夜明けのマーメイド

なかと

人魚の脚

 今夜も、私は電子の大海原を泳ぐ。

そこには、大小様々な生物の物語で溢れ、いつものように私の存在が如何いか矮小わいしょうであるかを思い知る事となるのに。


 私はたまらず海面から顔を出すと、夜空を埋め尽くす星々と大きな満月が目に映った。


「綺麗……」


 外の世界へもう一度出てみたいという好奇心は、ウロコで覆われた私の脚では叶わぬ願いだと諦める中、突然として一筋の流れ星が空を駆けた。

「あっ、待って!」

願う間もなく夜空に溶け込んでしまった光の筋の先に浮かぶ、滑らかな岩礁がんしょうを見つけた私は、思い切って水面から飛び出し、そこに腰掛けてみることにした。


 眼下に広がるのは月明かりが水面に反射した光の絨毯じゅうたん。決して水中から見ることが出来ない景色を眺めながら、私は思う。


 ––– 私の居場所は何処なのだろう。


 私から言葉を奪ったのは、魔女ではなく、同じ人だった。


『役立たず』

『バカ』

『邪魔』


 地上で暮らしていた頃、日夜浴びせられるののしりや嘲笑ちょうしょう

 心を塞ぎ、言葉を失った私は、この電子の海に逃げ込み、地上では暮らせない人魚となった。


 何でも発言が出来るこの場所に、当初は居心地の良さを感じていた。

 しかし、時が経つにつれ、嘘や虚勢きょせいが渦巻く海の中に私は次第に息苦しさを覚えていく事となった。


「でも、今更地上には戻れないよね…」

遥か遠く、水平線の向こうにある筈の地上を想い、細い溜息をついた私の隣に突然として一羽のカモメが舞い降りた。

「どうしたの? 溜息なんかついちゃって」

 久しぶりの地上の言葉に驚いた私は、声を詰まらせていると、

「ごめんごめん、こんな夜更けに声を掛けるなんて怖い思いをさせたかな?」


 大きく翼を広げ、『じゃ!』と言って飛び立とうとするカモメに私は「ちょっと待って!」と、呼び止めてしまった。

 カモメは驚いた素振りを見せる中、私は何故引き留めたのか理由がわからないまま、口を開いた。

「私、海の中で生きているの。カモメさんはいいですね……自由に空を飛ぶことが出来るんですもの」


 カモメは苦笑いを浮かべると、ゆっくりと語り出した。

「僕はね… 地上にいた時、一つの会社に縛られ続けることが嫌で、色んな職業を転々としていたんだ。そのうち、『信用の出来ない奴』ってレッテルを貼られて、今ではこんな姿になっちまった。僕を雇う会社は無くなって、だから…日夜こうやってその日暮らしのエサを求めてウツロな空を飛び回ってるって訳さ」


 カモメの意外な言葉に、私は似た境遇に親近感を感じつつ、「そうでしたか…… 私も地上から逃げ出した弱い人魚なの。今もこうやって、死んだように海を漂っているだけの日々。この世界は、何処に行っても苦痛しか無いのかもしれませんね」と、空を仰いだ。

 カモメも同じく夜空を見上げると、「そうでもないよ」と、言葉を続けた。

「こうやって君と話が出来て、なんだか気持ちが軽くなった。決して、君を見下しての事じゃないよ。他人に弱さを曝け出したのは初めての事でね。そうさせてくれた君に感謝したいくらいだ」と、照れ臭そうに翼で頭を掻いていた。

「私ももっと、カモメさんに色々話したいわ」

 私の言葉に、カモメは驚きの提案を投げ掛けてきた。

「じゃあ、明日、『地上』で一緒にデートしてみないかい?」


 突然な提案に困惑していると、カモメは、「実は、僕も一人じゃ地上は怖くて… 君と一緒なら行ける気がするんだ。……駄目かな?」と、顔を赤くする。

 何かが変わりそうな予感が私の中で芽生えるも、「でも、私……この脚では一緒に歩けないわ」と、叶わぬ現実が口に出てしまう。


「……そんな立派な両足があるのに?」

カモメの言葉に、私は脚を見ると、不思議な事に人の両脚に戻っていた。


 ……ああ、そうか。

人魚の尾ビレは私の幻想。

自ら両足を縛って、鱗で覆っていたのは私の思い込み。


「…有難う、カモメさん。もうすぐ夜が明ける筈だから、そうしたら地上に連れてってくれる?」

 カモメは嬉しそうに、「こちらこそ宜しく」と、微笑んだ。


 今でも地上は怖い。

だけど、今は一人じゃない。

何でも一人で抱え込んだ人魚の脚では歩めぬ地上でも、二つの脚であれば、二人一緒であれば歩む事が出来るかもしれない。


 水平線がうっすらと色づいていく。


––– 夜明け。

 そして、元人魚と元カモメは互いを支えて、

大地に踏み出していった。

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