百鬼昼行 流れ星には足がある

一爪琉青

第一幕 海魔の子

 君との記憶が、僕が生み出す闇中で流れ星のように砕け散っていく。


きらきらと火花をちらし、

他の想い出とぶつかりながら、

白と紅が絵の具のように混ざりあっては

蜘蛛の巣のように広がって、

哀れで儚い魂を捉えようとするんだ。


意識よりも奥深い海へ還るんだ。


 この恋慕の網に絡みとらえられたら、身動きできないまま朽ちていく、

狂ったような終わりへと導いてくれるだろう。

天を目指すはずが地上へと向かって堕ちていく。


 思わず、もがき抱くようにして毛布を引き寄せた。地上にいてさえ、溺れそうになる。

海を、ずっと海の夢ばかりを思い描いてる。


『海の子に魂をもってかれたのだよ、あの悪魔に』

誰かが大声で泣き叫ぶ声がする。

「あの子も海に近づけたのが間違いだった!」

母と呼んでた女だ――。


そうだ――父は海で死んだ――

 

 手にしたスマホからブルブルと振動が伝わる。

気だるけに耳にあて応えた。時間の感覚が曖昧だ。

今は何をしてる? この息苦しい地上で。

「もしもし――、例の業務の件は――はい――、わかりました――では――」

自分ではないようだ。本当の自分は海底にいて、古に失われた遺跡を泳いでいる。あの人と共に。

文明を笑い飛ばし、海原を泳いでる。


 働いても、休んでても、今の現実は理想ではない。何をやっても虚しさだけが通りすぎる。今の僕には太陽の恩恵は届かない。北風の寒さに耐えきれずに目を瞑った。水の中に”戻りたい”。

 

 昨日まで暖かった日は、しばらくは戻ってこない。これから、ますます寒くなるだろう。


下唇を強く噛む。「あの人」と過ごした日々は、僕の心に食い込んだままだ。


 今でも、まだ「あの人」がくれた言葉が僕を生かしてる。思い出すたびに甘酸っぱさと情けなさが交互に押し寄せてくる。


 牝鹿のような長くて細い四肢。豹のようにムダのない体つき。皮膚は蝋のような肌触り。

特に目。濁りのない湖のような、澄み切った青。

地上にいてもなお、海中を漂うようになびく金色の髪。


 あの日、僕は海の悪魔と出逢った。

船乗りが話題にする人魚とは違い、両足を備えている。地を這う我らに呪われた海魔の子に。

そう――「あの人」は海の魔物の子なんだ。


 逢魔が時、紅で塗りだくった砂浜で、海の遠くを見る君は気高く見えた。僕だけが気づいた神秘。海をすべる風を受けて柔らかそうな金髪をなびかせている。

初めて目にした時、視覚以外の全てがこぼれ落ちた気がした。どちらかが声をかけたかなんて、野暮なこと。

僕らは出会い、親しみを感じあえた!

視線が絡み合い、

赤い糸が凶器のように僕らを虜にした。

それから砂の上に腰かけて、海の話をした。

 

僕は海が嫌いだ。

海は、僕から、僕ら家族から父を奪った。

今も母は泣いてばかりで

僕を見ようとはしない。

戻ってこない父を思い出させるからだろう。

海が憎い。僕が、そう呟くと「あの人」は端正な顔を寂しそうに歪めた。

「君のお父上は、海に還れられたんだよ」

海を指差すその手は夕陽で赤い。その指だけでなく、爪さえも紅く照らされて、いっそう妖しくみえる。

「地上で死ぬ方がよっぽど怖い。この乾いた大地の上で、ウジにまみれて土に還るのは美しくない。

 それよりか、あの海の中で色とりどりの魚たちと共にいたいな――」

唐突に手を握られた。

いじわるそうな顔の前に手を引き寄せられる。

「また会える?」と聞いてくる。

あの人の唇の裏側からサメのような牙がズラリと並んでいるのが見えた。そのまま僕の手の甲に唇を這わせ、人差し指の先までくると、赤い舌がちょっとだけ絡みつかせてきて、その牙でチクッと刺してきた。

