20. 双子よりも遠く双子よりも近い

 翌日の昼休み。 

 俺は屋上の欄干に肘をついて、ただ呆然と外の光景を眺めていた。

 前は心地よく感じた風も見渡す町の景色も、今は全てがよどんで見える。


 そう、俺の目は雲っていた。屋上で綾香と静香が死んだ時、俺は二人と過ごす日常がかけがえのないものだと気付いたつもりだった。


 ……今思うと滑稽で笑えもしない。

 大切にしちゃいけなかった。こんな手遅れの日常はもっと早く壊すべきだったんだ。


「あ、いたいた。おーい、こんなところに呼び出して何の用よ」


 声のした方にふり返ると、綾香がいつもの様子でやって来ていた。

 サイドテールを風になびかせ、呆れた調子で肩をすくめている。さっきスマホにメッセージを送って、屋上に一人で来るよう俺が呼び出したんだが、想像より早く来たらしい。


「まったく朝から連絡もなく遅刻して、休み時間に教室にいないから心配したのよ?」 

「……悪い。どんな顔をして会えばいいのかわからなかったんだ」


 だから朝にバスを一本遅らせて、遅刻してでも双子との接触を避けた。できるなら学校にも行きたくなかった。

 だけどこうして呼び出した以上、もう向き合わないといけない。


「まあ昨日は静香のせいでちょっと気まずい空気になっちゃったしね。でもそれで遅刻までするのはやりすぎじゃない?」

「気まずかったのは昨日だけの話か?」

 

 そう訊いた瞬間、綾香の表情が強張った。


「……どういう意味よ?」


 問い詰めるような、いや確かめるような声。

 綾香の目はもう笑ってない。屋上に一人で呼び出した時点で、もう既にこっちの真意を察していたのかもしれない。


「お前……半崎黒子だろ」


 そう告げた瞬間、空気が静まり返った。

 馬鹿馬鹿しいと笑い飛ばされればどれだけ楽だっただろう。

 死者の話題をするなと咎められたらどれだけマシだっただろう。 


「……どうして、わかったんですか?」


 だけどそう寂しげな表情で返答されて、全てを察した。

 その恭しい口調と沈んだ眼差しは……もう綾香のものじゃない。


 やっぱり……彼女は半崎黒子だった。


 けど犯人を突き止めたような爽快感も、綾香に成り代わられていた怒りも、なにも湧いてこない。ただむなしさがこみ上げて来る。


 叶うなら……外れてほしかった。


「屋上で黒子は『別の誰かの人生と代わりたい』って口にしていた。ならその願いから“別の誰かの姿になれる”能力が身についてもおかしくないって思ったんだ」


 悲願者の能力は願いが元となって発現するが、あくまでそれは補助。願いそのものは自力で叶えなくちゃいけない。


 もし顔も身体も他の人物と同じに変われるなら……その相手に成り代わるだけで願いを叶えられる。


「……別に私がそう口にしても、それが悲願者の能力になるとは限らないじゃないですか。他の突発的な願いの能力かもしれませんし」

「確かにそうだな。でもその能力ならこれまでの不自然な点も全部説明づけられるんだよ」

「不自然な点?」 

「屋上でお前が吐いた時のことを覚えてるか?」

「……あまり思い出したくないです。袋のことは……すみません」


 申しわけなさそうに苦々しい表情を浮かべる黒子。やっぱり黒歴史になってるらしい。


「あの時お前は迷わず俺のポケットからエチケット袋を取り出した。まるで前から場所を把握してるようにな」

「あの吐いた動画が出回ってるんですから、制服のポケットにあると思って手を伸ばすのは別におかしくは……」

「おかしいさ。当時のお前は、動画でポケットから袋を取り出すところが映ってたって言ってたけど、俺が撮影されるようになったのは吐いた後だ。映ってるわけがない」

「……!」


 あの「犯人確保ォ!」の掛け声がきっかけで俺は撮影されるようになったのだ。

 現に出回っている動画を確認したが、俺がポケットから袋を取り出して吐いているシーンはどこにも存在しなかった。


 もっと早く動画を確認してればこんな簡単な矛盾にも気づけたんだろうが、醜態さらした黒歴史だとわかってる動画なんて、好き好んで見るわけがない。


「つまりお前は動画の中身をまともに見てないんだ。それなのに動画で見たなんて嘘をつく理由があるとしたら……袋の場所を初めから知ってたことを咄嗟に誤魔化そうとしたんじゃないかって思ったんだよ」


