつも一緒に遊んでいて、ほとんど兄妹同然に育ったと言っても過言ではない。


 しかし五年前。

 切臣たちがまだ小学生だった頃、蓮華の母親が突然、病によって命を落としたことで全ては変わった。

 頼る親戚もおらず、天涯孤独の身となった蓮華を、この町に古くから根を下ろす魔術の名門・竜宮寺家が養子として引き取ったのだ。


 本来ならば人間が持ち得るはずのない魔力を生まれつき身に宿し、それを以て術式を展開させ、呪文を唱え、世界の法則をねじ曲げて様々な超常現象を引き起こす異能の者たち。

 魔界と呼ばれる別次元から現れ、人々に害を成す邪悪なる存在━━魔族を討ち滅ぼす使命を帯びた人界の守護者。


 すなわち魔術師。

 それを生業とする家系の後継者とするために。

 彼女の魔力の強さと素質を見込んで。


 その結果、蓮華は切臣の家の隣から引っ越して、魔術師の道に進むことを余儀なくされたのである。




「それに、切臣の言う通りラッキーだと思ってるんだよ? 魔力を持って生まれてくる人の数はあんまり多くないから、魔術学校には基本的に入試とかなくて来る者は拒まずだし。……お爺ちゃんが学園長なのがちょっと嫌だけどね」


 落ち込み気味な切臣を慰めようと明るい口調で話す蓮華。


 魔力を保有し魔術の素養を持つ者は、中学卒業後には日本に四校存在する魔術学校のいずれかに無条件で入学することができる。

 その代わり卒業した暁には必ず魔導管理協会所属の魔術師となり、危険な魔族や魔導犯罪者と戦わなければならないのだが、学費は一般校のそれと比べて格段に安く、更に優秀な成績を修めた生徒であれば全額免除される上にいくらかの支援金まで出るというという、破格の待遇が得られるのだ。


 裏を返せば、それだけ魔術師の人材育成に国が重きを置いているということの証明であるものの、その狙い通り魔力保有者はいずれかの魔術学校に進学するのが昨今の主流となっていた。


 蓮華もご多分に漏れず、彼女の義父が学園長を勤める魔術学校への入学が、随分前から決まっているのだった。


「お前の行く学校って、確か東京の方だっけか」


「うん、そうだよ。だから来年の四月には向こうに引っ越すんだ。この町から通うとなると新幹線で片道三時間くらいかかっちゃうし、魔術学校はどこも全寮制だしね」


「そっか」


 首肯して応じる蓮華に、切臣は短く相槌を打つ。

 それきり、不意に会話が止まってしまい、二人の間には奇妙な沈黙が落ちた。

 どちらも特に新たな話題を振ることなく、そのまましばらく無言で歩を進める。




 夕暮れの町。閑寂の空。

 生温い風が吹き抜ける。ほんのりと湿ったような水くさい薫りを感じたのは、昼間に雨が降ったからだろうか。


 チラリと。切臣は真横を盗み見た。

 そこには蓮華がいつものように、隣をしずしずと歩いている。

 思えば物心ついた頃から、彼女はこうやっていつも自分の隣にいた。

 それは蓮華が竜宮寺家に引き取られてからも変わることはなく、そうあることが当たり前だった。

 ずっとずっと、自分と蓮華は一緒にいるものだと、根拠もなく信じていた。


 でも違った。

 あと半年もすれば、自分たちは別々の道を進むことになる。

 そうすればもうこんな風に肩を並べて家に帰ることも、くだらない話で笑い合うこともなくなるだろう。


 自分はごく普通の一般人としての安穏とした人生を。

 蓮華は人々を守る魔術師としての血に彩られた戦いの人生を。

 それぞれ歩いていくのだから。


 その二つの道の間に広がる溝はあまりにも深くて、決して埋まることはない。

 踏み越えることなどできるはずがない。


 どんなに手を伸ばしても、どんなに心の底から渇望しても、絶対に。


「じゃあ、私こっちだから。またね」


 蓮華の声を聞いて切臣は我に返る。

 気がつけば、お互いの家に向かう分かれ道に差し掛かっていた。


「あ、ああ。またな」


 どうにか返事をする。

 蓮華はそれに軽く手を振ると、そのまま踵を返して歩いていった。切臣は何も言わず、ただ黙してそれを見送る。


 小さな背中が少しずつ、少しずつ、遠ざかっていく。自分の許から離れていく。

 こちらにはもう見向きもせず。


「━━蓮華!」


 気がつけば切臣は、大声で蓮華に向かって叫んでいた。日頃剣道で鍛えた大きな声が、閑静な住宅街に響き渡る。

 蓮華は驚いたように肩を跳ね上げると、こちらへと振り返った。


「あの、さ……」


 所在なさげに頬を掻きながら、切臣は伝えるべき言葉を模索する。

 蓮華はその間何も言わず、ただじっと待っていた。


 しばしの間。やがて切臣は覚悟を決めたように口を開く。


「……魔術学校行っても、あんまり無理すんなよ! ただでさえお前、ちょっと危なっかしいとこあんだからな!」


 切臣が言うと、蓮華は一瞬だけ虚を突かれたような表情になった。

 しかしすぐに満面の笑みを浮かべて、


「大丈夫! キツかったら即中退してすぐ帰ってくるから!」


 サムズアップしながらそんな身も蓋もない言葉を言い放つ。


「いや、そりゃ駄目だろちょっとは頑張れよ!」


 すかさず切臣の突っ込みが飛んだ。

 蓮華は冗談だよー、と笑い声を上げながら、今度こそ大きく手を振って駆け出していく。


 二人の何気ないいつもの━━もうすぐ終わりを迎える日常は、こうして今日も過ぎていった。






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