第32話

 黄昏に染まる空。

 それは私が白い衣を纏い、煌びやかな装飾具をつけられ集まった人々の目に晒される時。

 何を語ることもない。

 人々は私を前に声を上げ、思い思いの姿で祈りを込める。


 黄昏が照らす白い髪と薄青色の肌。

 作りだされた神という虚像を前にして。


「父様、母様」


 かき消される呟きと人々を見渡す私。

 父様と母様が来てはいないか。

 今日は来ていなくても、明日にはきっと来てくれる。

 一緒に家に帰れる時が……いつかは。


 繰り返す落胆の日々。

 それでも明日への期待が生まれていく。

 願いが叶うことをカナタが教えてくれたから。



 私を引き取ったのは、高瀬という姓を持つ老婆。

 神を祀る宮、そこを住処とする老婆に誰ひとり逆らう者はいない。老婆の親族はこの町でそれなりの地位と財力を持っている。そして親族は信じている、自分達の繁栄は、老婆の慈愛と信仰心が呼び寄せているのだと。


 何があろうとも老婆には逆らわない。


 それが親族達の決まりごと。




 老婆は町の声に常に耳を傾けていた。

 私の家に訪れたのは、噂に聞いたに興味を持ったから。

 母様に言われるまま、蔵から出た私を見るなり老婆は目を輝かせた。


 ——なんと美しい。……あやかしは時に、このような姿で人を惑わせる。美しいと評せるのは私が、慈愛の力を持って彼女を見ているからです。彼女を呪う忌まわしき者、必ずや私が消し去って見せましょう。この身、我が命に変えてでも。


 老婆の語りを前に母様は泣き崩れた。


 ——あぁ、どうか呪いを……呪いを遠ざけてください。信じています、慈愛の力がいつかは……我が子を。


 家から出てすぐに私は見た。

 老婆の冷ややかな目と口元に浮かんだ笑みを。

 それが意味したのは、私を神に仕立て多くの人々を呼び寄せること。人が祈り、願う中で財を落としていく。それは老婆と親族の豊かさと安寧を広げていくのだと。

 訪れない限り、私がどう過ごすのか家族が知ることはない。誰ひとり逆らわない場所で、老婆は私をどうすることも出来た。


 不自由をさせない代わりに、名もなき娘を財の象徴とする。





 老婆と男達の目から逃れ木々の間を歩く。

 鳥の囀りと風が葉を揺らす音。


「カナタ……カナタ、いる?」


 私の声に答えるように現れた鹿。


「彩芽」


 嗄れた声が私を呼んだ。


 訪れたひと時、それが夢じゃないことが何よりも嬉しかった。


「彩芽、笑ってる」

「嬉しいの。だって、カナタに会えたから」

「ボクも笑えたらいいのに。そうしたら、彩芽をもっと喜ばせる」

「いいよ、会えただけで。来てくれてありがとう」


 カナタ、私は知ってるんだよ。

 どんなことがあっても、生きていたら絶対に会えるんだって。

 父様とも、母様ともいつかは。

 だって……願いは叶うんだから。


「ねぇ、カナタ。私は今日、何を話せばいいだろう」

「彩芽が話したいこと、なんでもいいんだよ」

「いっぱい話したいって思うの。でもね……話せることがないんだ。私には思い出もないし」


 閉じ込められていた過去と、ここで過ごす今を思い出と呼べるようになるのはいつだろう。

 明日かもしれないし、ずっと先のことのようにも思える。

 そうだ、ずっと……探してたものを思いだした。


 思い出。


 懐かしく感じられるものや、話しながら心が温まる何かがほしかった。


「彩芽の代わりにボクが話そうか。……ボクも同じだ、話せることがない」

「カナタにもないの? 思い出が」


 トクリ


 心が弾む音を立てた。

 なんだかワクワクする。空の青さがいつもより眩しい。


「カナタといればいっぱいの思い出が作れる気がする。そしたらもう……何もない所から思い出を探さなくてもいい。そうだ、ひとつだけ話せることがあるよ。私が大好きな、母様のおむすび」

