四話 名無しだから

 目元を赤くしながら、少女は紙で鼻をかんだ。


 結局、泣いていたことは途中で香花に気づかれていたらしい。みっともない。


 言い訳をする気にもなれずに、紙を丸めて、ゴミ箱に捨てた。そして、香花から頂いた温かいお茶に手をつけ、音を抑えながら飲んだ。熱くて苦味も多少ある、渋めなお茶だった。


「あっち! っち……」


 手当たり次第で行動したせいか、注意を怠り舌を火傷した。と、言っても軽症で大騒ぎするほどのものでもない。


「そう動揺しなくたっていいじゃない。誰にだって泣くときはあるわ」


 そう言う香花は台所で朝食の支度をしていた。市場で買った魚や野菜などを手慣れた手つきで調理し、フライパンへと移動させた。


 この世界でも電気やガスがあるらしい。どこからきているのかは知らない。


「そういえば名前なかったわね」


 野菜を炒めながら、視線は変えずにポツリと香花が呟いた。


「え、あぁ、そうですね。なかったというか忘れたというか……」


「じゃあ、いっその事、あなたが考えればいいじゃない」


「そう言われても……香花さん、何か案とかないですか?」


「そうねえ」


「うーん」と、香花は手を動かしながら、考え込んだ。


 名前かぁ。色々なことが起こりすぎて、パニックになっていたからそんな事は頭の片隅にもなかった。


「“ナナ”……なんてどうかしら」


 香花はいつからか手を止め、少女を見つめていた。体勢を台所に向けながら。


 出会ってから初めてのことかもしれない。仏教面の香花が自然と微笑んでいた。


「ナナ……名前の由来ってなんですか?」


「“名無”し……だからかしら」


 そんな簡単に。だからだろうか、クスッと少女は笑った。複雑なことばかりだったのに、自分の名前だけは簡単だった。そのギャップが何故か面白かった。


「単純ですね……だけど気に入りました」


 少女は湯飲みを手に取り、またお茶を口にした。苦味も感じたが、先ほど以上に温かい気がした。


「お茶、美味しいです」


「ありがとう、ナナ」


 呼ばれ慣れてないその名前が、ナナは嬉しくも恥ずかしくもあった。

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