 それこそ普段から、バスで俺からエチケット袋を借りていたあの二人なら……この世の誰よりも袋の位置を把握してるはずだ。


「……なるほど。でもそれだけでは私が綾香だと結びつけられないと思いますけど」

「もちろん根拠はまだあるぜ。お前は三上黒子って俺に名乗ってたけど、自分の正体を隠してる奴が本名を明かすのはどう考えても変だ。それも名字は偽名で名前だけ本名なんて中途半端な真似はな。でもよく思い返したらお前は名字を名乗る時、『み、みみみみ』って蝉の鳴き声に聞こえるレベルで、最初の文字で詰まっていた」

「……そこまで酷くないです」

「いや酷かった。最初は単に緊張でどもっただけと思ったけど、あれは普段名乗っている宮本の名字を出しそうになって、咄嗟に思い留まった結果だったんだろ。だから動揺して名字はなんとか誤魔化せたけど、名前を偽名にすることまで気を回せなかったんだ」


 角の生えた幼馴染に名前を聞かれて、咄嗟に背後の本のタイトルをそのまま名乗っちまったようなもんだ。


 最初の言葉に詰まって焦って、どうにか偽名を振り絞ろうとして咄嗟に名乗っちまったのが……皮肉にも身近な自分の名前だったんだ。


「図書室の本を俺に拾われそうになって酷く動揺したのも、その本のブックカードに宮本綾香の名が書かれてたからだろ。もしタイトルを覚えられて後で確認されたら、ブックカードの日付からお前と綾香の関係性が結びついちまうからな」


 黒子の名前が載ってないのに、綾香の名前が載っていたら流石に俺も不自然に思う。


「だからお前はこのまま本を手元に置いておくのは危険だと思って、早めに図書室に返しに行ったんだ。もちろん綾香の姿でな。俺よりも先に図書室にいたのは、俺や静香に鉢合わせしないように西階段からじゃなく、四階の廊下を渡って中央階段を使ったからだろ?」

「……その通りです。図書室に啓太さんがいなかったので、もう下校したと思っていたのに……声をかけられた時は心臓が止まるかと思いました」


 ならテーブルに突っ伏していたのも、本当は黒子の姿で俺と会ってしまったことに気が参ってたからか。

 そもそも光が綾香に対して強気な態度で詰め寄れるとは思えないし、図書室でした光の話は俺が光に接触しないようにするための嘘だったんだろう。


「それに一年の女子に接触したら殺すって脅迫も、あまりにピンポイントすぎて本当に間近で見られてたように感じた。でも当然だよな。お前がその接触した一年の女子本人だったんだから」


 そう俺に脅迫すれば誰にも話さないと思って念入りに釘刺していたんだろう。

 それがあれだけ口止めしたのにペラペラ黒子の名前を出して喋り出されたら、そりゃ睨むしキレて胸ぐらつかみかかる。


「だから図書室で時間をかけてお前が持っていた本を探せば間違いなく見つかるはずだ。ブックカバーはしてあったけど、厚さは覚えてるし、綾香として返したブックカードの返却日はお前と出会った日になってるはずだからな。……まだ根拠が必要か?」

「……いえ、もう十分です」


 そう綾香は冴えない表情で首を振って、片手を自分の顔に当てた。


「啓太さんの言葉の通りです。私は綾香ではなく半崎黒子。一度見た相手になら誰にでもなれる悲願者です」


 そう告げた途端、綾香の顔面がみるみる内に歪んでいった。全身の骨格から体細胞まで隅々と変化していってるようで、身長もわずかに縮んでいる。


 いや……変わってるというより戻ってるのか。元の姿に。


 現に数十秒もしない内に綾香だった彼女は完全に黒子の姿に変わっていた。

 それでも、表情の面影はさっきと変わってない。依然として沈んだ浮かないものだ。


 覚悟はしていたが、実際に目の前でこうも姿を変えられると流石に怯んでしまう。


「……凄い能力だな。本当に見た相手なら誰にでもなれるのか?」

「いえ、誰でもではないです。この変貌メタモルフォーゼで変身できるのは相手が女の人の時だけで、私が見た時点の姿にしかなれません。……もっとも光は信じないで、顔のいい男性アイドルに無理矢理変えようとしていましたが」


