DISTORTED LOVE

ニシマ アキト

居候

「急に押しかけてごめんね。久しぶり。二年ぶりくらいかな?」


 ある日の二十二時頃。


 俺がこの春から一人暮らしをしているアパートの玄関扉を開けると、そこに元同級生が二人、マンションの廊下のぼんやりとした灯りに照らされていた。


 一人は、高校一年のときに親友だった男。もう一人は、三年生のときにクラスが同じだっただけの、ほんの数回くらいしか話した記憶がない女子。


 異様な組み合わせだった。この二人が一緒に行動しているのも異様だし、この二人が他ならぬ俺の家を訪ねてくるというのもまた異様だった。


「何の用だ?」


「うん。時間がないから単刀直入に言うんだけどさ、しばらくの間、僕たちをタカキの部屋に住まわせてくれないかな?」


 俺の元親友──内藤冬樹というこの男は、二年前とほとんど変わらぬ柔らかい微笑で、そう言った。断られることなど全く想定していないような、余裕のある笑みだった。


「……なんで、急に……意味がわからん」


「困惑するのも無理ないよね。二年ぶりに、それも連絡もなしに急に押しかけてきて、これから住まわせてくれなんて頼むのはとんでもなく非常識なことだとは僕も理解している。でも、僕たちにも差し迫った事情があってね。せめて今日だけでも泊めてもらえないと、とても困ったことになるんだ。もちろん後でお礼はしっかりとさせてもらうよ。だから、お願いできるかな?」


「僕たちって……、田端も、ここに泊めるってことか?」


 そこでやっと思い出した。さっきからずっと冬樹の陰に隠れるようにして俯いているこの女子の名前は、田端といったはずだ。田端はピンク色のジャージのチャックを首元までしめていて、冬樹の服の袖を弱々しく引きながら、暗い虚ろな瞳で斜め下を見ている。俺とは一切目を合わせようとしない。


「そう、田端も一緒だ。覚えていないかな? タカキとは高校三年生のときに同じクラスだったと聞いているけど」


「いや、覚えてるけどさ……、その、女、だし……。服も、こっちに用意はないぞ」


 もちろん生理用品だってうちにはない。


「男女二人っきりってわけでもないんだから問題ないだろう。田端の世話が全部僕がやるから、タカキは何も気にしなくていいよ」


「……じゃあ、まあ、少しの間なら、いいけど……」


「ありがとう。感謝するよ。相変わらず優しいんだね」


 冬樹は嬉しそうに目を細めて、僕の肩を軽く叩いた。二年前と本当に全く変わっていない冬樹のその笑顔に、俺は苦笑いを返すことしかできなかった。


 その日の夜は、田端、俺、冬樹の順番でシャワーを浴びて、そのまま寝た。俺と冬樹が二人で同じベッドを使って、田端は床にタオルと枕を置いて、その上で横になった。消灯してから三十分ほど経つと、冬樹は死んだように静かに眠って、田端は声を殺すようにしてすすり泣き始めた。窮屈だしずっと女の泣き声が聞こえるしで、俺はなかなか眠ることができなかった。


「おい、ミウ。少しは食べないと、いつか骨になっちゃうぞ」


 翌朝。部屋の隅で膝を抱えて顔を下向けて石のように固まって、テーブルの上の目玉焼きとトーストに一切手をつけようとしない田端に向かって、冬樹が痺れを切らしたように声をかけた。


 ミウ、というのは、田端の下の名前だろうか。


「…………」


 田端は全く無反応で、ただずっと、自分の膝に顔を埋めている。


「……なぁ、ゼリーなら食べられるか?」


「…………」


 冬樹はため息を吐きながら立ち上がって、冷蔵庫からゼリー飲料を取り出した。いつの間に俺の冷蔵庫にそんなものを入れてたんだ。


「ほら、死にたくなかったら食え」


 冬樹は田端の前にしゃがみ込んで、田端の肩を軽く叩く。田端は少し顔を上げて、その長い前髪の隙間からゼリー飲料を捉えると、震える両手でそれを受け取って、ゆっくりと口をつけた。


 昨日から、田端は一言も声を発していない。


「いい加減、食事くらいは一人でできるようになってほしいんだけどな」


 冬樹は呆れたようにそう言って、テーブルに戻ってきた。


「田端って、なんであんな風になっちゃってるんだ? 高校のときとは、まるで雰囲気が違うみたいだけど」


「まあ……きっと、何かよほど辛いことがあったんだろう。それで拗ねているというか、意地を張っているというか。とにかく今は、そっとしておいてやるのが一番だろうね」


「そっとしておいてやるなら、俺の家なんかには連れてこないほうが良かったんじゃないか?」


「確かにそうだけどね……。僕たちには、深い事情があるんだ。追々キミにもちゃんと話すよ」


 そう笑顔で言われて、しかも冬樹が作った朝食はいつも俺が食べているものよりも何倍も美味くて、俺はそれ以上追求するのをやめてしまった。


 何かおかしなことが起こっている、という意識は俺にもあった。冬樹が急に昔の友人である俺をわざわざ頼ってくる意味も、なぜ接点がないはずの冬樹と田端が今になって繋がっているのかも、なぜ冬樹が田端を下の名前で呼んでいるのかも、全てが普通ではないことだった。


 けれど、そんなことは全部どうでもいいと思ってしまった。


 冬樹や田端の抱える事情にいちいち構っていられる余裕は、今の俺にはなかった。


「じゃあ俺、大学行ってくるから。洗い物よろしく」


 トーストを食べ終わって牛乳を一気に喉に流し込んだ俺は、ベッド脇に放っておいたままだったリュックを背負って、立ち上がった。


「言い忘れてたけど、鍵ならそこの引き出しに入ってるから、家を出るときはちゃんと鍵閉めてな」


「ああ、わかったよ。たぶん今日は外出することはないだろうけど」


「……なぁ、お前ってさ、今仕事何やってんの?」


「……んー、まあ、色々だよ。色々」


 フリーターってことなのかな。


 しかしそんなフリーターと一緒に行動していた田端は、冬樹と違ってちゃんと高校を卒業して、その後どこかの大学に進学していたはずだけど。


 俺と毎日教室で顔を合わせていたあの時期から半年しか経っていないはずなのに、どうして田端は精神病患者のような出で立ちになってフリーターの男に介護されているんだろう。


「……田端って、大学とかどうしてるんだ?」


「ああ、ミウのことは大丈夫だよ。ミウの心配をするのは僕の担当だから。キミは何も気にしなくていいんだ」


 田端は壁に背をつけて体育座りで俯いて、その小さな口でひたすらゼリー飲料の中身を吸い上げている。


「今日も授業頑張ってね。いってらっしゃい」


 そう言って微笑みかける冬樹に見送られて、俺は玄関の扉を開けた。秋の柔らかな朝日に目を細めつつ、マンションの廊下を進んで、階段を下りる。


 うん。今日は久しぶりに、すんなり玄関の扉を開けることができたな。





 よくよく考えてみれば、田端は高校時代から少し変なところのある女の子だったかもしれない。


 いや、少しも変なところのない人間なんてほとんど存在しないけど、あの頃田端が持っていた他人とは少し違う部分、すなわち個性のことを考えると、確かに今、田端があんな風に表情が死んで一切声を発さない状態になっているのも納得できなくもないのだ。


