第3話 初めての出会いは踊り場 その2

「そういえば、あんたの名前、何? 私は、草摩佑果そうまゆうかっていうんだけど」


 そう訊ねると、お嬢様は自らを指差し。


「わたしは、飛鳥田愛李あすかたあいり


 飛鳥田という名前を聞いた時は、ふーん、どっかで聞いたような名前、なんて聞き流しそうになっていたのだが。


「この学校で、生徒会長やってるの」

「げほっ、げほっ!」

「大丈夫?」

「あんた、会長なの?」

「うん。知らなかった? いつもイベントの時はみんなの前で開会の挨拶してるんだけどなぁ」


 道理で聞き覚えのある名前なわけだ。でも顔までは把握してなかった。


 お嬢様……飛鳥田が言うように、毎週末の恋愛促進イベントの時は、この会長がみんなの前で開会の挨拶をする。


 生徒会長は、みんなに見えるように即席のステージに立って挨拶をするのだけれど、毎回周囲には彼女をアイドルのように崇めている熱心なファンが群がっていて近づけない感じだったし、そもそも私は恋愛促進イベントを乗り越えないといけない憂鬱で生徒会長の挨拶なんて耳に入らなかった。


 しかしまあ、なんという皮肉だろう。

 この学校の生徒会は、恋愛促進イベントの実行委員会を兼ねていて、企画・立案にも関わっている。


 イベントのアイディアを生徒から募ることはあるのだが、実現に向けて実際の動くのが、飛鳥田が所属している生徒会というわけ。


 飛鳥田は、そのトップなのだ。


 毎週のように私を憂鬱にさせる恋愛促進イベントを取り仕切っている組織のトップが、今目の前にいるのである。


 文句の一言でも言ってやろうか、という気になって、手にしていた箸を無意味にカチカチさせた。


「あ、それおいしそう」


 飛鳥田が、私のお弁当箱を覗き込む。


「その玉子焼き、いい焼き色だけどあなたがつくったの?」

「……うん、まあ」


 寮にも食堂はあるけれど、入寮している生徒の数が数だから、お弁当まではつくってくれない。お昼は自分でつくるか、学校の購買や学食を利用するしかないのだ。


 寮の部屋には簡単なキッチンがある。自分が食べる分の料理をつくることは嫌じゃないから、昼はこうしてお弁当をつくってくることが多かった。


「ねえ、一口くれない?」


 こちらの顔を覗き込むようにして、大きな目をぱっちり開けながら首を傾けてくる飛鳥田。


 肩口に溜まっていた栗色の髪が、さらりと溢れる。屋上の扉から差し込んでくる陽の光に照らされて、キラキラ輝いていた。


「いいけど」

「やった」


 飛鳥田がにっこり微笑む。

 小動物みたいな愛らしさで、意地悪してやろうなんて気持ちも消えてしまう。


 私は、食え、とばかりにそっと弁当箱を飛鳥田の方へ押しやるのだが。

 飛鳥田は無言でニコニコしたまま、両手を背中に回し、口を小さく開く。


 真っ白な歯が見事に並び、ピンク色の舌がちろりと見えて、私はわけもなくドキッとしてしまう。ただの舌だというのに、見てはいけないものを目にしたような気がするほど、飛鳥田はどこか浮世離れというか、神秘的な雰囲気があった。


「もしかして、食べさせてもらおうとしてる?」

「うん。あーん、ってして」

「箸、私めっちゃ使っちゃってるけど?」

「じゃあ間接キスだね」

「女同士で間接キスもなにもないでしょ」


 さすが色ボケイベントを開催している総本山のトップ。なんでも恋愛に繋げようとする。


「なんか気にしてないふりしてすっごく気にしちゃってない?」


 首を傾げ、にやっとした笑みを浮かべる。

 こいつ、こんな挑発的な微笑み方もできるのか。


「ねぇ、いいでしょ、佑果ちゃん」

「佑果ちゃんって」

「佑果ちゃんじゃないの?」

「そうだけどさ」


 ついさっき名前を教えたばかりなのに、いきなり下の名前で呼ばれるとは。

 私は、いかにもな女の子っぽい感じじゃないからか、『ちゃん付け』で呼ばれることは滅多になかった。


 このままでは、飛鳥田のワンサイドゲームになりそうだ。


「わかったよ。やってあげる」


 恥ずかしい目に遭うのを長引かせたくない私は、一瞬の恥で済む方を選んだ。


「佑果ちゃんすごいよね。わたしは料理苦手だから」


 玉子焼きを箸でつまむと同時、飛鳥田が言った。


「これくらいなら誰でもできるでしょ。ていうか、飛鳥田の方が見た目料理できそうに見えるけどね」

「よく言われるよ。でも、ぜんぜんそんなことないの。わたしが料理すると食べ物がみんな真っ黒になっちゃうから」


 飛鳥田は、一瞬憂鬱そうな顔をすると、勢いよく身を乗り出して、口をつかって箸からひったくるように玉子焼きを奪っていった。


 思ったより大胆な行動に走るヤツだ。


「うん、おいしい」


 むぐむぐして、玉子焼きをごっくんしたあと、にっこり微笑む飛鳥田。


「だからね、わたしは自分でつくるより、つくってくれたの食べちゃう方が好きかも」

「へえ、いいご身分だね」

「ねえ佑果ちゃん、これからわたしにもお弁当つくってきてくれない?」

「図々しすぎない?」


 この子、なんだか距離感がバグってるっていうか、まともに顔を合わせて話したのなんて今日が初めてなのに、いきなり下の名前で呼ぶわ人のエネルギー源取っちゃうわ、あまつさえ弁当をつくれ、と言ってくるわ、むちゃくちゃだ。


「わたしは料理しないからよくわからないけど、お弁当は一人分も二人分もつくる手間はあんまり変わんないって言うでしょ? だったら、ついでにわたしのもつくってよ」

「嫌だよ面倒くさい。ていうか生徒会長なら、後輩を顎で使える立場なんだから、その人たちに作ってもらいなよ」

「佑果ちゃんのがいいんだけどなぁ」


 飛鳥田は、ニコニコした顔を崩そうとしない。

 なんか、妙なヤツに懐かれた気がする。

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