2:邂逅、プリンセス

 ママチャリをゆっくり走らせながら、近づくストレス源にため息を一つつく。ストレス源とは高校のことに他ならず、そこに根深く巣食っている食物連鎖のことだった。千景は最下層だ。なんとか足掻いちゃいるものの。行ったら「食われる」に決まっているのだから、行きたくない。そりゃそうだ。


 ゆううつだ。ああゆううつだ、ゆううつだ。

 黒井千景心の一句。


 国道を抜けて細い路地へと入っていく。高校へはできるだけ遠回りに行ってやろう。この辺りは千景の庭だ。蒼がまだ健康だったころ、子供用の小さなチャリンコをひき回して二人で遊び回った。どうやって通れば遠回りになるかなんて、すぐに算出することができた。

「よし」

 盛大に時間稼ぎしてやる。

 愛車のペダルをグンと踏み込んで、細い十字路を横切ろうとしたその時、何か違和感を感じた。薄くて寒々しい膜が、体の中を通り抜けていくような感覚だ。


 ──なんだ?


 そうしているうちに、自転車に跨った千景の横から、幼女が一人猛烈な速さで走り込んできた。ここは十字路の真ん中──

「ヤッベ!」

「邪魔じゃ!退け!」

 幼女が甲高い声で発破をかけたが、チャリは急には止まれない。


ガシャン!


 チャリも千景も幼女も倒れ込んだ。千景は真っ先に幼女の心配をした。この場合自転車が100%悪いはず──

「きみ、大丈……」

「おぬし、今すぐこの場から逃げよ!わらわが時間を稼ぐ!」

「え?」

 幼女は頓珍漢なことを言う。千景は素で「はぁ」と言ってしまった。

「何言ってんの、きみ……」

「いいから動けるのなら早く逃げよ!死にたいのか!」



 そして幼女は天高く叫んだ。腰が抜けたように座り込む千景の前で。


『バニー・プリンセス・ピンク!メタモルフォーゼ!』



 閃光が走るのと同時に、幼女が走ってきた方向から悍ましい気配が満ち満ちてきた。紫色だか緑色だか黒だかわからない、ぬらぬらした触手みたいなものが、石垣や家を這って恐ろしい勢いで迫ってくる。幼女を見上げると……ピンク色のバニー服を纏ったバニーガールになっていた。


『バニー・プリンセス・ピンク!参上!』

 少女は律儀にポーズをとった。千景は混乱しきりだ。

「ば、ば、バニーガール!?」


「ばかもの早よ逃げよと言うとるに!!」

ピンク色のバニーガールは腿から拳銃を2丁取り出した。


だんだんだんだん!!!


ぬらぬらした触手、おそらく「スライム」と呼んでも良さそうな怪物は、撃ち込まれた球に怯んでギョオオオオと悲鳴を上げた。しかし、それも一瞬で、さらにスピードを上げてこちらに這ってくる。そうしているうちにバニーガールの弾数も無くなってしまったらしい。盛大な舌打ちが聞こえてきた。


「ちいっ!ハニーとさえ合流できれば」

拳銃をぽいと放り捨てた彼女に、千景はようやく我に返った。逃げなければならない。戦わなければならない。ようやくその事態を飲み込めたのだ。おそらくあのスライムに飲まれたら、死ぬ。


「──バニーガール!二人乗りは慣れてるか!」

「二人乗り!?」

「とりあえず乗れ!逃げるぞ!」


 ママチャリの荷台に幼女バニーを乗せて、千景はぐんとペダルを踏んだ。千景の脚──腿の力を舐めてはいけない。なにせ……

「だんっぜん蒼より軽い!」

「何を抜かしておるか、もっと速度を出せぇ!」

「りょおおおおかい!!!!」

 ギアを変えたかのように千景のママチャリは走る。その後ろで幼女バニーはどこからか出してきたバズーカを構えて、チャリの上にどっかりと座り込んでいた。

「ちょ、待て、何やってる」

「反動に気をつけよ」


ドッギャアアアアアアアアア!


「うわっあぶねえな!!!」

 スライムの悲鳴だか爆発音だかチャリの悲鳴だかわからない音が町内中にこだまする。千景は思わずブレーキをかけた。

「これ警察沙汰になるんじゃね?」

 やや耳を傾けながら千景が聞くが、幼女はそれを無視した。バニーのやたらもふもふした耳が、千景の頬に触れた。

「あれは足止めにしかならぬ、必殺技を撃たなければ消滅せん」

「必殺技ってのは?」

「あと少しなのじゃ、まだ力が溜まっておらぬのじゃ」

 幼女は懸命に胸元の宝石に触れていた。

「また動き出すぞ。飛ばせ!どこでも良いから逃げるのじゃ」

「だからこれ、近隣住民の通報が行って警察沙汰になるんじゃ……」


その時だった。


「わたくしの人払いの結界内で動ける者。ひょっとして適合者なのでは?レイディ」

「ハニー!」

 幼女が喜びの声を上げた。見ると、幼女の顔並みに大きなハチがブンブン飛び回っていた。かなりやさしくデフォルメされているが、虫嫌いな奴にはてきめんだろうな、と千景は思った。

「そちらの人間の回答には後程答えることに致しましょう。レイディ。バニーコアはございますか。五つ全部」

「もちろん、持っておる」

幼女は胸元に手を差し込んで、ごろりとした玉を五つ取り出した。真っ先に、光を吸い込むような黒に目がいく。


「……決まりですね」


ハニーと呼ばれた生き物は囁いた。

「それを取りなさい、人間。さすればあなたの本当の姿が見えるでしょう」


誘われるように、手が伸びる。もちろん、黒い玉へ。

「あっ!」

ピンクが叫んだ。

「それ、それは、クロさまのッ……!!」

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