 高校時代、田端は友達がとても少なかった。


 いや、少なかった、というより、田端には友達が一人しかいなかった。


 人見知りで内気な性格の女子なら、ちゃんと腹を割って話せるような友達は一人ぐらいしかいないのが普通なのかもしれないが、田端の場合は違った。腹を割るとか割らないとかそういうレベルの話ではなかったのだ。本当に、教室内でまともに話せる相手が、たった一人しかいなかった。


 田端はそのたった一人の友達以外の人間とまともに会話をすることができなかった。だから俺も、田端が話しているところはあまり見たことがない。今日だって、田端が俺の前で何も言葉を発さないものだから、俺は田端がどんな声でどんな喋り方をしていたか全く思い出せないのだ。


 高校三年のとき、田端とニコイチでずっと一緒に行動していた女子。確か、内田とかいったかな。


 その内田さんは田端とは違ってけっこう活発な性格をしていて、人当たりも良くいつも明るく元気で溌剌としていて、クラスの中では成績優秀なほうで、教室内でもけっこう目立つ立ち位置にいた。


 そんな内田さんがなぜか、あまり目立たないタイプの田端と常に二人で行動していたのだ。内田さんと田端ではスクールカーストに天と地ほどの差があったのにもかかわらず。


 もしも内田さんがある日突然学校に来なくなるようなことがあったら、おそらく田端もそれと同時に学校に来なくなるだろう。しかし逆に田端が学校に来なくなったとしても、内田さんはけろっとした顔でいつも通りの学校生活を何事もなく送るんだろうな、と高校時代になんとなく考えたことがある。


 田端は内田さんに支えてもらう形で、高校という田端のような人間にとっては辛く厳しい環境の中で、なんとか生きていくことができていた。


 高校時代から、田端はそういう不安定さの片鱗を見せていた。


 誰かの支えがなければ、田端はこの人間社会の荒波の中を生きていくことができない。


 だから今も、田端はずっと冬樹に支えてもらっている。


「……ねぇ、あんた失礼だよ」


「はっ、何が?」


「今、アタシの前で他の女のこと考えてたでしょ」


「いや、なんだよそれ。考えてないけど」


「いーや考えてたね。顔見れば一発でわかるんだよ、そういうの。嘘ついて誤魔化すほうが余計みっともないよ。素直に認めなよ」


「……別に、他の女のこと考えてたって、お前には関係ないだろ」


「ッハーーーー、呆れた。だからアタシ以外に友達いないんだよ、あんた」


 俺の通う大学から少し離れた小さな路地にある、老人が一人で経営している隠れ家的な喫茶店。俺の自室よりも狭い店内には、俺たち以外の客の姿はなかった。


「お前だって、俺以外に友達いないんだから、人のこと言えないだろ」


「アタシは一人で自分の音楽性をとことん追求するために、あえて友達を作っていないんだよ。あんたのナメクジみたいな生き方とは根本的に違うの」


 この前まであんなに憔悴しきっていたのによく言うよ、とは口に出さずに、俺は鼻で笑うだけで西野にしのの言葉を軽く流した。


 なぜか不機嫌そうな顔でコーヒーカップの中身をスプーンでくるくる回している金髪ウルフカットの女子大生は、確かにさっき彼女が自分で言った通り、俺の唯一の友達だった。


 ちなみに俺と西野は、同じ大学に通っているわけではない。西野は俺の大学から三駅ほど離れた私立の女子大に通っている。


 つまり俺と西野はお互い、大学内に一人も友達がいない。


 だから俺たちはだいたいいつも、授業が終わると一目散に大学を出て、こうして適当な場所で落ち合ってお互いの寂しさを紛らわせている。


「音楽性って、お前がギター弾いてるところなんか見たことないけど」


 西野はいつも、学内の軽音サークルに入っているわけでもないのに、これ見よがしにギターケースを担いで行動している。新勧の時期に一人で軽音サークルの見学に行く勇気が出なくて、ギターを担いでキャンパス内をうろついていれば向こうから声をかけてもらえるかと期待したらしいのだが案の定そんな都合よく声をかけてもらえるはずもなく、新勧から半年が経った今も、大学に行くときはなんとなくギターが手放せないらしい。


 西野は本当に難儀な性格をしていると思う。まあ、田端に比べればマシなのかもしれないけど。


「弾いてるよ。この前一万人いったし」


「一万人? 何が?」


「アタシの弾き語りチャンネルの登録者数」


「え、動画配信やってんの?」


「だって、バンド組んでないから人前で弾く機会ないんだもん。今から一人でバンドメンバー探すのなんて無理だし、一人で路上ライブする勇気なんかないし。ネットなら一人で動画撮ってアップするだけだからやりやすいし、ちょうどいいかと思って」


「でも、一万人って、かなりすごいよな」


 西野は手元のコーヒーカップを見つめながら、にへらっと口角を上げた。


「うん、けっこう評判いいんだよ、アタシの弾き語り。優しい弾き方で、声も綺麗で聞きやすいってさぁ~。リアルでは誰にも相手にされないアタシが、ネットではあんなにちやほやしてもらえるんだよ。うへ、うへへ……へへへ……、へ」


「……リアルでも、俺が相手にしてるだろ」


「そうだけどさ……、やっぱり大学じゃ、誰もアタシに見向きもしないし……」


 西野はスプーンを回す手を止めて、ふーっとため息を吐いた。


「あのさ、女ってホントにえげつないんだよ。毎日教室に入るとさ,教室全体を見れば誰がどこのグループに属しているか一瞬でわかるくらいみんな露骨に仲良しな人と固まって座ってるんだよ。そうなれば必然的にアタシの周りには誰も来ないわけじゃん。それでね、みんなグループで団子みたいに固まってて、アタシだけぽつんと一人で座ってるから、アタシだけものすごく目立つっていうか。たぶん学科の先生の何人かは既に気付いてるんだろうな。いつもひとりぼっちの奴がいるな、たぶんあいつ友達いないんだろうなーって、授業しながらそう思ってるんだよ、きっと」


 音楽性を追求するとか言ってたくせにめっちゃコンプレックス感じてるじゃんこいつ。いや知ってたけどさ。


「……あー、いや、大学教員がいちいち学生の人間関係なんか気にしないんじゃないかな」


「先生が気にしてなかったとしても、同じ学科の同級生はやっぱり多少なりともそういうのを気にしてるでしょ。それで、アタシが教室で孤立するたびに、みんなの中でのアタシの印象が『いつもひとりぼっちの奴』ていう認識で固まっちゃって、見下して敬遠して、どんどんアタシから遠ざかっていくんだよ。つまりね、アタシは大学で授業を受けるたびに友達を作る機会を失っていってるというわけ」


「……まあ、別にいいじゃんか。大学が人生の全てじゃないんだし」


 なんだよ本当は俺よりも西野のほうがよっぽどナメクジみたいな生き方をしているんだな、とか、そういう真実ではあるもののデリカシーの欠片もない発言は喉の奥にしまい込んでおいた。


