「観光」と「地元」——下道基行の作品より

 私が下道基行氏の作品を初めて見たのは、2021年に東京都現代美術館に「観光客」として訪れたときだった[3][4]。1978年に生まれの彼は東京郊外の団地の片隅で出会った戦争遺物から、自身のつながるアーティスト活動を始めている。2001年から2005年にかけて行われた《戦争のかたち》は、彼がカメラを手に数々の戦争遺構を撮影したシリーズ作品であり、アーティスト活動のきっかけとなった戦争遺物との出会いがそのまま反映されている[5]。彼は日本全国に残される旧軍事施設遺跡を写真として撮影することで、それがある場所では公園の一部となり、また別の場所では改築を繰り返しながら、地元民の住居として機能していることを示した。そうした遺構たちの撮影より、敗戦から60年経過した日本にで忘れられた、あるいは忘れようとされてきたものたちが再度、取り上げられていく。こうした試みは2004年から開始される《Re-Fort Project》にも、反映されている[6]。Fort=要塞砲台をRe(novate)=再利用するという意味が込められた本プロジェクトは、美術家や建築家などと協働しながら、かつての存在意味を失いつつある戦争遺構に実際に触れ、体験する試みとしてなされた。


 これらの活動には、戦後という時間の経過によってもはや失われつつある過去の再確認、そして身の回りに実は存在しているはずの「歪み」の再確認、という意味が強く込められているだろう。かつて日本の植民地下で建てられた鳥居を撮影した《torii》(2006)では、国外における戦争遺構が求めることで、国外にある国内という「歪み」が表象された[7]。のちに実施されたプロジェクトである《14歳と世界と境》(2013)では、国内外の様々な地域に住む14歳の子どもたちに「身のまわりの境界線を探す」という特別授業を行うことで、子どもたちにとっての「境界」=自分がいる世界の向こう側という意味での「歪なもの」に注目が当てられた[8]。子どもたちが書いた「境界線」に関する文章は新聞記事として掲載され、そして書かれた記事たちはスクラップブックにまとめ上げられながら、「名前」「日付」「場所」を記入して次の人に本を手渡しするというルールとともに、文章たちはさまざまな日常生活を営み人々のなかで自由に「観光」を続けている。こうした下道基行の活動は、あえて言えば「歪なもの」を提供しうる「観光客」のようだ。《戦争のかたち》《torii》の二作品において、各国を自ら訪れ写真を撮影する下道はまさしく「観光客」であり、《14歳と世界と境》においても、彼自身が「観光客」のように各地を巡るだけでなく、作られたスクラップブックも、見知らぬ土地に新しさを供給する「観光客」として機能している。


 一方、こうした彼の方向性は2010年代にかけ、次第に変化している。富山での展示に向けて作成された《新しい石器》(2015)において、彼はそれ自体に全く意味のない石に注目し、作成した写真集に浜辺の石ころを挟み込んで販売するという実践を行った[9]。そこには、これまでの作品において見られたような「観光客」的要素ではなく、あくまでその地で拾った「石」が挟まれた。2019年に開設した《瀬戸内「  」資料館》(2019-)では、彼はそれまでの各地域に訪問して撮影を行うという実践から異なった、地元に寄り添った活動も始めている[10]。生まれ故郷に設置されたこのスペースは、瀬戸内の島々を対象にフィールドワークを行うことで、すでにこの地域を記録してきた写真家やその他の人々に光を当てる。そうすることで、残された写真や記録より収蔵庫を作成することが、スペースの目標だ。最初に開催された《瀬戸内「緑川洋一」資料館》では、瀬戸内の風景と岡山の光景を保存し続けた写真家である緑川洋一に注目するという、いたってパーソナルかつ「地元」に焦点を当てた展示だろう。


 国内外で「観光客」をしてきた下道基行は2019年に足を止め、瀬戸内という土地の「地元民」となったのだろうか。この変化は、彼によって次のように語られる。


『————2011年の東日本大震災の後、大学に入ってから住み続けた東京を離れた。


震災以前に作成していた「戦争のかたち」「Re-Font Project」「torii」シリーズは、普通の日常を撮影しながらも風景の背後に存在する“見えない近代”を掘り起こそうとしていた。ただ、震災や原発事故によって、近代から変わらない“歪み”が誰の目にも見える形で露出した。それから、制作の興味は別の方向へとズレたように思う。


2011年以降に始めた「新しい石器」「bridge」「ははのふた」などシリーズ作品は、歴史的な過去ではなく薄っぺらな日常を扱っているが、興味の時間軸は“人の中に眠る原始”へとシフトしている。この作品集がまとまる2021年は、その震災から10年となる。加えて新型コロナウイルスの世界的な流行もある。僕の興味は、変化の真っ只中なのだ[11]。』


彼の変化は、私たちに大きな示唆を提供していないだろうか。東日本大震災によって露出した「歪み」は、それまであった世界を明らかに変えてきたという主張は、当時様々な形で噴出していた。哲学者の千葉雅也は2010年代の大きな変化に際し、それまで無視してきたような「心の闇」が震災によって噴出してきたことを、精神科医の松本卓也との対談で話している[12]。表現は異なるものの、ここでの「歪み」と「闇」はそう違わないものでないだろうか。そうした変化は作品にも範囲され、《新しい石器》における着眼点の変化や、《瀬戸内「  」資料館》における新しい挑戦がその姿勢を映しているようにも見える。浜辺の石ころや地元の写真は、下道が言う様にまさしく「薄っぺらな日常」であるのかもしれない。しかしながら、かつて「観光客」として世界を渡り歩いた彼が「地元民」と変化したこの過程は、「地元民」が「地元民」でありながらも「観光客」にもなり得るという、新しい可能性さえも提供しているだろう。



[3] 東京都現代美術館で開催された「Tokyo Contemporary Art Award 2019-2021 受賞記念展」である。美術館ウェブサイトに展示に関する詳細が記載されている。https://www.mot-art-museum.jp/exhibitions/TCAA_2019_2021/

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[4] 以下、写真は下道基行氏のウェブサイトを参照させていただいている。http://m-shitamichi.com/ (最終閲覧日:2022年2月6日)

[5] http://m-shitamichi.com/bunkers-1.php/  (最終閲覧日:2022年2月6日)

[6] http://m-shitamichi.com/refort1pho (最終閲覧日:2022年2月6日)

[7] http://m-shitamichi.com/torii (最終閲覧日:2022年2月6日)

[8] http://m-shitamichi.com/14sai (最終閲覧日:2022年2月6日)

[9] http://m-shitamichi.com/newstone (最終閲覧日:2022年2月6日)

[10] http://m-shitamichi.com/setouchi (最終閲覧日:2022年2月6日)

[11] 東京都現代美術館モノグラフ『下道基行 Shitamiti Motoyuki』東京都現代美術館編,2021年,127頁.

[12] 千葉雅也・松本卓也「ポスト精神分析的人間へ——メンタルヘルス時代の〈生活〉」〔『atプラス』30号(太田出版、2016年)所収〕.なお、ゼロ年代から2010年代にかけての変化に関して、筆者が以前に「LOCUST+」に投稿した以下の記事も参照。LOCUSTレコメンド ②ukiyojingu「少年少女は前を向いたのか――10年目のカゲロウプロジェクトと「繋がり」の思想」|LOCUST(ロカスト) https://note.com/locust/n/n0510aa00b100 (最終閲覧日:2022年2月6日)

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