第41話 第三代表決定戦③ 行かなきゃ――

 ボールはうなりを上げ、ゴールに向かう。

 キーパー、アリは錠が打つと察知するや、すでに動きはじめていた。俊敏な動きで懸命に下がる。が、その頭上を炎が尾を引くような強烈な弾丸が襲う。

 火の玉は、やぶれかぶれで飛び上がるキーパーを超えて急降下、

 が、しかし、ゴールバーを直撃、

 レインボーの強烈な回転により、ボールは大きく、ピッチの右サイド上空に跳ね上がった。

「ああっ」

 錠は痛みに襲われながらも、思わず声を上げた。

 そのときだ。

「じょぉーーっ!!」

 後方から雄叫びとともに、一匹の野獣が右サイドを走り抜けていった。無造作に長い髪を振り乱しながら、ピッチを駆け上がっていく。錠はそちらを見やる余裕などなかったが、確かに感じた。やつの起こす風を。

 ボールは地面に落ちたあと、なおも不規則に回転を続け、行く先を決めかねていたが、やがて緩やかにゴールラインの外に向かって転がりはじめた。

 日本陣内での攻防で、イラン側にはキーパーを除いて敵も味方も誰もいない。ジャンピングセーブを試みたキーパーもゴール前に倒れていて、ようやく起き上がろうという状態だ。ボールがラインを割るのは時間の問題だった。

 満身創いで両チームの選手たちが見守るなか、野獣はそれを追いかけた。結構な距離だ。

「いくらなんでも……」

 皆がそう思っても関係ない。野獣はそれに向かって突っ走った。

 錠と接触したイランの選手が起き上がり、ゴール前へ向かう。

 錠は前方を見据えたまま、風を追って立ち上がろうとしたが痛みが膝を地に張り付ける。

 くそっ、岡屋っ……。

 野獣はいつかの陸上トラックで見せたあのフォームで一直線に突き進んだ。遮るものは何もない。

 敵の追っ手もやがて足をとられ、途中で転倒した。足をつったか、接触した際に負傷していたのか、その場でうめきはじめた。

 ライン際、野獣は猛然と駆け込み、ぎりぎりで獲物を捕らえた。スピードを落とすことなく体をひねってセンタリング、そのままピッチの外へ吹っ飛んだ。

「岡屋ぁっ!」

 錠は小刻みに震えながら、芝を力のかぎりつかんだ。

 ボールは勢いあまって、体勢を立て直したキーパーも超えて今度は左サイドまで飛んでいった。

 そっちには誰もいない、自陣のゴール前に釘付けだった日本は誰も追いつけない。そう思われた矢先、敵陣に向かって切り込む一つの影があった。岡屋に続いて動き出していたのだろう。力強い走り、中羽だ。

 ボールはペナルティエリア左側のやや外側に落下、左のタッチラインに向かって転がりはじめた。キーパーはこのままでは中羽がボールに追いつき、彼と一対一になってしまうと判断、相手より先にボールを蹴り出そうとゴール前を飛び出した。結構な距離を走っているはずの中羽だが、さらにスピードを上げる。

 それを感じながら、錠は歯をくいしばり、脚をピッチから引きはがした。さらに激しい痛みが襲いかかる。だが、それに抗うように体を起こして前を見やった。

 いかなきゃ――。

 中羽とキーパー、双方スライングでボールに飛び込む。足から激突する両者。その攻防の果て、ボールは中央に向かってこぼれ出た。利き足でないにもかかわらず、中羽の足先がわずかにまさった。

 ボールはペナルティエリアの横長のラインに沿うように、緩やかに無人のゴール前に向かって転がっていく。

 いかなきゃ――。

 自分の脚のことはどうでもいい、そんな思いで錠は走り出していた。が、現実は厳しい。激痛が走り、全身のバランスを奪う。けれども痛いのは承知の上だ。それを覚悟で踏み出した。その痛みを受け入れながら前へ進むしかないのだ。

 ままならぬ足取りも、心は前へ前へと体を運んでいく。

 いかなきゃ――。

 うなされるように口からこぼれ出る言葉。

 いかなきゃ――、あいつらも俺に出した。

 痛みを抱え、錠は走る。気力で体を運ぶうち、周りの歓声も、ブーイングさえも、すべてが自分の力になっていくかのように思えた。不思議な感覚に包まれ、あれだけ激しかった痛みも次第に感じなくなっていく。

 いかなきゃ――。

 一歩一歩踏み出すたびに錠は厚い空気の壁にぶちあたり、体全体でそれに立ち向かった。 

 それによって起きるうねりが汗をはじき飛ばし、はじき飛ばされた汗は光を受け、虹色に輝きを放った。七色、いや幾重にも重なった思いの色、それをまとい錠は走った。

 いかなきゃ――。

 大事な者たちの思いが、背中を押す。それは押しつけられたものじゃない。錠はその背に喜びにも似たものを感じていた。

 遠く背後からイランの選手たちも追ってきているだろう。だが、今の錠には味方の足音も感じることができた。

 左サイドから折り返されたボールは、錠の進路に対して垂直に軌跡を描き、歩を進めていく。

 汗のベールの向こうに映るモノトーンも、やがてカクテル光線に照らされ色を帯びていった。過去幾多の者がつないできたその思いを受け取るため、一人の男が思いに押され、そして背負ってやってきた。

 もはや何も浮かばず、荒い吐息をもらすのみ。だが、魂が体を突き動かす。

 決めなきゃ――。

 やがて全力の果てにたどり着いたその先に、測ったようにボールがやってきた。

 決める――。

 遮る壁はもうどこにもない。

 錠はゴールのまんなかに、まっすぐな虹を、まっすぐに蹴り込んだ。

 厚く重かった空気が笛の音に切り裂かれ、夜空に歓声を放つ。

 スタジアムのあちらこちらで歓喜の輪ができた。その輪は一つ、また一つと重なっていき、やがて大きな虹の輪になった。

 今宵、流本錠はそのまっただなかにいた。

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