第6話 跳ね馬亭にて

 演習が無事終わった。都へ帰ってきた頃にはほぼ日も暮れていた。兵舎を出たところで、グラーツは思わぬ人影を見つけて驚いた。


「リアリナ殿!どうしてここへ?……おっと」


 リアリナが答える前に、グラーツはリアリナを目立たぬ物陰まで移動させた。「氷姫」を見られたら、阿呆な男たちがまた寄ってきてしまう。


「すまんな、こんな格好で」


 髪は乾いていたものの、足元は跳ねた泥がこびりつき、鎧や装備も汚れていた。


「いえ……あの、いかがでした?」


 リアリナが聞きたいのは今日の結果だろう。わざわざここまで来るとはよほど気になるのか。グラーツは少し思案して、


「うん、そうだな。その件でリアリナ殿と話したいと思っていたんだ。どうだ?この後飯を食いながらでも話すというのは」


 また断られるかと思っていた誘いに、あっさりとリアリナは承諾した。


 少し離れたグラーツの自宅で待ってもらい、急いで着替えを済ませた。ニコニコとした感じ使用人の老人の男がお茶を出してくれる。リアリナは香りのいいお茶に口を付けた。


 急ぎ身支度を整えながらも、グラーツの心は複雑だった。ほいほいと男の家まで着いて来るなんて大丈夫か?好奇心は危機感より優っているのか?


「待たせたな」


「いえ、お茶ごちそうさまでした」


 連れ立って街へ歩き出す。グラーツは軍服ではなく平服に着替え、剣だけ腰に下げている。


「さあて、お嬢ちゃんは何が好きだ?何か食べたいものは?」


「え?私の好きな、ですか……?」


 立ち止まって考え込んでしまった。そんなに難しい質問だったろうか。ようやく、顔を上げて意を決したように答えた。


「強いて言えば……甘いものが好きですが」


「それはお菓子とかデザートという意味か?」


「はい」


「うーん……わかった。じゃあまず飯と、甘いデザートな。こっちの店だ」


 ガヤガヤと騒がしい大通りを曲がると、煤けた印象の裏路地になる。普段リアリナは足も踏み入れないような、雑多な印象。その中に『跳ね馬亭』と看板にある店にグラーツは案内した。


 扉を開けた途端、人々のすごい声に、リアリナは身をすくめた。酒で盛り上がる声があちらこちらであり、奥の方ではカードをやっている。庶民達の通う居酒屋らしいが、少し治安は悪そうな風情である。


 グラーツは慣れたように壁側の席に腰掛け、店員に注文している。が、店の喧騒で、リアリナにはほとんど聞き取れなかった。


「……か?大丈夫か?」


「あ、はい!」


 ようやくグラーツと正面に向かい、声が届く。しっかりと大きな声を出さねばかき消されそうだ。


「こういうところは初めてか?」


「そうですね。そもそも、1人で外で食べたことなくて……」


 驚いた顔をするグラーツが何が言おうとしたところで、店員がビールと料理、それからリアリナの前にグラスを置いた。


「お嬢ちゃんは酒は飲めるのか?」


「飲んだことありません」


「だろうな。そら、苔桃のジュースだ。乾杯しよう、今日の作戦の成功に!」


「!」


 ようやく聞きたい一言が聞けた。思わず誘われるがままグラスを合わせ、口をつけた。


「っはーー!!やっぱいいね、勝利の美酒は!」


 グラーツはごくごくとジョッキをみるみる飲み進めていく。


 リアリナの口つけた苔桃のジュースは甘酸っぱく、だが落ち着いた味だった。


「で、どうだったんですか?」


 上機嫌のグラーツは今日の作戦とその顛末を話し始めた。


 レーゲンの予報があたり、雨が降った。その雨を利用し、背後から奇襲する作戦を取ったグラーツの隊が一人勝ちした。が、模擬戦が終了後、グラーツ隊に切り崩された隊の隊長が怒って掴みかかってきたという。


 しかし、そこへ来たのが…


「カルゴート将軍様ってわけよ」


「あの方が……」


 先日軍略室の一番奥にいた初老の老人だ。軍部の組織にはあまり詳しくないリアリナだが、名を聞いたことがある。軍全体を統括し、場合によっては諸外国との外交も担うことのある、高位の人物。


「『戦略的には天気を考慮した作戦である。それに負けた腹いせで私闘を起こすことは何事だ』ってね。いやー、あのじいさん苦手なんだが、今回ばかりはスッとした!」


 グラーツはニコニコと話しながらすでにビールをおかわりを注文している。かつ、喋りながらリアリナにも料理を取り分ける。


「と、ここまでが今日の報告な。本当に助かったよ。ありがとう。今日は俺の奢りだから気にせず好きなものを食べてくれ。何が好みだ?」


 と、どれも美味しそうな料理が並べられていく。


 牛スネのワイン煮、トマトと水牛チーズのサラダ、じゃがいもとハーブのキッシュにピクルス、バゲット……


「あまり、外で食べたりはしないのか?」


「私ですか?ええと、外で食べた事がないです。いつも宿舎の食堂で」


「え、毎日?あそこの飯?……あまりにも不味いって評判で、住んでいるやつも基本は外に食いに行くって……」


「言うほど不味くないですよ。たまーに味付け忘れたのかな、って思うくらいで」


「それは不味いって言うんじゃ……」


「でもご飯を何にするか、とか買いに行く時間が惜しいんです。帰ったら読みたい本があるので」


「……なるほどね。美味い物への優先順位が低いんだな。俺とは逆だ」


 グラーツは料理も食べつつビールを飲み干す。リアリナから見ると、実に美味しそうに食べる。そして、先程からよく知り合いに声をかけられたり、手を上げて挨拶したりしている。


「あ、あの、グラーツ様はよくこちらへ?」


「あぁ、ちょいと騒がしいが、料理は美味いだろ?あと最後にとっておきのアップルパイがあるんだ。だからその分腹に余裕を残しておいてくれ」


 食事を進める中、最初はうるさいと思った人の声も、耳が慣れて来るとなぜだか落ち着く感じになってくる。そういえば、誰かと食卓を囲む事が本当に久しぶりなことをリアリナは思い出した。


 グラーツの2杯目のビールのジョッキが空になりそうになると、


「そろそろ頼んでおくか」


 件のアップルパイを店員に注文する。


「さて、出来上がるまで少し時間があるので……」


 と、リアリナを振り返り、ニヤリと笑った。

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