39――試合終了後のあれこれ


 試合終了のブザーによって緊張が解けたのか、膝がガクンと無意識に折れて転けそうになった。結局途中交代はなくて最後まで試合に出てしまったので、試合中には気づかなかった疲労が積み重なっていたのかもしれない。


 このままだと思いっきりコートに顔をぶつけそうと思いつつ、重力に逆らう力も残ってなかったオレの体はグラリと倒れていく。すぐにやってくるであろう痛みにギュッと目を瞑って身構えていると、痛みとは正反対のクッションみたいな柔らかさに顔が包まれた。


「あっぶないなー、ひなたちゃん。倒れてたらケガするところだったよ」


「……まゆ先輩」


 向かい合ってオレの肩を両手で押さえたまゆが、からかうみたいにそう言った。さすがに息は上がっているけれど、オレみたいにフラフラもせずに普段と同じように立っているまゆ。1試合、しかも後半しか出場していないのにここまで疲労している選手なんて、オレぐらいなものだろう。なんとかして体力をつけないとな、と改めて決意する。


 よいしょ、と小さく呟きながらまゆがオレの両肩を押す。すると顔を包んでいたものが離れていき、会場の照明の眩しさに目を細める。っていうか、オレが顔を埋めてたのはまゆの胸だったらしい、どうりで柔らかいはずだわ。


「無理させちゃってごめんね、先輩らしく全国までひなたちゃんを温存できればよかったんだけど」


「いえ、私もぶっつけ本番で全国大会で試合するのは不安だったので、今日試合に出られてよかったです」


 しょんぼりした様子で謝るまゆに、オレはそう答えた。ぶっちゃけこの言葉は本音で、慰めでもなんでもない。


 男だった頃に全国大会への出場経験もあるが、ひなたとしてはやはり初めての公式戦な訳で。どれだけ強がっても身体がちゃんと動くのかとか、シュートがいつも通りに入るのかとか、小さな不安が澱みみたいに頭の片隅に不安としてへばり付いていたのを感じていた。


「少しでも優勝に貢献できたならよかったです、本当にホッとしました」


 そんな澱みを吐き出すように、肺から大きく息を吐き出す。そんなオレの様子を微笑ましそうに見て、まゆはクスリと微笑んだ。


「ふたりの世界を作ってるところ悪いけれど、整列してくれないかしら。それとも負けた私達を煽ってるの?」


 急に声を掛けられて振り向くと、そこにはまゆのライバルである瞳さんが立っていた。急に頭を動かしたからかフラッと軽い立ちくらみが起こって、それを察知したまゆがオレの肩に手を回して支えてくれた。


「いいでしょ、私達仲良しだもんね」


 そう言ってまゆは見せつけるように、オレの頬に自分の頬をピトリとくっつけた。お互いの汗がつくと思うんだが、まゆは不快ではないのだろうか。オレは別に全然いいんだけどさ、これがイチだったら断固としてお断りするが。何が悲しくて野郎と頬をくっつけ合わなければいけないのか。


 そんなまゆの行動にため息をついてから、瞳さんはオレの頭のてっぺんからつま先まで視線をゆっくりと一往復させた。何か汚れでもついてるのかと自分のユニフォームに視線を向けると、瞳さんがクスクスと笑った。


「ケガはしてないみたいね。まさかこんなに華奢な1年生にやられるとは思ってなかったわ、あのパスも止められちゃうしね」


「すごいでしょ、ひなたちゃんはうちの秘密兵器なんだから」


 瞳さんの言葉に、何故かまゆが自慢げに胸を張る。オレを支えながらセンターサークルに向けて歩いているから、ちょっと控えめな感じで。秘密兵器と言えばそうなのかもな、普通に考えたらこんな風に見た目は素人丸出しの1年生が精度の高いシュートをポンポン打ってくるとは思わないだろうし。


 秘密兵器と言えばあの高速パスはすごかったですねと話を向けると、どうやらアレは新任のコーチが昔読んだマンガからヒントを得たらしい。試しにやってみたら意外と相手を翻弄できて、得点率やチームの勝率も上がったらしいので何が幸をなすかわからないものだ。


