26. 狂気の初期化

 綾香の息の根と一緒に、時間まで止まったようだった。


 良心を捨てて人生を捨てて最後には命まで捨てた綾香の姿を見て、俺も思考を放棄したくなったんだろう。


「い、いやあああああああああああああああああああああぁッ!」


 それでも黒子の悲鳴が俺を現実に引きずり戻してくる。


 綾香の笑い声でさえあれだったのに、悲鳴なんてそのまま叫んでたらすぐにでも誰か駆けつけそうだが、ちょうどタイミングが良いのか悪いのか昼休み終了のチャイムが鳴って、中途半端にかき消されていた。


 だけど……綾香の最後の断末魔だけはどうやっても消えてくれそうにない。

 あの血と命が喉からこぼれるように漏れた声は、俺も脳みそをナイフでえぐり出したくなるくらいの醜悪な記憶として刻まれた。


「どうして、こんなことに……」


 バス酔いで吐きそうな双子を時限爆弾に例えて怯えてた時がどんなに幸せだったか。

 本当にヤバい時限爆弾が爆発してしまった。


 もう血だまりに沈んだ綾香の死体が目に入るたびに、両親が死んだ時と滅多刺しにした時を思い出して今にも吐きそうになる。


 それでもまだ取り乱さずにかろうじて正気を保てたのは、滅多刺しの場面を見たのはこれが初めてじゃないからだ。

 クソみたいな予防接種のおかげで免疫があった。


 それになにより……俺には削り戻りがある。この力がある限り、俺が諦める理由はない。


(出血で意識を失ったら洒落にならないし、早く戻らないと……)


 腹部の傷の痛みを我慢して両手を構える。そして、過去の光景をイメージしようとしたところで、


「……! なにしてるんですか!」


 黒子に迫真の表情で詰め寄られて、思わず怯んでしまった。

 

「な、なにって見りゃわかるだろ。今から能力で過去に……」

「戻ってどうする気ですか! まさか助けようなんて考えていませんよね?」

「いませんよねって……このまま死なせるわけにいかないだろ」

 

 しかし、当然の人命救助にも黒子は強情に首を振る。


「それで啓太さんの身体を危険に晒したら本末転倒です。そもそも啓太さんが綾香の尻拭いをするのもう何回目ですか? 本当なら私は一度滅多刺しにされて殺されてるんですよね? そんなに啓太さんは私を殺したいんですか?」

「い、いやそんなつもりはないけど……」


 怒涛の説得にぐうの音も出ない。

 人生を壊滅させるほどの被害を被ってるのに、その時間に戻そうとか言われたらそりゃ反発するに決まってる。


 でも……それでも俺にとって綾香は命の恩人なのだ。生きようと思えたのは彼女のおかげなのだ。


 その事実だけはどんな理由を並べても、どれだけ悪党に成り果てようと変えられない。


 それに今思い返すと綾香は俺の前でさりげなく真相をちょくちょく漏らしていた。

 俺がどこまで勘づいてるか確認するためにわざと口にしたのかもしれないが、多分無意識に自分の凶行を気付いてもらいたかっただけなんだと思う。 


 まあ止めてほしいとかじゃなくて、俺に真相を知られても受け入れてほしくて安心したかったからなんだろうが、それでも助けを求めていたのだ。簡単には見捨てられない。


「警察に通報して全てを終わらせましょう。私も……罪を償います」

「……ダメだろ。あんな死に逃げを許してお前にだけ罪を償わせるなんて。そもそも今自首しても、こんな急に自分を滅多刺しにしたなんて狂った話を警察が信じるかわからない」

「え?」

「ナイフに綾香の指紋があっても、変身できるお前にもそれは可能だろ。俺とお前が共謀して綾香を滅多刺しにしたって疑われない保証がどこにもない。このまま自首して変な疑いをかけられるより、綾香が生きた状態で一緒に自首した方が良いに決まってる」