「彩芽の母さんは、縁を結ぶのが上手いんだね」

「縁結びじゃない、お米を握ったご馳走だよ。すごく美味しいの」


 おむすびのような雲があればいいのに。そしたら指さしてカナタに教えられる。



 ガサッ

 ガサッ



 近くで物音がした。


「気のせいか? このあたりで声がしたのは」

「動物の鳴き声だろう。夕刻が近づいてきた、戻って準備を進めよう」

「小娘は戻るんだろうな?」

「戻るさ。今までもそうだろう、ひょっこりと現れて俺達の言いなりに動く。あれも馬鹿じゃない、言うとおりにしなければどうなるか……仕置きなんて誰もがごめんだろう」



 ガサッ

 ガサッ



 物音が遠ざかるのを待って息を吐きだした。

 よかった、カナタが見つからなくて。

 人は時に欲深い。

 金色の角と真っ白な毛。

 それを見て考えはしないだろうか、カナタを捕まえて財を呼ぶ何かにする。ましてや喋れることを知られたら。カナタを見せ物に……奇異の目を集めて……







 ここに来てからの日々。

 私が体の不調を感じたのは、冬が近い秋の夜。

 体が熱を帯び、食べるものが喉を通らない。

 食べなくちゃ、願いをひとつずつ叶えいくために。だけど食べようとすればするほど、体はそれを拒み私をひどく疲れさせた。


「彩芽、大丈夫? 少し……痩せた?」


 カナタが私のそばに座り込んだ。

 艶やかなカナタの毛は温かく、もたれかかるだけで安心出来た。


「ごめんね、心配かけちゃって。大丈夫、もうすぐ食べられるようになるから」


 きっとね。

 食べれなきゃ、私の願いは叶わない。


 枯れた葉が落ちた木々の群れ。

 それが感じさせる季節の巡り。

 もうすぐ冬が来て雪に包まれる。

 春になれば桜が咲いて、夏は向日葵が太陽へと伸びていく。


「カナタ、私ね……この世界がとても好き。空も花も綺麗で優しいね。私はずっと……この世界が好きでいたいの」


 私の姿は人が抱く負の象徴。

 妬み、憎しみ、嫉妬。

 人が時に抱くものが私を生かす命だとしても。


「生まれてこれてよかった。だって、カナタと見る世界は眩しくて……こんなにも温かい」

「彩芽がいる世界は優しい。彩芽と一緒なら、何かを変えていける気がする」


 空を見上げるカナタの目。

 綺麗だな、宝石のように輝いて。


「ねぇ、カナタ。雲の形から何かを想像したことはある? 私はね」


 母様のおむすびを——


 ゴホッ

 ゴホッ


 グッ……ゥ……


 咳き込み、落ちた血が大地を染めた。

 真っ赤な色、私の目と同じ。


「彩芽、大丈夫か……彩芽‼︎」

「ごめんね。カナタの大切な場所、汚しちゃった」


 いつかは何かの種が芽吹く場所。

 それを……私の血が。


「彩芽、君は病を」

「心配しないで、ちゃんと治るから。お医者様が来てくれたら……きっと」

「ボクに出来ることがあればいいのに。せめて、未来のことがわかれば」

「カナタってば。未来なんて、知っても何も変わらない」

「それでも、彩芽のために」

「ありがとうカナタ。私のこと、いっぱい考えてくれて」


 トクリ


 心が弾む。

 気にかけてもらえるって、こんなにも幸せなんだ。







 お医者様が診てくれることはなかった。

 老婆は私に言ったんだ。

 薄ら笑いを浮かべながら。


「病ねぇ。人々の称賛を無下にするからさ。どれだけの人が会いに来てるのか、その有り難みがわからずにいる。財を投げ安寧と繁栄を願う、それに答えない心が病を呼び寄せた。治したければ、今からでも心を入れ替えればいい。……さぁ、お医者様を呼ばなくては。うつされでもしたら大変なことだ」

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