2-3 魔女、運勢最悪だと知る

 汚れ一つない真っ白な天井をみあげて白銀の魔女は夢の内容を思い出していた。

 ずいぶん懐かしい夢だった。生まれ故郷のことも両親のことも、ここ数百年思い出すことはなかった。とっくに忘れてしまったと思っていた記憶が残っていたことに魔女は安堵と哀愁を覚える。泣きたいような叫び出したいような気持ちの中、ぼんやりと見覚えのない天井を見上げていた魔女は、唐突にあることに気づいた。


「ここどこじゃ!?」


 かかっていた掛け布団を跳ね飛ばす勢いで起き上がり周囲を見渡す。

 人の気配はない。魔女が眠っていたのは天蓋付きの大きなベッド。高級品だとわかるふかふかの布団は魔女の長い人生でも数えるほどしかお目にかかったことがない。

 ベッドから見える調度品も高級だとわかる装飾の施されたもので、裕福な家庭であることがうかがえた。客間にしては置かれた調度品の数々に部屋主の好みを感じる。おそらくは女性の部屋だ。

 魔女は部屋の観察をやめ、怪我の状態を確認する。ボロボロだったでだろう服は清潔な寝巻きに変わり、傷を負った脇腹には包帯が巻かれている。至れり尽くせりな状況に魔女は困惑した。


「金持ちにでも拾われたんじゃろか?」


 川に落ちて流されたところで記憶は途切れている。どこかに流れ着いた魔女をたまたま金持ちが見つけて介抱してくれた。なんて奇跡だろう。


「運命め、運勢最悪などと脅かしおってからに。さては、この展開が見えていたから黙っておったな」


 悪戯好きの友人を思い出し、魔女は笑う。途中散々な目にあったとしても、最終的に生き残れるのであれば文句は言わない。いや、次にあったら小言の一つや二つは言うが、言えなくなるよりはよほどいい。

 途中がどれだけ不幸でも、最終的に幸せならば良いのである。つまり生き残った自分の勝利だと魔女は勝ち誇った。


 といっても油断はできない。今の魔女は魔力を使い果たし、契約時の姿に戻っている。現状の魔女は無力な子供と変わりない。


 魔女は魔族と契約した時点で成長が止まる。成人した魔女の姿は魔法による仮のもの。本来の姿で行動している運命の魔女は少数派で、多くの魔女は成長した理想の姿、もしくは社会に紛れ込みやすい姿で生活している。


 魔女の拳は岩をも砕くと言われているが、それは魔法の強化によるもので、腕力は人間だった頃と変わらない。つまり現状の魔女の体力と腕力は十代前半の少女と変わらない。


 魔力は時間経過によって回復する。魔力の回復を早める薬は存在するが作るには隠れ家に戻らなければいけない。となれば、普通の女の子のふりをして回復するまでこの家においてもらうのが得策だろう。見ず知らずの子供を手当し、こんな上等な部屋を一室与えてくれるような金持ちだ。悪いようにはされないだろうと魔女はのんきに考えていた。


 とりあえずは現状把握と魔女はベッドから抜け出した。ふかふかなベッドは非常に魅力的で、目覚めたばかりの魔女は二度寝したい衝動にかられたが、そうも言っていられない。靴はなかったため、素足で床を踏みしめるとふかふかの絨毯の感触がする。金持ちすごいと妙な感動を覚えた。

 

 体の調子を確認するために体を動かしてみる。体をひねれば矢が刺さった脇腹が痛んだが、激痛というほどではない。ちょっとした動きでは傷口が開く様子もない。傷口を確認したかったが、包帯をとっている状態で人が来ては厄介だと我慢する。


「子供の姿に戻るのは久しぶりじゃのお」


 大人の女性に比べると細く小さい手を開いたり、閉じたりする。棒きれのように痩せ細った自分を思い出したせいか、肉付きのよい体に違和感を覚える。人間だった頃、川面にうつった自分はずいぶん貧相だったが、あのときも十分な栄養をとっていればもう少し見れる外見だったのだろう。

 この姿を見たら両親は喜んでくれるだろうかという感傷が浮かんで魔女は頭を振った。夢を見るまで自分が人間だったことも忘れかけていたというのに都合の良い話である。薄情な娘ですまないと心の中で謝ってから、魔女は気持ちを切り替えた。


