5話

 車の中で、幸夫さんと色々な話をした。彼は忙しくてあまり会えないから、こうしてゆっくり会話ができるだけで嬉しかった。


 幸夫さんのお父さんは、有名企業の幹部らしい。幸夫さんは、お父さんと同じ会社で働いていて、苦労することもあるけれど、ようやく大きな仕事を任せてもらえるようになったそうだ。一生懸命働いて、ついに一戸建てを持てるくらいの経済力が手に入ったと彼は笑いながら言った。

 

「こういう家を持つのが、僕の夢だったんだ」


 防犯用の塀に囲われた、2階建ての屋敷。唯一の入り口である大きな門は、彼が手にしたリモコンを操作すると、するすると口を開けて車を迎え入れた。ガレージに車を停めた彼は、私を屋敷の玄関へと案内してくれた。芝が張られた庭を横切るとき、傘のついたテーブルと寝椅子が目に映った。


「日光浴されるんですか?」


「たまにね。陽の光は気持ちがいいからね」


 彼はそう言って、家の方を指さした。窓は大きく、朝は外の光が沢山入ってくるようになっているらしい。


「でも、君と過ごすなら家の中がいいな」


 彼はパスワード式の鍵を外し、玄関を開けると私を招き入れた。中に入ると、後ろで鍵のかかる音がした。


「オートロックなんだ。泥棒は嫌いだからね」


 彼はそう言ったけど、入り口にあったパスワードの入力パネルが、家の内側にもあるのは、なぜだか変な感じがした。


「……用心深いんですね」


「こうしておけば、安心なんだ。絶対逃がしたくないからね」


「泥棒を、ですよね?」


 彼は何も言わず、ただニコッと笑った。


 なんでだろう。せっかく彼が家に案内してくれたのに。2人きりの空間なのに。このドキドキの中に、私は何かよくない胸騒ぎを感じてしまう。


「素敵なおうちですね」


 私は気持ちを紛らわせようと、周囲を見回した。


 観葉植物と絵画が飾られた玄関ホール。そこから見えるのは、1階の奥へ続いていく通路と、2階へ続く階段だった。


 ふと、視界の端で何かが動くのが見えた。階段の上の方、2階の廊下の辺りだっ

た。


「何か、飼われているんですか?」


「いや、何も」


 彼はそう言って不思議そうな顔をした。


 もう一度視線を階段に向ける。何もいない。


 ……見間違いかな。何か、赤い物が見えた気がしたんだけど。


 思案していると、背中に何か暖かいものが触れた。大きな両腕を前に回されて、ようやく彼に後ろから抱きしめられているのだと分かった。


 恥ずかしさで震えながら、彼の手に触れようとした。すると、彼の片手は私の頭の方へ移動して、私の髪を撫で始めた。


「艶のある綺麗な黒髪だね。サラサラしていて、それに優しい匂いがする」


 彼は私の髪に指を絡め、上から下へと手櫛した。


「あ、あの……」


 背中の熱が離れ、ようやく髪から手が抜ける。バサッと髪が広がり落ちた。


 ……あれ? 髪留めは?


 両手で髪を触るも見つからない。思わず、彼の方を見る。彼は、ポケットに何かをしまい込んだようだった。


「あ、あの、幸夫さん。私の髪留め——」


「実は、君に似合う服を用意してるんだ。僕の為に、着てくれるよね?」


 言葉を遮られても、私は彼の期待に背くことができず、頷いてしまった。


 彼は私の手を掴み、鼻歌交じりで階段を登る。


 案内されたのは、家具のない部屋。クローゼットの中に、一着の白いワンピースが仕舞われていた。


「オーダーメイドで作らせたんだ。君にぴったりのはずだよ」


 彼はそう囁くと部屋を出て行った。


「着替えたら一階に降りておいで」


 そう言い残して。 


 ……服、あまり似合ってなかったのかな。


 悩みながら、私は着替えを始めた。脱いだ服はとりあえず床に置き、ワンピースを取り出すと、代わりに元の服をハンガーにかけた。


 袖のない、白いワンピース。腰には大きな白いリボン。スカート部分はひらひらとした作りで、ギャザーが寄せられている。


 部屋に鏡がないから、ちゃんと着こなせているかわかりづらい。


 ……そういえば。


 私は、部屋を見回した。


 入って来た時から思っていたけど、この部屋には、家具が無い。それどころか、窓もない。外から見た時、あんなに大きな窓のある明るい家に見えたのに、この部屋はどうして明り取りの窓すらないんだろう。


 こんなに大きな家なのだから、ここを物置代わりにつかっているのかもしれない。  思考を断ち切るように、私はクローゼットを閉めた。


 部屋を出ようとドアノブに手をかけたそのとき——クローゼットが、キイ……と音を立ててひとりでに開いた。


「あれ? 閉めたはずだよね」


 ゆっくりそれに近づいて、クローゼットの中を確かめる。


「服がない」


 元々着ていた服が、なくなっていた。


 クローゼットの中、床の上、部屋中見回しても見つからない。まるで、跡形もなく消えてしまった。


 不気味さで後退りしながら部屋の出口へ向かう。すると、目の前にドサッと何かが落とされた。赤い液体でじっとりと濡れたそれは、間違いなく、私の服だった。


 恐る恐る天井を見上げて、私は咄嗟に両手で口を抑えた。


 天井に貼りついた黒髪の幽霊が、仰向けに横たわったまま私を見下ろしていた。その目に生気はなく、ぼんやりとこちらを見ているようだった。赤の模様が印象的な白地のワンピースを着た彼女は、その服の裾からポタポタと血を床に落としていた。


