6.鏡の森とジド・アルマ



薄暗く太陽の光が届かぬ場所で、歪な巨体が這いずり回っている。

ぷくぷくと沼地からガスの様な気体が出てきていて、人が生存できる様な環境でない事は明らかだった。空気も澱んでいる。けれどもそんな気持ち悪い場所に、一人の少女が立っていた。彼と同じ髪と瞳。なんでも受け止めてくれそうな母性と純粋な性質。幼いながらになんと慈愛に満ちた、暖かい魂の色だろうか。



『お兄ちゃん、ごめんね』



ああ、毒されていく。美しい少女が謝るたびに、その綺麗なオレンジが周囲の紫色へ侵食されていく。お兄ちゃん、ごめんね。ほらまた。ほら、また。

透明な涙が沼地に吸い込まれて、それに寄り添う様に片眼の大蛇が塒を巻いた。静かに、しずかに食われていくたびにオレンジが消える。そしていつしか茶色になった魂は化け物の姿を象ってしまった。



『うそだ、こんなん。殺せるかよばかやろう』

「嬢ちゃん?」



はっと我に帰る。その瞬間鏡に映った幻は跡形もなく消えた様だった。


ここは鏡の森。世界に幾つか存在し、通称迷いの森とも呼ばれる場所だ。

ガラスの様な材質の木々は私達の姿を乱反射しながら映し出す。まるで万華鏡の中にいるかの如く、そこに一度入れば大抵の人間が帰ってこれない。物理的な意味でも、精神的な意味でもだ。

人の過去へ土足で踏み込む鏡は来る者の急所を容赦なく突いてくる。だから先程映った光景はすべて本物で、最近現れたというメデューサと呼ばれる化け物の正体は間違いなく彼の妹なんだろう。

かの毒沼の主を仕留め損ねた理由なんぞ見られたくは無かったろうに、ほんと運の悪い話である。


私はそこまで考えて、こっそりと気付かれぬ様にとジド・アルマを見た。

私達の身代わりを受け入れた人間。人々の感情の、犠牲になることを選んだ英雄。辛いだろうに。彼はまっすぐと己の過去を受け入れていた。

その許容範囲は生まれつきなのか、それとも妹の件で世界の理不尽を垣間見たからなのか。まぁそんなものは当の本人にしか分からないのだが、いかせんただの人間には受け入れ難く、この青年が可笑しいほどにお人好しなのはやはり間違いなかった。



「ったく、話には聞いてたが鏡の森ってほんとプライバシー皆無なのな。まぁ見られて困る様なもんでもねぇけどよ。」

「そもそもこの禁断の森に複数人で入る想定なんぞ無駄ですが。」

「あ?」

「触れられたくない過去なり本人でさえ忘れてしまっていた記憶なり。人はいくつかそんな爆弾を抱えているものです。」

「距離感誤った所為で仲間割れってか?情けねぇなぁ。」

「貴方みたいなのがそうそう存在してたまりますか。」

「そうだね、物理的にまずは迷って食料の取り合いかな。中には精神迷子になって襲いかかってくる奴も居ると思うけど。」

「迷子って、。」

「人はそれを発狂ともいうねぇ。そもマトモに歩けないのがデフォルトだけど〜!」 

「なんでそんな穏やかなんだよ。」

「あいたた、暴力反対〜!」



緩く解説していたら頭をぐりぐりされたので、とりあえず講義をあげておく。テノールはこの短い期間で私とジドさんの関係性を見抜いたのか、何か言いたそうなものの見守ってくれている様だった。


注意深く観察すれば、ジドさんは初めての鏡の森に少しだけ動揺している様で。それに同情でもしたのだろうか、テノールの言葉尻は若干柔らかくなっている。それか彼もさっきの過去を見た手前、兄妹の様に振る舞う私達に対し何か思う所があったのかもしれない。

いやうん、私のが年上の筈なんですがね??そこ忘れないでよお母さん!なんて考えてたらゲンコツいただきました。やだな別にそこまで以心伝心じゃなくて良いよくそったれ。



「ま、実際こんな内情知るのは私達くらいだけどねぇ。基本森から近場の集落でも禁止区域って子供の時から教えられる人が多いし。」

「領土によっては拷問時によく使いますね。」

「へぇ。山の連中はあんま聞かねぇがなぁ。」

「大方ヒルダが禁止でもしているのでは?仕掛ける側でも危険な事には変わりませんし。」

「はーん、なるほどな。というか」

「お?」

「なにか。」

「、あんた達はその。映らねぇのな。」

「「そりゃね。」」



グダグダ喋りながらその道を突き進んでいく。声すらも反射して少しクラクラするけれど、こんなもの何度も通っていれば慣れっ子だった。

因みに時折鏡が見せる過去に関しても、私達アクロスはあまり心配しなくていい。それも魔法の恩恵ですよ、なんて口が裂けても言えないけれど、察してくれるのはジドさんのとても良いところだなと解釈しておく。


現実問題私もテノールも魔法を使ってる過去なんぞ見られたら大変だし、その辺りは紋章様々だった。

正確には比較的映りにくいというだけで完全とは言い切れないのだけれど、記憶の断片も時系列もランダムだし、一時期の同行者がいたとしてもその同行者が自分の事で精一杯だったり森の気まぐれと解釈されたりであまり不振には思われない。


そして、そんな森だからこそ私達の裏ネタ、ワープという魔法を仕込むのに最適だった訳である。

因みにこれ、テノールの魔法ね。元々は攻撃等の反射魔法なのだが、各地に点在する鏡の森だからこそ一種の共通点をこじつけの概念として反射させたに違いない。

それをワープという力に応用したのも彼が考えたもの。だから勿論、使用には紋章という分かりやすい仲間意識とその力、そして彼の許可がいる。大元の私はともかく、アクロスの団員でさえ彼が許さなければ通れない。


