第33話

 どんなに体が拒絶しても食べることを諦めない。

 私は生きたいんだ。

 カナタのそばで、願いが叶うのを待つ。


 ねぇ、カナタ。

 私決めてるんだよ。

 何があっても誰も憎まないって。

 何をされても、何を言われても。


 だって、憎しみは憎しみしか呼ばないの。幸せは幸せを呼んで、喜びは喜びを呼んでくれるから。


 ねぇ、カナタ。

 この世界はなんて綺麗なんだろう。

 いつかは私も綺麗になれるんだよ。


 私は人が秘め抱く負の象徴。

 妬み、憎しみ、嫉妬……それらが私の命になった。そんな私でもお日様は照らしてくれるんだから。



 食べることを諦めない。

 それでも、私の体は……







「彩芽……また痩せた」


 現れたカナタは私を前に目を細めた。『大丈夫だよ』と言った私だけれど。

 体に力が入らない。

 カナタに会いにと歩きながら乱れた息。


 今日も人の前に立つことになる。

 こんな姿になってでも私を讃える人々。


 ——生き神様の我らのための祈り。みずからの犠牲と引き換えに、私達の安寧を約束してくださった。


 大切な体。

 誰が犠牲になんてするだろう。

 私は生きたいんだ。

 生きて……幸せになる。だけど私の体は……こんなにも痩せ細ってしまった。


「カナタ、ごめんね」


 声が震えてる。


「私ね……カナタと会えなくなる」

「彩芽?」

「たぶん、私は」


 もうすぐ……死んでしまう。


 死ぬのは嫌。

 私は生きたいんだ。

 生きて、カナタと作っていくの。いつの日か笑って話せる思い出を。


「彩芽、ボクと旅をしようか」

「……旅?」


 ひとつの夢を思いだした。

 いつか父様と旅がしたいって。

 旅をしようとカナタが言ってくれた。だけど町の人はカナタを見てどう思うだろう。欲が人を惑わし、カナタに危害を加えたら。


「会えなくなる前に、いっぱいの時間を彩芽と」


 カナタは察してくれたのかな。

 私が死んじゃうってことを。

 でも……


「駄目だよ、誰かに見つかったらどうするの?」


 空が心を癒し、木々が体を隠し守ってくれる。カナタはここで幸せになるんだよ。

 私のことを忘れないで。


「決めたんだ、彩芽のそばにいるって。ボクが彩芽の自由を取り戻すんだ」

「でも、カナタ」


 今日も訪れる黄昏時。

 ここに私の自由なんてない。


「捕まったらどうなるの? 私のせいでカナタが怪我をしたら」


 もしも、ここを出て自由になれるなら。

 死ぬ前に……父様と母様に会えるなら。


「カナタが死んじゃったら……私は」

「彩芽、行こうよ。未来は悪いことだらけじゃない」

「……未来」


 ここで私が死んだなら。

 老婆は私の骸をも財の源にと考える。死んでまで利用されるのは嫌。

 私は、私の自由を……生きたい。


「カナタ、本当にいいの? カナタの自由がなくなっちゃうの。ここはカナタの大切な場所なのに。……それでも」

「いいんだ。ボクは、彩芽と一緒にいたい」


 カナタは優しいね、私を大事にしてくれる。

 出会ってくれてありがとう。

 ここに連れてこられたこと、悪いことだけじゃなかった。小さな奇跡、カナタに会えたんだから。


「行こう、カナタ。未来を……手に入れるの」


 カナタと肩を並べ木々の間を歩いた。

 力が入らない体。

 それでも、大地を踏みしめて歩く。


「彩芽、大丈夫? ボクにつかまって」


 言われるまま握った角。

 不思議だな、カナタに触れるだけで勇気が湧いてくる。怖いことなんてない、そう思えてくるんだ。


 カナタ、私が君を守ってあげるね。

 君は私を大事に思ってくれるから。


 絶対に、守ってあげる。


 見上げた空に見つけた雲。

 それは鳥の羽根を思わせた。




 少しずつ離れていく。

 神を祀る宮からも、老婆と男達からも。

 感じだした息苦しさ、体がガタガタと震えだした。


「ごめんカナタ。……疲れちゃった」

「いいよ、少し休もう」


 座り込んだカナタにもたれかかった。

 林道の先にある町。

 遠いけど……たどり着けば家に帰れる。


「カナタ、ひとつお願いがあるの。いい?」

「何?」

「旅の前に家に連れてって。父様と母様に会える、おむすびを……作ってもらえるの」

「それ、ボクも食べられるかな?」


 カナタがおにぎりを?

 そんなこと考えたこともなかった。クスクスと笑う私を不思議そうに見るカナタ。


「彩芽、笑った」

「うん、カナタが元気をくれたの。カナタに会えたこと、夢じゃなくて……よかった」


 やけに瞼が重い。

 カナタといるだけで安心する。私を包むのはカナタの優しさ。

 目を閉じる前、見えたのは近づいてくる男の子。

 町からやって来たのかな。

 この子は……何処に……







「彩芽、彩芽」


 カナタが私を呼んでる。


「彩芽、起きてよ。……彩芽」


 起きる?

 そっか、私眠ってたんだ。

 目を開け見えた金色の空。

 黄昏時が訪れた。


「ごめんねカナタ、私……眠っちゃった」

「いいよ、体は大丈夫?」

「うん、行こう。カナタ」


 体を起こし、カナタの角を掴んだ。

 町に着く頃には夜が訪れる。

 そうしたら、私達は誰にも見られずに……




「あれだ、いたぞ‼︎」


 声が響いた。

 振り向いて見えたのは、近づいてくる男達と老婆。

 それだけじゃない、宮に仕える知らない人達と……私が見た男の子。

 まさか……あの子が私達のことを。


「驚いた、我らの生き神様。随分と珍しいものを連れている」


 老婆は微笑む。

 見ているのは私じゃない……カナタを。


「金色の角、雪のような体毛……なんと美しい」

「我が息子の手柄です。よくやったな、お前の知らせが主人あるじ様を喜ばせた」


 男の弾む声と男の子の無邪気な笑顔。

 私が眠らなければ、もっと早くここから離れていれば。私のせいで……カナタが見つかった。


「逃げて……カナタ」


 カナタは首を振った。


 ——ボクは、彩芽と一緒にいたい。


「逃げて、お願い」


 カナタ、私は知ってるの。

 生きていれば、どんなことがあってもまた会えるって。

 私は連れ戻されるだけ。

 死んじゃう前に、また……会えるから。


「逃げて……早く」

「逃がしはしないよ。はなんらかの財に繋がる。さぁ、生き神様、私達と戻るのよ。安寧と繁栄を望む民が待っているのだから」


 首を振った。

 私は自由になりたい。

 私が連れ戻されたらカナタも無事ですまない。


 逃げて。

 逃げて。


 カナタだけでも自由になって。

 ごめんね、自由にしてくれるって言ったのに。


「カナタ、逃げて」

「逃がさないって言ってるだろう‼︎」


 老婆の怒鳴り声と続いた金属音。

 男達が手にした猟銃。

 カナタに向けられた……銃口。

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