第22話 冬の市



 グラーツが牢から解放された。リアリナはグラーツの馬に一緒に乗っている。冷んやりした空気の中、背中と腰に回された腕が暖かい。


 再会した瞬間、思わず抱きついてしまったが、そのあとはずっとグラーツは言葉少なだ。馬の前に乗せられて、表情を見ることも難しい。


──やはり、怒っているのだろうか。手を引けと言われた後も、自分で勝手に動きまわり、結果捕えられてグラーツの足を引っ張った。


 でも、怒られてもいいとリアリナは思った。またグラーツの側にいれることが、温もりをもう一度感じられるのが純粋に嬉しかった。


──あの時言えなかった言葉を、もう一度泣かずに伝えよう。答えがどうあっても構わない。


リアリナの心は不思議と落ち着いていた。





 グラーツの家に着くと、腕を掴まれ無言のまま部屋まで連れてこられる。グラーツはソファに腰を下ろし、立っているリアリナを抱きしめた。


「無事でよかった……本当に……」


 絞り出すような声は重く、震えていた。リアリナはグラーツをそっと頭から抱きしめる。髪からはいつものグラーツの匂いと、一晩中牢にいたため湿気った臭いがする。


「グラーツ様こそ、ご無事で何よりです」


 グラーツは顔を上げ、リアリナをソファーに座らせる。


「俺はいいんだ。拷問されたわけでもなく、あんなの苦労にも入らない。……よく王を説き伏せられたな。俺の策も、王がノルトハイム公の肩を持てば、ここまでうまくいかなかった」


「グラーツ様の真似をしたんです。でも、陛下はノルトハイム公の企みに気づいておられましたよ。ただ自分に自信が持てなかっただけで」


「……本当に、強くなったな」


 グラーツはリアリナの頬に触れる。


「……何もできず、一晩中気が狂いそうだった」


「私は、多分グラーツ様が何か手を打つだろうと信じてましたから」


 リアリナは笑った。頬を覆うグラーツの手に手を重ねる。決意していても、答えを聞くのは少し怖い。


「だから……また、前みたいに時々会ってもらえますか……?」


「いや、前みたいには戻れない」


「え……」


 グラーツはリアリナの両頬を包み込んで真っ直ぐに瞳を見た。


「あの時、聞かなかった言葉の続きは俺が言おう。リアリナ、愛している」


 リアリナは優しく笑いながらも、うなずく。目には涙が浮かぶ。


 どちらともなく唇が重なり合う。グラーツはリアリナを抱き寄せた。リアリナが腕の中にいることでこんなにも幸福感に包まれる。リアリナもグラーツの広い背中に腕を回した。


「また泣かせてしまったな」


 グラーツの胸に顔を埋めながらもリアリナは首をふる。


「私も好きです」


「……いつか、聞いてくれるか。12年前のヘマの話」


「あなたが辛くないのなら」


「とりあえず、今日は疲れただろう。このまま休んでいくか?」


「いいんですか?」


「もちろんだ」


 するとグラーツはリアリナを抱き上げて寝室へ連れて行った。


「ゆっくり寝るといい」


 ベッドに横たえ、頭をゆっくり撫でるグラーツの手をリアリナがとる。


「……もう少しだけ、握っていてもいいですか?」


「ああ。おやすみ」


 リアリナは嬉しそうに目を瞑り、少しすると小さな寝息が聞こえてきた。グラーツは握っていた手にそっと口付けして、部屋を出ると、ソファーに横になった。





 目を覚ましたリアリナを送り届ける頃には、すでに日は傾いていた。グラーツはカル・ゴートのいる戦略室を訪れた。


「氷姫についていなくてよかったのか?」


「……グリフ伯のばか息子に俺の情報を流したのはあんただよな。今回の件、どこまで計算してた?」


 カルゴートは悪びれもせず、目線はずっと書類に向けられたままだ。今朝の大騒動の後始末だろう。


「計算ね。いくつか想定していた終わりの一つに落ち着いただけのこと。まあマシな方の終わり方だな」


「だからと言って、リアリナを巻き込んでいいのか!」


 激昂し、机を叩くグラーツに対し、カルゴートは眉一つ動かさない。


「あの娘をここへ連れてきたのはお前だろう。巻き込むなら、半端なことをせず、責任持ってとことん巻き込め。あの娘は見た目ほど弱くはない。今回は実に上手く動いてくれた。何故その才を信じてやらんのか」


