第5話 実戦

 その日から、一徹の鍛錬は変わった。

 まずは巻藁突き。

 突きの威力の2/3は強靭な下半身から生み出される。

 つまり巻藁突きとは、拳の強化もあるが、主に下半身の強化を目的とした鍛錬。

 上半身よりも下半身の方が重要だという考え方から来ている。

 そして、上半身の鍛え上げた筋力の弊害を無くす方法として、考えに考えた。様々な格闘技を自分なりに研究し、独自の理論を導き出す。

 それは上半身の力を抜いた状態で、素早く突く方法だった。

 鍛えなければ筋肉は徐々痩せていくが、同時にパワーも失われてしまう。再び鍛え直すのではなく、今の筋肉量に対してバストマッチな打撃を一徹は考えた。

 しかし、これが中々難しい。

 上半身の力を抜きつつ、突きを放つ。

 そして、ヒットの瞬間に筋肉を硬直させる。

 突きを放つ時に、拳を石のように握りしめていたのでは、スピードが出ない。

 脱力から生み出される緩さ。そこから生み出される高速で動き続けるというのは、想像以上に困難を極めた。

 全身汗まみれとなり、肩で息をしている状態だ。

 額からも大量の汗が流れ落ちてくる。

 だが、これを続ければ確実に強くなれると確信できた。

 なぜなら、今までよりも速く動けている実感があるからだ。

 それに、まだ一度もクリーンヒットしていない。

 つまり、威力のあるパンチを放てるということである。

 一徹は、この《脱力からの超速パンチ》に《バーサーカーソウル》と名付けた。

 それを聞いた青葉は、中学2年生だけあって、正しく中二病だと思った程のネーミングセンスの悪さだと思った。

 しかし、オッサン化した一徹の中に若者らしい心が残っているのが、青葉としては嬉しかった。

 光希を、それを見てボクシングのフリッカージャブの様だと独自で行き着いた一徹の格闘術を高く評価した。

 さらに、上半身と下半身の連動性を高めるため、股関節周りの柔軟性も向上させた。

 その結果として、より素早いフットワークが可能となった。

 また、拳の強化だけでなく、足腰の強化も行った。

 足腰の強さは、そのまま攻撃力に繋がるからだ。

 一徹は、これも独自に考えたトレーニングを行った。

 まずは片足立ちでのスクワット。

 これは足腰を鍛えるための基本となるものだ。

 次に逆上がり。

 これは握力の強化にも繋がる。

 次はバランスボールを使った運動。

 重心の位置を把握し、姿勢を制御する訓練を行う。

 最後は、ストレッチ。

 一徹は、身体の可動域を広げるために、入念な柔軟体操を毎日行った。

 こうして、日々の努力を続けた結果、一徹は徐々にだが着実に実力を上げていった。

 ただ殴ることを覚えただけではない。

 柔道に我流格闘術が加わった瞬間でもあった。

 しかし、一徹の風貌は変わらなかった。

 相変わらず、オッサンが学ランを着ている。学ラン漫画の様な姿だ。

 青葉は一徹が強くなることに良いことと感じていたが、同時に心配もしていた。

 これで良いのか?

 言い訳ないだろと思った。

 街中を歩いていて、中学生なのに客引きに逢い。

 子供からオジちゃん呼ばわりされて泣かれ。

 セール中だからと飲食店ではビールを勧められる。

 一徹自身は、表情に大きく出さなかったが、落ち込んでいるのが青葉には分かった。青葉は別の意味で同級生が大人の階段を上っていくような気がして、かなり寂しい気持ちになった。

 そんなある日のこと。

 その日の夕方、一徹と青葉は街中を歩いていた。

 雑踏にカラコロと音が交じる。

 一徹が下駄を履いているためだ。

 青葉が理由を訊くと、靴を履くと水虫になったと答え、青葉は一徹のオッサン化に嘆いた。

 また、服装こそ学ランを着ているが、一徹は学生服を着たまま柔道の鍛錬を独自で行っていたため割りかし傷んでおり、それを隠すために黒い外套を羽織っていた。

 明治、大正、昭和にあったというバンカラの再現であった。

一徹が新発売のプロテインを購入するのに青葉は付き合いで、放課後に出かけたのだが、そこで男に絡まれている少女の姿を目撃した。

 場所は、センター街にあるゲームセンター近く。

 若者が多い場所でもあるから、ナンパの類も多いので、男女のいざこざケンカは珍しくない。

「ヤダ。やめてよ」

 少女は男から肩に腕を回されて嫌がる。

 高校生あたりの10代の女の子。丈の短いスカートにトレーナー。足元は足首丈の靴下にローファーという格好だった。髪はアンナチュラルな茶色。化粧も、派手めな感じで、日頃から遊び呆けている印象だ。

