第35話

 どろりとしたものの中、体が溶けていくのを感じる。

 飲まれていく。

 撃たれた痛みも、病に侵された苦しみも何もかもが。



 私が、私でなくなって……


「彩芽」

 

 カナタの声が聞こえた気がした。

 握りしめたカケラの温もりと鼓動の音。


「カナタ……一緒だね」


 安心する。

 カナタが一緒なら怖くない。

 何も……怖くないよ。

 私の全部がやけに温かい。

 


 ズズ……

 ズズズ……



 ザクリッ



 私は感じ取る。

 どす黒いものが這いずり、人を喰い飲み込んでいく。

 そのおぞましい感触を。


 妖魔。


 生みだしたのは……私の血。




「人ヲ……喰イタイ」


 嗄れた声が叫ぶ。



 「人ヲ……人ヲッ‼︎」



 妖魔は這い、逃げようとする足を捕らえ彼らを恐れさせた。

 ただひとり、老婆を除いては。

 老婆の顔に浮かぶ恐れの色。だけど老婆には、妖魔を近づけようとしなかったものがある。

 カナタの角。

 それは不思議な力で、触れなぞる妖魔の体を裂き散らした。

 老婆のそばで描かれていく血色の地獄。


「やめてっ‼︎ 喰わないで‼︎」


 闇を裂く女の声。


「お腹には……私の子が」


 ズズ……

 ズズズ……


 這いずる音に重なる女のおと


「喰わないで……この子は。この子だけは」


 掠れた声の懇願。


 未来に生まれるはずの子供。

 私の血が生みだしたものは、その子さえ殺そうとしている。



 やめて、喰わないで。

 助けてあげて……お願い。



 妖魔の中で願った。



 殺さないで……どうか、命を奪わないで。

 未来に生きる命を、助けて。



「命……我ノ命」


 妖魔は呟いた。


「我ノ力……我ノ命ヲ、引キ継グ者ヲ宿ス」


 愚カナ一族ヲ……呪ウタメニ。


 妖魔の思念が私に流れ込む。

 私の血は、恐ろしいものを生みだした。


 我ハ呪イ続ケル。

 愚カナ者達ヲ……人ヲ喰ライナガラ。


 血が生き秘めていた闇は、一族の繁栄に影を落とそうとした。


 憎しみは憎しみを呼ぶ。

 私が望みもしなかった復讐を……私の血は遂げようとしている。



 ゴボ……

 ゴボリ……



 妖魔は女を飲み込んだ。

 肉を喰らい、女と同化するために。

 人間ひとの血が生みだしたものは永遠とわに生きられない。

 だからその姿と力を、新たな命に託そうと妖魔は考えた。

 次、また次にと力を宿した命は生まれ続ける。


 そして……長い時を経て一族は妖魔の血を引き継いでいくこととなる。

 望みもせず、呪われたまま。




 妖魔と同化した女。

 生んだ赤子の浅黒い肌。

 それが意味したのは、おぞましい姿と力を引き継いでいること。



 血の惨劇以来、女は奇妙なことを口にするようになった。過去、今、未来……そのすべてが視えるのだと。そして自身の死と引き換えに、生まれる子はあやかしの力を持っている。

 私がいなくなり、老婆が生き神にと担ぎだした女。

 老婆は女にことを命じた。

 誰かに起こりうる未来ことや天変地異……ことで生き神の力を示そうとした。

 妖魔の条件は人を喰らうこと。

 老婆は了承した。

 夜の訪れと共に、町を彷徨い喰らえばいいと。女を担ぎだすことと出された条件が、その身に破滅を呼ぶことを知りもせずに。


 集まった人々を前に、女が語ることは驚嘆と歓喜を呼び寄せた。もたらされる安寧と繁栄、先の出来事をも知ることが出来る。


 ——生き神様、いつまでも我らと共に‼︎


 人々の声を聞き、老婆は満足げに微笑んだ。





 人々の称賛は長くは続かなかった。

 生き神が語るままの出来事と天変地異、町で続く人が消えていく奇妙な出来事。町の人々を支配し始めた疑問と疑念。


 ——あの生き神様は何者だ? 何もかもわかるのは何故なのか。


 ——美しい生き神様は何処へ行かれたのだろう。風に靡く白髪の見事な艶色。見守ってくださるだけで我らは幸せだったのに。


 神を祀る宮へと、訪れる人の足は途絶えていった。

 その中で迎えた、女の死と赤子の誕生。


「生き神とやらは言っていた。生まれる子は妖の力を引き継いでいる。生かしておけばどうなるだろうか。成長したものが人を喰らうなら」

「逃げましょう主人様。我らの顔を町の者達は知りません。夜の闇に紛れ、ここから離れましょう。町を住処とするのです、妖のことは黙っていればいい」

「黙っていて、妖がなんとかなるものか」


 忌々しげに呟いた老婆。

 彼女が手にしたのはカナタの角。

 妖魔に触れ体を裂き散らしたもの。


を使えばいい。妖はこれに弱いんだ。これを元に剣を作る。妖の力を引き継ぎ、生まれた者は……これで」





 彼らが離れた宮は、力を無くしたまま崩れ果てた。

 廃墟となった場所に、誰ひとり興味を持つ者はいない。



 老婆が死んだあとも、その存在と告げたものは一族に根を下ろし続けていた。

 妖魔の力を引き継ぎ殺されていく子供達。一族は秘めた闇と愚かさを隠し続けた。

 私が妖魔の中で願ったのは、妖魔のあとを追い生まれる者。

 一族の愚かさを止めてほしかった。力を引き継いだ者を追い、いつかは一族から救いだしてくれるなら。

 だけど私の想いが届くことはなかった。

 妖魔を追い生まれる者。彼らは一族で見張りとしての役目を与えられてしまった。力を引き継いだ者、その存在を一族に知らせ命を奪っていく。

 それでも




 妖魔の中、カナタに守られながら私は願い続けた。



 カナタと手に入れる未来と自由。



 他に何もいらない。

 だって、世界が綺麗なことを……私は知っているから。




 誰か


 誰か……妖魔を止めて。


 憎しみと歪みの連鎖を……どうか。

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