彼女の刹那を残す方法

金石みずき

僕と彼女の刹那

 夏休み最終日。

 僕は彼女のほっそりとした白い首に手をかけた。

 今日は彼女が企画した、旅の終わり。

 自殺旅行の最終日だ。




 旅行に行くまでは、僕たちはただのクラスメートだった。

 彼女がなぜ僕を誘ったかというと、ただの気まぐれ。

 強いて理由を言えば、僕が一人暮らしをしていて、親の目がないことが都合よかったそうだ。


 彼女と僕はあてもなく、旅をした。

 彼女は夏休みをかけていろんなところを巡り、いろんなものを見て、人生を満喫してから自殺する予定だった。

 本来なら、僕は最初の数日のみの暇つぶし要員だったらしい。


 けれど彼女が発したたった一つの何気ない質問への返答が、どうやら彼女の琴線に触れてしまったらしく、ここまで付き合うことになった。


「自殺するって聞いて、止めようとしないの?」

「しないよ」

「それは、なんで?」

「今まで散々自由を奪われて、理不尽な目にあってきたんだろ? なら自分の最期くらい、自分で決めてもいいはずだ」


 彼女は自殺することを肯定してくれたととってくれたようだった。

 けれど真相は違う。

 本当は否定するだけの気力がなかっただけだ。

 ただのクラスメートにそこまでの熱意を注げなかった。

 相手を否定するのはエネルギーがいる。

 僕はただ流されたかった。


 僕たちは、旅を重ねた。

 いろんな観光地、秘境、有名店……。

 思いつくままに、いろんなところへ行った。

 彼女はいつも、ころころと笑っていた。

 とても自殺すると決めている少女だとは、思えなかった。


 そんな日々が続くうち、いつの間にか僕は彼女を好きになっていた。

 自殺なんて、辞めてほしい。

 そう、言いたかった。

 けれど、言えなかった。

 だって彼女が僕を気に入ったのは、自殺を止めなかったから――つまり自分を受け入れてくれたと思ったからだ。

 ここに来てその想いを覆すことなんて、出来るはずがなかった。

 僕が臆病なこと以上に、彼女にはもう悲しんで欲しくなかった。


 そしてある日、僕は彼女に告白し、結ばれた。

 旅先で入ったラブホテルで、身体を重ねた。

 朝起きたときに笑ってくれた彼女を見て、なんて幸せなんだろうと思えた。


 それからは一層、旅が楽しくなった。

 目に映る景色が彩度を上げ、鮮やかになった。

 僕たちは手を繋ぎ、いろんなところを歩いた。

 写真をいっぱい撮り、移動中は眺めながら過ごした。

 これ以上ないほどに、幸せだった。

 砂粒が零れるように減っていく時間を、直視したくなかった。


 だが無常にも、今日が訪れた。

 自殺旅行、最後の日。

 これまでに旅して見つけた最高の場所で、彼女が死ぬ日だ。

 どこにしよう、そう悩む彼女に、僕は提案した。


「死ぬときは僕の手の中で死んでくれないか」


 彼女は、戸惑ったようだった。

 そんなことは背負わせられないと、そう言った。

 けれど僕は、続けざまに言った。


「僕が君を終わらせる。君は以前、何も残せなかったと言ったけれど、それは違う。僕の中で永遠に残るんだ」


 僕は真剣な目で、彼女を見つめた。

 彼女のくりりとした黒曜石のような瞳が、水分を纏ってきらりと光った気がした。

 そして彼女は頷き、涙を一つ落とした。


 彼女は最期の死に場所に、僕の部屋を選んだ。




 首にかけた手に、力を篭める。

 彼女の息が、か細くなっていく。

 瞳から光が、だんだんと薄れていく。

 だが彼女は苦悶に顔をゆがめながらも、口の端だけで笑って見せた。


 胸が鈍く、痛んだ。


 なぜ彼女がこんなに追い詰めなければならなかったのか。

 なぜこんなに普通の女の子が死ななければならなかったのか。

 僕にもっとやれることはなかったのか。


 そんなことが、頭の端から出てきては消えていく。

 それを全力で追い払いつつ、彼女の目をじっと見つめた。


 好きだ。好きだ。好きだ。好きだ。


 そう思わないと、やっていられなかった。

 彼女以外を世界から排し、僕は力を篭めていった。

 けれど、つい、腕に篭める力を緩めたくなった。

 そんな僕を、彼女は強い視線で射抜いた。


 僕は迷いを振り払うように、力を篭め続けた。

 彼女の呼吸は、どんどん、どんどん、細くなっていった。


 そしてとうとう、その時がやって来た。

 とんでもなく苦しいはずなのに、彼女は安心したように、微かに笑った。


 目が閉じられた。

 力が完全に抜け、手がだらりと垂れた。


 彼女の最期の表情は、まるで幼子の寝顔のように、綺麗で穏やかだった。


 僕はそれをどこか作り物を見るかのように眺めた。

 ひどく現実感ない光景だった。


 けれど、きっともう少し後。

 とんでもない喪失感とともに、堪えきれない悲しみがやってくる。

 その前に、やることがあった。




 遠くからパトカーのサイレンの音が聞こえてくる。

 通報したのは僕だ。


 人を殺した。


 そう言って場所を告げ通話を切った。


 あとほんの数分だ。

 僕は確実に逮捕されるだろう。


 たった一か月の逃避行。

 本来の彼女の人生を思えば刹那としか言えないほんの一瞬。

 出来ることなら共に歩みたかったそれを僕は終わらせた。


 僕は一つだけ嘘を吐いた。

 彼女は僕の中で永遠に残るといったけれど

 本当はそれだけじゃないんだ。


 だってそうだろう?


 この事実は公的な記録と共に永遠に刻まれる。

 これを以て僕と彼女だけの刹那は永劫のものとなる。


 僕は満足だった。

 そしてようやく、涙が止めどなく流れてきた。




 アパートの扉が開き何人もの人が駆けこんでくる音がした。

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彼女の刹那を残す方法 金石みずき @mizuki_kanaiwa

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