07

――インド共和国の首都デリーにある国際空港――インディラ·ガンディー国際空港に到着したレミとユリは、そのまま空港を出てタクシーへと乗り込んだ。


日本とインドの時差は三時間三十分。


日本を出たのが午後四時くらいだったので、現地では夜の十時頃になっていた。


タクシーの窓からふと街を見れば、煌びやかなショッピングモールや高級ホテルが建設される一方で、すぐ側にはスラム街が広がっている。


もう夜だというのに、交差点に視線を移せば、物乞いの親子が停車中の車に施しを求めて回る姿が、日常化しているだろうと思われる光景が見える。


そして、次第にスラム街の奥へとタクシーは進んでいくと、レミは運転車に声をかけて車を停車させた。


ユリはスラム街の喧騒に身を震わせていたが、レミはまったく怯むことなくその中を歩いていく。


貧民街の住民たちが、身なりのいい女性二人を見てにやけている。


こんなところを歩いて大丈夫なのだろうか。


ユリはレミの背後にピッタリとくっつき、不安に襲われながらも彼女の後をついていった。


しばらく歩くと、レミは寂れた建物を見つけて中へと入る。


ますます怪しい場所へと進んでいくので、ユリはこれから会うという人物のことを考える。


その人物とは、なんでもレミに偽造パスポートや身分証明書を手配してくれた人で、まだ母親のところにいる頃に知り合った老人なんだそうだ。


ユリはきな臭いブローカーか何かなのだと思っていたが、まさかこんなところに住んでいるなんてと、暑さで流れる汗が冷や汗に変わっていることすら忘れていた。


狭い建物内へと入り、レミは迷わず地下へと続く階段を下りていく。


すると狭い建物とは違い、地下のほうは灯りがついていて大きくなっており、まるで学校にある体育館ほどの広さの場所へとたどり着いた。


「先生、スキヤキ先生! 僕です! レミですよ!」


「スキヤキ?」


日本の鍋料理の名前を連呼するレミを見て、ユリが変な名前だと思っていると、奥から道着のような格好をした青年が出て来る。


見たところ東南アジア系。


日本人ではないので年齢がわかりずらいが、先生というには若く見える。


「なにしに来た? もう先生と関わるなと言っただろう、レミ·パンクハースト」


東南アジア系の青年は流暢りゅうちょうな英語で声をかけてきた。


その言葉や態度からして、レミのことをよく思っていないことがユリにもわかる。


「だって僕が頼れるのって先生しかいないんだもん。お願いだから先生に会わせてよ、ツナミ!」


「ツナミ? 東南アジア系なのに、なんか見た目に合ってない名前だなぁ……」


スキヤキにツナミと日本の固有名詞が名前なことに、ユリが違和感を覚えていると、東南アジア系の青年がレミへと近づいてくる。


その顔は強張っていて、固く拳を握っているのを見るに、力づくで追い出そうとしているようだ。


「さっさと出ていけ。先生はもうご就寝なさっている」


「こっちは一大事なんだよ!」


「お前の都合など知るか」


ツナミはレミに近づくと握った拳を振るって流れるように蹴り技へと入った。


中国拳法の基本技――虎尾脚こびきゃくで、レミは拳こそ捌いたが踵で蹴りつける後ろ蹴りを受けて壁まで吹き飛ばされてしまう。


「レミッ!? ちょっとあんたッ! レミになにすんだよッ!?」


「そういうお前は誰だ? 痛い目に遭いたくなかったら失せろ、日本人」


ツナミは喚いてきたユリに手を伸ばしたが、彼女に触れる前に吹き飛ばされる。


先ほど壁に叩きつけたはずのレミが飛び込んできたのだ。


だがツナミは彼女の発勁をしっかりと防御しており、ダメージはない。


それでもその表情は怒りに染まっている。


そんなツナミに向って、彼以上に眉間に皺を寄せたレミが叫ぶ。


「いくらツナミでも、ユリに手を出すなら許さない!」


「黙れ人殺しッ! 先生の教えてくれた拳法は活人の技だ! 今まで何人もの人を殺してきたお前が使うな!」


「だからこそ先生が僕に教えてくれたんじゃないか! 人を救い、活かす技をッ!」


レミとツナミは怒鳴り合いながら、互いの拳をぶつけ始めた。


格闘技の素人であるユリにもわかる。


二人が使用している技は中国拳法であること――そして、それが同門の技であることも。


打てば、放てば――技を繰り出すほど、二人の動きは噛み合っている。


それは闘いというよりも、むしろユリには舞のようにも見えていた。


幼い頃から人殺しの技術を叩き込まれたというには、レミの動きは武術家かまたは演舞をみせる踊り子のようだ。


そして、それは同じくツナミと呼ばれた東南アジア系の青年もだった。


激しく打ち合い、蹴り合い、ときに掴み合って放り投げ合いながらも、けして優雅さを忘れない闘い。


ユリはそんな二人の闘いを見ていて、綺麗だと思っていた。


「……って、見とれてる場合じゃない! なんとかして止めさせなきゃッ!」


ハッと我に返ったユリは、背負っていたリュックサックからある物を取り出した。


それは、以前に彼女が購入していたスタンガンと催涙スプレーだった。


このスタンガンは、ユリが大学時代にストーカーに追われていたときに使っていた物だ。


ちなみにそのときのストーカーは、スタンガンで無力化され、ユリ一人の力で警察に突き出されている。


「これなら怪我もさせないで止められるかも……。でも、あの二人の隙なんて、あたしに突けるの……?」

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