第一章 亡国の姫と新たな戦士たち

第一話 覚醒!バニー戦士

1:黒井千景

 黒井千景くろいちかげは、「事件」の翌朝になってその光景を見た。彼の中学時代を彩った3本の桜の樹のうち、中央の樹が真っ二つに裂けて燃え、消し炭になってしまっているのを。両脇の木も無事では済まない。両の桜の焦げた幹は葉を落として、死にかけていた。


「ヤバ……」

 用もないのに写真を撮りにきたらしいOB・OGや、現役らしい学生などで細い路地はごった返している。周りから聞こえてくるさざなみのような言葉が、ぐわんぐわんと千景の耳を圧迫してくる。

「でも怪我人が出なくてよかったよね」

「近くに人居なかったらしいよ」

「不幸中の幸いってやつだ。そばにいたらひとたまりもないよこんなの」

「そいや、停電長かったよね。超困ったわ……」


 千景は寄せていたママチャリにまたがって、立ち漕ぎの勢いでグンとペダルを踏み込んだ。。今すぐ行かなければならない場所があった。

 千景は市立病院までの道を、道路交通法が許してくれそうな範囲で駆け抜けた。




 満凪市立病院の一室に、彼はいる。

あおい!」

 看護師に止められる直前で病室にたどり着くと、蒼──彼は穏やかに笑っていた。

 追いかけてきた看護師が「黒井くん、走らないで」と手短に告げて居なくなる。千景はとっくにこの病室の常連なのである。

「おま、おまえ、ぶじか、」

 千景がダッシュで来たのを隠さず、ゼエゼエと苦しい息をすれば、

「ご覧のとおり」

 蒼は男の千景から見てもハンサムな顔で、可笑しそうに笑った。すっと通った鼻筋も、母さん譲りの綺麗な目も、伸びっぱなしで括っている黒髪も──いつもの蒼だ。

「停電長かったもんね、心配したんでしょ。大丈夫。そのために病院には予備電源があるから」

 心の中をそのまま言い当てられて、千景は頭を掻いた。

「心配しちゃぁ、悪いかよ」


 電気が来なくなれば。そしてその時間が長くなれば──千景はそれが恐ろしくてたまらない。だから一限を捨ててまで蒼の顔を見に来た。


「学校はサボり?」

「2限から行く」

「中途半端に悪い奴だ」

「中途半端で悪いか」

 千景は蒼のベッドに腰掛けて、力の入り切った体を一気に脱力させた。

「ぶっちゃけさあ。……ここにいるのが一番落ち着くんだよ。高校なんか正直行きたくないわけ」


 黒井千景と白石蒼しらいしあおいは幼馴染だ。同じ病院で生まれ、それからずっと一緒。中学校まで同じだった。親同士も仲が良く、幼馴染といえば、お互いを指差すような関係だった。昔は同じ野球部で、バッテリーを組んでいた。

 蒼が心臓を患うまでは。

 

「それってダメじゃん。千景は千景で社会に溶け込む努力をしなくっちゃ」

 蒼が千景の鼻をつつく。千景はそれを五月蝿そうに払って、蒼の顔を見上げた。

あそこ高校は声がデカいやつが強いとこだから無理。あいつら魔王だよ。俺は最弱。RPGで言う、スライム」

 蒼はため息をついた。

「スライムが最弱かどうかはおいておいて。学校には馴染んだほうがいいよ。多少のおべっかを使ってでも」

「そんなことしねえよ女子じゃないんだから」

「気難しいな、千景は」


 千景はクラスの権力者たちの顔を思い出した。パシリをやれば多少は扱いも柔らかくなるだろうが、金を捧げてまでそうしたいかと言われたら無理だ。焼きそばパンくらい可愛かったなら奢ってやれるが、タバコは無理だし、酒なんかもっと無理に決まっている。

 あいつらが要求するのは、リスクが伴う上に千景に恥をかかせるようなものから、警察沙汰になりそうなものまで多岐にわたる。

 とにかく自分の手は汚さない。それがあいつらだ。


「サンドバッグぐらいがちょうどいい」

 自棄ぎみに言い放った言葉に、蒼が顔を曇らせた。

「……僕は千景が心配だ」

「俺はお前が心配だよ」


 早くから社会に切り離されてしまった蒼。酸いも甘いも、苦いも知る前に。だからそんなことが言えるのだ。ここは蒼のための楽園だ。誰も彼を脅かさない。千景はそれに安心すると同時に、懸念も覚える。蒼はこの楽園を出た先で、生きていけるんだろうか……?


「蒼」

「なに千景」

 千景は蒼の目を見つめた。

「お前のことは俺が守ってやるからな」

「ちょっと気持ち悪いよ」

即答を受けて、千景はにっと笑った。

「だよな」


 ベッドから立ち上がり、そろそろ行くよ、と手を振る。蒼は手を伸ばして、千景の手にそっとそれを重ね合わせた。


「また来て。待ってるから」

「明日にでも」

「そんなに頻繁じゃなくていいから!」


 千景はにっと笑った。蒼を安心させるために。自分を元気付けるために。


「行ってくるよ、蒼」

「いってらっしゃい、千景」

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