「次に試合をする時には、あなたのシュートを完璧に防いでみせるわ。そして勝つのは私達なんだからね、覚えておきなさい」


 捨て台詞のようにそう言って、瞳さんは自分のチームの列に加わった。なんか悪ぶってた感じがしたけど、多分あの人めちゃくちゃ良い人だよな。ケガをしているかどうかの心配もしてくれたし、ちゃんと自分の負けを認めてこちらを称えてくれたし。


 まゆに支えられてオレ達も整列して、主審がスコアとウチのチームの勝利を宣言した後で『ありがとうございました!』と礼をしながら言った。


 両チームのメンバーがそれぞれベンチに戻っていく、その後ろでまゆに肩を借りながらヨタヨタしていると部長が血相を変えて近づいてきた。


「河島、ケガしたの!?」


「いえ、あの、恥ずかしい話ですが疲れで膝がガクガクしてるんです」


 部長の勢いに押されてしどろもどろに説明すると、部長は安心したように大きなため息をついた。心配掛けて申し訳ないなと思っていると、部長が声を掛ける間もなくオレの背中と膝裏に手を回してひょいと抱き上げる。


「あの、歩けない訳じゃないので! 大丈夫なので、下ろしてください!!」


「こういう時ぐらいは大人しく、先輩の言う事を聞くものよ」


 これはいわゆるお姫様抱っこというものなのでは、そう思い至ったオレは必死に遠慮したが部長はそう言って下ろしてくれなかった。本当に無駄にイケメンだな、この人。オレも湊だった時代にこういう強引さと気遣いが出来ていたら、もしかしたらワンチャンモテていたのかもしれない。今更考えても仕方がない事なのだが。


 監督にもケガを心配されたが、部長がそれを否定するとホッと安堵のため息をついた。


「さて。色々と課題を残す試合内容だったが、それは明日のミーティングで話し合いしよう。ちゃんと自分の課題とチームの課題を、しっかり考えてくるように」


 監督の言葉に返事をして、速やかに表彰式に参加するための準備をする。既に汗の始末を終えてジャージを身につけている子達は備品などを片付けて、さっきまで試合に出てたオレ達は指定された更衣室に荷物を持って向かう。ちなみにまだ足に力が入らなかったオレは、再び部長に抱き上げられて荷物扱いで運んでもらった。


 持ってきたビニール袋に汗で濡れたユニフォーム上下と、ノースリーブのシャツを放り込んだ。スポーツブラも湿っているけどどうせその上にシャツとジャージを着るんだから、外から透けて見える訳じゃないしそのままでいいや。足の踏ん張りが利かないから床に座り込んで着替えを済ませて、這いつくばる勢いでバッシュを履き直す。


 オレがモタモタしていたから他の皆は既に身支度を整えていて、まゆがオレのカバンを掴むとまた部長に抱えられて更衣室を後にした。


 最後は締まらないオチだったけど、無事全国大会への切符を手に入れられてよかった。部長が歩く度に起こる揺れに眠気が少しずつ押し寄せてきて、小さくあくびを漏らすオレを見たまゆが小さく笑いながらオレの頬をつつく。


「お疲れ様、ひなたちゃん。表彰式中は私に寄りかかってくれてていいからね」


「……ごめんなさい、お世話になります」


 お言葉に甘えてまゆに寄っかかるようにして立っていると、いつの間にか眠りの世界に旅立っていたみたいで、次に意識が覚醒したのは誰かに背負われて心地よいリズムで揺られているところだった。


 まぶたが重くて目は開かないけど、どうやら声からしてオレはイチに背負われていて、その隣にまゆがいるみたいだ。もしかしたらまゆに荷物を持たせてしまっているのかもしれない、申し訳ないな起きないとなと思いつつもどうしても意識は眠りの世界へと落ちていく。


「……負けないからな」


「私こそ、イチには渡さないからね」


 最後に聞こえたのはそんなふたりの会話だったのだが、このふたりは何か勝負でもしているのだろうか。せっかく同じ中学で同じ競技やってるんだから、仲良くしようぜ。


 ケンカしてるふたりに挟まれるのも居心地が悪いもんなんだぞ、と口をモニョモニョさせたのだが残念だが声は出てこない。


 結局ふたりの会話内容もわからないまま、オレは睡魔に負けて次に目が覚めたのは自分の部屋のベッドの上だった。情けないけど、オレのひなたとしての初試合と全国大会出場を決まった1日はこんな風に幕を下ろしたのだった。

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