40 クスクス笑いは風に乗って
執務室に通されたライナムルをバンバクヤ侯爵が歓待した。
「いやぁ、お化けネズミが大量にいるって聞いてたのに、ただのネズミだ。連れてきた兵たちには気の毒だが、ネズミ駆除しかやることがない」
終わるのを待っているほかなく、どうも退屈していたようだ。
「ギミビジ公爵と夫人はご無事でしたか?」
「ご無事だがかなり消耗していてね。先に王都へお送りしたよ。ここに住むのはしばらく無理、消毒したり片付けたりしないとね……終わるまで王都のお屋敷でゆっくりされるといい――それにしても、巨大ネズミがいるんじゃなかったのかい?」
バンバクヤ侯爵の質問にライナムルが人払いをし、立ち聞きさせないようロンバスが廊下に立った。そのうえでライナムルがバンバクヤ侯爵に魔物の王を消滅させた話する。
「癒しの乙女、ねぇ」
バンバクヤ侯爵が難しい顔をする。
「クレセントだから話したのです。他言無用でお願いしますよ」
ライナムルが釘を刺す。
「うん、他に知れたら面倒だ。で、ライナムル、その娘さんと一緒になりたいと?」
バンバクヤ侯爵が
「はい、ぜひとも」
それに真剣な眼差しでライナムルが答える。
うん、と頷いたもののバンバクヤ侯爵は笑顔を引っ込め難しい顔をする。
「その娘が癒しの乙女なら我がバンバクヤ侯爵家にとっても有意義な縁組だ。だがライナムル、癒しの乙女を守るのは難しいぞ」
「覚悟の上です」
「それにしても庶民の娘に癒しの娘が出るなど、前代未聞だな。癒しの乙女は我がバンバクヤ侯爵家から出ると相場が決まっている」
「そのことは国王も不思議がっておりました」
「一番の問題は癒しの乙女の力を狙うものが後を絶たないことだ。今まで我が公爵家の歴史でも何人もの姫が誘拐されたり殺されたりしている」
「存じております」
「その娘が癒しの乙女だという事を知っているのは?」
「国王と王妃、そしてロンバス。人間はわたしを含め四人。魔物たちはひと目見るだけで判ってしまうようですが、今や魔物はわたしの味方と思ってよろしいかと」
「ふむ……」
黙り込んだバンバクヤ侯爵をライナムルが見詰める。ややあってバンバクヤ侯爵が問う。
「養女……ほかの貴族ではだめか?」
「癒しの乙女だと打ち明けられるほど信用できる貴族はほかにいません。それに、知った以上は承諾していただきたい」
脅すようなライナムルの物言いにクレセントが苦笑する。
考え込むバンバクヤ侯爵にライナムルが訴える。
「修道院から王宮に連れ出す時、オッキュイネの餌になったと修道院に告げています。死んだことになっているのです、もう修道院には戻せません」
「ふむ……」
「母親に連れられて幼い頃に故郷を離れたと言っていました。その母親は四年前にこの世を去っています」
「父親は?」
「判らないと言っていました。会いたいか尋ねたら、苦しい時に助けてくれたのは父親ではなく修道院だといい、会いたいと思わないと言いました」
「ふむ……父親に見捨てられたという事か?」
「事実は不明ですが、彼女はそう感じているという事です」
「幼い頃に離れてしまうと、子は誰もそう考えるものなのだろうか?」
バンバクヤ侯爵が溜息を吐いた。行方不明の妻と娘を思ったのだろう。
「もしそうであっても時間を掛ければ、いずれ誤解は解け、打ち解けあえる日が参ります」
ライナムルの言葉に『うん?』とバンバクヤ侯爵が顔をあげる。何か含みがあるように感じたのだろう。バンバクヤ侯爵がそう感じるよう、ライナムルは言ったのだ。
ライナムルが立ち上がり、窓を開ける。目の前に池が広がっている。
「癒しの乙女を連れてきています。池の向こうで猫を抱いている娘です。グレーブロンドの娘です」
「グレーブロンド?」
「はい、クレセントの髪と同じ色です。クレアッシュレアさまとも」
よろけるようにバンバクヤ侯爵が窓辺に近寄る。
「クレアッシュレア……」
バンバクヤ侯爵の呟きに
「癒しの乙女の名はリーシャ、母の名はレイシアだそうです」
ライナムルが呟く。
「アリアッシュレア……なかなか自分の名前が言えず、アリーシャと言っていた。それを妻が『それならママはクレーシャね』と笑っていた」
バンバクヤ侯爵の瞳に涙が溢れる。リーシャこそ探していた娘だと気が付いたのだ。
「クリアッシュレアに何とよく似たことか――あの色が好きでよくあんなドレスを着ていた」
そしてハッとバンバクヤ侯爵がライナムルを見る。
「アリアッシュレアはわたしを恨んでいるのか?」
それにライナムルが答える。
「さぁどうでしょう? アリアッシュレアさまのお心を知る由もございません。だが、リーシャにはクリセントを恨む理由がありません」
ライナムルを見詰めるバンバクヤ侯爵、そしてもう一つの事実に気が付く。ふらふらと元いた椅子に腰かけ、自分の掌をバンバクヤ侯爵は見詰めた。
「四年前に――死んだ?」
ライナムルは答えない。