 男もほぼ同年代の派手なスカジャンを羽織った金髪の男。

 身長は170cm程で、髪は短め。

 体つきは細身で、肌は色白。

 目鼻立ちは整っており、一見するとイケメン風な顔立ち。

 しかし、その表情は凶悪だった。

 口元には笑みを浮かべているが、目は笑ってはいない。むしろ、相手を小馬鹿にしているようにも見える。

 少女は抵抗している。

 男はニヤけた顔を近づけて、耳元で囁く様に言う。

 声は、とても低く冷たい。

 それは、人を威圧する口調だった。

 まるで、自分の方が優位であることを示すかのように。

 通行人の視線が集まると、男は、

 俺の彼女がワガママでスミマセンね。

 と、ヘラヘラと笑いながら、わざとらしく謝る。

 そして、少女の腕を強引に掴むと、無理やり連れて行こうとする。

 しかし、彼女は必死に抵抗する。

 周囲の人間は、遠巻きに見ているだけで、誰も助けようとしない。

 見て見ぬふりをしているだけだ。

 いや、本当にただの痴話喧嘩とも取れる。だからだろう。

 皆、関わりたくないと思っているのだ。

 それに、この辺りは、不良と呼ばれる人種も少なくない地域。

 つまり、揉め事が起きても警察が来るまでに時間がかかる可能性が高い。

 そう思う人間が多かった。

 しかし、このまま放置すれば、男が少女を連れて行ってしまうのは明白であった。

 そうなれば、もっと面倒なことになるかもしれない。

 一徹は、そう判断した。

 なので、一徹は行動に出ることにした。

「青葉、少し待っていてくれ」

 一徹は青葉に伝えると、少女を助けるべく動き出した。

 その瞬間、青葉は一徹が何を考え何をしようとしているのか分かり、慌てて止めに入った。

「よせ一徹。本当に、バカップルの痴話喧嘩かも知れないぞ」

 青葉は、一徹を止めようとした。

「構わん。女の子が嫌だと言っている。確かめるだけだ」

 一徹は、青葉の言葉を聞き入れなかった。

 青葉は、仕方がないと一徹の後を追った。

 青葉が追いついた時には、既に一徹は男女の前に立っていた。

 二人の視線が、一徹に注がれると、一徹は言った。

「止めろ。女の子が嫌がってるだろ!」

 突然現れた一徹を、少女と男は呆気に取られた。

 男は、一瞬驚いた様子を見せたが、すぐに不機嫌な表情になり舌打ちをした。

「オッサン。誰だテメエ」

 男は、一徹に喰らいつく。

 その言葉を聞いて、青葉はやっぱりオッサンに見えるんだと改めて思った。

「田麦一徹。中1の時、柔道日本一になった男だ」

 訊かれたので、一徹は大真面目に答える。

 すると、男は急に大声で笑い始めた。

 何が可笑しいのか、腹を抱えて大爆笑だ。

 少女は唖然としていた。

 男の態度の変化についていけず、混乱している。

「その年で何過去の栄光にすがってんだよ! ダッセーな。そんなもん捨てちまえ。昔のことなんて忘れて、楽しく生きようぜ。なあ?」

 男は、少女に同意を求める。

 少女は、困惑しながら顔を背ける。

「その娘は、本当にお前の彼女なのか?」

 一徹は男に尋ねる。

 少女は、一徹を見上げる。首を横に振っ――。

 男が少女の顎を無理やり掴む。

 男は再び笑う。今度は声を出して笑っていた。

 笑い終えると、男は少女に語りかける。

 先ほどとは打って変わって優しい口調だった。

 まるで別人のような豹変ぶりだった。

「おい。オレが彼氏だって説明してやってくれよ。全部許してやるからさぁ」

 少女は、声もなくゆっくりと頷く。

 すると、男は勝ち誇った様に一徹を見る。

 そして、男に言われた通り、震えた声で、自分が彼の恋人だと口にする。

 それを聞いた男は、またもや高らかに笑った。

 一徹は、少女の様子を見て確信した。この男は、嘘をついていると。

 だが、少女は怯えている。

 少女を傷つけたくはないと思った一徹は、拳を握るだけで何もしなかった。

 少女は、助けを求めるように一徹を見た。