「……彼女からも同じことを言われましたよ」


「人の心も戦略に組み込めと教えただろう。ともあれ、そのおかげでお前も過去を乗り越えられたし、お前たちも収まるところに収まった。感謝されこそすれ、文句を言われる筋合いはないぞ」


 何か言い返そうとするが、カル・ゴートには何を言っても通じなそうだった。グラーツは乱暴に椅子に座り、足を組んだ。


「リアリナ・アンファングはすでにこの国の渦に乗ってしまった。お前さんもぼやぼやしてると、置いていかれるぞ」


「小隊長なんて下っ端でどうやって活躍しろっていうんだよ」


「お前が表舞台に出るのは、まだだ。それまでは地道な『仕事』をするんだな。それに、部隊や肩書きが小さいからこそ動きやすいということもある」


「へいへい」


 結局、全てカル・ゴートの手のひらの上の出来事で終わった様である。癪に触るが、気づかずまんまと転がされたのは自分にも腹が立つ。


──期待されてるんだか、利用されてるのか






 冬の市も終わりに近づいてきた。まだ日が高いうちから、グラーツとリアリナは市に遊びに来ていた。


「というわけで、陛下を『跳ね馬亭』にお連れしたのですが……持ち合わせがなくって……」


 リアリナは決まり悪そうに目を伏せる。


「ツケにしてもらったのか。陛下に奢るのに文無しとは大した度胸だ」


「だって、ノルトハイム公から持ち物取り上げられたんですもの。短剣以外は」


 と、そっと鞘を見せる。


「使うことはなかったけど、お守りがわりでした」


 グラーツは笑ってリアリナの頭を撫でる。


「大丈夫だよ、あの店は俺もよくツケにしてもらってんだ。多分リアリナ殿の顔も覚えてる、あの店主」


 2人は市を散策する前に、『跳ね馬亭』に立ち寄った。店は夜と違い客もまばら、店主は厨房で料理を仕込んでいる。グラーツが手を挙げると、こちらへやって来た。


「あの、この間は、すいませんでした。ツケの支払いに参りました」


 馬鹿丁寧に恐縮し、金子を差し出すリアリナを店主は笑い飛ばした。


「いーんだよ、別の男と来たってグラーツの方に一緒にツケとくから!」


「おい、こら」


「そういや、あの後、お嬢ちゃんと一緒に来ていた、でっかい方がアップルパイ持ち帰りで何度か買いに来ていたぜ。もう1人のやつが気に入ったんだとよ」


 リアリナとグラーツは互いに顔を見合わせた。




 空は高く澄み渡り、冬の冷えた空気が目を冴えさせる。最初は混み合う冬の市も、終わりの時期になると、人もまばらで散策しやすかった。


 グラーツが屋台でホットワインを買う。


「飲んでみるか?これはそんなに強くないし。甘くて温まるぞ」


 一口飲むと、葡萄の香り、蜂蜜の甘さと複雑なスパイスの匂い。体の芯から温まる。美味しい、と口に出さなくても、リアリナの口元が綻ぶ。


「な、イケるだろ?」


 2人は腕を組み、冬の市を歩いて行った。




 

 ノルトハイム公の企みは潰えた。公は所領に蟄居を命じられ、都ラテーヌに戻ることは許されない。また、公の息がかかった議員の貴族たちも、一様に罷免されたが、所領没収のお咎めはなく、租税の支払いだけで済んだ。

 この件の汚職に関わる貴族を処分したことで、コンラート王の英断は民たちからも評価されることとなる。



 少し先の話になる。



 図書館の氷姫こと、リアリナ・アンファング。彼女は平民出身ながら、王太子の教育係に抜擢される。また、軍人出身で外交官として表舞台に出てきたエラン・グラーツの功績により、ヘルリッヒ王国の発展は最盛期を迎える。


 麗しき王国ヘルリッヒの宝石、ラテーヌの都


 そう謳われるのはまだ先の話である。


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図書館の氷姫 花矢倉 @hanayagura

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