 俺は西野のように大学内で一人でいることをコンプレックスに感じたことはない。虚勢でも強がりでもなく、本当に。


 一人じゃないと生きていけないのだ、俺は。


「そう、大学なんかどうでもいいよね。アタシにはネットがあるんだし。ネットならアタシも輝ける。ネットならみんなアタシのことを受け入れてくれるんだから、それでいいよね……、うん……」


 西野は急に早口になって、またスプーンを回し始めた。


 派手な髪型と髪色の女子大生がコーヒーをかき混ぜながら俯いて不敵ににやにや笑っていた。大学でもそんな様子なら、確かに誰も西野に近づこうとしないのは納得できる。できてしまう。


「……あぁ……アタシは、ネットにしか、居場所がないんだな……」


 静かに呟くと、西野は急に血相を変えて、かき混ぜていたコーヒーを手に取ってそれを一気飲みした。飲み終わって口を拭いながらカップをテーブルに置いて、西野は身を乗り出して俺に顔を近づけた。コーヒーの匂いがキツかった。


「あのさぁ……タカキ……」


「な、なに? 急にどうした?」


「今日さぁ……、タカキん家行ってもいい? やっぱり一回、タカキにアタシの弾き語りを聞かせておくべきだと思うんだ。そしたらタカキも今よりもっとアタシのこと尊敬してくれると思うし……」


 なんで俺が既に西野を尊敬していること前提なんだろう。


「いや、今日は無理だ。絶対に無理」


「え……、なんでぇ?」


「今は……その、部屋の中が信じられないくらい汚くてさ、とてもじゃないが女の子を呼べるような状態じゃないんだ」


「タカキ、アタシのこと女の子だと思ってんの? アタシらってそういう関係じゃないじゃん。別に気にしないよ、そんなの」


「西野が気にしなくても俺が気にするんだよ。とにかく今日は無理だ。この後用事もあるし」


「ねぇ、いっつもそうやってはぐらかしてさ、結局アタシ、一回しかタカキん家行ったことないじゃん。アタシにはタカキしか構ってくれる友達いないんだよ? そんなアタシを放っておいても心が痛まないわけ? ねぇ?」


 西野の両目は今にも溢れ出しそうな涙で潤んでいた。まずい、今日の西野は面倒な日だ。


「心は痛むけど、用事は用事なんだ。行かなきゃまずいだろ。とにかく今日は無理だから。また今度な」


「……ぅぐ。ぅぅう、もういいよ! 知らない!」


 西野はわきに置いてあったギターケースをひったくるように抱えて、走って喫茶店を出て行ってしまった。急に西野の気が狂ったのかと思って俺が呆然としていると、喫茶店のマスターが落ち着いた足取りでこちらに近づいてきた。


「お会計は、先程の女性とご一緒でよろしいですね?」


 まあ、逃げられちゃったら、俺が払ってやるしかないよな。





 さっき西野に言った「この後用事がある」という台詞は真っ赤な嘘、いやある意味ではこれも用事と言えるのかもしれないが、とにかくあれは早く西野を振り切るためのただの口実だった。結果的になぜか俺のほうが振り切られたわけだけど。


 冬樹と田端が待つこの部屋に、今日は早く帰ったほうがいいと思った。別にあの二人を信用していないわけではないけれど、一応念のためだ。


 玄関の扉を開けると、まず最初にカレーの匂いが鼻腔をくすぐった。奥の部屋の電気は点いていて、誰かの足音も聞こえる。帰宅したときに家の中に人の気配があるという感覚がなんだか懐かしかった。


「おかえり、タカキ。あともう少しで夕飯できるから、先に手を洗ってきなよ」


 冬樹がキッチンでカレーの鍋をかき混ぜながら、部屋に入ってきた俺に微笑みかけた。


「それ、冬樹が作ったのか? 材料は?」


「材料は、昼間にスーパーで適当に買ってきたものを使ったよ。この家のものは何も使ってないから大丈夫」


「あ、ああ、そうか……」


 この家に食材といえる食材なんか何もなかったしな……。


 ふとキッチンから部屋の奥に目をやると、田端が昨日の寝床としていたタオルの上に寝転がって、虚ろな目でスマホを眺めていた。俺の家の回線を勝手に使っているのだろうか。別にいいけど。


 洗面所で手を洗ってから部屋に戻ると、既にテーブルの上に三人分の食事が並んでいた。湯気立つカレーライスと、おそらくこれも冬樹が買ってきたであろう麦茶。家で水道水以外の飲み物を口にするのはいつぶりだろう。


 俺と冬樹が手を合わせて食事を始めても、やはり田端はテーブルの上のカレーライスに手をつけようとしなかった。タオルの上に寝転がってスマホを見たまま、動かない。


「なぁ、ミウ。今日も食べないのか?」


「…………」


「本当はお腹すいてるんだろ? さすがにそろそろ限界だろう。もういい加減に子供みたいに意地張るのやめなよ。ほら、早く食べないと冷めちゃうぞ」


「…………」


「あとで冷めきったカレーを僕にあーんしてもらうか、今あつあつのカレーを自分の手で食べるか、ここで選んで」


「…………」


「黙ってるってことは、ミウは僕にあーんしてほしいってこと? あっはは。本当に甘えたがりだよなぁ、ミウは」


「…………」


 のそり、と、田端がゆっくり起き上がった。


 死にかけの犬みたいに床を這って、テーブルまで辿り着く。カレーの前でだるそうに座り直して、田端は銀色のスプーンを掴んだ。そして小刻みに震える手でカレーを掬って、それを口に運んだ。俺はその一連の流れを手元のカレーを食べながら観察していた。


 田端は病人のような青白い顔色のまま、もそもそとカレーを食べ始めた。まるで泥団子を直接口に運んでじゃりじゃりと咀嚼しているかのような、全く美味しくなさそうな食べ方だった。


 冬樹はそれを見て、ほっとしたように柔らかく微笑んだ。


「三日ぶりの食事はどう? 美味しい?」


「…………」


 田端は頷きもせず、斜め下の虚空を見つめながら、ひたすらスプーンを口に運んでいた。だから俺が代わりに「美味しいよ」と冬樹に答えておいた。


 俺と冬樹が食べ終わってからも、田端だけはしばらく食べ終わらなかった。テーブルに田端一人を残したまま、俺はベッドに仰向けになってスマホで適当な音楽を聴いていて、冬樹は先に二人分の皿を洗い始めていた。このまま冬樹が全ての家事を請け負ってくれるなら、この共同生活もそれほど悪くないのかもしれない。 


 と思っていた矢先だった。


「……ぅぐぉ、おぐ、ぅぅぇえ」


 カレーを食べていた田端が、急に両手で口元を抑えてえずきだした。持っていたスプーンが床に落ちて、間抜けな金属音がする。俺が呆気に取られている間に冬樹がキッチンから慌ただしく駆け寄ってきて、田端の背中を優しくさすり始める。


「ぅえ。ぇぇぇぇお。ぐ、ううぅぅ」


「ごめん、タカキ。悪いけど、少しトイレを汚してしまうかもしれない」


「いや、いいよ。早く行って来いって」


 冬樹は少し乱暴に田端の手を引いて、どたどた足音を響かせながら部屋を出て行った。


 一人残された俺は、床に落ちたスプーンを拾って、床に付いたカレーをティッシュで拭いておいた。この食べ残されたカレーももう捨てたほうがいいのかな、と考えていると、廊下の奥からトイレの流れる音が聞こえてきて、田端が一人だけふらふらと部屋に戻ってきた。


