25――お風呂上がりと忍び込んできたイチ


 周りの先輩達に『あんた達、仲良いよね』と冷やかされながら一緒に湯船に浸かり、後半に入る部長達を待たせてはいけないのでそこそこに温まってから脱衣所へと移動する。


 急いで服を着てザーッと適当に髪にドライヤーをかけて、生乾きになったところで外に出る。まゆには『そんなに急がなくても大丈夫だよ』って言われたのだが、2年生エースと入って間もない1年生のオレが同じ態度というのはよくないだろう。


 女バスはそれなりに上下関係があるけど、あくまでそれなりで結構緩い。ただ中学でガチガチの学年カーストの中で過ごしてきたオレとしては、こうして行動しないと落ち着かないのだ。もうこれは性分みたいなものなんだろうな、自己満足だとわかってはいるがどうしてもソワソワしてしまってやめられない。


「ひなたちゃんは気遣い屋さんだねぇ」


 なんか長所みたいに受け止めてくれたらしいまゆが、柔らかく笑って言った。『違うんです、小心者なんです』と反論してみたが聞き入れてもらえない。


 首にモコモコのタオルを掛けて他愛無い話をしながら、ソファーが置いてある談話スペースみたいなところに差し掛かると、そこに偉そうな感じでドカッとソファーに腰掛けているイチがいた。


「ちょっとイチ! ここは女子棟なんだけど、なんで男のアンタがそんなに堂々とくつろいでるのよ!!」


「いや、せっかく一緒に合宿してるのに全然ひなたと話せないからさ。こっそり忍び込んでみた」


 どこがこっそりなんだよ、と胸中で呟いたのと同時にまゆが『どこがこっそりなのよ』と呆れたように呟いた。バスケ的には無駄ではないのだが、こっそり侵入するには間違いなく無駄に高い身長をしているイチだ。まぁ隠れるだけ無駄な努力だよな、男子部の先輩か監督に見つかって怒られてしまえとこっそり願ってやった。


「……ひなたちゃんに何の用? 私達、これからミーティングなんだけど」


「まだ残り半分がこれから風呂なんだろ? 話す時間ぐらいあるだろ、つーか別にまゆは戻っててくれていいんだが」


「アンタみたいな飢えた狼の前に、美味しそうな子羊なひなたちゃんをひとり置いていける訳ないでしょうが」


 何やらバチバチと二人の間に火花が散っている幻を見ながら、オレは『まぁまぁ』と仲裁に入る。というか、なんでオレが間に入らないければいけないのか。ケンカする程仲がいいならオレを巻き込まないで、ふたりで仲良くケンカしておいてほしい。まぁイチだけなら迷わず放置して部屋に戻っているが、まゆがいる手前素を出さずにいい後輩モードでやり過ごさなければ。


「……そう言えば」


 話を変えようと、オレは前置きするようにそう言った。何を話すのかと、イチとまゆの視線がこちらに向くのがわかる。


「さっきの勝負の時、応援してくれてありがとうございました。イチ先輩が一番最初に声を出してくれたから、他のみんなも応援してくれたんだと思います」


「あの時、もうお前の集中力が切れかけてたのがわかっていたからな。俺の声で意識を引き戻せたなら、よかったよ」


 そう言ってポンポンとオレの頭を撫でるイチ。最近のこいつの言動を見てると、オレの中身の事をすっかり忘れちまってるんじゃないだろうか。そう疑ってしまうぐらいに、なんか血迷ってる気がするんだよなこいつ。この外見に騙されてるとしたら、チョロすぎて軽蔑するより心配になる。そんなに女に飢えているのだろうか、顔も悪くないんだからちゃんとした彼女を作ればいいのに。