「確かにそうかもしれませんが……さっきのを見てもまだ説得して綾香に罪を償わせられると、本気でお思いですか?」


 黒子のジトッとした眼差しが俺に刺さる。


 ……正直、思えない。この惨状見たらまったく思えないけれども。


「じ、自首は無理だとしても警察に通報すれば……」


 そう答えた瞬間、黒子に小さくため息をつかれた。


「……私の正体が発覚したのはついさっきです。それなのに、綾香はナイフを隠し持っていました。つまり普段からいざとなったら自決するか私を殺す気でいるんです。そもそも何をしでかすかわかりません。啓太さんの把握できないところで、私たち以外にも犠牲者が出たらどうするんですか。それこそ取り返しがつかないですよ」

「そ、それは……」


 確かに四六時中綾香を見張れない以上、削り戻りのカバーにも限界がある。


 警察も発砲を許可されないと綾香を無傷で捉えることなんて不可能だろうし、返り討ちに遭うかもしれない。


 森嶋とかいつ綾香の正体を不注意に探って消されてもおかしくないぐらいだ。


 なら、綾香の蛮行を見ないフリにしてこれまで通りに過ごす?


 ……それこそあり得ない。

 もうこれまでと同じ目で見れないし、絶対に違和感を悟られる。そもそもそんな選択肢は許されない。


 ダメだ……詰んでる。そもそも状況が絶望的すぎる。


 もうどこに戻っても静香は地中で微生物に分解されてるし、二人は犯罪者だ。しかも一人は悪人だと開き直ってる極悪人だ。初めから救える要素が……


 初めから……?


「あ……」


 いやある……たった一つだけ。

 この絶望的な窮地を覆す一発逆転の方法が。


「そうだ……どうして気づかなかったんだろう。初めからやり直せばいいんだよ」

「……え?」

「両親が死んだ時の光景だけは本当に何度もやり直したし、これまでかなりの頻度でフラッシュバックして来たから、嫌でも記憶に焼き付いてるんだよ。だから他の時間は無理でも……両親が死んだ数年前の時点になら、俺は過去に戻れるかもしれない!」


 目を見開いて驚く黒子に俺は満足した。

 黒子もこの絶望的な状況をひっくり返す方法があるとは思ってもいなかったようだ。

  

 今までは命を惜しんでいたからそんな発想に至らなかったが、命を惜しまずに考えたら本当にすぐに気づけた。


 しかも、後押しするように今の俺の負傷や綾香の死体の血の匂いは、当時の事故の感覚を呼び起こしてくれる。

 明確にイメージさえできてしまえば、こっちのものだ。


「そうすれば全てリセットできる。数日どころか年単位で戻ったら多分代償で死ぬけど、そんなのはどうだっていい。その戻った時点で死ねば俺はこの羽木山市に来ることもない。もちろん双子との出会いも全部無くなる。そうすれば、そうすれば! この悲劇も、綾香の狂気も全部なかったことにできるんだよ!」


 両親と一緒にいられるよう願ったのに、両親が死ぬ前の時間に戻れないこの能力を心のどこかで憎んでいた。


 でも違った。両親が生きてた時間に戻ろうとしたのがそもそも間違ってたんだ。


 俺のこの削り戻りはきっと、両親と同じ時間で死んで、一緒にあの世にいけるようにするための能力だったんだ!


 不思議と死ぬことが怖くなかった。

 当然だ。そもそも俺の命は死んでいるはずの命。命の恩人に対する恩を命で返すのに抵抗があるものか。


 きっとこれは俺に与えられた最後で最期の恩返しの機会なんだろう。


 ならやるに決まってる。この呪われた結末を全てリセットできるんだから……!


