第43話

 テーブルに並ぶペンと原稿用紙。イメージするものを書き込むメモ、それと湯気を立てる淹れたてのミルクティー。


 ひとりきりのオカルト研究会。

 私が物語を書こうと決めた場所。


 室内ここに入るのを躊躇わせた廊下に響くざわめき。それは悠華さんと悠斗さん、妖魔とオモイデサガシのことでいっぱいだった。ざわめきを前に足を止めた私とミサキ。


 ——あずさ大丈夫? 私も一緒に行こうか?


 ——ミサキには行く所があるじゃない。お笑いサークルが。


 ——その前にあいつら黙らせてやりたいな。漆黒の姫君……あずさのためにと選んだ占い師。悪く言うの許せない。


 ——駄目だよ、ミサキに何かあったらどうするの? 私も悔しいよ、でも。


 憎しみは憎しみを呼ぶ。

 彩芽の言葉を私の中に巡らせた。幸せは幸せを呼んで、喜びは喜びを呼び寄せる。彼らのことはほうっておけばいい。私が耳を傾けるのはいつかの未来。聞こえてくるはずの……希望の息吹きだと。


 ——じゃあ、行くねミサキ。


 ミサキから離れ近づいたドア。


 ——君、ここのサークルの人? 和瀬って代表、なんでいなくなったのか知ってる?


 ——綺麗な妹、俺目をつけてたんだよな。噂にかこつけた兄妹の駆け落ちだったり? 妹の居場所、知ってたら教えてくれない?


 ——怖くないの? 消えた人のサークルに顔出すなんてさ。


 私を囲む声と感じ取る視線。それは強い力で私の心を潰そうとした。

 人が語る言葉もの、それは時にやいばとなって切りつけてくる。何度傷つけられても自分を生きようとした彩芽の強さ。


 ——呪われた家の跡地。出入りしてた女の子ってあんた?


 声に向け、思わず振り向いた。

 私を指さして声を上げた彼ら。


 彼らの声が私を震わせた。

 何よりも怖いのは人間だ。


 蔑み。

 罵声。


 それらが何を生みだすのかわかろうともしない。


 その現実を……私は全力で否定する。

 彩芽が見たもの。

 世界は綺麗なのだと私は知っているから。

 だから書こうと思う。


 幸せ。

 喜び。


 それらが生みだしていく未来がある。


 入るなり閉めたドア。

 鍵をかける音に続いた彼らのざわめき、耳を貸さずテーブルに向かった。




「難しいなぁ、何をどう書けばいいだろう」


 原稿用紙を前にペンが止まる。

 私が知らなかったことと見てきたこと。どう形にしていけばいいのか。恐怖と悲しみ、苦しみと嘆き……優しいものに変えていくのがこんなにも難しいなんて。

 ひと文字も書けないなんて思わなかった。

 落ち着こうとミルクティーを飲む、悠華さんが淹れてくれたものより甘い。次からは砂糖を減らしてみようか。

 メモ用紙に描いたおにぎり、続けて描いたのは太陽と雲。窓の外に見える秋の空。

 今年の冬も寒くなるのかな、東京はどれくらい雪が降るんだろ。町に積もる雪の多さを彼は覚えてるかな。











「おかえりあずさちゃん。晩御飯、揚げ物はどうだい?」


 千代おばさんの声に足を止めた。

 お店に足を運ぶ人達のざわめき。それは心地よくて大学での嫌な気持ちを忘れさせてくれる。


「千代さんのおすすめはなんですか?」

「チーズ入りのポテトコロッケ。パック詰めでね、お買い得だよ」


 悠華さんのレシピにもコロッケがあった。今度作ってみよう、試食を頼むのはミサキ。いつか彼に食べてもらえたら。


「じゃあ、それをお願いします」

「ありがとね、今度悠幻堂さんにも買いに行くからさ」



 会計を済ませ悠幻堂へ向かう。

 すれ違う主婦や仕事帰りのサラリーマン。そんな中、悠幻堂の前に立つ男の人。


「……あの人」


 黒縁眼鏡と灰色のトレーナー。

 何処かで見覚えがある。

 確か……彼と出会った日。買い物途中、彼に声をかけてきた。


「君」


 私に気づくなり駆け寄ってきた。

 持っているのはペットボトル。あの日もペットボトルを持ってたっけ。やっぱりそうだ、あの時は真っ白なTシャツを着てた。


「愁夜といた子だったよね。僕を覚えてるかな」

「はい、圭太さんですよね」

「そう、佐藤圭太。愁夜が色々と世話になったね」


 人懐っこい笑みを浮かべた圭太さん。

 驚いたな、こんな所で会うなんて。もしかして悠幻堂うちの常連だったりするのかな?


