8 求めれば、ドアは開くのだ

 にこりと微笑まれて、へぇ、同じ名前、とうっかり流すところだった。

 じわじわと何故レッテさんがわざわざそう言ったのか理解できてくる。


「……へ……あ……ちがい、ます、よね? 私……」


 生きてきた中で一番、心臓が強い拍を打っていた。両親の馴れ初めなんて聞いたことがない。仲が良いとも悪いとも言えない感じで、でもごく普通の家族だ。

 んふ、と笑う顔とは裏腹に、旺汰さんのこぶしがカウンターに振り下ろされる。


「ちがう、違う!! 黙れよ、レッテ!」

「年の頃もちょうど合う。もしかしたら、そう、思ったわよね? 膝に抱いたり、したかったのよね?」


 一向に閉じない口に、旺汰さんは私の荷物を掴むと出口へ向かった。

 ドアを開け、外へと荷物を放り出す。

 戻ってきて私の腕を掴むと、無理やりドアの前まで引っ張っていった。


「旺汰さん……」


 最後に合った瞳は揺れて、でも旺汰さんは歯を食いしばった。


「レッテは肝心なことを言ってない。勝手な想像をするな! お腹の子は、DNA鑑定でも結婚した相手の子供だったんだよ。わざわざそう連絡してきた! じゃなきゃ、いくらなんでも本物の父親のことを忘れて暮らせるもんか!」


 どん、と背中を押される。

 ほんの、二、三歩、ドアから外に出ただけだった。


「旺汰さん!!」


 振り返った時には、エプロンをつけた茶髪の女の人が、きょとんと私を見ていた。店のドアも、外装も、全く違うお店だ。

 呆然として、呆然としすぎて、どうやって家に帰ったのか覚えていない。

 両親にバカな質問をして笑われて、どちらに似てるかで夫婦げんかにまで発展しそうになって、ホッとしたら、涙が出た。

 友達もみんな、しばらくは優しくしてくれた。何も言ってないのに「失恋にはバカ騒ぎが必要」とか言われてカラオケやパーティに連れ歩かれた。


 思った通り、お店にはもう行きつけなかった。ベタ塗りの旺汰さんも、見かけることはなくなって……みんなの待ち受けからも彼の姿は消えていった。

 心配? していない。

 だって、私は忘れてない。忘れられない。

 それに、レッテさんは見かけるのだ。人混みの中に、いつも見失っちゃうのだけど。

 だからきっと、私の求める強さが足りないだけ――


 *


 学年が上がり、みんな進学の準備で忙しくなった。みんなで街をぶらつくのも、たまの息抜きくらいになった。

 進路指導の先生に、もう気が変わらないか確認されて、頷く。二年の段階で急に思いついたような進路先にしたので、彼氏の影響だとか噂されていて、しかもその後に振られたと別の噂が広まったので心配だったらしい。私の友人たちはお喋りで、想像逞しい。


「たとえそうだったとしても、そんなことでやめたりしませんよ」

「いやぁ。水沢は普通の大学でも大丈夫そうだからな」


 頭を掻きつつ、弁解するようにそう言った先生も、私がおじさんに化粧をして、その唇にキスしようとしたことがあるなんて、思ったこともないのだろう。校則を守っているのも、そこそこの成績をキープしているのも、そうした方が面倒がないからで、真面目なわけじゃない。

 神妙な顔で相槌を打ちながら、先生の唇を見ていた。

 あそこに色を乗せたら、私はときめくだろうか。

 進路に関係ありそうでそうでもないことを真剣に考えて、ようやく私は答えをひとつ、ひねり出した。




 良く晴れた休日。一応メイク道具も持って、私はあの店に向かった。

 確信はあったけど、ちゃんと店の前に着いたのでドキドキしてしまう。

 ドアは――開いた。


「いらっしゃいませ」


 落ち着いた声が迎えてくれる。目が合うと、旺汰さんはひどく驚いた顔をした。白シャツにベスト。少し伸びた髪は後ろで一つに縛られていて、こざっぱりとしたおじさん店員だ。


「……じょっ」

「オーナーはいますか?」


 私の交渉相手はレッテさんだ。旺汰さんに接客してもらってはいけない。

 黙り込んだ旺汰さんに近づいてその瞳を覗き込む。


「じゃあ、身体に聞きます」


 メイクブラシを取り出せば、旺汰さんはため息をついた。


「……言い方……」


 ゆっくりと瞬きをすると、旺汰さんの立ち方が変わった。


「いらっしゃい。ゆめちゃん。お探し物?」


 レッテさんは相変わらずで、でも、旺汰さんとの関係が少し変わっていることがわかって、ちょっと悔しくなる。


「めっちゃ探しました。でも、ここにしかないってわかったから、相談しに来ました」

「んふふ。いいわよ。座る?」

「このままでいいです。私の欲しいもの、すごく珍しそうなんです」

「……そうねぇ」


 レッテさんは面白そうに、わざとらしく人差し指を頬に当てたりなんかしている。


「それで、借金して買おうかなって」

「ふぅん?」

「でも、買おうとしてるものに、もうすでに借主がいるんですよ」

「……あら?」

「最初はその人に色々交渉しようと思ったんですけど、よく考えたら、私、単体の彼って想像できないんですよね。彼だけが欲しいなんてとても思えない。なんだろう。『普通』に飽きてる?」


 ぽかんと、小さく口が開いて、旺汰さんの顔は間抜けに見えた。


「普通のおじさんだったら、ここまで興味を持たなかったんじゃないかな。でも、だとしたら、旺汰さんだけ手に入れたって、物置にしまい込んじゃう気がする。そんなのもったいない。レッテさんがインした旺汰さんを連れ出そうと思うなら、どうしたらいいだろうって。で、これは提案なんですけど。私が買った旺汰さんをレッテさんに貸し出すのはどうですか。借金は、そのレンタル代で払います」


 あっけに取られているのは、レッテさんなのか、旺汰さんなのか。

 どっちでもいいやって、私は彼の手を引いて出口に向かった。


「手始めに、ランチしましょう。贅沢は言いません。ハンバーガーとポテトでいいですよ」


 ドキドキしながら、ドアを潜る。

 思い切って振り返れば、くくっと喉の奥で笑う旺汰さんが手を振りほどいて隣に並んだ。軽く腕を曲げて、差し出される。


「本当に……女子高生はパワフルが過ぎる。どこにお連れすれば? 新オーナー?」


 私はその腕に飛びついて、少し向こうの赤い看板を指差した。




 ――これは蛇足だけれど。

 ポテトをつまみながら、レッテさんが「つまんなぁい」とこぼしたので、次は彼女とショッピングに行こうと心に決めた。


* 化け物ショップのオネエさん 終 *




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化け物ショップのオネエさん ながる @nagal

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