「女バスのみんなも応援しようとしてたんだよ、決してこいつがきっかけな訳じゃないんだからね!」


 まゆがそう言うと、俺を背後から抱きしめて自分の腕の中に閉じ込める。風呂上がりの高めの体温と女の子特有の柔らかさが気持ちよくて、なんだか眠くなってくる。


「眠いなら寝てもいいぞ、俺が部屋まで連れて行ってやるから」


「ちょっと待ちなさいよ、アンタ女子部屋まで行ったら間違いなく停学処分だからね」


「見つからなかったら大丈夫だろ、頼めば女バスのメンバーも黙っててくれるだろうからな」


「私がちゃんと監督に報告するから大丈夫よ、ひなたちゃんに不必要に近づかないって約束するなら黙っててあげるけど」


「なんでそんな約束しないといけないんだよ、そもそもひなたをお前に紹介したのは俺だぞ? 俺の方が付き合い長いんだからな」


 眠気を抑えるためにくしくしと目を擦っていると、オレの頭越しに何やらしょーもない言い合いをしているふたりがいる。さすがにイチがオレ達の寝泊まりしている部屋まで入り込んだら、下手すると停学どころか警察のお世話になる可能性だってあるぞ。さすがに親友にそんな事になってほしくはないから、早いとこ男子棟に帰らさないとな。


「イチ先輩、そろそろ戻った方がいいですよ。ほら、チラチラ見てる先輩達もいますし」


 周囲を見回すと、女バスの先輩達がイチに視線を向けているのが見える。ただ中学の頃のこいつなら、女子とも仲が良かったけど大体はイジられキャラとしてからかわれるのが常だったのだが、先輩達はイチと目が合うと照れたように視線をサッと逸らす。なんか憧れてる人とか好きな相手と視線が合った時みたいなリアクションなんだよな。


 うちの姉貴のイチに対するリアクションみたいなのなら、イチのイメージ通りなんだけどなぁとオレは小首を傾げる。そんなオレを余所にイチは何やら真面目な顔をして、オレの顔を覗き込む。


「いや、あんな勝負を押し付けられるぐらい、女バスでのひなたの待遇が悪いのかと思ってな。嫌になったらすぐに言えよ、男バスはマネージャー絶賛募集中だからな」


「だから、ひなたちゃんを飢えた狼達の巣穴に放り込むような真似はしません。私がちゃんと守るから、イチは心配しなくても結構よ!」


 瞳が心配だと雄弁に語っているイチがそう言うと、オレのお腹に回っている両手に力を込めながら『絶対に渡さない』と言わんばかりにまゆが反論した。いつもならここで軽口の応酬になるのだが、今回は念押しするように『口に出して言ったからにはちゃんと責任取って守れ』と底冷えしそうな声でイチが言った。少しだけ気圧されたみたいなまゆがこくりと頷くと、イチは『それじゃ戻るわ』と片手を上げてから早足で目の前から立ち去っていった。


「まゆ先輩、もしかしてイチ先輩って女子に人気なんですか?」


「そう言えばひなたちゃんは中学時代のあいつを知ってるんだったよね。そうだよ、湊くんがいなくなってふざけることもなくなって、あいつはバスケに脇目もふらずに打ち込んだの。そんなひたむきな姿がかっこいいって、一部の女子から人気が出ちゃってね。多分本質は変わってないよ、ひなたちゃんが来てから昔のイチに少しずつ戻ってる感じがするし」


 『ひなたちゃんに目を付けてるところは、はっきり言って癪だけどね』とまゆは怒ったように言った。なるほど、たまに体育館のキャットウォークに何人かの女子が見学に来てたのはあいつが原因だったのか。彼女を作ればいいのにとは思ったが、あいつがモテてるというのは正直面白くないな。なんとなく羨ましいと思ってしまうのは、元男の性なのだろうか。


 親友がいなくなったぐらいでと思わなくもないが、寂しがってくれたこと自体は悪い気はしない。1年間いなくなっていた埋め合わせとして、練習が休みの日に遊びに誘ってやるか……でも女子に人気なのだったら勘違いで妬まれるのも嫌だし、どうするべきかなぁ。


 そんなどうでもいい事に頭を悩ませながら、まゆの両腕から解放されたオレは『んー』と軽く伸びをして、まゆと一緒に寝泊まりしている大部屋へと歩き始めたのだった。

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