第2話:ケモノビト

 白色を主とした半着と黒のホットパンツ、黒い光沢のある胸当……その上に羽織るダンダラ模様のレザーコートと“誠”の鉢金について、タツヒコは見覚えがあった。


 日本人であれば少なくとも、一度ぐらいはどこかでその存在を耳にしたことがあるはず。


 彼らの知名度は教科書にも載るほど有名で、男ならば憧れてもおかしくはない。


 こいつ、まさか新選組のコスプレイヤーか何かか? 腰のそれは朱漆打刀拵しゅうるしうちがたなえで、刃長の方はだいたい二尺四寸約72cmほど。すらりと鯉口を切って外に出れば、日本刀特有の輝きと片刃が露わとなった。


 ――つーか、病院で堂々と光物抜くなよ……!


 日本で言えばいきなり拳銃サクラを抜くようなもので、突然の抜刀に案の定その場に不幸にも居合わせた患者は医療関係者が次々と悲鳴を上げた。


 どたばたと慌ただしく逃げ惑う光景はさながらこの世の地獄の訪れを垣間見たかのようで、原因が自分にもあると理解しているからタツヒコは胸中で周囲に謝罪の言葉を何度も述べた。



「えっと……何かものすご~く誤解してるようだから訂正しておきますけど、別に俺暴れたりしてませんし、ただちょっと出かけたいところがあるだけなんですけど……」

「……あれ? でもこっちには暴れてるって連絡が入ったんだけど……」

「え~……誰通報ですかそれ。完全に誤情報じゃないですか……――とりあえず暴れるつもりは毛頭ありません。そこに転がってる人達は、まぁちょっとだけ投げ飛ばしちゃったんですけど」



 こちらに敵意は一切ない。

 それについては無事少女にも伝わったらしく、警戒心は完全ではないものの緩和した。


 ホッと安堵の息をもらすタツヒコに少女はつかつかと歩み寄る。


 さらりと銀髪がなびけば、甘い香りが鼻腔を優しくくすぐる。


 間近で改めて見やれば、やっぱりかわいいの一言に尽きる。

 特に血のように色鮮やかな赤い瞳は、宝石ルビーのように煌めいていてとても美しかった。



「……君は、なんのケモノビトなの?」と、いぶかし気に見やる少女。

「ケモノビト……?」と、繰り返す尋ねるタツヒコ。



 ケモノビトという言葉は、言うまでもなく今初めて耳にした単語だ。

 内容から察するに獣としての特徴を兼ね備えた彼女らを差す言葉で、これに則るならば自分はどう答えるべきか。わざわざ難しく考える必要もなかろう。



「俺は……人間だ」

「ニンゲン……へ? ニ、ニンゲン!? 君、本当にニンゲンなの!?」

 凄まじく驚愕して問い詰める少女の気迫に圧されたタツヒコは、ただ静かに首を縦に振ることしかできない。

「そ、そんな……まさか、本当に!?」



 と、少女が狼狽するのも無理はなかろう。

 なんせ人間はとうの昔に絶滅して存在していないのだから。

 だから自らを人間だとそう宣う輩の精神を疑うのも当然で、怪訝な眼差しでジロジロと上下を見る少女に医者がおずおずと口を切った。



「……彼は間違いなく、ニンゲンという遥か昔にいた種族だよ。我々ケモノビトが誕生するよりもずっと昔、この地上を統べていた……ね」

「――、というわけらしいから、とりあえずそこどいてもらえませんか? 俺は、その古代遺跡とやらに行きたいんですよ」

「古代遺跡……? と、とりあえず君の身柄は私達、巫佩刀みはかしが拘束させてもらいます! そ、それにその恰好でウロウロされるのはちょっと……」

「え……」



 頬をほんのりと赤らめた少女の視線を追って、はたと己を見やったタツヒコの恰好は俗に言う入院着とほぼデザインは同じ。


 即座の着脱が可能であるように紐で結ばれているだけの、極めて簡易的な作りである。

 おまけに裸足で靴も履いていない状態とあれば、さしものタツヒコとしても避けたいところである。



「……俺、こんな恰好してたんだな」

「あ~え~と……と、とりあえず君の衣装なら我々が保管しているから、まずはそれに着替えたらどうかね?」

「あ、どうもです」



 ――でも、俺ってどんな服着てたんだ?