「四年前に?」
じっと見つめていた手が動き、バンバクヤ侯爵の顔を覆った――
バンバクヤ侯爵が落ち着くのを待ってライナムルが尋ねる。
「リーシャを養女にする件、お聞き届けいただけますか?」
掌を顔から離し、バンバクヤ侯爵が聞き返す。
「養女でなくてはダメか?」
「実の娘だなどと言ったら、なぜクレアッシュレアさまがリーシャを連れて逃げたのか、その理由が取り沙汰されます。秘密が漏れる危険が増えます」
「クレアッシュレアはアリアッシュレアが癒しの乙女と気が付いて、それで連れて逃げたのだろうか?」
「気が付くと同時にクレセントに相談する間もなく危険な誰かに知られ、大急ぎで身を隠したのだと思います。王都に逃げたのは王宮に逃げ込むつもりだったのかもしれません。でも何かの事情で修道院に入ってしまった――修道院ならリーシャの安全は保障される、そう思ったのではないでしょうか?」
「養女にするとしても、せめて本人に父だと告げてはいけないか?」
「自分のせいで両親を引き離したと、リーシャに思われてもいいのなら……」
「それは……それもまた辛い――今まで待ったのだ、もうしばらく待つよ。ライナムルが言う通り、いつか話せるときが来るだろう」
バンバクヤ侯爵が静かにライナムルに頷いた――
軽やかな音楽が流れ、天井から吊るされたシャンデリアも華々しく輝いている。ジュラナムルの快気祝いとライナムルの婚約発表を兼ねた舞踏会だ。
ファンファーレが鳴り響き、ジュラナムル王太子がサラサーラ妃をエスコートして広間に入る。再び響くファンファーレで入場したのは第二王子ライナムルとその婚約者バンバクヤ侯爵令嬢アリアッシュレアだ。
緩やかな音楽が奏でられ、ジュラナムルとサラサーラが踊る。一通り終われば、アリアッシュレアの手を引いたライナムルがジュラナムルの横に進み出て、並んで踊り始めた。暫くすると見ていた者たちが、次々に踊りの輪に加わっていく。
一段高い座でザルダナ国王が愚痴を零す。
「教養と知識は身に着いたのか? 礼儀作法に身の
「まぁ、いいではありませんか、婚礼の儀をあげるまでに何とかなるでしょう」
と言って隣に座る王妃がオホホと笑う。
「しかもあの娘、このまま王宮に住まわせるそうじゃないか」
「仕方ありませんよ」
だってまだ、ライナムルの呪いは解けてないのだから、そう耳打ちされて国王も黙る。
「そうだった、あの娘にはライナムルの傍にいて貰わなくては、な」
招待客の中にはもちろんバンバクヤ侯爵クレセントもいた。可愛らしい姫ぎみを養女にされましたね、と多くの貴族がお世辞を言いに来る。
「どことなくクレアッシュレアさまに似ていらっしゃいますね――それにしてもアリアッシュレアさまの名でよろしいのですか?」
行方不明の娘は諦めたのかと、それとなく聞いてくる。
「えぇ、これからは新しいアリアッシュレアを大切にと考えています」
踊り疲れたリーシャを
「リーシャ、足、踏み過ぎ!」
そう言いながら楽しくて仕方ないライナムルだ。
「だって……二日で上手になるなんて無理よ」
「それもそうだね。結婚のお披露目でも踊るから、それまでには上手になってよ」
「まだまだ先の話でしょ」
クスクス笑うリーシャ、ライナムルがバルコニーの下を見る。
「ロンバスだ、なにしてるんだろう?」
リーシャも身を乗り出すように下を見る。
「あ、ホシボクロも一緒だわ。食べ物をあげているのよ」
ライナムルの位置からはホシボクロが見えなかったらしく、手すり沿いに移動したライナムルだ。すると何かがブルブルっと震えた。オッキュイネだ。
「ねぇ、リーシャ」
「なぁに、ライナムル?」
「今夜はオッキュイネの部屋で寝ようよ」
「お布団運んでくれる?」
「リーシャのことも運ぶよ」
二人がクスクス笑う声が宵闇の中、風に乗る。
聞きつけたホシボクロが見上げる。
「ライナムルだ」
「リーシャさまとご一緒ですね」
ロンバスも上を見る。
「んじゃ、ロンバス、ボク、ライナムルのところに行くよ。ロンバスも
真っ赤になったロンバスがホシボクロを止める。
「そりゃあそうですが……ライナムルさまのお邪魔をしてはいけません」
「ロンバスの意地悪――それにしてもライナムル、今日は随分と若いね」
「えぇ……」
再びライナムルを見上げたロンバスが感慨深げに答えた。
「今夜は年相応に見えますね――そのせいか、少し背が低くなったようです」
「ダンスするのにちょうど良かったんじゃない? 前のままの背だとリーシャを振り回しちゃってたよ」
それもそうですね、とロンバスが笑う。
バルコニーではライナムルとリーシャのクスクス笑いが続いていた。
< 完 >
女遊びに夢中な王子は空飛ぶ鳥を使役 する? 寄賀あける @akeru_yoga
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