第27話 病的な彼女

 昨夜、僕はエンジュのスキルによってキスを余儀なくされた。


 彼女のスキルは『愛』というとても抽象的なものだった。


 そしたら翌朝、彼女はジニーと同じく卵の殻に包まれていて。


 トンカチで卵を割ると、彼女は後ろを向いた僕を背後から抱きしめていた。


「結婚したい、今すぐにでも」

「ちょちょ、ちょっと待ってよ」


 ジニーとはまた違ったベクトルの変貌っぷりに、困惑している。


「君にはロイドがいるだろ?」

「ロイドは従兄弟だけど? お互いに恋愛感情はない」


 なんやて!?


「それにしたっておかしいだろ!」

「何も、何もおかしくない」


 とりあえずこの場にはいられないと思った僕は部屋の扉にむかった。

 彼女は抱きしめている手を放さず、僕にすがりつくようにしている。


「放してくれよ! 仕事があるんだ」

「貴方の仕事は私を滅茶苦茶にすること」


 ふぁああ!?


「ファング! ファング助けてくれ!」


 堪らず従魔のファングに助けを求めると、彼は疾風のように駆けつけた。


「どうしたウィル!」

「エンジュがおかしくなっちゃったんだ、僕に喰らいついて放してくれない」

「……エンジュ、ウィルを放せ」


 ファングが低く唸り上げながらそう言うと、エンジュは静かな声音で。


「嫌、このままウィルと一つになるの」


 と言い、拒んでいた。

 彼女の返答を受けたファングは軽い身のこなしで――ゴン!


 とエンジュの頭に頭突きを喰らわせ卒倒させる。


 その後、僕たちは荷物をまとめて彼女の家から逃げた。

 牧場にいた従魔たちを連れて、仕事場である卵専門店に向かっている。


「恐らく、エンジュは植物系の魔物に落とされた。たぶん脳に寄生されている」


 ファングは僕に寄り添うように歩きながらエンジュの変貌をこう理解していた。

 彼女がああなった理由は十中八九、僕のスキルのせいだけど、黙っておこう。


 店に着くとトレントが協力店に卵を卸しに向かう所だった。


「おはようトレント、卵を卸しに行くのなら従魔と協力してやりなよ」

「おはようウィル! それは名案だね!」


 トレントは誰よりも早く仕事場に来て、誰よりも汗を流す。


 師匠は彼のことを汗を流す天才だと高く評価していた。


「今日も張り切っていくにゃー」


 ミーシャは元気な様子だった、彼女の灰色の毛並みは艶やかで調子良さそうだ。

 するとミーシャは紺碧色の瞳を不思議そうに僕に向ける。


「どうしたの?」

「ウィルの後ろに幽霊がいるにゃ」


 え? その台詞を聞いて振り返ると、エンジュがいる。

 彼女の存在に腰を抜かせていると、ファングが唸り始めた。


「まだ懲りないか貴様」

「謝りに来たの、さっきはごめん」


 しかし彼女は、冷静さを取り戻していた。

 意外と言っていいのかどうか定かじゃないが、差し伸べられた手を取る。


「さっきのは、私のスキルを制御しきれなかった結果だから、今は大丈夫」

「そ、そうなんだ、僕の方こそ化け物あつかいしてごめんね」

「化け物あつかいしてたの?」

「い、いや、言葉のあやだよ、ははは」


 彼女は静かな様子で「ふーん」と口ずさむ。


「それじゃあ僕は仕事があるから」

「……例の話はどうなるの?」


 例の? と首をかしげている僕に、エンジュは続けた。


「すき焼き店の女将になる話」

「ああ、あれね……ならエンジュ、今日からこの店で接客し始めてみる?」

「了解」

「この店の接客については先輩のビャッコから教わればいいと思うから」

「うん、その人って」


 ――ウィルの何?


「え? えっと、ビャッコは、僕の何って?」

「……どこにいるの、その人」


 エンジュ、彼女と面識を持って日が浅いけど、第一印象は完璧だった。

 しかし、僕が今のエンジュに覚えた得体のしれない恐怖は一体?