 ああ、それであの時教室で強引に着替えさせようとしていたのか。光がペアルックにジーンズを選んだのはそれが理由か。


「……変貌メタモルフォーゼ?」

「私の能力名です。啓太さんの『狂気の時間遡行クレイジーリセット』の呼称に倣ってそう呼んでいます」


 そこは別に倣わなくていいが。


「身体を造り変えるなんて負担が大きそうだけど……代償とか大丈夫なのか?」

「……啓太さんと比べれば特にたいしたことはないです。ただロブスターの脱皮と似ていて失敗しない限りは無限にできますが、少しでも気を抜けば……多分死にますね」


 ずっこけそうになった。十分にたいしたことあるじゃねえか。


「……どうして私が静香ではなく綾香に成り代わってるとわかったんですか?」

「屋上でお前と会った後、階段を降りたらすぐに静香に会ったことがあったからな。時間的に静香に成り代わるのは無理だ」

「でも私が屋上にいる時に綾香がやって来た時がありましたよね。あれを見たら普通私を綾香だと考えなくなりそうですけど」

「確かにな。でもあの時の綾香はここに来たのは『自分探し』って口を滑らせていた。ならあれは人生を探す意味じゃなくて、本当に自分を探してたんだろ。静香も綾香の姿に成りすませば、すれ違った生徒に「さっき会ったのにどうしてここに?」って感じで綾香姿のお前の居場所を教えてくれる可能性があるからな」


 声を掛けて探すだけじゃなく、掛けられても探せるようにした方が効率的なのは明白だ。


 問題は……どうして静香がそんな黒子を探すような真似をしていたかだが。


「……そろそろ根本的な疑問を切り出すぜ。なんでお前は綾香に成り代わってるんだ?」

「それは……」


 訊いた瞬間、よっぽど答えづらいのか黒子は俯いていて黙り込んだ。


「……バスでお前らに貸したけど未使用で返されたエチケット袋がこれまでに何個かあったよな。昨日それを手間掛けて調べてみたら、指紋が俺の分を除いたら一人分しかなかったんだよ」


 綾香(黒子)と静香が触った袋なのに、一人分しかないのはどう考えても変だ。


「外見がどれだけ似た双子でも指紋まで同じにはならない。それなのに指紋が一致してるなら……必然的にお前は綾香に成り代わってるくせに、身体は静香ということになる。どうして綾香本人の姿にならないんだよ」

「…………」


 黒子は重く口を閉ざして目を伏せたままだった。どうしても言いたくないのかもしれないが、それでも黙秘なんて認めない。


「答えられないなら勝手に推測を話すぜ。能力の説明的にお前は見た時点の相手の姿になれても、そこから成長した姿にまではなれないんだ。ならお前が綾香にならないのは、最後に綾香を見たのが相当前で、中学生になった綾香の姿を見たことがないから、綾香になれないんじゃないか?」

「……!」

「病院で半年ぶりに目覚めてお前らの姿を見た時、なぜか俺は違和感を覚えた。ならきっとその時から既にお前は綾香に成り代わっていたんだ」


 黒子単独で綾香に成り代われるとは思えないし、静香も協力してたのは間違いない。


 綾香が家出してその間の学校の成績を下げないために、静香が黒子に綾香の代わりを頼んだ……とかならどれだけ良いか。


 でもそれはありえない。いくらなんでも大がかりすぎる。黒子が自殺したことにしてまで綾香のフリをしてたら、逆に綾香も帰り辛いだろう。


 それに家出で一年以上も行方がしれないならなおさら代わりなんかしてる場合じゃない。とっくに正直に打ち明けて警察に捜索願いを出すべき段階だ。 


 それができないなら残るはもう……時期的に最悪の可能性しか考えられない。


「俺が昏睡中、綾香は精神的に不安定だった。家で塞ぎ込んで、俺が目覚めないことに日に日に罪悪感も募って病んでいたなら……綾香は自殺したんじゃないのか?」

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