 さっきよりも一層顔色を青くした田端は、そのままベッドの上にばたりと倒れこんで、自分を抱きしめるように身体を丸めて蹲った。それから突然ハァハァと激しく口呼吸を始めたかと思うと、その次には昨晩のように静かにすすり泣き始めた。とりあえず食べ残しはもう捨てていいっぽいな。


 キッチンの三角コーナーにカレーの残りを放り込みながら、ベッドでじっと身を固めて蹲る田端を見やる。


 田端は昨日からずっと、一言も言葉を発さずに、食事もまともに取らず、していることといえば、床に寝転がるかすすり泣くか。今日は普通の平日だというのに、大学にも行っていないし、仕事も特にはしていないように見える。


 今の田端はただのニート、いや引きこもり? けれど田端にとって俺の自宅は一応外ということになるから、引きこもっているわけではないのか。


 高校時代の田端は、いくら内気で人とスムーズに会話することができなかったといっても、不登校になったことは一度もなかった。田端なりにやるべきことはきちんとやっていたし、だからこそ浪人もせずに大学進学できたのだと思っていたけれど。


 今の田端は十九歳の人間としてやるべきことを何一つやっていない。


 田端のことはそっとしておいてやるのが一番だと冬樹は言っていたけれど……。正直、俺はその考えには少々賛同しかねる。


 今の田端は、本当にそういう精神状態に陥っているのだろうか。


 それとも、ああいう態度をとることで、冬樹や俺に構ってもらおうとしているだけなのか。


 ぶるぶると背中を震わせて静かに泣いている女の子を見ながらそんなことを考えるのは、不謹慎なのだろうか。配慮や気遣いに欠けているのだろうか。


 そもそも、冬樹はなぜ田端みたいな女の子と行動を共にしているのだろう。なぜ冬樹は、俺のような旧友のところに転がり込むほど追い込まれてまで、田端の世話を続けようとするのだろう。


 いや、俺の家に転がり込むことは、冬樹にとって一か八かの最終手段ってわけでもないだろうから、別にこの二人はそこまで切羽詰まっていたわけではないのか。


 冬樹は、俺が急にあんな頼みをされても絶対に断らないことがわかっていただろうから。


 俺は、冬樹の頼みだけは絶対に断れないのだ。





 冬樹は高校一年生の三月に、それまで通っていた高校を中退している。それから約二年半もの間、俺は冬樹と一度も会っていなかったし、連絡も取り合っていなかった。


 俺は冬樹に合わせる顔なんかひとつも持っていなかったのだ。


 冬樹は、俺のせいで高校を中退することになった。


 いや、こういう極端な言い方をすると誤解を生んでしまうかもしれない。冬樹が中退することになった直接の原因を作ったのは俺ではない。ただ俺は、俺の責任を果たすことができなかったというだけで……。


 ……こんな言い訳がましい言い方はよそう。俺のせいで冬樹が高校を中退することになった、とはっきり言ってしまっても、それほど大きな語弊はないのだから。


 高校一年生のとき、冬樹はある女性教師からセクハラを受けていた。


 女性教師が男子生徒へセクハラをするというのは珍しいのかもしれないが——そもそも教師が生徒にセクハラをすること自体が珍しいが——しかしその被害者が冬樹ということであれば、それほど信じられない話でもなかった。


 冬樹は高校一年生のときから相当なイケメンだった。当然女子にもかなりモテていた。身長が高く、シンプルに顔の造形が優れているのもあるけれど、あの物腰柔らかな親しみやすい雰囲気を常に醸していて、男女分け隔てなく誰にでも優しく、しかし全体的に存在が透き通ったような、どこかミステリアスで儚げな印象も兼ね備えている。そんな少女漫画に出てきそうなベタベタな性格をしているくせに、わざとらしい嫌味な感じが全くしないのだから、モテないほうがおかしいというものだった。


「女の子はどうしてあれほど簡単に人を好きになったりできるんだろうな」と、冬樹はナチュラルに呟いていたことさえある。当時の俺はそれを聞いてムカついていたけれど、今思えばあれには自慢の意図なんて全くなかったのかもしれない。当時の冬樹なりに本気で悩んでいて、思わずあんな台詞が口をついて出てしまったのかもしれない。


 モテすぎて困る、なんて男子高校生としてこの上なく贅沢な悩みだが、しかし贅沢だろうが悩みは悩みだ。贅沢であろうと、悩みが人を苦しめることに変わりはない。


 冬樹は高校を中退するまでの約一年の間だけでも数多の女子から熱烈な告白を受けていた。ミーハー的な感覚で軽く告白する女子もいれば、一世一代の覚悟を決めて真剣に想いをぶつけてくる女子もいた。それでも冬樹は、その告白を全て、誠心誠意真正面から断っていた。冬樹は一度も彼女を作らなかった。


「女の子から交際の申し出があったときに、僕が必ずその子にする話があるんだ」と、冬樹はいつかの放課後に言っていた。


「もしも僕に普通の人間では考えられないほどの借金、まあ例え話だから極端に言うけど、百億円だとしようか。僕があらゆるギャンブルで負けに負けて、現在百億円の借金を抱えているとしよう。それでまあ僕は日夜、怖~い借金取りに追われているわけだけど、そんなとき、大至急明日までに人間の腎臓をひとつ用意しなくてはならなくなった。いわゆる人身売買のようなものでね、借金取りに人間の腎臓を支払わなくてはならなくなったんだ。しかし、僕の腎臓は過去にひとつ売り払ってしまっていて、僕の身体の中に残るもう一つの腎臓を支払うとなると、当然だけど僕の身体はとても困ったことになる。最悪の場合死ぬかもしれない。そこでやっと、僕は告白してくれた女の子にこう質問するんだ。そういう状況になったときに、キミは自分の腎臓をひとつ僕に譲ってくれるか? って」


 最終的にその質問がしたいだけなら別に借金云々の設定はいらなくないかと思ったけど、俺は何も言わなかった。


「今まで僕に告白してくれた女の子は全員、口を揃えて、自分の腎臓は差し出せないって答えたんだ。僕の借金のためだけに、自分の腎臓を摘出して、僕に譲り渡すなんてことは、絶対にしたくないんだそうだ。腎臓がひとつなくなったところで、体内にはまだもうひとつ残っているんだから、生活にはそれほど不自由ないはずなのにね。明日からの僕の生活が大変なことになるとしても、自分の臓器を奪われるなんて考えられないと、借金をしたのは自業自得だろうと、彼女たちはそう言うんだ。全く女の子ってのは冷たいよな」


「……腎臓を差し出してくれないから、お前は告白を断ってるのか?」


「まあ、そうだね。腎臓のひとつくらい安いもんだって即答してくれる女の子がいたら、そのときは僕も交際の申し出を受け入れるかもしれない。でも別に僕は、腎臓を差し出してくれる人と付き合いたいわけじゃないんだ」