 ――変な服じゃなかったらいいんだけど……。



 一抹の不安を抱えたタツヒコだったが、看護婦がぱたぱたと運んできたそれを見て、一先ず違和感もないとホッと胸を撫で下ろす。


 昔から好んでよく着用していたやつだ、赤のジャケットに黒のインナー、白のデニムパンツ……慣れ親しんだそれにさっと袖を通して、途端に黄色い悲鳴が上がった。


 何事かとタツヒコが周囲を見やれば、女性陣の視線がなんだか猛烈に鋭くて痛い。


 全員ごくりと生唾を飲んで、呼吸も荒々しい。

 その様はなんだか餓えた狼のようであり、困惑していたところに医者が大きな声で叫んだ。



「き、君! い、いくらなんでもデリカシーというものがなさすぎるのではないかね!? こ、古代人であろうと君は歴とした男性なのだよ!?」

「は? いやまぁ、それはそうですけど……」

「だったらもっと自分が男性であると言うことを自覚したまえよ! と、とにかくこっちで着替えなさい!」

「あ、ちょ……!」



 さっきは軽々と投げられた相手が、身体のどこに力を隠していたのか。

 ぐいぐいと手を引かれるがまま、強制的に連れられた一室は狭くも無人でしんとしている。


 固く閉ざされた扉の向こうでは、きゃあきゃあとなんだか黄色い声が多々上がっているが、その理由を知る由もないタツヒコは改めて着替えた。



「……古代人とは、皆そうなのかい?」



 と、不意に医者がそう尋ねてきたから、タツヒコははてと小首をひねる。



「そうなのかって……何がですか?」

「いや、その……い、異性の前で堂々と着替えたことだよ。羞恥心とか……」

「あぁ……そういう」と、ようやくここにきてタツヒコは納得した。



 確かに、少々デリカシーに欠けていたかもしれない。


 あの場には年頃の若い娘もちらほらといた。

 今となって冷静に考えれば、反省すべき点が多々あったとも認知する他なく、しかし羞恥心についてタツヒコは差ほどない。

 下着パンツはしっかりと着用していたから大事な部分は露出してないはずだ。



「まぁその時の状況とかにもよりますけど……上半身ぐらいは見られても何も思いませんけど……ね……」



 はたと改めて己を見やった時、タツヒコは胸部に一つの違和感を憶えてしまう。


 最初こそ包帯か何かの類だと思っていたが、よくよく観察するとそれが下着……要するにブラジャーの類であることにハッと気付く。

 大胸筋矯正サポーダーでもなさそうだ。



「なっ……!」



 どうしてブラジャーなんかしてるんだ、俺!? そっちの趣味が一切ないタツヒコが狼狽するのは至極当然で、無理矢理はぎ取ろうとしたところを今度は医者が激しく困惑する。



「ちょ、ちょっと何やってるんだい!?」

「いや何やってるも何も、俺こんなのいらないから! てか男でこれする奴とかよっぽどの変態みたいなもんだから!」

「な、なんだって!? も、もしかして古代人の男は、皆それを着けていなかったのかい!?」

「俺が知る限りではですけどね! さっきも言いましたけど、俺が思い当たるって言えば変態ぐらいなもんです。これを着けるのは決まって女性だけでしたから――後よく見たらこれ、なかなか際どくないか?」



 誰の趣味で着用させられたかは、さておき。


 ――なんか、さっきからおかしくないか?


 双方の価値観による相違から一つの仮説がここで浮上する。

 とは言え現時点においては情報があまりにも少なすぎるし、断定するのは早計というもの。


 とりあえずまずは、古代遺跡へと赴いてからでも遅くはあるまい。

 着替え終えた、とほぼ同時に。背筋にぞくりと走る悪寒にタツヒコはバッと振り返った。


 閉じたはずの扉がほんの微かに開いている。

 隙間の長さは1cmもなくて、だがそこにびっしりといくつもの瞳がこちらの様子をうかがう光景はさながらホラー映画のように恐ろしいものしかなかった。


 医者は恐怖に耐えられなかったらしくて、絹を裂いたような悲鳴を上げてそのまま卒倒してしまう始末。


 タツヒコも、気圧されこそしたもののゆっくりと扉を開放した。


 そそくさと蜘蛛の子を散らすが如く。

 何事もなかったと振る舞う彼女らには、もはや何も言及する気さえも起きない。

 深い溜息を吐いてタツヒコは――仮にも巫佩刀みはかしとやらがそれでいいのか? 鼻から絶え間なくボタボタと赤い汁を滴らせる少女に、深い溜息をもらした。



「き、着替えたようね! そ、それじゃあ行こっか!」

「せめてその鼻血、どうにかしてからにしてもらえませんかね?」



 さすがに鼻血を出した人の隣を歩きたくはない。

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