「それにしても、どこなんじゃろうな、ここ」


 最終的にはその問題に行き着く。情報がないかと窓から外をのぞいてみると、手入れされた庭園が広がっていた。金持ちだということは分かるが、ここがどこなのかは分からない。もう少し周囲の情報を仕入れておけば良かったと思っても遅い。魔女にこれほど大きな屋敷を建てられるような財力ある貴族や商人の覚えなど無かった。


「シルフォード家ならこれくらい広いやもしれんが……」


 浮かんだ可能性にゾッとして魔女は慌てて頭を左右に振った。それは最悪すぎる。運命の魔女が「運勢最悪」というのも納得の運の悪さだ。

 魔女が引きこもっている間に領土内はずいぶん発展したようだし、きっと魔女が知らない貴族や商人が屋敷を構えているはず。そうに違いないと魔女は不安を押し隠すために腕組みをし、無駄に大きく頷いた。


 それでもじっとしているのは落ち着かず、とりあえずクローゼットを開けてみたり、チェストを開いて見たりと少しでも情報がないかと部屋の中を物色してみる。多少の後ろめたさを感じつつの犯行だったが、クローゼットの中もチェストの中も何も入っていない。掃除は行き届いているが、客間なのかもしれない。


 となればこれ以上情報はない。魔女は眉をよせつつベッドに腰掛けた。

 部屋を出れば誰かに会えるだろうが、魔力回復までお世話になることを考えれば余計な行動は避けるべきである。か弱く庇護良くをそそるような可哀想な女の子になりきらなければいけない。となると、起きてそうそう活発に行動するのはダメだろう。儚いイメージとは真逆だ。下手すれば泥棒と間違えられる。


「ってことは誰かくるまでここで寝てなきゃいけないということかの?」


 結論を口にだして魔女は顔をしかめた。

 家主がこの部屋にいつやってくるか分からないのに、ただ待ち続けなければいけない。それを考えて魔女はげんなりした。後ろに倒れ込み天蓋をぼんやり見上げながら、二度寝しようかなと考える。

 川で溺れていた身元不明の少女を天蓋付きベッドで寝かせるようなお人好しだ。変なことはされないだろうとだんだん考えるのが面倒になってきた。目が覚めたとはいえ傷が完璧に塞がったわけではないし、体力だって回復していない。大人しく布団に入って回復に努めるのが最善かもしれない。


 魔女は起き上がると布団の中に潜り込む。魔女の体を受け止める上質な寝具にすぐさま眠気がやってくる。魔女が思っている以上に体は休息を求めていたらしい。

 あくびを一つして、魔女は枕を抱きしめた。布団と同じくふかふかの枕はお日様の匂いがする。誰かが気遣って干してくれたのかもしれない。

 至れり尽くせりじゃ。とまどろみながら思い、目を閉じる。起きたら誰がいたらいいのと思った魔女はそのまま夢の世界に落ちていく。


 と思ったのだが。


 その気配を感じた瞬間、魔女は跳ね起きた。先ほどまでの眠気が消えている。心臓が大きな音を立てて、鋭くなりすぎた五感のせいで肌がビリビリする。

 何者かがこの部屋まで近づいてくる気配がした。離れていても感じるほどの膨大な魔力を持った人間がこちらに向かってくる。

 まて、聞いていないと魔女は悲鳴を上げそうになった。クローゼットの中に隠れるか、ベッドの下か、それとも窓から飛び降るか。混乱と恐怖でまとまらない思考で考えるがどれも成功するとは思えなかった。隠れても見つかるだろうし、逃げたってすぐに捕まえられるだろう。だってこの魔力量だ。魔女だからこそ、これだけの魔力があればどれほどの魔法が使えるか分かってしまう。魔力を失い、子供と同じ体力と力しか持たない魔女が勝てるはずがなかった。


 ノックの音がする。魔女は布団を握りしめた。体が震え、変な汗が流れてきた。逃げることも出来ず、だからといって返事をすることも出来ずにドアを凝視していると、ゆっくりと開かれる。


 現れたのは金髪碧眼の男性。魔女が起きていると思わなかったのか驚いた顔をして、それから人の良い笑みを浮かべる。人に安心感を与える柔らかい笑みだったが、魔女は少しも安心出来なかった。


「良かった。目が覚めたんだね」


 そういって近づいてきた男性は魔女を簡単に殺せる魔力をまとっていた。

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