 その日から僕たちの商人ギルドにエンジュと言う新しい顔ぶれが加わる。


 エンジュは気立てがよく、一を教えれば十を理解すると言った才女だった。

 儚げな美しさも持ち合わせているからか、お店には彼女のファンもつくようになった。


 そのため、王都でゆいいつの卵専門店はますます繁盛する。

 閉店後に売上を帳簿につけているミーシャの猫語もどんどん増えていった。


「にゃっはー! 連日売り上げの最高値を更新してるにゃ」

「いいね、エンジュの影響かな?」

「そうだと思うにゃ」


 彼女を雇い入れた僕としては、にっこりな事案だ。

 今日も仕事を終えたパティシエのママは普段着に着替え、店をあとにする。


「お疲れさま、また明日ねウィル」

「お疲れさまママ、トレントも、ミーシャも今日はあがろう」


 そしたら僕も上がろう、店の扉に錠をして。

 今も仮住まいさせてもらっている牧場に帰ろうとすると、ロイドがいた。


「ウィルの旦那、今帰りか」

「うん、何か用かな?」


「例の話について提案をしに来た、旦那はすき焼き店のオープンと同時にファングの肉を少しずつ流通させるって言ってたけど、店を開く前にちょっとした祭りを開いてだな――」


 エンジュを雇い入れ、すき焼き店の準備も着実に出来て来た頃。

 ファングはじょじょにロイドに信用をおくようになっていた。


 彼にはファングの答えが出るまで数日待ってほしいと伝えたが、その後もロイドはファングのもとを訪れて、一緒の時間を増やしたのが功をそうしたらしい。肉の件に関してはファングの方から打診してきたのだ。


 僕の隣でロイドが提案する祭りごとの話を耳にしたファングは、にやけている。


「祭りか、かねてから興味があった。ウィル、俺はいいと思うぞ」


 そう言うファングの姿は生まれたばかりの子犬の姿じゃなく、大型犬のものになっている。エンジュから聞いた話だとファングはもっともっと大きくなるだろうとのことで、僕としては考え物だった。


「提案するのはいいけど、王都の許可は取った?」

「まさか、これからに決まってる」


 こういう詰めの甘さは、ロイドの不勉強な所だった。

 しかし隣にいるファングはその気でいるし、しょーがないな。


「祭りの名前は決めてあるんだ、題して酒池肉林祭しゅちにくりんさい

「気持ちはわかるよ、そういうのって考えるだけでも楽しいよね」


 ロイドには祭りの開催は検討すると言って、一先ず別れた。


 止めていた足を再度動かし始め、王都から少し外れた牧場に向かう。


 王都中央にそびえる城の塔が遠ざかっていき、王都を守る外壁門が近づく。


「そう言えば最近あの忌々しい女を見ないな」


 隣を歩くファングは、ジニーの存在をあげていた。

 彼女と喧嘩別れした翌日に貰った手紙に、そのことは書いてあった。


「なんでも遠征しているらしいよ」

「遠征?」

「王国と隣国をつなぐ交易路に盗賊がすくってるみたい」


 彼女が向かった先は、僕の地元の商業都市に近い。

 おそらく僕の地元を拠点にして盗賊討伐の任にあたっていると思う。


「盗賊ごときにあの女を倒せるとは思えない」

「僕としては彼女の無事を祈るだけだよ」

「エッグオブタイクーン・ウィルはお人よし、よく言われなかったか?」

「言われたこともあったよ、その逆の皮肉も」


 と言うと、ファングは吠える要領で笑うんだ。

 彼に釣られて僕も笑い、そのまま外壁門を通ろうとしたら。


「待て小僧」


 僕が背負っている荷物に誰かが手を掛け、僕を引きとめた。


「レオですか?」

「そのとおり、俺だ」


 こんな夜に、何か用? 今日はよく呼び止められるなと一人で思っていると。

 レオは妹のビャッコから相談されたという事案について、打ち明けたのだ。


「妹が言っていた、お前が最近つかまえてきた女、あいつは病気だと」

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