「ふざけたこと言わないでください!」


 しかし、そんな俺の興奮に冷や水を浴びせるように、なぜか黒子に怒声を浴びせられた。


「く、黒子……?」

「どうして自分の命を軽んじるような事を言うんですか! どうして、どうして! どうしてえぇッ!」


 ぐいっと俺のワイシャツを引き寄せられて、錯乱したように泣き叫ばれる。

 なんで怒っているのかわけがわからなかったが、そこでふと公園で黒子に電話した時のことがよぎった。


 あの時も俺が自分を殺せばいいみたいなことを言ったら、なぜか感情的に怒鳴られたんだっけ。


「ずっと私は綾香の事を通報しようと思っていました。でもそれができなかったのは狂った静香のフリをした綾香が恐ろしかったからじゃありません。私が一番恐ろしかったのは啓太さんの能力です!」

「俺の……能力が?」

「見ず知らずの私を無理して助けた貴方が、大切な幼馴染が死んだと知ったらどんな代償を払ってでも絶対に過去に戻って助けに行くって、私にはわかっていました。だから、どんなに辛くても、苦しくても、貴方が死なないようにずっと私はやりたくもない綾香のフリをずっと続けてたんです。お願いですから……私の努力を無駄にしないでください……」


 そう俺の制服をつかんで泣きじゃくる黒子を見て……呆然とした。


「ずっと……俺の身を案じてくれていたのか……」


 起死回生の光明にハイになっていたテンションが一気に収っていく。


 思えば静香が首を吊っていた時、俺の能力を知っていた黒子ならすぐにでも俺に協力を仰いで、その死を無かったことにしたかったに違いない。


 でもできなかった。それはなぜか?


 決まってる。その一大事に呑気に病院でグースカ眠ってた馬鹿がいたからだ。


 しかも、起きたのは半年後。全てが手遅れの役立たず。

 そもそも虐めの解決に綾香を紹介して、虐め以上の酷い目に遭わせた諸悪の根源は俺だ。

 自分に起きている惨事を知りもせずに、のうのうと過ごしてる俺を見たら、むしろ綾香以上に恨まれて滅多刺しにされてもおかしくない。彼女の方から責任取って死ぬ気で過去に戻れと俺を怒鳴りつけてもいいくらいだ。


 でもそうならなかったのは……綾香と違って黒子には良心があったからだ。

 人生を潰されたのに俺の人生を尊重して、ずっと自分の身体と心を押し殺して黙っていた。


 それなのにこの馬鹿はなにも考えてなかった。

 自分の命を軽んじる発言を平気でして、黒子の心を平気で踏みにじった。

 そんな事実も知らずに死のうとしていたんだから救いようがない。


 綾香に罪を償えとほざきながら、自分の罪にも気づかずにどの口で自己犠牲のヒーロー面で酔ってたのか。


 黒子が苦しんでいたのは綾香よりも……俺の存在だった。


 俺は救うどころか……ずっと彼女に救われていた。


「……ありがとう。俺を心配してくれるのは本当に嬉しかった」

「な、なら……」


 顔を上げた黒子から期待した眼差しを向けられる。

 彼女には本当に感謝しかない、がそれとこれとは話が別だ。


「でもやっぱりだめだ。お前の正しい努力がそんな死体隠蔽なんかすることだなんて口が裂けても認めたくない。それに綾香も静香も……俺の命の恩人だ。このまま狂ったまま自殺させて、山の中で埋められたままでいいわけないんだよ」


 告げた途端、黒子の表情が一気に曇っていった。


 結局、やるべきことは変わらない。

 俺のために人生を棒に振って来た彼女を否定してでも、罪を背負ってでも過去に戻るだけだ。


「だ、だからって……あんな危険人物を貴方は世に野放しにする気ですか?」

「俺がきっかけで狂ったんだから原因の俺がいなくなれば大丈夫だ。それにさっきの綾香の話が事実なら、状況は知らないけど俺は昔あいつをトラックに轢かれそうになったところを助けたことがあるみたいなんだよ」

「それが……どうしたんですか」

「身体能力を考えても、俺の咄嗟の動きより綾香の方がどう考えても早い。その差を覆せたなら……きっと俺は削り戻りで事前に轢かれそうになったのを目撃していたから、綾香よりも先に動けて助けに入れたんだ。これがきっかけで俺に惹かれたなら……やっぱり全部の責任は俺だ。時を狂わせて身の丈に合わないことをしたせいで、綾香が狂う原因になったんだから」


