47――元日本代表


「河嶋さん、決勝進出おめでとう。少し話がしたいんだけどいいかな?」


 ジャージを着てベンチから引き上げてすぐに、まるで大きな壁のような体がオレの前にあらわれた。


 おそらく身長は180センチ後半から、190センチぐらいあるかもしれない。首が痛くなるぐらい見上げても逆光で顔はよく見えなかったが、その鍛えられた体躯からプロかそれに準ずるバスケ選手だろうと直感的に察した。


 隣にいたまゆがちょっとだけ警戒したように俺を背に庇おうとしたが、オレはその背中をポンポンと叩いて心配しなくても大丈夫だということを伝えた。それがちゃんと伝わったのか、まゆの立ち位置がオレの真横に戻る。


「はい……あの、私ですか?」


 突然名指しで話がしたいと言われたので、本当に自分でよいのかと少しだけ警戒心を持って返事をした。真正面で向かい合って立つと、その背の高さと鍛えられた肉体になんだか懐かしさを覚えた。そして先程よりもはっきりと顔が見えて驚く。この人、元全日本男子バスケ代表の佐々木剛ささきつよし選手だ。


 突然の元日本代表の登場に、オレは思わず背筋をピンと伸ばしてしまう。まゆは女子だからあんまり過去の、しかも男子の元代表のことを知らないのだろう。突然かしこまったような様子のオレを、不思議そうな表情で見ていた。


 佐々木選手、男だった頃のオレとプレイスタイルが似通ってたんだよな。高い身長でリバウンドをバンバン取って、ブロックショットも高い確率で決める。正直なところ、動きを参考にさせてもらってた選手なのだ。まさか初対面の時に自分が女になっているとは夢にも思っていなかったが、こうして現実に会ったら緊張するのも仕方がないだろう。


「元日本代表でセンターをやっていました、佐々木です。よろしく」


「「よろしくお願いします」」


 佐々木選手の自己紹介に、まゆとオレはそれだけを返して頭を下げた。さっきはオレの名字を知っていたし、オレ達の情報は多分あちらもわかっているだろうと思ったからだ。 


「改めて、決勝進出おめでとう。あのロングシュートにはシビれたよ。まったく外れなかったけど、あれは狙っていたの?」


「そうですね、狙ってました。あの、明日の決勝戦が終わるまでは外に漏らさないでいただけると助かるのですが」


 もしかしたら準々決勝の試合を相手校も見ていたかもしれないけど、できれば情報漏洩は最小におさえたい。その気持ちは佐々木選手もわかったのか、情報を他に漏らさないと頷いてくれた。


「別に正式なインタビューという訳ではないんだ。ただ、河嶋さんと話してみたくてね」


 まゆの雰囲気に警戒の色が混ざったのを感じたのか、最初にも言っていたように佐々木選手は『ただ話がしたいだけ』だと強調した。


「フライングしてしまったね、まずは座って話そうか」


 立ったまま話を切り出してしまった自分に気づいたのか、佐々木選手は苦笑しながら通路の脇にあるベンチへとオレとまゆを誘導した。俺を真ん中に左に佐々木選手、右にまゆという位置関係で座ったのだが、なんかこの3人で横並びに座るのは変な感じがする。


「さて、それじゃあ続きを聞いてもいいかな? あのシュート決定率を狙って出せるなら河嶋さんをフル出場させるべきだと思うんだけど、そうできない理由が何かあるのかな?」


 ズバリ核心をついてきた佐々木選手に、オレとまゆはぐっと息をつまらせて顔を見合わせた。でもこれはバスケ経験の有無なんて関係なく、誰でも思うことかもしれない。強力な武器があるにも関わらず、試合時間の4分の1未満しか出場させないなんて何か理由があるに違いないと。


 オレは覚悟を決めて、子供の頃から病気で入院を繰り返していて体力がないといういつもの設定を話した。覚悟が必要だったのは代表チームにも関わりのある人にまで話してしまったら、この嘘を徹底的に突き通さないといけないと思ったからだ。ないとは思うがもしもオレがU18日本代表に入るようなことがあれば、きっと関係者やマスコミが『河嶋ひなた』の経歴を嫌というほど根掘り葉掘り調べるだろう。


 教授たちが徹底的に裏から情報統制してくれたはずなので、そこからチグハグな情報が漏れる心配はないと思う。あるとすれば、オレ自身がボロを出す可能性の方がよっぽど高い。


 これからはもっとひなたになりきるというか、ひなたとして生きる覚悟をさらに高いレベルでするべきだ。自分のためだけではなく、協力してくれた教授たちや病院のスタッフの人たち。そしてうちの家族と我が子として戸籍に入れてくれた叔父さんと叔母さんのためにも。


