第20話

 俺が浅い呼吸を繰り返している間に、ドクは説明してくれた。

 俺の身体はダメージを受けたが、致命傷ではないこと。

 尚矢は俺を殺そうとしている間に、FGのメンバーに殺されたこと。

 そして尚矢を殺害し、俺に心肺蘇生を行った人物こそ、美奈川葉月であるということ。


「葉月が、俺を……? 今どこにいるんです?」

「自室だよ。エレナ、葉月くんとも連絡を取ってくれ。剣矢くんが目を覚ましたと」

「いえ……、俺が自分で伝えに行きます」


 俺は上半身を起こし、しかし酷い眩暈を感じて後頭部をベッドに打ちつけた。


「駄目だ、剣矢くん! 命が助かったというだけで、まだ君は万全の状態では……」

「いえ、自分で直接、無事を伝えたいんです。君のお陰で助かったんだと言いたいんです」


 その時、俺にどの程度の気迫があったのかは分からない。だが、少なくともドクは目を見開いて、驚きを隠せないようだった。

 

 しかし、それも一瞬のこと。やれやれとかぶりを振って、ドクは俺に手を差し伸べた。


「さ、下りたまえ。髙明くん、和也くん、彼を葉月くんの部屋に連れて行ってあげてくれ」

「了解」

「……分かったよ」


 髙明は珍しく心配げに、和也はさも嫌そうに眉をしかめて、ドクの指示に従った。


「剣矢、ゆっくり足を下ろせ。ああ、それでいい。どうだ? ふらつくか?」

「いや、えっと、さっきよりはマシだ」

「……ちゃんと葉月にお礼言いなよ」

「もちろんだ」


 ん? 待てよ。どうしてあの現場に葉月がいたんだ? 彼女は昏睡状態で、生死の境を彷徨っていたのではなかったか?

 これらの事柄については、本人から聞いた方が早いだろうな。


         ※


 葉月の部屋の前で、俺たちは立ち止まった。

 いつもなら指紋認証用のパネルが機能しているはずなのだが、内側からロックされている。


 それを見た髙明は、和也の腕を引いた。


「行くぞ、和也。ここから先は、剣矢と葉月にしかできない話だ」

「……うん」


 和也は一貫して渋々と言った様子だったが、すぐに振り返ってドクとエレナの待つ手術室へと戻っていった。


「さて、と」


 葉月には何を話すべきだろうか。俺が無事であること? 葉月のお陰で助かったのだということ? 尚矢にとどめを刺してくれたことに対する感謝?


 やや躊躇いつつも、俺は葉月の部屋のドアを叩いた。


「俺だ。剣矢だ。話をしに来た。開けてくれ」


 すると、ドアの向こうで人の気配がした。うずくまってでもいたのだろうか、急に動き出した感じ。

 俺が再度ノックをしようと腕を掲げた、まさにその時だった。


 ドアがスライドし、何者かに腕を掴まれた。最近腕を引かれてばかりだ。

 俺は慎重に身体の重心を動かしながら、しかし引かれるままになっている。


 それでも俺を掴んできた腕は乱暴で、部屋の奥へと俺を放り投げた。ぺたん、と尻餅をつく俺に、振り返った葉月は無味乾燥な目を向けてきた。


「どっ、どうしたんだ、葉月?」

「……」

「黙ってちゃ分からないぞ。一応、俺の命に別状はないみたいだが」


 すると葉月は無言のまま、すたすたと俺に近づいてきた。身を屈め、俺と視線を合わせる。

 そして次の瞬間には、唇を重ね合わせていた。


 俺の胸中には、しかし驚きや喜びという感情はなかった。何らかの確認事項。それ以上でもそれ以下でもないように思われたのだ。


 一秒、二秒、三秒、離脱。


「どうしたんだ、葉月?」


 俺の声は我ながらひどく落ち着いている。

 

「剣矢が幽霊じゃないってことを確かめた。唇の形だったら、私、覚えてるから」

「ってことは、応急処置で人工呼吸をしてくれたのは……」

「そう、私。今日の皆の作戦がどこで行われるかは分かってたし、リーダーが出向かないことにはどうにもならないと思って」

「車で来たのか? 一人で?」

「ええ。だってFGのメンバーで運転できるの、私しか残ってなかったでしょ?」

「まあ、そうだけど。傷の方は大丈夫なのか?」

「車の運転と救急救命措置ができれば、後はどうでもよかったから」

「そう、か」


 ん? 待てよ。葉月は今、自分のことを、どうでもいいと言ったのか?

