第8話 宵星の塚の影祓い(五)

 月が天頂に差し掛かる頃合になって、テオが今日埋葬された娼婦の墓の異変に気付いた。木杭の傍に一人の女がひっそりと佇んでいた。


 微かに燐光を放つその女は目の前の墓標をただじっと見詰めていた。それはマリエラと呼ばれた娼婦の亡霊であった。


 テオが立ち上がろうとするとマイラが身振りで制した。テオは彼女の指示に従い、再び腰を落ち着かせた。そのすぐ隣では外套に包まったセラナが寝息を立てていた。


「少し様子を見ましょう」マイラが囁いた。彼女は視界の端で墓標の傍の女を捉えると、それ以上は特に注意を払おうとせず、手にした棒切れで焚火にくべた薪をいじっていた。


「これから毎晩ここで見張るの?」テオが尋ねた。娼婦の女の亡霊はどうやら己の墓標の傍に佇んでいるだけの無害な亡霊のようだ。マイラは火をいじりながら口元に軽く笑みを浮かべると、そうだと頷いた。

「二、三日の間は何事も起きないよう見張らないといけないだろうね」その返答にテオが憂鬱そうな顔を見せると、以前から感じていた疑問を姉弟子に投げかけた。


 テオは、死者を弔う時に何故初めから鎮魂の護符や呪い文句を用いないのか問うた。現にそうする時もある事を少年は経験で知っていた。凄惨な死の現場では頭領かその名代の判断で死者が戻って来れぬよう、あらかじめ術を施してから葬るのだ。

 そうすれば夜通し見張る手間を省けるはずであったが、マイラはテオのその問いにすぐには答えず、代わりに周囲の丘に何がみえるか少年に尋ねた。


「ここは大昔から人々が眠りに付く場所よ」マイラは相変らず焚火の火を見詰めたまま言った。テオは促されるまま闇の向こう側を見渡してみた。


 目が夜の暗さに慣れるにしたがい、暗闇の至る所に月明かりに照らされた無数の墓の輪郭が浮かび上がる。それは木の杭であり、石造りの碑であり、質素で粗末な物から絢爛華美な物まで新旧様々な墓標が丘陵地帯を埋め尽くしていた。


 それらは遠くネビアの街灯りから彼等の居る場所のすぐ近くまで迫っており、そしてこの先も荒野に向けて拡がり続けて行くのである。


「全ての人を力ずくで眠りにつかせる事は出来ないのよ、テオ。出来るなら自ら安らかな眠りを手に入れてくれるにこしたことは無いの」マイラはそう言うと、隣で眠り込んでいるセラナの方を見た。


 セラナは外套の襟元に首を半ばまで埋め、身体をくの字に折りまげて腕を枕に安らかな寝息を立てていた。


「それにしても変わった子……テオより胆が据わっているわね。あなたよりここの務めに向いているんじゃないかしら」マイラは冗談めかして言うと可笑しそうに微笑んだ。テオは彼女の最後の一言に抗議の意を示すと、呑気な寝顔のセラナを疎ましそうに見詰めた。


 確かに変な奴である、とテオは思った。セラナは一月ほど前にこの土地へふらりと現れたのである。ちょうど雨季の始まる直前であった。酷く乾燥しきった南の荒地をぼろ着一枚で彷徨っていたと言うのだ。意識を朦朧とさせながら一人で歩いているところを別の塚の影祓いに保護されたという。


 その影祓いはマルセンと縁のある者で、保護した少女を親方の元へ預けていった。少女は最初何を話しているのか聞き取れぬ程声が枯れ、酷い日焼けと熱に苛まれていた。

 それから意識が戻っても暫く誰とも口をきこうとしなかったが、数日介抱されて幾らか心を許したのか、己の名前をセラナとだけ明かした。


 しかしセラナは彼女の生まれや荒地をさまよう羽目になった経緯を話そうとせず、親方も特に問いただそうとはしなかった。代わりに親方は少女にこの土地での流儀をおしえ、そして彼女に選択の機会を与えた。


 セラナは影祓いとして生きていく心算は無い様子であったが、さりとてこの土地から去る素振りも見せなかった。親方もセラナの好きにさせると、この地に留まる間は塚人の教えを守るよう言い含め、塚の紋様を与えずに時折仕事の手伝いなどをさせていた。


「厚かましい奴」テオが愚痴をこぼした。

 元を糾せば彼女のせいで墓を夜通し見張る羽目になったのである。テオも時折親方の目を盗んでは街道や街に出没していたが、彼一人であれば咎めを受けるようなヘマはしない。


 なのに、である。咎めを受けるべき当人が目の前で気持ち良さそうに寝息を立てている事にテオは腹が立ってきた。だがマイラの言う通り、確かに少女は肝が据わっていた。


 セラナは最初の内こそ影人や亡霊を目の当たりにして打ち震えていたが、気が付けばそれも慣れてしまった様子で、今ではこうして夜の墓所の真只中ですやすやと寝息を立てているのだ。


「こいつ、いったい何処から来たのかな?」テオはセラナの寝顔を覗きこんだ。


 セラナは当初、影人や塚守、それにネビアの街の事を良く知らぬ様子であった。ならば街道筋の生まれでは無いのだろう。おそらくはテオと同じように遠くから来たに違いなかったが、では何故旅の備えも無しに荒野をさまよい歩いていたのだろうか。