悲しきかな、仲間内で喧嘩があった場合。彼が意地を張ってワープ禁止令出した時は速達の仕事の依頼が全部こっちに回ってきて死にかけた。

この運び屋、彼がいないと成り立たない。お賃金もらえない。という事で大変貴重な人材ですありがとうございます。



「あ、そうだ。ついでに素材調達していいかな?お土産が欲しいのだよ!」

「なんです、まさか星のカケラのことですか?」

「星のカケラ?砂じゃねぇの?」

「うん、ジドさんも覚えておくといいよ。海の女領主は綺麗な固形物が好きなんだ。」



またそんな高額な品をホイホイあげて!なんてブツクサ言っている我が部下は放っておいて、私はとある木に手を触れる。

ガラス細工の様なこの木々達は目が痛くなるけれど、実は人にとても親切な事を私は知っていた。ワープの様な地域ごと飛躍できる大きな移動ではないが、同じ森の中ならば案外簡単に通してくれるのだ。

ほら、今も。語りかけるだけでピカピカ乱反射した後、通り道を作ってくれた。それにニコニコしながらありがとうとその魂に礼を言う。



「この子達は優しいの。アンズーに遭遇した時も助けてくれてね。なんとか逃げ切れたんだ。」

「、森に意思があるってのか?」

「全体の意思はないよ。ただ個々に色があるだけ。アンズーに破壊されてる時は悲しかったのかもね、一部分がどす黒かった。今は皆、綺麗な白っぽい色だよ。」

「、いろ、だと?」



不思議そうに、そして今起こった現象を信じられないと言った顔でジドさんは眉間に皺を寄せていた。テノールは私に対する情報をあまり渡したく無いのか、既に素知らぬ顔を決め込んでいる。

したがって彼を敵に回したく無い私はにこにことしながらもそれ以上は言わない事にしておいた。そんな空気を読んだのか、説明する気がないならそう言えと、少し拗ねた様な仕草をする彼にカラカラと笑う。ごめんねぇ、そのうちね。


因みに星のかけらとは世界が何かの拍子で歪み、その点から落ちてきたとされる鉱石の様な塊である。何がどうなって莫大なエネルギーになっているかは知らないが、現代における石炭なりの動力資源だと思ってくれればいい。

それが細かく砕かれ、キラキラとした粉末状になった物が星の砂であり、民衆にも知られているこの世界の燃料という訳だ。


つまり、この世界にとってカケラの需要は非常に高く、有限且つ貴重品な為莫大な金額で売れるのである。大きさにもよるがどこぞの闇市では野球ボール位のサイズで一生遊んで暮らせるという噂も。いや、そんな大きなもの私でも見た事ないけどさ。せいぜいビー玉サイズだわ。



「いやまて。カケラでも砂でも何でもいいが、なんでそんなもんが鏡の森にあるんだよ。その分だと定期的に落ちてくるみたいじゃねぇか。」



ごもっとも。


うんうん頷いていればため息を付いたように鏡の中の私が暗く、突然呟いた。重なった心情に少し目を見開いては原因となる悪戯っ子な鏡を見る。

隣にいた二人も、物珍しそうに覗き込んだ。テノールはあまり映らない私の過去に、ジドさんはその現象自体に興味があったのだろうと思う。だから悪気がない事は重々わかっていた、のだが。


いかせんその過去の私の瞳がドス黒すぎて、舌打ちした。続く言葉に二人がハッとしたように私を見る。あはは、ほんとプライバシー皆無だね!なんていう私を無視して鏡の中のわたしはその重苦しい口を動かしていた。



『だって、これは私じゃない。冗談じゃないって。髪も、瞳も、なによこれ。わたしをかえして。私は普通の、』

『それで?否定して、その後はどうする。』

『わたしは、』

『それでもカケラはこの地にあり、お前はそこから出てきたんだろうが。』

『、』

『この森は鏡だらけだ。だからこそ、境界が曖昧になりやすい。ぼんやりしてっとまた飲み込まれるぞ。』

『わたしは!戻りたいだけだ!!』



師匠の声と、甲高い自分の声に吐き気がする。

ジドさんの問いにうまく答えたつもりなんだろうか、鏡の中の私はそれだけ映して掻き消えた。


曖昧な場所。歪みが発生しやすい場所。鏡の森はその一つであり、乱反射する現実味のないその空間は次元すら歪めてしまいやすいそうだ。ネタばらしするとカケラやら砂やらが定期的に取れる理由はそこにあり、知る人ぞ知る金銭の泉という訳である。

まぁ、流石に歪みの先が異界に繋がっていたなんて思っても見なかったんだろうな。その希少な情報を持つ師匠ですらあの時ビックリしていたし。


勿論繋がるだけで無く、私の様な異物の排出なんて異例中の異例なんだろうけれども。



(そうだ、私は戻りたいだけ。)



あの時カケラは確かに私の周りに散らばっていた。つまりその歪みを通ってこの世界に来た事は明白で。

けれども同じ様に発生した歪みに飛び込んだとて、その先が私の世界であると一体誰が保証してくれようものか。



「もどる、とは」

「深く考えたらダメだよテノール。さぁついた!」



ふふ、それじゃあ砂遊びを始めよう。砂金集めのようにその小さな固形を集めよう。女領主とその側近への手土産に、交渉が上手く行くように。そしてアンズー戦に勝ってこの興味のない世界の未来を勝ち取る為に。


理由なんざどうでも良かった。

だから少し不安気にこちらを見てくる部下を一蹴し、私は桜の舞う懐かしい地へ足を踏み入れた。


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る