「愁夜から連絡をもらったんだ。僕に会わず東京に戻っちゃうなんてね。向こうで仕事、溜め込んでたのかな」


 売れないオカルト雑誌。

 風変わりな編集長さん。


 彼が仕事に追われてるなんて想像出来ないな。


「霧島さん、元気そうですか? 私からはまだ連絡出来てなくて」

「うん、君のおかげかもしれないな。あの頃と変わらない、僕の自慢の親友だよ」


 もしかしたら。

 彼が家族を奪われ町を去ったあと。

 圭太さんも心ない声を聞いたかもしれない。ひとり苦しみ、悩む日々を繰り返して……それでも。

 圭太さんは笑っている。

 彼を思いながら。


「圭太さん、うちには買い物に?」

「違うよ、愁夜に頼まれて来たんだ。君の力になってほしいと」

「私の……ですか?」

「そう、物語を書こうとしてるんだよね。僕は小学生の時、作文で先生に褒められた……それで」


 照れたように圭太さんは笑う。


「愁夜に言ったことがあるんだ。将来の夢、書くことで誰かを喜ばせたいって。結局は叶えられなくて工場で働く今がある。愁夜は覚えてたんだな、僕が書くことが好きだったこと」

「それじゃあ、霧島さんは」

「君の執筆の手助けを。もちろん断っていいんだ、たいしたアドバイスは出来ないと思うから。それでも愁夜が僕を頼ってくれた。愁夜の役に立てるならと……来てみたんだけど」


 ……彩芽。

 あなたが言っていたことに、ひとつ足したいことがあるんだ。


 繋がりは繋がりを呼ぶ。

 いいことも悪いことも。


 この先何があるかわからない。

 だけど私は、どんな繋がりもいいことに生かしていきたい。


「助かります、私何もわからなくて。まだひと文字も書けてないんです」

「そっか、愁夜には僕から連絡しとく。君学生さんだよね、僕も仕事があるし……何処で連絡を取り合おうか」

「うちに電話を頂ければ。それに近くの神坂食堂、何か食べながらでも話せると思います」

「よかった、嬉しいよ。あの頃の夢が、今になって誰かの喜びに繋がるなんて」


 圭太さんが見上げた空。

 何処からか、鳥の鳴き声が響く。











 見えるのは、紺碧の広い世界。

 散りばめられている銀色の光。


 ここは……夜の空だ。


 響くいくつものざわめき。

 その中のひとつに私は耳を傾ける。


「悠華、地上にまた灯りが……あれは誰の心だろう」

「彼女のものじゃないかしら」

「鹿波さんか、どうしてそう思うんだ?」

「視えていたのよ、羽ばたいていく彼女の未来が」


 悠華さんはわかってたんだな。

 私がやろうとしていることを……妖魔の力で。


「楽しみね、彼女が描くものが世界に広がっていく。このままずっと……見守っていれたらいいのに」

「それも悪くないな、ここは静かで居心地がいい。悠華が近くにいるなら僕はそれだけで」

「駄目だよ、そんなの」


 蒼真君の声が響く。

 呆れながらも子供らしい弾んだ声。


「新しい未来、ふたりの子供として僕は生まれるんだから。ふたりの優しさが僕を育てるんだよ」




 目を開け見えた天井。


「……今のは、夢?」


 やけにリアルだった。

 夢なんてめったに見ないのに。


「ふたりとも……そっか。蒼真君も」


 夢でもいい。

 彼らが向かう未来が幸せなら。



 眩しい朝の光。

 今日も精一杯に生きていく。



 待っているのは……彼との未来。

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