 叫ぶのも忘れて勢いよく部屋を飛び出すと、何かに勢いよくぶつかった。


「おっと」


 尻もちをつくかと思ったけど、その衝撃はやってこない。おそるおそる見上げれば、驚いた顔をした幸夫さんが私を見下ろしていた。転びそうになったのを、抱きとめてくれたようだった。


「大丈夫? よろけちゃった?」


「えっと……」


 部屋の中を見ると、床に落ちていたはずの服は消えていた。滴っていた血もきれいさっぱり見当たらない。


「あんまり遅いから、心配して様子を見に来たんだよ」


「……ありがとうございます」


 幸夫さんは、私の肩を抱いて歩き始めた。


「思った通り、よく似合っているよ」


 添えられた手が、肩を撫でる。


「あの……なんで私にこの服を?」


「初めて会った時から、君にこの服を着せたいと思ったんだ」


 幸夫さんはそう言って笑った。


 それ以上何も聞けず、私たちは階段を降り始めた。


 ふと、階段の踊り場の角に何かが立っているのが見えた。それは、明らかに人型で、半分透き通った女性だった。彼女は、赤と白のまだら模様のワンピースを着ていて、私たちの方をジッとみていた。


「幸夫さん、あの……」


「なに?」


 踊り場の彼女に視線を促すが、彼の視線は彼女を捉えていないようだった。


 彼女の前を通り過ぎる。視線は、確実に私たちを追っている。


 ふと、彼女達が何物なのか考える。この家に現れた2人の幽霊。彼女達に似た誰かに、私は最近会っている。


 血に濡れたワンピース。長い髪髪の女性。


 そうだ、今日学校で見たんだ。細井君の張った結界を破ったあの幽霊に、彼女たちは雰囲気が似ている。それに、恰好も。みんな、赤の模様がついた白いワンピースを着ていた。


 ……なんで? 学校に来た彼女は、お母さんが私を苦しめるために呼んだ幽霊のはずなのに。


 細井君に貰った札は、さっき服のポケットにいれてクローゼットに閉まった。服と一緒に血染めにされたことから、彼女たちに十分な効果は発揮されないのかもしれない。


 ……でも、幸夫さんには見えてないんだよね。


 座らせてもらった席から、カウンター越しに、キッチンにいる幸夫さんの方を見た。私が幽霊の事で悩んでいる間にも、幸夫さんは着々と夕食の準備をしていた。

 

 なんだか、彼一人にやらせるのは悪い気がした。


「何かお手伝いできることありますか?」


「温め直すだけだから大丈夫だよ」


 提案したけど、彼はそう言って私がキッチン入るのを止めた。


 ……そういえば、レストランからキャンセルの連絡が入ったのは、今日のはずなのに。どうして、こんなに夕食の準備が整ってるんだろう。


 彼は言葉通り、夕食をこれから作るのではなく、元々作ってあったものをオーブンや鍋で温めているようだった。


 ……それに、この服。『あった時から似合うと思っていた』って、どういう事なんだろう。こういうのが好きなのかな。そういえばこのデザイン、最近見たような気がする。


 ふと、キッチンの中に、白いワンピースを着た女性が立っている事に気が付いた。 彼女は悲痛な顔をしてこちらに歩いて来る。 


 彼女が着ているのは、袖のない、白いワンピース。腰には大きな白いリボン。スカート部分はひらひらとした作りで、ギャザーが寄せられている。


 一歩一歩踏み出すたびに、ワンピースは白から赤に染められ、彼女の顔には、痛々しい痣が浮かび上がる。赤と白の模様のついたワンピース。それを着ているのは酷い傷を負った血まみれの幽霊。


 私のすぐ傍に立った彼女は、必死に唇を動かした。


「逃げて」


 唇は、確かにそう言葉を紡いだ。


 私はそっと席を立つと、音をさせないよう、細心の注意を払ってダイニングの外へ逃げ出した。廊下を抜け、玄関のドアノブに手をかけたそのとき、

 ——突然伸びてきた大きな男の手が、私の手をドアノブから引きはがした。


「どこに行くの」


 その冷たく低い声に、嫌な汗が全身から噴き出した。恐怖は体を支配して、思うように言葉が出ない。


「夕食はこれからだろ」


 幸夫さんの顔を見るのが怖い。掴まれた手が、ギリギリと締め付けられて痛い。でも、言わないと。ここから逃げなきゃいけない。


「ご、ごめんなさい。でも、お父さんが待ってるから。家に、家に帰らなきゃ——」


 そう言い終わるかどうかのところで、首に何か鋭い痛みを感じた。糸が切れた操り人形のように、体が床に沈んでいく。仰向けに倒れたのか、私を見下ろす男の顔が見えた。血に飢えた獣の様な、ギラギラとした目。手に握られているのは、白い電流が走るスタンガン。


 ……逃げなきゃなのに。


 私の意思に反して、ほどなく目は閉じられた。


 意識は、深い、深い闇の中に落ちていった。

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