「じゃあ、なんでそんな変な質問するんだよ」


「なんとなくだよ。ただの雑談みたいなものでね。やっぱり告白の現場ってどうしても気まずい空気になるだろう? だから、肩の力を抜いてもらうためにこういう話をするんだ」


「……嘘くさいな」


「ごめん、そうだね」と冬樹は言って、それまで細めていた目を見開いた。


「本当のことを言うと、少し照れくさいんだけど……。この質問をすると、その女の子が僕のことをどう認識しているかがわかるような気がするんだ」


「…………」


「どうも僕に告白してくる女子たちは、自分という主体がいるのと同じように、僕という主体も同時に存在しているという意識が欠けているように思えるんだ。有り体に言ってしまえば、彼女らは僕を人間だと思っていないんだね。彼女たちは、僕のことをおもちゃかアクセサリーか何かだと勘違いしているんだよ。僕と触れ合っていたら気分が良いから自分のものにしたい、僕と一緒に歩いていたら恰好がつくから自分のものにしたいとか、そういう欲望に基づいて彼女たちは僕に告白しにきているんだ。だから彼女たちは、僕の借金のためだけに文字通り自分の身を削る行為なんてもってのほかだと考える。自分の内側にあるのは僕への好意ではなくて欲望なのだということに、彼女たちの多くは気づいていない。そして僕は、そういう人とは付き合いたくないんだよ」


「……本当に贅沢だな、冬樹は」


「ああ、そうだね……。こんな話はタカキにしかできないよ」


 つまり冬樹は、異性から向けられる性欲に人一倍の不快感を抱いていたのだろう。


 恋愛に性欲が絡むなんて間違っていると、冬樹は本気でそう考えていたのかもしれない。


 しかし実際問題、学生の恋愛なんて欲望に基づいているものが大半を占めるだろう。いや、そもそも、相手への純粋な好意による恋愛だって、そこに一切欲望が介在していないわけではない。恋愛も突き詰めれば自分のためだけの行為だ。


 冬樹が恋愛に何を求めているのかは、その話を聞いてなんとなく理解できた。けれど同時に、冬樹が求めているものはおそらくこの世には存在しないものであることも、なんとなく察した。


「この間、春川先生の家に行ってきたよ」


「は?」


 高校一年生の冬に、冬樹は不意に、まるで何でもない世間話のような軽い調子で、そう切り出した。


 言い忘れていたけれど、冬樹は僕の高校での初めての友達にして唯一の友達でもあった。といっても田端と内田さんのような関係ではなく、俺は冬樹以外にも適当に学校で駄弁る程度の仲の友人はいた。だが、その友人にしても冬樹がいなければ繋がりを持つことがなかったような人たちばかりだった。俺は、交友関係において冬樹にだいぶ助けられていた。


「春川先生って、確か、あの若い女の……」


「そう、国語科の先生だ。今は二年生のクラスを担任していて、茶道部の顧問も担当している」


「……よ、よく知ってるな。他学年の先生なのに……」


「うん。だって僕は春川先生の自宅まで行ってきたんだからね」


 このときは、昼休みに三階の空中廊下で二人並んで購買で買ってきたパンを食べていた。


 大学に入ってからも一度も忘れたことのない、その名前。春川先生。二十代前半の若い女性教師だった。いつもぴっちりした黒いスーツを着て高校に出勤してきて、常に銀色の四角い眼鏡をかけていて、黒髪を後ろで一つに縛っている。表情の変化に乏しく、声に張りはあるものの抑揚はない。全体的に怜悧な印象を受ける人だった。そんな雰囲気のせいか、若手の女性なのにあまり生徒からの人気はなかった。


 春川先生は、俺が三年生のときの担任だった。


「な、なんで、先生の家なんか行くんだよ……。二年の先生なのに、どういう繋がり?」


「この前廊下で呼び止められてね、そのときに色々話して……、その、なんていうのかな。僕たちは仲良くなったんだよ」


 冬樹はいつも通りの微笑のまま、淡々と話す。


「……いや、まあ、うん。……その……、どうして、先生の家に行くことになったんだ?」


「仲良くなったから、遊びに行っただけだよ。特に何をするためでもない」


「……それは、冬樹から言い出したのか? 先生の家に遊びに行きたいって」


「いや、春川先生が言ったんだ。僕は春川先生の車に乗せられて、家まで連れていかれたんだ」


 連れていかれた、と。冬樹はあえてその言い方を選んだのではないかと思った。


「……そ、それって、いいのか? 色々と……」


「んー……、僕もよくわからないけど……、僕は春川先生からお金をもらったよ」


「……え?」


「春川先生の家で、僕はお金をもらったんだ。数万円ほど。みんなには内緒なんだけどね。タカキも、他の誰かに言ったりしないでくれよ」


「…………ああ」


 俺は怖くなって、それ以上その話について追及できなかった。


 冬樹が春川先生について話したのは、その一度きりだけだった。


 その日から、冬樹の表情が日を重ねるごとに変化していった。思いつめたような険しい表情でどこか虚空を見つめていることが多くなった。


 廊下で冬樹が春川先生と廊下で話しているところも、俺は何度か目にした。春川先生はいつもの怜悧な表情のままで、冬樹の肩に手を置いたり、冬樹の手を握ったりしていた。冬樹は先生に対して微笑みを維持したままだったが、顔色が悪いようにも見えた。


 それとなく冬樹に何か困っていることはないかと訊いても、「特に何もないよ」とどこか無理をしたような微笑みで返されるだけだった。その微笑みを見て、俺は無理やりに冬樹は大丈夫だと思い込んだ。


 だから俺はそれ以上何もしなかった。何もできなかった。何をすればいいのかもわからなかった。


 そうして、冬樹の様子が明らかに悪い方向へ変容していった後も、冬樹は変わらず女子にモテた。変わらず冬樹に告白する女子もいたのだが、しかし冬樹はそのとき、あの腎臓の質問をしなかった。


 冬樹は、告白に対して何も答えず、無言で女子の腹を思い切り殴ったのだ。


 放課後の時間だった。俺はその現場を見たわけではないが、帰ろうとしたときに体育館前の辺りで人だかりができていて、俺は気になってそれに近づいた。人だかりの中心で、拳を握った冬樹がにやにや笑いながら、腹を抑えて蹲る女子を見下ろしていた。そしてその女子が吐いたものであろう茶色い液状の吐瀉物が、水溜まりのように地面に広がっていた。その吐瀉物の独特の酸っぱい臭いを、俺は今でもよく覚えている。


「ほら、早く立てよ。お前の子宮を破壊してやる」


 冬樹が妙に据わった目で女子を見下ろして、にやにやと口角を上げながらそう言っていた。いつもの外向けの微笑みではない、内側の感情をそのまま曝け出したような、見たこともない邪悪な笑みだった。


 俺は冬樹に一言も声をかけないまま、逃げるようにその場を立ち去ってしまった。


 おそらくあのとき、冬樹の精神の糸はぷっつりと切れてしまっていたのだろう。


 冬樹は女子の腹を殴ったため停学処分となったが、停学期間が終わっても、冬樹が高校に戻ってくることはなかった。停学している間に、冬樹は自主退学の手続きを済ませていた。


