第6話 (その16)

 彼女がその手にもう少しだけ力を込めれば、私はいとも簡単に息絶えてしまうだろう。まさに生殺与奪が、彼女の手に委ねられている状況だった。

 そんな折なのに、自分の胸の鼓動がはっきりと高鳴っていくのが分かる。それを抑えることなど出来るわけもなかった。私は息をぐっと吐き出して、目を閉じ、その先のすべてを彼女に委ねた。

 彼女の手がゆっくりと、私の頬を撫でるのが分かった。目を閉じていても、彼女が私をじっと食い入るように見つめ、果たしてどうしたものかをじっくりと値踏みしているのが分かるような気がした。

 肩に食い込んだ爪に、ぐっと力が込められていくのが分かる。私は少しだけ苦しそうなうめき声を洩らしてしまったが、痛みはぐっと堪えた。歯を軽く食いしばって、ふるえる吐息を吐き出し、次に来るものに備え覚悟をかためた。

 閉じたまぶたを、よりいっそう固く結んで。

 閉じ目の闇の中で、私はそれが来るのをじっと待った。それが一瞬なのかしばしの猶予があるのかは彼女の気まぐれ次第だったけれど私はその時の訪れをかたく信じて疑わなかった。

 何せ、彼女こそはメアリーアンなのだ。

 私を今度こそ一緒に連れていくために、今こうやって私の元に遣わされて来たのだ。

 彼女に限って、今更戸惑うなどとということは有り得ないように思われた。いよいよ訪れようとしているその瞬間に、私はあきらかに、歓喜に打ち震えていた。

 さあ――!

 そうやって……一体、どれほどの時が過ぎただろうか。

 時間にしてものの数分、私にとっては永遠のようで、それでいて決定的な瞬間、その幕切れはあまりに呆気なかった。

 ふと私が目を開けると、そこにいるはずの彼女の姿はどこにも無かった。押さえつけられていたはずの首も肩も、圧迫感は綺麗さっぱり消え失せていた。

 まるでそれまでの事が全部幻だったみたいに、不思議な静寂が私を包んでいた。

 もちろん、周囲を見回せばその惨状はあまりにありありとした痕跡をそこに残していて、そこで起きた事が現実であるのはあまりに明白だった。肩の傷の痛みも、確かにそこに残ったままだった。

 それだけが、私の身体に残された、彼女の痕跡だった。

 彼女が一体いつの間に、どうやって屋敷の外に出たのか分からないけれど、少なくともその場に姿は見えなかった。屋敷の何処かに潜んでいるのかも知れなかったけれど、私も傷はそう浅くもなく、立ち上がって探しにいく事もかなわなかった。

 それに私には、何となく彼女がもうここにはいない予感がしていたのだ。

 まただ。

 また、置いていかれた。

 メアリーアン、どうしてあなたは、いつも私を置いて行ってしまうのか――。

 どうして、私はいつも置き去りにされてしまうのだろう。

 果たして、私はそれを悲しんでいたのか、それとも悔しく思っていたのか――はたまた傷が痛むせいだったのか、いつしか私の目からはとめどなく大粒の涙があふれ出てきてどうしようもなくなってしまっていた。動く左手で雫を拭いながら、私は顔をぐしゃぐしゃにしたまま、まるで子供のように、声をあげて泣きじゃくった。


(第7話につづく)

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る