 俺がそう言った瞬間、面食らったような顔を黒子は浮かべていたがすぐに反発して来た。


「そ、そんなことありません! 時を戻した影響で狂うというなら、私はどうなるんですか? 啓太さんの能力で助けられましたけど、別におかしくなっていませんよ?」

「お前が好意を隠そうともしなかったって綾香が言ってたのを考えても、現にお前もそれで助けられたから俺に好意を持ってたんだろ?」

「そ、それは……きっかけはそうですけど……」


 気まずそうに黒子が顔を逸らす。これで俺の自意識過剰だったら死ぬほど恥ずかしいが、合ってたようでなによりだ。


 けど……黒子が好きになったのは偽りの俺だ。


 本来の時間なら俺が光にボコボコにされて無様にノックアウトされる末路。それが時を歪ませたせいで助けることができてしまった。


 それが綾香を紹介するきっかけに繋がったんだから、やっぱり俺が生み出した歪みから綻びが生まれているのは明白だ。


 結局……俺が時を改変してなきゃ、事態はここまで悪化していない。


「気が変にでもならなきゃ下級生に暴行を働いた挙げ句、目の前で嘔吐し出した奴を好きになんてならない。きっと自覚してないだけで、俺の能力の影響でお前の頭は既におかしくなっちまってるんだよ」


 その事実は流石にショックだったのか、黒子は唖然と目を見開いて今にも泣きそうな顔を浮かべていた。


「な……ひ、酷い……酷すぎます……!」

「ああ、俺のやったことは酷い。だから……責任は取らなくちゃいけないんだ。綾香が責任を取らずに逃げたことを否定するなら、俺はここで責任から逃げちゃいけないんだよ」


 狂った時計の針も誰かが正せば正常な時を歩める。

 そしてその針は俺が狂わせた。もう中の歯車も取り返しがつかないくらいに。


 なら俺が正すのは当然だ。


 きっとこれは自殺して人生を放棄しようとした俺に対する神様からの罰。

 あるはずのない人生であるはずのない時間の幸せを得ようとした俺に、業がないはずがない。そして今、積もりに積もったその報いが来たんだろう。


 だから改めるんだ。時も悔いも全て。

 今がこの誤った時間を正しい時間に戻す時なんだ。


 過去を変える以上、もうこの時間も無意味になる。

 でも例え頭がおかしくなってたのだとしても、今日まで俺を想って仮初めの幸せを守ってくれたのは、間違いなくこの時間の彼女なのだ。


 だから……俺も仮初めの言葉でも、思っていたことを伝えたい。


「本当に今までありがとう。多分俺は……お前のことが好きだった」


 昔双子には恋愛感情を抱かなかったのに、中身が黒子になった途端に惹かれたならきっとそういうことだったんだろう。


 もう成り代わりとか入れ替わりのせいで、今の気持ちはぐちゃぐちゃでよくわからないけれど、それでも彼女と一緒にいた時間はなんだかんだ楽しかった。


 なら……嫌いなわけがない。今もこの時間が無かったことになるのが惜しいと思っているんだから。


 目を瞑り両手を構える。

 事故で両親が死んだ時の光景を思い浮かべて……それでも一瞬だけ、あの水中に差し伸べられた両手を思い出した。


 走馬灯か、いやきっとこれは未練なんだろう。今ならあの双子に助けられた時にも戻れるかもしれない。


 でも、もう救済は必要ない。

 これは差し伸べられた救いの手を掴むんじゃなく、手放す時なんだから。


「……! やめてええぇッ!」 


 咄嗟に黒子が俺の手首を掴んで止めようとしていたが、もう俺の両手の動きは止まらない。勢いよく両指が組み合わさり、視界が闇に奪われていく。


 そうして、俺の中学校生活は永遠の終わりを迎えた。

 

 いや……始まってすらなかったことになる。

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