第15話

 もしこの場で皆に対して、どうしたんだ? などととぼけていられればどれほど楽だっただろう。だが、そうそう気楽でいられなかった。

 いくら憎んだところで、相手は俺の肉親なのだ。いや待て。さっき通信している間、俺は随分と殺気だってはいなかったか。


 それなのに通信が終わって五分と経たずに、俺は尚矢を殺すことに躊躇いを感じている。情けない。奴は俺の母親の仇だというのに。


「大丈夫か、剣矢?」


 最初にそう声をかけてくれたのが葉月だったのは幸いだ。もし髙明や和也だったら、俺は沈黙を貫くだけだっただろう。

 だが、葉月の言葉には不思議な力があった。包容力、とでも言うのだろうか。俺のことを心の底から心配してくれている。

 

 いや、それは男性陣も同じだろう。共にいくつもの死線を潜り抜けてきたのだ。

 しかし、葉月からしか感じられない心の温かさというか、優しさのようなものは何なのだろう?


「葉月」


 気づいた時には、俺はそう呼びかけていた。

 葉月は僅かに目を見開き、しかしすぐに心配そうに眉をひそめた。


「生きて帰ろう。髙明も和也もな。俺は拳銃の整備をする」


 それだけ言って、俺は会議室を後にした。


         ※


 同日午後八時、東京湾十三番埠頭。


「こちら剣矢。まだ眼帯は外してない。皆、敵の様子は?」

《こちら葉月、敵を確認。熱光学迷彩の使用形跡なし》

《こちら髙明、同じく》


 俺たちは距離を置いて四ヶ所に分散し、尚矢の捕捉にあたっていた。


「和也、そっちはどうだ? 狙撃銃に暗視スコープは付けてきたんだろう?」

《ああ、もうバッチリ見えてるよ。でも変な格好だな。全身がつるつるだ。まるで金属で覆われてるみたいに》


 俺はアメコミのヒーローを連想した。確かに尚矢は映画好きだったし、そのくらいの意匠を凝らしてきてもおかしくはないかもしれない。

 コスプレではなく、きちんと実用的な装備として。


《現在午後七時五十九分。三十秒前にアナウンスして、十秒前からカウントを開始する。まずは和也、狙撃だ。お前の腕前で、奴の頭を撃ち抜いてくれ》

《分かったよ、葉月! 奴は剣矢のお母さんの仇だもんね!》


 和也が俺のための復讐に加担してくれているのは、正直心強かった。俺と葉月の関係を邪推して、非協力的な態度を取りかねないと俺は危惧していたのだ。


《カウント開始、十、九、八……三、二、一!》


 パァン、と甲高い発砲音が響き渡った。俺は眼帯を着けたまま、片目用のスコープで尚矢と思しき人影を見遣る。

 発熱した狙撃弾が直撃し、僅かな白煙を上げている。が、そこにはないはずのものが存在していた。尚矢の頭だ。それも無傷で。


《なっ!》


 これには和也も驚いたらしい。一方の尚矢は、首を左右に曲げて肩をぐるぐると回している。自分には通用していないとアピールするつもりなのだろうか。


《和也、狙撃を続行しろ! 髙明、対物ロケット砲の使用を許可する!》

《了解!》


 すると、バシュン、という発射音と共に、爆炎がぶわり、と広がった。橙色の爆光が周囲を紅く染める。その間も、和也は狙撃を続行していた。二発目、三発目、四発目――。


《撃ち方止め! 撃ち方止め!》


 葉月から止められ、髙明と和也は攻撃の手を下ろす。黒煙が海風に拭きさらわれ、そこにあったのは――。


《冗談だろ、これ》


 最早呆れかえったかのような髙明の声。

 ロケット砲の爆心地には、確かに人影があった。しゃがみ込み、片膝と両拳をアスファルトにつきながら。


 ところどころから白煙を上げていたが、まったく通用しなかったらしい。その人影はゆっくりと立ち上がり、足元を見つめた。爆発でクレーターができている。

 その時、ザザッ、とノイズが俺たちの耳に入った。


《こち……おや、こちら錐山尚矢。見事なコンビネーションだな、FGの諸君》


 通信に紛れ込んできやがった。まだ挑発するつもりなのか。


《だが、今ので分かったはずだ。私に遠距離火器は通用しない。強いて言えば打撃技だろう。そろそろ出てきたらどうだ、剣矢?》


 俺は憎しみと緊張の入り混じった溜息をつき、眼帯を外した。

 立ち上がり、コンテナの上を跳び回って尚矢の正面に躍り出る。


 眼帯を外したのと同時、急速に覚醒する俺の組織。

 骨格、筋肉、臓器、末端の細胞に至るまで、全身が復讐の雄たけびを上げている。


 気づいた時には、俺はアスファルトに足の裏をめり込ませながら着地していた。

 ゴォン、と響くと同時、俺は脚部の関節を曲げて衝撃を和らげる。

 同時に、俺は駆け出した。


 コンビナートの照明を逆光に、高速で接敵。右腕を振りかぶり、脇腹を狙う。

 と見せかけて、俺は跳躍した。一回転する間に右の爪先を振り上げ、尚矢の左側頭部に蹴りを打ち込んだ。


 が、しかし。

 俺の右足は、尚矢の頭部で勢いを殺されていた。ぐっと脛を掴まれ、そのまま投げられる。それは、何の捻りもないただの投擲だった。

 俺はなんとか姿勢を整えようと踏ん張る。が、速い。凄まじい速さで自分の身体が宙を舞う。このままでは……!