「なるほど……体力か、それはたしかに一朝一夕ではどうにもならない問題だね。先輩の目からは、どう見える?」


 佐々木選手は今度はまゆに問いかけた。オレの付き添いだけのつもりだったまゆは、突然の質問に一瞬慌てたがすぐに落ち着きを取り戻した。


「ひなたちゃんは頑張り屋さんなので、頑張ってランニングや体育館内での体力トレーニングにも頑張ってついてきます。でも終わった後は倒れ込んだりして、呼吸もものすごく荒くて心配になりますね」


「……なるほど、強度不足なのかと思ったけどそれは充分っぽいね。病院には相談してみたかい?」


「はい。主治医は虚弱体質が影響しているのではないかと、仮説を立てていました。ただ運動を続けることによって体質が改善される可能性もあるので、諦めずに続けるようにと言われています」


 オレの答えに、佐々木選手は『それはそうだね』と納得したように頷いた。そしてまるで内緒話するように、自分の口元を手で押さえてオレとまゆの方に顔を寄せる。


「ここだけの話なんだけど、明日の決勝戦の結果がどうであれ。そして多分俺が話さなくても他の関係者の話が伝わって、河嶋さんは近々のU18の代表合宿に呼ばれると思う。ただそれがイコールすぐに代表メンバーに決定っていう訳ではなくて、あくまで候補としてどんな感じの選手なのかを見たいっていう意味合いが強いんだ」


 それはそうだろう、合宿に呼んだからって全員代表メンバーにしていたらあっという間に人数が溢れてしまうからな。


「もちろん代表合宿だから、求められるプレイの質も高いし運動量も部活の比じゃない。河嶋さんの事情を知らなければ、潰される可能性もなきにしもあらずだ。代表のスタッフたちは、『代表に選ばれるぐらいの選手なんだから、これくらいはやれるだろう』って先入観を持っているからね」


 佐々木選手の話を聞いていて、それは先入観ではなく嫌がらせなのではと少し思った。でも高校バスケ界のトップ選手たちが集まるんだから、その伸びた鼻を折ってやろうという人たちがいてもおかしくはないか。


「ひなたちゃんがそんな目に遭うなら、参加させるわけにはいきません。もし要請が来ても学校からお断りさせていただきます」


「監督がタレントマニアだからね、才能のある選手がいたら一度は呼んで自分の目で見ないと気がすまない人なんだよ。だからどれだけ断ったとしても、いつかは行かなきゃいけなくなるよ」


 きっぱりとまゆが宣言したが、困ったように笑いながら言った佐々木選手に却下されてしまう。どうしたもんかと頭を悩ませていると、佐々木選手が打開案としてこんなことを言った。


「とりあえず直接監督に会って、河嶋さんのことは伝えておくよ。そして監督からスタッフ全員に周知してもらうように、頼むことにする」


「……いいんですか? そんな、特別扱いみたいな」


 VIP待遇を理由にいじめられたりしないだろうかと心配しながら聞くと、佐々木選手の大きな手がオレの頭の上に伸びてきてポンポンと頭を撫でられた。


「な、なにしてるんですかぁ!?」


 オレが声を上げる前に、隣のまゆが弾かれたように立ち上がって佐々木選手に抗議する。しかしよくこの体格差の相手に食ってかかれるなと、ある意味まゆの度胸に感心してしまった。


「いや、ゴメンゴメン。なんか上目遣いした河嶋さんが小動物みたいに見えて、つい撫でてしまった」


「つい、じゃないですよ! もうっ……」


 小動物ってなんだよ、と内心で文句を言いながら『気にしてないですから』と返しておいた。怒っているのはオレよりもまゆのようで、佐々木選手が撫でた場所をまるで上書きするように何度も撫でていた。


「君のロングシュートはすごい武器だよ、今日の試合だってあのままなら君たちの学校は負けていた。その逆境を跳ね返してチームを勝利に導いたのは、間違いなく河嶋さんのシュートだ。そしてそれは間違いなく日本代表でも武器になると思ったから、こうしてお手伝いを申し出ているんだよ」


「……そんな風に認めてもらえて、嬉しいです」


 まるでチート能力のようなシュート力だが、こうして真正面から褒めてもらえると嬉しいものだ。でもあんまり褒められ慣れてなくて、なんだか照れてしまう。


 それはさておき、佐々木選手の申し出はオレにとってはありがたい話だ。事前に話を通しておいてくれるというのだから、その好意に甘えよう。まぁまだ絶対にオレが呼ばれると決まった訳でもないし、むしろ部長やまゆの方が呼ばれる可能性が高いような気がするし。


「わかった、じゃあ俺の方から早速話しておくよ。わざわざ時間を取ってもらって悪かったね、またちゃんとしたインタビューは後日させてもらうよ。明日の決勝戦、頑張ってね」


 人の良さそうな笑顔を浮かべて最後にそう応援してくれた後、佐々木選手はオレたちの前から立ち去っていった。その場に残されたオレとまゆは、たった今あった不思議な対談を怪訝に思いながら小首を傾げる。なんだか釈然としない思いをしながらも、オレ達は自分たちを待ってくれているはずの先輩たちのところに急ぐのだった。

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