 俺は、部屋の隅にある冷蔵庫に向かう葉月を呼び止めようとした。


「なあ葉月、お前――」

「ちょっと待って。烏龍茶くらいなら出すよ」

「違う。どうしてあんな無茶をした? 万が一運転中に傷口が開いたら、命に係わるんだぞ?」

「だからどうでもよかったんだって」

「何が?」

「私の身の上」


 自分のことがどうでもいい? 何を言ってるんだ、コイツは?

 俺は堪らず立ち上がり、冷蔵庫に向かうその背中に大声をぶつけた。


「おい、自分のことがどうでもいい、ってどういう意味だよ!?」

「キレなくてもいいじゃん。私が決めたことだから」


 普段の俺なら、ここで尻尾を巻くところだ。が、今はそうはいかない。


「お前は必要とされてるんだ。メンバーは大事だけど、自分自身のことも考えろよ!」

「それができないから困ってるんでしょう!?」


 葉月が、吠えた。全く以て唐突に。流石にこれには、俺も後退りする。

 葉月に握られたペットボトルが潰れて、中身がコンクリートの床面に広がる。


「あんたは……剣矢は私の憧れだった。誰よりも強くて、誰よりも容赦なくて、でも誰よりも優しかった」


 否定はできないのかもしれない。確かに、仲間のためというのなら自分の命は惜しくないかもしれない。だが――。


「だが、俺だって馬鹿じゃない。危ないと思ったら避けるし、逃げる。その過程で援護できる仲間がいれば助ける。それだけのことしかできない、薄情者だ」

「でもそうしたら、説明がつかないよ」

「何の?」

「私が剣矢を好きになった理由」


 あまりにド直球な言い様に、俺は危うく噴き出しかけた。まだ烏龍茶を口にしていなかったのは幸いだ。


「剣矢、もしあんたが自分の言うような薄情者だったら、前線に出たりしない。和也と一緒に狙撃を担当していればいい」


 狙撃を馬鹿にしてるわけじゃないけどね。そう言って葉月は肩を竦めた。


「悪い大人たちを相手取って、情け容赦なくその命を奪っていく。そんな死神に、私は恋をしたんだと思う。私の両親もロクでなしだったからね。剣矢は覚えてる? 私が身の上話をした時のこと」


 覚えているも何も、忘れられるわけがない。

 そんな親がいて堪るかと、葉月本人よりも俺の方が怒り狂ってしまった事案だ。


         ※


 九年前の晩春、曇り空が続くある日のこと。

 一台の乗用車が、平坦な、しかし未舗装の山の中を走っていた。


「ねえお父さん、どこへ行くの?」

「ああ、葉月は心配するな。いいところだよ」

「それじゃあ答えにならないよ! お母さん、何か知らない?」

「……」


 どうにも、というより明らかに、車内の状況はおかしかった。

 快活だった父親はだんまりを決め込み、母親に至っては目に涙を浮かべ、ハンカチで拭っている。


「葉月、お前は強い子だ。ここから行くところでも、きっと上手くやっていける」

「えっ? お父さん、一緒にいてくれないの?」

「……」

「ねえ、お母さんは?」


 母親は嗚咽を上げ始めた。

 その頃の葉月には気づきようがなかったが、母親が着用しているのはいかにも安っぽいフォーマルスーツだ。父親はその上に腕時計を嵌めていたが、誰もが一目で分かるような模造品。


 精一杯着飾ってみたところで、美奈川家の財政力はこんなものなのだ。

 それを知らずに、葉月は育った。


 自分たちの困窮を、娘である葉月に悟らせなかったのは賞賛に値するかもしれない。

 だが、これからこの夫婦が行おうとしているのは、とても褒められたものではなかった。


「着いたよ、ここだ」


 周囲を木々に囲まれた、白い建物。葉月は一瞬、病院を連想した。

 しかし、病院にしては車両が少ない。救急車も消防車もない。ここは何をするところなのだろうか?


 母親に背後から抱き着かれるような格好になりながら、葉月は父親がフェンスの前で、インターフォンで誰かと話しているのを見つめていた。


「――分かりました、ありがとうございます。葉月、おいで」


 父親に手招きされ、葉月は左右に開いていくフェンスを通った。


「あれ? お母さんは?」


 そう問う葉月を無視して、父親は歩み入っていく。葉月は振り返りたかったが、母親の号泣する姿を視界に残したくなくて、やめておいた。


 対照的に、満面の笑みを浮かべた女性が建物の方から歩いてきた。初老で恰幅がよく、ニコニコと笑顔を絶やさない。


 何者だろうかと判断する間に、父親と女性は話を終え、互いに踵を返してしまった。


「ちょ、ちょっと、お父さん! 私を置いていくの?」


 父親はぴくり、と立ち止まる。しかし女性の方は笑みを崩さず、戻って来て葉月の背中を押した。


「さあ、葉月さん。今日からここが、あなたの新しいお家よ」

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