蘇る悪夢。あの妹が動き出す朝。

「うわっ!!」


 悪夢だった。嫌な汗をべっとりかいている。


 時計を見る。朝の五時。普段の起床時間にしては早いが、朝というには十分な時間。


 どうも、帰ってからそのまま寝てしまったらしい。


 家に着いたのが四時すぎ。それからネットサーフィンをして、篠崎のメッセージに返信して。


 夜ご飯も食べず、十二時間睡眠をしたようだ。体力のなさを痛感する。


 風呂で汗を流し、残り物の食材ですこし多めの朝食をこしらえ、コーヒーをすする。


 優雅な朝だ。時間に追われない朝ほど、素晴らしいものはない。気持ちが穏やかなのだから。


 素晴らしい朝を砕いたのは、たった一通のメッセージだった。


「え」


『妹 :お兄ちゃん、久しぶりだね』


 妹からのメッセージだ。


 寝ぼけていたせいで、気軽に既読をつけてしまった。本来ならスルーすべき案件だというのに。


 キス事件以来、妹との連絡はほとんど遮断していた。僕が他県に引っ越したのもあってか、話題が尽きた。送る意義が薄れたのだ。


 そんな妹から、久々のメッセージ。警戒心は高い。無視して様子を見るか。


 思ったが、それは無駄だった。


 既読をつけてからわずか数十秒で、妹からの返信が来たのである。


『妹: 見た、よね? わかるってるよ 無視しても徒労だよ』


 やばい。なんて反応の速さ。あいつじゃなきゃ見逃している。


『久しぶり いったいなんのつもりだ』

『ひどいね 私たち、家族じゃない? 長く会ってないし、近況確認?』

『あまり送るなといったはずだ』

『きょうは特別だから』


 よりによってこのタイミングか。


 篠崎さんとの関わりから、僕の過去が掘り起こされかけた、このときに。


『特別?』

『内容はヒミツ でも、きっと驚くはず』

『サプライズは嫌いだ』

『なおさら教えてあげない』

『いずれわかるのなのか』

『正解。かみんぐすーん、ってやつ』


 悪いニュースが確定した。知っている。悪夢を見たってことは、なにかしらの暗示なんだろう。


 過去は過去のまま消えてしまえばいい。タブーには触れない。いまを生きればいい。


 それじゃダメなんだろうか。


『妹 が音声データを送信しました』


 見ないと催促されるのが目に見えているから、やむなく音声ファイルを開く。


『やっほー、元気してる? 声を聞くのもずいぶん久しぶり?』


 聞き馴染みのある声。喋り方がすこし垢抜けた、だろうか。陰気さが抜けている、


『テキストだけじゃ味気ないし、かといって通話はいけないと思って、妥協してのボイスメッセージ、です!』


 メッセージの既読に異常な早さで反応したのはどうかしているが、いちおう理性は残ってるんだよ。


 会うな、といったら会わない。ヤンデレではあるがまだ振り切れてはない。ヤンデレ界隈でも上位にいそうだけど。


『私も花のJKデビュー! これを記念してサプライズ盛り沢山だから、震えて待っててね!』


 そこで音声が途切れた。


 内容としては、別にボイスメッセージにする必要はないものだった。しかし、僕にある種の心構えを生むきっかけにはなった。


 これから波乱が起こる。


 三年近く、あのヤンデレモンスターたちがなんらアクションを起こさなかったのが不思議なのである。


 なんの連絡も寄越さず、よく耐えた。称賛に値する。


『あまり暴走するなよ』

『大丈夫!!』


 なんとも信用ならない言葉だろうか。止めても無駄だから深く追及するつもりはないが。


 優雅な朝から、陰鬱な朝に早変わりした。さきほど淹れたはずのコーヒーは冷え切って不味まずかった。



 登校。


 校門をくぐり、クラスに入れば。独特の雰囲気に呑まれ、生徒の一員として学校に溶け込むような錯覚に陥る。


「おはよー!」


 宮崎がいつもより明るい挨拶をしてきた。


「おはよう。いいことでもあったか?」

「いやいや別にそんなんじゃないさ!」

「人の個人情報を漏らすのは、絶大な快感を伴うらしいな」


 口角を歪ませ、宮崎は苦笑する。


「な、なんのことだい前野拓也君? 僕と君との仲じゃないか」

「女子という誘惑の前に、絆や友情は紙切れと同じ。寂しいことだな」


 意表を突かれたように見える。


「どこからの情報だ」


 距離をつめ、小声でいった。


「さあな。友情を裏切る奴に教えることはないよ」

「ごめんって、な? 今後は気をつけるからさ」

「もし、『私のそういう写真を見せてあげる』って誘惑されてもか」

「……友情以外にも、大事なものってあるじゃん?」

「だろうな。いいよ、そんな気にしてないから。宮崎らしいよ」


 欲望に忠実、かつ素直で真面目でいい奴なのだ。


「で、あの人とどんな関係なんだ」


 バレたから聞くけど、と付け足して宮崎は問う。


「ふつうのクラスメイトさ。友達の友達で接点が偶然できただけだよ」


 嘘である。マジで接点という接点がなかった。


 だが、ふたりきりでショッピングモールに出かけている、という既成事実がある。


 せいぜい複数人でのお出かけからスタートだろうに。篠崎との関係に常識は通用しない。


「まあ、接点ができたからって変に勘違いして浮かれるなよ。美男美女の友人がたくさんいるんだしな」

「お前にだけはいわれたくないわ。メッセージだけで浮かれてたっていうのに」


 篠崎に軽く視線を送る。ここでは、先週までと変わらない関係。きのうのことが嘘みたいだ。




 ――時にして高校二年生の二月の末。


「新入生がもうすこしで入ってくるのか、早いな」などと、僕は思いを寄せるのだった――。

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