 冬樹が高校から姿を消したあとも、春川先生はまるで何事もなかったかのように、変わらず教師の仕事を続けていた。


 冬樹と春川先生との間に何らかの性的交渉があったというのは、あくまで俺の憶測にすぎない。確かな証拠は何もない。あの二人はずっと、生徒と教師の健全な距離感を保っていたのかもしれない。


 しかし、理由はどうあれ、俺が冬樹の相談に一度も乗ってやることができなかったのは事実だ。


 明らかに精神に異常を来たしている冬樹を前にして、俺は何もしなかった。ただ放っておいた。


 俺が何もしなかったせいで、冬樹は高校を中退することになったのかもしれない。


 すべては可能性の話でしかないけれど。


 冬樹が姿を消してから、俺はできるだけ人との関わり合いを減らそうとした。いや、違う。これは俺の意図的な行動ではない。あくまで自然に、当然の帰結として、俺は人と関わらなくなったんだ。


 俺は冬樹の友人としてしなければならないことをしなかった。


 唯一俺だけが冬樹を救うことのできる状況にあったのに、俺は冬樹を救わなかった。


 俺には誰かの友人としての責任を果たす能力がない。だから友人をつくる資格がない。


 人と関わるたびに罪悪感に苛まれて苦痛だった。


 俺は他人に対して何もしてやれないのに、俺自身は他人からの施しを受けている。


 自分が世界で最も無価値な人間のように思えた。


 あるいはこれは、冬樹に対するせめてもの贖罪なのかもしれない。


 冬樹は俺のせいで高校を中退して人生が狂うことになったのに、俺だけは変わらずのうのうと普通の人生を送っていることが、自分で許せなくなったのかもしれない。


 高校から大学に進学して、本当に友達がゼロ人になってしまったけれど、そのとき俺はむしろほっとしたんだ。


 これからは他人に対して何の責任も負わなくて済むって、安心したんだ。


 しかし、そうして落ち着いた途端に、二年半も会っていなかった冬樹が田端を連れて俺の自宅を訪ねてきたのだから、人生っていうのは本当にままならない。





 冬樹と田端がやってきてから一週間が過ぎ、この奇妙な共同生活にも少しずつ慣れてきた頃。バイト終わりにスマホを確認すると、西野からの不在着信が五十件ほど届いていて驚いた。一応『どうした?』とメッセージを送ってみたら、一瞬で既読が付いてそのまま無視された。明らかに不審だったが、しかし西野は基本的にいつも挙動不審なので、それほど気にする必要はないかもしれない。


 既に二十三時を回った静かな夜の街を、自宅に向かってゆっくり歩く。住宅街に入ると、鈴虫の鳴き声が妙に大きく聞こえた。


 ポケットに手を入れて、自分の足元を見ながらマンションの階段を上る。階段にはぼんやりとした小さな蛍光灯の白い光しかなくて、薄暗い。


 四階まで辿り着いて、自分の部屋のある五階への階段に足をのせたとき、頭上から慌ただしい足音が聞こえてきて、俺は顔を上げた。


「……は? え、な、何してんの、お前……」


 五階から半泣きの西野が下りてきた。階段の踊り場に立って、赤く充血した潤んだ瞳で、俺を見下ろしている。


「た、タカキ。……タカキ! なんで電話出ないの⁉」


「さっきまでバイトだったんだよ。ごめん」


「バイト中でも電話くらい出られるでしょ⁉」


「いや、出られないだろ、普通……」


「うぅ……ぐ、ぐぅぅぅぅううううう!」


 西野は変な唸り声を上げながらどたどたとこちらに近づいてきて、俺の胸倉を乱暴に掴んだ。潤んだ瞳の上目遣いで、睨み上げられる。仇敵を見るような目つきで、歯を食いしばっている。


「いったいどうしたんだよ、西野……」


「う、うるさい! この裏切り者!」


 そう言って、西野は平手で俺の頬をぶっ叩いた。親父にもぶたれたことなかったのに。


「痛っ……」


「タカキはずっとアタシのこと見下してたんだ! ずっと陰で笑って、馬鹿にしてたんだ! 彼女がいたんなら先に言ってよ! 童貞じゃなかったんなら先に言ってよ! クソが! うんこうんこ! ごみクズが! 死ねカス!」


「はぁ? 意味わかんねぇよ。何だそれ」


 西野は両目からだらだらと滝のように涙を流していた。化粧も落ちて、顔面がぐちゃぐちゃになっていた。


「うるさいうるさい! バーカバーカ! 死ね死ねビーム!」


 西野はもう一度俺の頬をぶっ叩いて、そのまま慌ただしく階段を下りて行った。


 俺はしばらくその場に呆然と立ち尽くしていた。さっき西野にぶたれた頬を自分の手の平で撫でた。ひりひりと熱くなっていた。


 一度深呼吸をしてから、俺はまた階段を上り始めた。下を見ながら歩いていると、床の所々にぽつぽつと黒い斑点ができていた。西野の涙だろうか。


 玄関の扉を開けると、中に人の気配は感じられず、真っ暗だった。カレーの匂いはなく、代わりに生ものが腐ったような変な臭いがした。部屋に入って電気を点けると、冬樹の姿は見当たらず、田端はいつもの定位置——タオルの上に寝転がって、虚ろにスマホを眺めていた。