 テオはマイラに意見を求めるように視線を投げかけてみた。だが彼女からの返答は得られなかった。

「無用な詮索は無しよ」マイラは嗜めるような目をし、テオにも少し眠るよう促した。




 瞼の上からさす朝陽の刺激にテオは飛び起こされた。眩しさに手をかざしながら薄目を開けると、マイラが彼の頭巾の端をめくりあげていた。すぐ隣でセラナも同じ事をされ、寝ぼけ眼で文句をこぼしていたが、とうのマイラは子供達の不平不満には一切取り合おうとせずに立ち上がると小屋の傍を離れた。


 空をみると太陽は随分と高く昇っていた。焚火の後始末は済まされており、辺りには影も影人も亡霊も見当たらなかった。テオは起き上がるとまだ寝入ろうとしているセラナを半ば強引に立たせて先に墓所へと向かったマイラの後を追った。


 マイラは先日埋葬した娼婦の墓の傍で静かに祈り文句を唱えていた。テオとセラナもすぐに彼女の隣に並んで立つと、マイラに習って静かに頭を垂れる。三人は死者に捧げる簡素な祈りの言葉を紡ぎ終えると墓所の小道を家へと向けて歩き始めた。


 一晩明かした小屋から南東に向かうと、セム川の手前に小高い丘陵地があった。潅木のまばらに生える丘を越え、道沿いに暫く進む。やがて斜面は急勾配で下り始め、その麓に宵星の塚の者達が住まう小さな集落が見えた。


 集落といっても五棟の古びた小屋と年季の入った貯蔵用の蔵が一棟あるきりで、小屋の内三つは空き家であった。すべての建物が水汲み櫓のある広場を囲むように並び、丘から下る小道はその広場へと続いていた。

 そして集落の向こう側の丘をもう一つ越えればセム川だ。セムの流れは丘に遮られて見えなかったが、出水期特有の地鳴りのような水音が彼等の立つ場所まで鳴り響いてきた。


 テオとセラナは潅木の間を抜けると、どちらから言い出すでも無しに坂道を競う様に下り始めた。その後から呆れ顔のマイラが潅木の茂みから出てくる。


「危ないわよ!」マイラは無駄と知りつつ先をいく二人に忠告を与えた。案の定テオとセラナは斜面の中程で絡まり合うように転んで見せたが、それも慣れっこの様子で、子供達は転んだ勢いそのままに器用に立ち上がってみせると、そのまま集落のある方へと走り去ってしまった。


 マイラは苦笑を浮かべながらゆっくりと坂を下り始めた。セラナが共に暮らすようになってからというもの、塚での暮らしも随分と賑やかになったとマイラは感じていた。


 この集落は墓所を預かる墓守達の暮らす場であったので市井の喧騒とは元々無縁であったが、それでも子供が二人そろうと日常の至る所に意地を張り合う種が潜んでいるようだ。


 テオはセラナが来る前の数年間を実に大人しく、分別のある弟子として過ごしてきた。だが今ある姿があの少年の本来の有り様なのだろうとマイラは思う。時折度が過ぎてマイラやヨアキムを苛立たせる事も少なく無かったが、やはり子供は仏頂面より何かにむきになっている方が可愛らしいと言うものである。


「アン、おはよう」マイラは井戸で水汲みをしていた中年の女に挨拶をした。女の方が先にマイラに気付いていた様子で、井戸の縁に水汲み桶を乗せると彼女がやって来るのを待っていたようだ。


 彼女はマイセンの妻であり、テオやセラナ、それにマイラの預かり親でもあった。テオとマイラの兄弟子にあたるヨアキムは昨年の暮れに妻を娶って皆と別の小屋に暮らしていたが、マイラと二人の子供達は今も一番大きな小屋でマルセン夫婦と共に暮らしていた。


「ご苦労様。子守も大変だったでしょう」アンはマイラの苦労を労うと、手を洗って家の中へ入るよう促した。


 小屋へ入ると食卓には既に朝食の準備ができていた。

 壁際の暖炉の傍にマルセン夫婦が向かい合って座ると、アンの隣にマイラが、マルセンの隣にテオとセラナが並んで座った。そしてアンが皆の椀に野菜のシチューを取り分けてやり、その間に蒸かした芋の入った器が食卓を巡る。

 見慣れたいつもの朝の景色であった。


「様子はどうであった?」マルセンは芋を自分の皿に取り分けながら昨夜の様子をマイラに尋ねた。彼女は墓所の様子を手短に話すと今のところ問題は無さそうであると告げた。

「念の為、あともう一晩様子を見ようと思います」マイラがそう言い添えると、向かいのテオとセラナがそろってマルセンの顔色を伺った。

「ご苦労だがそうして貰えるか」マルセンはそう述べると、子供達の方へと目を向けた。


「お前達への罰はこれまでだ。代わりにヨアキムについて夕の市に買出しに出かけてもらう」マルセンのその一言にテオとセラナが押し殺した笑みを浮かべると、親方が遊びに行かせるのでは無いと二人にくぎを刺した。

「さぁ、話はその辺にして食事にしましょう」アンはにこやかに言うと、子供達に食事を済ませて部屋で休むように言った。


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