 一徹は、少女の視線を受け止めると、力強くうなずく。

「もういいだろう。その子を離してくれないか」

 一徹は言うが、男は聞く耳を持たなかった。

「ダメに決まってるだろ。これから楽しいデートなんだからよぉ」

 そう言って、少女の首筋を舐める。

 その行為で、完全に頭に血が上った一徹は、思わず飛び掛かろうとした。

 だが、一徹よりも先に動いた人物がいた。

 青葉である。

 彼は素早く、少女の腕を掴むと自分の方へ引き寄せる。そのまま抱きかかえるようにして庇い、少女の盾となった。

 しかし、怒りに任せて飛び出した為、どう対処するかまでは考えていなかった。

「なにしやがる!」

 男は激昂し青葉は頬を殴られ、吹っ飛んだ。

 青葉は少女に叫ぶ。

「逃げろ!」

 少女は恐怖で足がすくんでしまって、すぐに動けなかったが、青葉の声を聞き、我に返って走り出す。

 男は少女を追いかけようとするが、その前に一徹が立ち塞がる。

 男の目は殺気立っており、今にも襲いかかってきそうだったが、一徹は一歩たりとも引かなかった。

 ここで退いたら、二度と自分を取り戻せない気がしたからだ。

「どけよテメエ。殺すぞ」

 男は凄みながら脅す。

 だが、一徹は退かない。

「面白い。やってみろ」

「やってやろうじゃねえか。オッサン」

 一徹は挑発し、男は大きく舌打ちをして、拳を振り上げ――。

「俺はオッサンじゃねえ! 中学生だ!!」

 一徹は男の顔面に拳を炸裂させた。

 腕力に頼った手打ちの突きではない。

 光希に言われた、突きのコツ。

 腰を落とし、背骨を中心にして体幹を回転。

 軸足の踏み込み。

 拳に体重をしっかりと乗せる。

 腰を回しながら拳を突き出す。

 反対側の腕の引き手。

 全身の力を使って打っていることを意識する。

 腕を伸ばし切る直前に拳を回転させる。

 それら全てを集約させた正拳突きであった。

 まるで戦車の徹甲弾(AP)が放たれたような一撃であり、拳が剥がれたあとの男の顔は変形していた。

 そこへ一徹は、追撃を仕掛ける。

 一徹は左手で男のスカジャンの肘を、右手でスカジャンの襟を掴む。引き手(左手)を目の高さまで引き出す。男の重心が爪先に移り、バランスを崩した状態になった。

 一徹は、男の懐に入り込みつつ背中を向けると、両腕を効かせて一気に男を背負うと、腰を落として投げ飛ばした。

 背負投。

 柔道の投技の中で代表的な技のひとつ。

 相手を背負って、自分の肩越しに投げる技。「柔よく剛を制す」が代名詞の豪快かつ芸術的な手技だ。

 背負投は、体が小さくても大きな相手を倒せるという意味の「柔よく剛を制す」のことわざにふさわしい技で、力学的な見地からも理にかなっているとされており、手足の短い日本人の体型には最も合う技と言える。

 この技は、男女、階級を問わず、実戦において非常によく見られ、小中学生を含む軽量級の試合では特に多く見られる。

 また、国際的な視野においても、比較的体の小さい日本人選手が海外の大型選手に勝つためには、この技は有効だ。

 男は地面に叩きつけられる。

 男は受け身の取り方も知らなかった為に、衝撃で呼吸困難に陥った。

 一徹は男を見下ろしていた。

 一徹の瞳には何の感情もなかった。

 それは、目の前の敵を排除するという機械的な作業を行っているようにも見えた。

 一徹は、青葉の様子を気にする。

「青葉、大丈夫か」

 訊くと、青葉は頬を擦りながら立ち上がっていた。

「あぁ……。一徹に投げられたことを考えたら、へなちょこパンチさ」

 青葉は強がりを言うと、一徹は安心した。

 周囲を見ると、少しずつギャラリーが集ってきているようだった。

 これ以上騒ぎが大きくなると面倒になると思い、一徹と青葉は、その場から駆け去ることにした。

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