「……なぁ、冬樹は?」


 田端は何も答えない。身じろぎもしない。


「あのさぁ田端。たぶんさっきこの部屋に人が来たと思うんだけど……」


 田端はこちらに目線一つ寄越さない。


 俺はため息を吐いて、田端のそばまで寄って身をかがめた。田端の長い髪をそっと払いのけて、その小さな耳に詰まっていた白いワイヤレスイヤホンを引っこ抜いた。


「あのさぁ田端」


 そこでやっと田端はびくっと肩を震わせて、目線をこちらに寄越した。


「さっきここに柄の悪そうな金髪の女が来たと思うんだけど、田端が部屋に入れたのか?」


「…………」


 田端は口をぱくぱく開閉しながら、目線をあっちへこっちへ小刻みに動かしている。


「なぁ、金髪の女が部屋に入ってきたのかどうか、訊いてるんだ」


「……す……すぃっ、しっ、しりま……、知らな、い……」


 震える声でそう答える田端を見ながら、俺はポケットの中に入りっぱなしだったレシートをゴミ箱に捨てた。


 そこで、何か強烈な違和感を覚えた。


 ごみ箱を両手で掴んで、その中を覗き込む。むわっと、さっき感じた変な臭いが鼻に入り込む。なぜかティッシュが一枚ゴミ箱に被せてあって、それを取り除くと。


「……おい、なんだよ、これ……」


 使用済みのゴムが、ゴミ箱に捨ててあった。


 薄く伸びてよれよれになった、ピンク色のゴム。


「お前が使ったのか? このゴム……」


 田端はさっきと変わらず、口をぱくぱくさせていた。


「……ぇ、うぇ、……え、っと、……」


 田端と冬樹が使ったのだろうか。


 しかし、あの冬樹がこんなものを使うなんて、想像ができないけれど……。


 あるいは、田端が別の男をここに連れ込んだということも考えられる。


 俺の頭は妙に冷静だった。


「……ご、ごごご、ごめん、……ぎ、ご、ごめん、なさい」


 田端が自分の頭を抱えながら、俺に顔を向けずに言った。


「……お前さぁ、マジでそろそろいい加減に……」


 そのとき、玄関の扉が開く音が部屋に響いた。


「ごめん、ちょっと仕事が長引いてしまったん、だ……」


 大きなレジ袋を持った冬樹が、僕と田端の姿を見て、驚いたような表情をした。


 しかしすぐにいつもの微笑に戻る。


「タカキのほうが先に帰ってたんだ」


「あ、ああ、まあ……」


「ミウ。コンビニ弁当とゼリー、一つずつ買ってきたから、どちらか一つは絶対に食べなよ」


「…………」


 田端は縋りつくような目で冬樹を見つめている。


 冬樹はテーブルにレジ袋を置いて、優しい笑みで田端を見つめ返した。


「……何かあったの? 二人とも」


 冬樹がそう言うと、田端はさっと目線を斜め下に逸らした。


「いや、別に何も……」


 俺は手に持ったままだったゴミ箱を床に戻した。


「ああ、そのゴムが気になったのかい?」


「え?」


「そのゴムは、今日の昼間に僕とミウが使ったものだよ」


「あっ! はっ! あ、ああ、あぅ……」


 田端が急に起き上がって何か言っていた。取り乱す田端に、冬樹はただ微笑みを返しただけだった。


「そろそろタカキにもちゃんと説明しないとね。このまま何も言わずにここに居候させてもらうのは、さすがに失礼だろうから」


「……何だ、説明って」


「別に、全然大した話じゃないんだ。今までなんとなく機会がなかったというだけで、本当は最初に全て話してしまっていても良かったんだよ。だからそんなに緊張する必要はない」


 冬樹は言いながら、そっと俺の手を握った。


「外に出て、二人で話をしよう」


 俺は冬樹に手を引かれて、外に出た。まるでその部屋には誰も残っていないかのように、電気を全て消灯して、戸締まりをして、冷たい空気の漂う外に出た。


 鈴虫の鳴き声がうるさかった。





「結論から言うとね、全部嘘なんだ」


 若い男が二人、深夜のコンビニの前でたむろしていた。さっき店内で買った肉まんを頬張りながら、コンビニの無機質な白い光に淡く照らされた冬樹の横顔を見る。


「全部って……、どこからどこまでがお前にとっての全部なのかがわからないよ」


「だから、僕もミウも、最初からタカキの家に居候する必要なんてなかったんだ。僕たちにはちゃんと、帰る場所があるんだよ。僕たち二人とも、衣食住には全く困ってない」


「……は?」


 俺は危うく手元の肉まんを取り落としそうになった。


「意味が、わからん。じゃあなんでお前ら二人は、一週間も俺の家に居座ってるんだよ」


「理由は単純だよ。僕がそうしたかったからだ。僕が、タカキとミウと、三人で暮らしたかったんだよ。騙すようなことを言ったのは悪かった。どうか僕の勝手を許してくれ」


「……なぁ、頼むから俺にもわかるように説明してくれないか」


「いや、ごめん。先に謝っておくけど、僕がちゃんと説明したところでそもそもタカキには理解ができないかもしれない。これはタカキの理解力の問題ではなくて、事情がそういう事情なんだ」


 冬樹は横目で俺の顔を見た。不意の出来事で、少し心臓が跳ねる。


「僕を愛してくれているのは、世界中でタカキとミウのたった二人だけなんだよ」


 冬樹は自信満々にきっぱりと断言した。


「だから僕は、僕を愛してくれている二人と一緒に生活したかったんだ」


「き、急に何を言い出すんだよ……」


 俺は苦笑いしながら、また肉まんを頬張る。何かの冗談だと思った。


 しかし冬樹は、至って大真面目な口調で続ける。


「高校を辞めてからの二年半、僕はずっとタカキに会いたかったんだ。会って話がしたかった。会って、ただ二人だけの時間を過ごしたかった。タカキと共に暮らしたかった。ねぇ、どうしてだと思う?」


「それを俺に訊くのか……」


「っはは、そうだね。タカキに訊くような質問じゃなかったね」


 タカキが目を細めて楽しそうに笑う。


 俺の心臓の鼓動が早まる。


「タカキは何の打算的な感情なしに、僕のことを純粋に信頼して、そして心配してくれた。タカキはあのとき、ずっと僕のことを心配してくれていただろう? 僕が高校から去った後も、タカキはまだ僕のことを心配していた。もう二度と会うことがないかもしれない僕のことを、タカキはずっと後悔してくれていた。タカキはそれを無自覚に、当然のことだと思っているかもしれないけどね、実はそれってものすごく尊いことなんだよ。そんなに僕のことを心配してくれたのは、ミウ以外にはタカキしかいない」


「…………」


「なぁ、そうだろう? 一週間前、二年半ぶりにタカキの顔を見た瞬間に確信したよ。タカキはずっと僕のことを気に掛けてくれていたんだって。僕の思った通りだったって、感動したんだ」


「…………」


 ひどく顔が熱かった。


 なんだよ愛って。


「タカキには本当に感謝しているし、信頼しているし、愛してもいる。だからこれからもタカキには、ずっと僕のことを心配していてほしいんだ」


「……わかったよ」


「ありがとう。やっぱり優しいね、タカキは」


 冬樹はにっこりと俺に微笑みかけた。


 調子が狂うな、本当に。


 俺のこの気持ちを、よりにもよって愛なんて言葉で表現しなくてもいいのに。


「ミウについては……そうだな。ねぇタカキ。ミウには、僕が今まで出会ってきた女の子とは決定的に違う部分があるんだけど、どこだかわかるかな?」


「性欲がないんだろ」


「え、よくわかったね」


 当たり前だろ。わからないほうがおかしい。


「ミウは、自分の欲望のために僕と付き合ってるわけじゃないんだ」


 タカキは面食らった表情から微笑みに戻って、また前に向き直る。


「ミウが生きていくためには絶対に僕が必要だし、僕が生きていくためにはミウが必要なんだ。だから僕とミウは交際している」


「お前が生きていくうえでも、田端が必要なのか?」


「ああ、そうだ。必要に決まってる」


 とてもそんな風には見えないけれど……。


「ミウがどうしてあんな状態になったのか、僕があの部屋に来てから最初の朝に、キミは訊いたよね」


「そうだったっけ」


「そうだったよ。それで、今その質問に答えるとね……、ミウは、大学で一人も友達ができなかったから、あんな風になったんだ」


「……………」


「たったそれだけ? って、思っただろう。でもね、これは決して馬鹿にできる問題じゃない。悩みの重さなんて人それぞれなんだ。そもそも、状況だけ見たって悩みの深刻さは計り知れないよ。友達がいないという状況をどう捉えるのかは、人によって違うんだから」