「がはっ!」


 俺は背面から、空のコンテナに突っ込んだ。くの字に曲がっていた身体が、みしみしと軋む音と共にコンテナにめり込む。

 口内が切れて、鉄の味がじわり、と広がっていく。


 尚矢はゆっくりとこちらに向き直った。俺はなんとか全身の関節を動かし、自由を取り戻す。


 まさかあの回し蹴りが、直撃してぴくりともしないとは。避けられるならまだしも、全く通用しないとは予想外だ。


 落ち着け、剣矢。冷静になれ。恐怖に囚われて自暴自棄になったら、それこそ奴の思うつぼだ。頭を冷やして対策を考えろ。


 俺が真っ先に思いついたのは、尚矢の着用しているアーマーの隙間を狙うことだ。流石に天衣無縫というわけではあるまい。可能であれば、首筋を狙えればいいのだが。


 いや、やることは決まった。もうやるしかないのだ。

 俺は再びしゃがみ込み、クラウチングスタートの要領で両手をついた。

 砂塵を巻き上げ、再度突撃する。尚矢もゆっくりとではあるが駆け出す。俺のように腕を引き、殴りにくるつもりのようだ。

 ぷしゅっ、と音を立てて、アーマーの各所から白煙が上がる。


 敵の頭部アーマーに反射したコンビナートの灯りがギラギラと輝く。

 極彩色の妖しい光を宿した金属塊との相対距離が縮まっていく。

 そして――激突。


 俺は急減速をかけ、親父の剛腕を回避。しゃがみ込み、コンバットブーツに仕込んだ対人ナイフを取り出す。

 流石に蹴りを放つ余裕がなかったのだろう。尚矢は俺に躓いて姿勢を崩した。


「そこだっ!」


 俺は小さくバク転し、ナイフを尚矢の首筋に捻じ込んだ。

 が、しかし。


「甘いな」


 ナイフはアーマーに突き刺さるどころか、絡めとられるような不快な感覚に呑まれてしまった。

 コイツ、アーマーの接続部にゴム製の新素材を採用していやがる!

 結局ナイフはその弾力に負けた。俺の手を離れ、地面を滑っていってしまう。


「ふん!」


 俺は再度腕を掴まれた。尚矢が立ち上がるのに合わせ、引き上げられる。

 しかし、今度はすぐに放り投げられるようなことは起きなかった。アーマーの視覚バイザーの点滅が消え、ぱかり、と頭部アーマーが展開したのだ。


「やっぱりこうして見ると母親似だな、お前は」

「きっ、貴様……。何を言って……」

「なあ剣矢、私と一緒に来ないか? こんな危険な生活は捨てて、研究対象としての生活を送るんだよ」

「……?」


 突然の言葉に、俺は手汗がだくだくと流れていくのを感じた。これでは動揺を隠しきれてはいまい。


「誰が、誰が研究対象なんかに……」


 そもそもどこで、何の研究をするのか。その疑問が顔に出たらしい。尚矢は俺に語り始めた。


「父さんは今、南米の某国軍事機関と合同で研究を進めている。それがこのナノメタルスーツだ。その機関とダリ・マドゥーには繋がりが合ってね、失明した彼の目に、お前の左目と同じ義眼を埋め込み、起動させた。実験結果は、お前がマドゥーと実際に戦った通りだ」


 どうして出てくるんだ? ダリ・マドゥーの名前が。しかもここで。


「マドゥーは私が軍事機関研究部門に入れるよう手配してくれた。だから私は爆破テロで自分が死んだことにすることで、マドゥーが日本の研究機関に入りやすいようにしてやった」

「そんな……すぐに、信じられる、かよ……」

「もちろん即答は期待していない。よく考えることだ。マドゥー亡き今、お前の存在は貴重な――」


 と尚矢が言いかけた、まさにその時だった。銃声の混じった絶叫が耳朶を打った。


「剣矢あああああああ!」


 葉月? 一体何をしている? 俺はすでに一日十分の活動限界を超え、ぐらり、と頭を揺らすことしかできない。

 それでもはっきり見えた。葉月が拳銃を乱射しながら、尚矢の背後から接近してくるのが。


「馬鹿な小娘だ」


 荒っぽく俺を投げ捨てた尚矢は、しゃがみ込んで脚部のパーツを展開した。

 そこに入っていたのは、大口径の拳銃。


 バァン、と銃声が一発。葉月のものより重く、ズシン、と胃袋に響く。


 葉月はどうなったのか? 俺はどうなるのか? 分からないままに、俺の意識は闇に呑み込まれていった。

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