「君からは海の味がするよ――」

薄桃色の唇に、紅が惹かれる。


真夜中、窓ガラスを数回叩く音に目が覚めてた。

カーテンごしから見つめてくる闇の中で一層輝く蒼い瞳。

たとえ食い殺されるとわかってても、僕は「あの人」についていっただろう。


「良かったら、海に入らない?」と、夜の砂浜で「あの人」から手を引かれて静かな海へと歩んだ。

空には幽霊のような月が浮かび、僕らを見ている。

まるで真夜中に光る目のようだ。

 ひんやりとした波は、僕らの足を撫でる。

夜の海は怖かった。このまま引きずられたら、抵抗できない怖さがある。船から海を覗き込んだ時、無性に飛び込みたい衝動。僕は首を振り、波の届かない乾いた砂浜に腰を下ろす。


夜が明けるまで傍にいた。

空を眺めて、二人で星を数えた。

 

流れ星が堕ちていくのを見つけた。

「あの人」に魅了されただけなのか――。

気にもとめなかった。


遠くの沖合に数本の手が見えた。

招くように、ゆらゆらと揺れてる。


「あの人」は、彼らを一瞬睨みつけて僕の胸に耳を傾けてきた。


そして見上げてきた。

「このまま時がとまったらいいのに――」

そう聞こえた。

不意に自分が海の中にいて、酸素を求めるようにこの人を抱きしめたいという想いに襲われた。


「好きにして――いいよ――」

 知られてしまった好意、すぐ手を伸ばせば何もかもが終わる恐怖。この顎の下を撫でて、複数の割れ目に気づいた。ズルっと指が中に滑り込んだ。ひんやりとして、それでいて――。


 ゾクっと背筋に「何かが」疾る。

蛇が心臓を這いずって、絡みついたんだ。息ができない。このまま絶えたら楽だろうか。


絡みとられた指と指が、手のひらが重なりあって吐息が、近づき心臓が重なる。

 

 顔が、海魔の子の目が細く双つの三日月のようになる。

狐に化かされるような気がして、思わず手を離す。


一瞬の沈黙。

 

僕から拒絶したつもりはないけれど、手に入れかけた体と心は色を失っていく。


「ごめん――」


原始的な恐怖が、太古からきざまれた警告が聞こえる。

 

「きっと、あなたは後悔するよ」

 

これ以上の関係を拒んだことに?

聞き返さずに下唇をかんだ。

 

「そんなこと――」

現実が、脳裏に浮かんでは消えた。

母のこと。地上での思い出。

 

「やっぱり一緒に生きてはいけない――」

声が掠れた。

 

「あの人」の心音が胸から離れていく。

 

「――ごめん」

自分の声じゃない。寒くないのに、身体が震えていた。人としての自分が、この場から逃げたがっている。


「――出会わなきゃ良かったね」

その言葉は、誰がいったんだろう――。


海魔の子は視線をあわさずに、海へと駆けていく。

その後ろ姿を引き止めようとした。

でも、海の中へと飛び込んで視界からきえると、どっと何かが抜け出た。

太陽の光が目に差し込んだ。

 

白い。眩しい。

 

――ひどく疲れた。


僕はウミニカエレナカッタ――。


――秋が終わる。

次は冬がくる。

このまま終わりたい。

めぐる季節、輪廻から離れて

遠くへ。あの海の中へ。


「あなたが好きだよ」と呟く。

「あなたが好きだよ」と繰り返してみた。

言葉は虚しさを強めて、寂しさを再確認させた。


春はいつかくる。

思い出はいつか流れ星のように消える。

だけどね、流れ星には足がある。

また戻ってくる。


「おいで、一緒においで」と誘ってくれるのを待っている。


――この地上で醜く終わるよりは、暗い深海にある森の中で色鮮やかな”彼ら”に食べられたい。


――解き放たれた魂は、深淵な海の秘密を知ることになるだろう。


――永遠に。

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