 俺も西野も田端も大学に一人も友達がいないが、その捉え方は三人ともそれぞれ違う。


 妙に納得できてしまう話だ。 


「ミウはある日、僕の働いている店に半泣きでふらふらやって来たんだ。店っていうのは、まあ、あまり詳しくは言えないんだけど、飲食店だよ。その飲食店で、僕はミウの相手をしていた。そのときのミウは完全に自暴自棄になっていてね、持っている全財産をうちの店に使って、僕を相手に支離滅裂な愚痴を三時間以上喋り続けていたんだ。そうして喋り終えて、やっと落ち着いたかと僕が安心していたところで、ミウが思い切り僕にゲロをぶっかけてきてね。ミウはそのまま白目を剥いて気絶した。あれは衝撃的だったな。そしてその後ミウが気絶から目覚めたとき、青白い顔で僕を見て、こう言ったんだ。あなたなしじゃ生きていけないって」


「……それで、付き合うことにしたのか?」


「僕が他人に必要とされるなんて初めてだったんだ。いや、もちろん過去には自分の欲望を満たすためという即時的な理由で必要とされることは何度もあったけど、これからの自分の人生を生きていくために僕を必要としてくれたのは、ミウだけだった」


「あんなに告白を断りまくってたお前が、そんな簡単に……」


「そう、簡単なことだったんだよ。ものすごく簡単なことだった。僕は誰かが生きていくための支えになりたかっただけなんだ。愛する人のために、自分の人生を使いたかったんだ」


 ありきたりな言葉だった。多くの人がよく言い訳に使う言葉だ。最初は自分の欲望のためだけに繋がったくせに、後になって自分たちの関係性を美化するために使われる、ありきたりな言葉。あるいは単なる綺麗ごと。


 だけど冬樹は、その言葉を本当の意味で、本気で口にしている。


「今のミウは、僕という存在を支えにして何とか呼吸ができている状態だ。逆に言えば呼吸以外のことは何もできない。明日僕が交通事故に遭って死ぬようなことがあったら、きっとミウもそれを知った途端に自殺を選ぶだろうね。ミウはそれほど追い込まれているんだ。僕以外に自分のことを認めてくれる人なんて世界中のどこにもいなくて、自分は世界で一番無能で、無価値で、生きているだけで全人類の足枷になると思い込んでいる。ただ僕一人だけがミウの価値を認めているから、それでなんとか生き永らえている。これはミウだけでなく、僕についても同じようなことが言える。もしミウが僕を必要としなくなってしまったら、自分で自分がどうなってしまうのか予想がつかない。ネガティブな方向に流れてしまうことは確かだけどね」


「……歪んでるな」


 そうか、綺麗ごとを地でいくような人間は歪んで見えるんだな。


「っはは、そうだね。でも、歪んでいても、どれだけ不格好に見えたとしても、僕たちにとってはこれが正解なんだ。僕たちは幸福なんだからね」


 そこで、俺のポケットの中のスマホが鳴った。既に俺の手元から肉まんは失われていた。


 画面を見ると、西野からの着信だった。


「僕は先に帰っているよ。ミウが一人で待っていることだしね」


「あ、ああ……」


 冬樹は軽く片手を挙げて、暗い夜道へと消えていった。


 通話開始ボタンを押してから、スマホを耳に押し当てる。


 女が鼻をすする音が聞こえた。


「た、タカキ! あの、えっと、その……お、お、おこ、お、おお、怒ってる?」


「何が?」


「さ、さっきの、あれ……」


「いや、怒る怒らない以前に、意味がわからなかったから」


「そ、その、ごめん。ごめんなさい。許して、許して、ください。す、捨てないで……」


「別に捨てたりしないよ」


 そもそも西野は俺のものではない。


 俺は肉まんのゴミを捨てて、スマホを耳に当てたまま歩き出した。


「だ、だってさ、ねえ聞いて? あのね、タカキん家行ったら、なんか知らない女が寝てたんだよ。意味わかんないじゃん。それでなんか変な臭いすると思ってゴミ箱見たら、そ、その、ゴム、捨ててあったし……おかしいじゃん。アタシはタカキが友達いなくて恋人いなくて童貞だから好きだったのに、実はタカキが友達いて恋人もいて非童貞だったなんて……そ、そんなの、受け入れられないよ。ねえ、そのときアタシがどんだけ悲しかったか想像できる? できなくても想像してよ。本当に……、本当に、世界が真っ暗になっちゃったんだから。それで、やたら巨乳のあの女はアタシが部屋に入って来ても全く無反応だし、タカキに電話しても一向に出ないし、もうどうすればいいのかわからなくなって……ねぇ、アタシ本当に辛かった。このまま死んじゃうかと思ったんだよ? とりあえず部屋から出て、それで、ずっと泣いてた。あのときアタシは本当に世界で一番孤独だった。この世の全てがこのアタシを欺いて馬鹿にするために存在しているように思えてきて、全部が憎らしくて、……その、とにかく頭がどうにかなりそうだったの。アタシはタカキだけが支えだったのに……タカキがいなくなったら、アタシはどうにも生きていけないの。そんなときに、タカキが帰ってきて、タカキの顔見たら、急に頭が熱くなってきて……、こいつは友達も恋人もいたくせに、アタシなんかとつるんだりして、アタシを憐れんで、馬鹿にして、嘲笑していたんだって思って、心臓が破裂しそうになってさ、そ、それで……その、つい殴っちゃったの。本当にごめん。謝るからさ。どうか怒らないでほしいの。別にタカキが友達いて恋人いて非童貞のリア充でもいいからさ、アタシにはタカキしかいないんだよ。だから……だから、どうか、捨てないで」


「……あのさ、西野は誤解してるよ。大きな勘違いをしてる」


「え、なんで?」


「あの部屋にいた女は、俺の恋人じゃない。ただの居候なんだ。今俺の部屋には二人の居候がいるんだけど、一人があの女で、もう一人は俺の親友の男だ。親友っていっても、こいつは俺と同じ大学に通っていたりはしないから大丈夫だ。俺はちゃんと大学でひとりぼっちだ。それで話を戻すけど、その居候の女と親友は恋人同士でさ、ゴミ箱に捨ててあった使用済みのゴムも、その二人が使ったものなんだよ。だからつまり、俺は友達も恋人もいなくて童貞の人間だ。安心してくれ」


「うっ、うう、ううっ、うわぁぁぁぁあああぁ」


 と、電話口の西野が急に大声で泣き出したかと思うと、全く気付かないうちにその泣き声が高笑いに変わっていた。


「ぅうわあああああっはははは! タカキ、それ、めっちゃ面白い! 傑作じゃん! 自分はナメクジみたいな非リアなのに、自分の家にリア充カップルがいて、そいつらが自分のベッドでセックスしてるなんて! あっははは! めっちゃくちゃ面白い! タカキ、それめっちゃ面白いよ! 最高!」


 その高笑いがだんだん電話口の奥だけじゃなくて、俺の歩く夜道の奥からも聞こえてきた。


 西野が、俺の部屋があるマンションのエントランスの前で、スマホを耳に押し当てて高笑いしていた。西野の顔は真っ赤で、頬に涙の痕がくっきり残っていて、化粧はぐちゃぐちゃに崩れていて、髪もぼさぼさで。全く不格好なはずなのに、その顔がなぜかとても魅力的に見えた。


 西野は目のふちの涙を指先で拭いながら、俺を見つめた。


「おかえり、タカキ」


「……うん」


 俺はスマホをポケットにしまって、西野に近づいて。


 そっと、その女に口づけした。




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DISTORTED LOVE ニシマ アキト @hinadori11

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